32.聖職者の矜恃
「ギルバートさん……!!」
突然目の前に広がった大きな白い閃光の後で、わたくしは無我夢中で馬車から飛び降りました。
遠くでギルバートさんが地面に倒れるのが見えたからです。ドルフさんも、周囲に居た方も駆け出しました。
息がある事を確認し、男性達が協力して集落の入口まで運び、聖職者様がすぐさま治癒を始めます。
わたくしに出来ることは、馬車から持ち出した毛布を掛ける事くらい、後は祈るばかりです。
あの閃光の後で、視界にあった赤黒いものが全て消え去ったこの光景は錯覚ではありません。けれど誰もそれについて声を上げないのは、驚愕と混乱もあったでしょう。
「この方……、体内の麻痺毒の量も進行度合いも、先ほどの傭兵の方より遥かに重度です。こんな状態で動けていたなんて……」
聖職者様の呟きに、先ほど治癒が終わって意識を戻した傭兵の方が駆け寄ります。
「助かるか……!? 俺のせいで……こいつは恩人なんだ、頼む……!」
「ええ、安心してください。不思議な事に、毒の量の割に症状は軽いようです」
そう言って微笑んだ後で、聖職者様は真剣な表情で治癒魔法を展開しました。他の聖職者様も集まって来て、同じように治癒を施します。真っ青だったギルバートさんの顔色が、徐々に血色を取り戻してゆきます。
「解毒と浄化は終わりました。今は体力を使い果たして、眠っているのでしょう」
「よかった! ああ、よかった! ありがとう!」
見守っていた傭兵の方が、声を出して泣き出してしまいました。わたくしも安堵と共に涙が止まりません。
号泣しながら何度も感謝の言葉を続ける傭兵の方に、聖職者様が優しい笑みを向けます。
「礼には及びませんよ。我々の力は、言うなれば皆さんの祈りから来ているのですから」
他の聖職者様たちもそれに頷いています。
「声なき数多の人々の、日々降り積もる祈りこそ加護の力の源。私達は修行と祈りの果てに、その加護を預かる事を許され、治癒や浄化魔法として使わせていただいているのです」
「感謝される事は光栄ですが、それに驕ってしまっては聖職者ではいられませんから。その感謝はどうか、再び祈りに代えて女神様に」
そう言って聖職者様たちは微笑みました。
しばらくすると、治療の間に集落の中を確認しに行っていた私兵団員さんが戻って来ました。
「……不死魔獣は、もうどこにも居ない」
それを聞いて安堵と共に沈黙が訪れます。
「皆聞いてくれ。すまんが、頼みたい事がある」
ドルフさんが、見た事のないほどに険しい表情をして声を上げました。
「少しの間でいい。ここで起きた事、見た事を、誰にも口外せんで欲しい。儂らはこやつを守らねばならん」
その場に居た全員が静かにドルフさんに顔を向けます。
「……わかってるよ爺さん。なんせ上の連中が何を考えてるのかさっぱりわからねぇんだ。この辺りで暮らす俺達は、もう何を信じていいか、わからなくなってる。それなら、この目で見たものを信じ、この耳で聞いた言葉を信じて従うまでだ」
傭兵の方が真剣な表情でそう告げます。難しい顔をして腕を組んで考え込んでいた私兵団員の方々も、頷いた後で続けました。
「そうだな……。ただ、我々はある程度は領主様に報告の義務がある。時間は稼ぐが、絶対の約束は出来ない。……とはいえ、領主様も国王陛下には思うところがあるご様子だ」
「それで充分だ。もしこの先に同じ事が起これば、いずれは露見するだろうからな……」
そう言って目を細め、笑みを浮かべます。
「それから、もし万一何か聞かれたら、しばらくは、怪しい爺が作ったよく分からない奇妙な道具が何かした、とでも言って誤魔化してくれ。なんせ儂は、しらばっくれるのは得意じゃからな」
ドルフさんは場を茶化すように笑いました。
誰も『何を』とは一言も言いません。ドルフさんの意を汲んだのもあったでしょう。もちろん、何が起こったのか、正確にはよくわかっていないのもあります。けれども、頭に浮かぶ言葉もあります。それでも今この場でさえ誰もそれを口にしないのは、共に戦ったからなのか、不思議な連帯感がありました。
治療を終えても、ギルバートさんは眠ったままです。
皆さんに協力いただいてギルバートさんを馬車に乗せ、街に戻ります。