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30.北の異変②

 街の中央では、住民達があらゆる器を持ち寄って湧き水を運び、聖職者達が清めの祈りを捧げて浄化の加護をいただき、聖水に変える作業を行っている。

 その傍らでは、私兵団員や傭兵、街の男達から怪我の治療が終わった者まで、動ける者達が、街中から集められるだけの武器を集めて聖水で清めていた。


 ギルバートもまた、聖水を布に含ませて、戦斧(せんぷ)の半月状の刃先を清め丁寧に塗り込んでゆく。


「ギルバート、これも聖水に浸して染み込ませておけ。聖水の恩恵が何かの役に立つかもしれん」


 そう言ってドルフが傍らに置いたのは、馬車でフローラが作っていた組紐と、村から持ってきた鎖を繋いだものだ。


 戦斧は半月状の刃先から下に向かう錨爪が、そのまま弧を描いて柄頭と繋がっていて、紐や鎖を通せる形状をしている。斧頭はあちこちに(かん)が装飾のように取り付けられていて、そこにも紐を通せる。利き腕の問題を解消する為に、村を出る前にドルフが予め用意して加工してくれたものだ。


 ドルフはしゃがみ込んで、地べたに腰を降ろしているギルバートと視線を合わせ、表情を険しくする。


「わかっとるだろうが、村で話した通り、利き腕に難を抱えてるお前の扱う戦斧は、そもそも魔獣や不死魔獣(アンデッド)との戦いには向いてねぇ。それでも相手が大型であればまだ、体幹と遠心力で十分な威力になるだろうが、逆に小回りが必要な小型相手には余計に不利だ」


 作り手の鍛冶職人として、あるいは古くからの知己として、言い聞かせるようなドルフの言葉に、ギルバートは安心させるように笑んで頷いた。


「わかってる、無茶はしない。俺は俺に出来る事をするだけだ」


 しかしドルフは揶揄うように笑う。


「お前はどうもその辺は信用ならねぇからなぁ……」

「えっ、なんだよそれ……」


 そんな軽口を交わしていると、急に外が騒がしくなった。




「北東の集落に別の不死魔獣(アンデッド)が出現してやがる! 小型だけだが、数が多い」

 

 街に駆け込んできた男が息も絶え絶えに告げる。報せを聞いた領主も、周囲に居た者も皆一斉に険しい顔をした。


「ライオネル卿が封じ込めに向かったのと逆方向か。参ったな……動ける者は向かってくれ!」


 領主の声を合図に、私兵団員や傭兵たちが用意された浄化済みの武器を手に駆け出す。聖職者達も同じ方角へ向かいだした。

 その光景に、ドルフは眉間に皺を寄せギルバートに問う。


「どうする? お前はここでライオネルを待つか?」

「いいや、そんな真似したら、あの人に合わせる顔が無くなる」


 そう言ってギルバートは戦斧を手に立ち上がる。ドルフは心得たとばかりににやりと笑った。それから遠くに向かって声を張り上げた。


「バーバラ! フローラちゃん! 馬車の準備だ!」

「……は? おい、待て。まさか、付いてくる気か!?」


 振り返って目を瞠るギルバートに、ドルフはしたり顔で頷いた。


「当たり前だろう。儂も、お前が何と戦うのか知る必要がある、って話さんかったか?」

「いや、それはそうだけどな。安全な場所に居るって約束は……」


 それにすぐには答えずに、ドルフは動けと促すようにギルバートの腰を叩いて、二人は揃ってその場から駆け出す。前を向けば視界の先で、馬車を用意してバーバラとフローラが手を振っている。


「あの馬車はな、儂らの村の職人と魔法使い全員の祝福が篭もっておる。あの中はどこよりも安全だぞ」

「ほんとかよ……」


 半信半疑な声を出しつつも、ギルバートは困ったような笑みを浮かべて御者台に乗り込んだ。


「聖職者さん達にも乗っていただきました。それから、……こんな時ですが!」


 フローラの声に振り向けば、差し出されたのはチーズと肉を挟んだベーグルだ。ギルバートは少し肩の力を抜いて笑った。


「ありがとう、助かる。こんな時こそ食っとかなきゃな。腹が減ってちゃ戦えない」


 フローラから受け取ったベーグルにかぶりついて、ギルバートは馬を走らせた。





 街の城郭をくぐると南西に広がる麦畑を抜け、林を四つほど抜けた先に目的の集落があった。


 遠目には異常は無さそうに見えたが、高台から近寄るにつれその異形ははっきりと認識出来た。

 集落の北側の三分の一ほどが、赤黒い、泡のようなぼこぼことしたものに覆われている。


 南側からは逃げ出してきたのだろう子供や老人が、城郭のある街の方に向かって、周囲に怯えるようにして歩いていた。



 集落に辿り着いてよく見れば、遠目から泡のようにも見えたそれは無数の蛙に似た形の不死魔獣(アンデッド)だった。

 大人の腰の高さほどのものから、子供の膝下ほどのものまで大小様々だが、どれも一様に赤黒い腐敗した肉に覆われている。


「だめだ、数が多すぎる」

「殺傷能力が低い魔獣なのが幸いだが、倒しても倒しても数が減りやしない」


 先行していた私兵団員達が、加護の切れた武器を聖水で濯ぎながら顔を顰めている。


「結界で封じ込める事は可能か?」

「いえ……広域結界が可能な聖職者はライオネル様に同行しております。我々では集落を覆うのは厳しいかと……」

「そうか……」


 私兵団員の一人が聖職者に尋ねた後で肩を落とす。

 そこへ合流したギルバート達が声をかけた。


「まず殲滅より住民の避難を優先させるのはどうだ? ちょうど馬車もある」

「いや、あの不死魔獣(アンデッド)の元になってる魔獣が厄介でな。元々ここよりだいぶ北の沼地に湧く魔獣だが、あいつらは匂いを追うんだ。そのせいで、住民が一斉に逃げればそちらを追いかけていってしまう」


 避難途中であろう子供が走っていなかった理由を理解して、ギルバートは顔を顰めた。


「それなら、例えばだが……、不死魔獣(アンデッド)は聖水の加護が無きゃ死なないが、肉体が大きく破損すれば元に戻るのにいくらかの時間が掛かるはずだ」


 ギルバートの話に、私兵団員や傭兵達が顔を上げる。


「つまり、追いかけられないように引き付けて潰しまくれば、住民を街まで逃がす時間は稼げないかな?」

「脳みそまで筋肉が詰まってそうな発想だな」

「だが、正直なところ俺達もそれくらいしか今出来る対処が思い浮かばん」


 強面の傭兵達が、カラカラと笑いながらギルバートに賛同する。私兵団員も聖職者も苦笑いして頷いた。


「……まぁ、問題は、住民逃がしたあとで俺達がどうやって逃げるかなんだが……」


 ギルバートが呟けば、笑いながら屈強な傭兵の一人が肩を叩く。


「そいつは後で考えようぜ。今はとにかく、住民達の安全避難を優先しよう」


 作戦はもうそれで決まったらしい。住民の移送をドルフ達に託すと、ギルバートも、私兵団員達も、傭兵達も、武器を手に集落に歩いていく。




 残されたドルフは御者台で長い溜息を吐いて、馬車の中から心配そうに窺っていたフローラとバーバラに声を掛けた。


「ギルバートの野郎、自分の身の安全が頭からすっぽ抜けておるな。あいつらが大怪我しねぇうちに、儂らは住民の避難をなるべく早めに終わらせよう」


 その言葉に、フローラとバーバラもいつになく真剣な顔で頷いた。

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 突然現れたギルバートとも、目と目を見交わせば分かり合える脳筋軍団いいですね。 理屈じゃねー、まずは住民を逃がそうぜ! [気になる点] こういう視点が英雄&聖女には抜けているんだなあ。 王族…
[気になる点] 武器に聖水を付けて一回一回やり直しって、鏃に付けて弓矢でやったりしないのかな? 遠距離武器の方が安全で大量生産向きだと思うけど……あと直接聖水をふりかけたらどうなるんだろう? [一言]…
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