3.小さな綻び①
──ああ、クソっ、……胸糞悪いったら無いな。
集団の後方に立ち、俯き無言で顔をしかめ、下級騎士のケビンは腹のうちで悪態をついた。
──フローラさんが何をしたっていうんだ。こんなの、あんまりだろう……。
仲間の背中の隙間から見える、聖騎士として出世したかつての同僚、エリオットの後頭部を、穴が空くほど睨み付ける。出来ることなら怒鳴りつけて一発殴ってやりたい気分だが、この場で下っ端の下級騎士でしかない己の劣等感と保身でがんじがらめで、情けない事に声も上げられない。
王都の市民街の一角、倹しい長屋にそぐわない、正装をした騎士の集団は嫌でも目立つ。あまつさえその場には、今や時の人となった聖騎士と聖女までいるのだ。
ケビンに出来た事といえば、王宮魔術師の知己に何度も頭を下げて借りて来た隠蔽魔法の宝珠を使って、この状況を他の住民達に悟られないようにする事くらいだ。
エリオットの名声の陰で、その妻フローラは、本人の行いとは無関係な周囲の悪意に晒されている──それは近くの下町に住む、ケビンの恋人から聞かされていた。
フローラがこれ以上、さらに望まぬ耳目を集めるのは不憫でならなかった。
──だいたい、誰がどう見たって浮気じゃねぇか。それなのに……。
多勢に無勢、女性一人のところに大勢で押し掛けて、離縁を迫る。まるで脅迫とかわらないだろう、とケビンは思う。その場にこうして同じ騎士として帯同している自分に言えた事ではないのは、頭ではわかっている。
エリオットとは、不死魔獣討伐の出征前は、同期で入団した同じ下級騎士として、ささやかな交友があった。
ケビンから見たエリオットは、寡黙でクソまじめな、面白みには欠ける男だが、学の無い平民あがりのケビンを見下すことの無い、数少ない気を許せる同僚だった。
籍を入れる前のエリオットとフローラ、それからケビンの恋人チェルシーと共に、四人で食事に行ったこともある。もともと人付き合いの不得手なエリオットとの関係性は、それほど深いわけでもなかったが、友人と言えなくもない程度には見知った仲だと、そう思っていた。
ケビンとて、戦地で聖騎士となったエリオットと、聖女エミリーの距離が日に日に近付いて行くのを黙って見ていた訳では無い。
何かにつけて、王都で待つフローラの話題を出して、エリオットには釘を刺していたし、時には本気で諌めた事だってあった。
『わかっている』
──俺が諌めるたびに、そう答えたくせに、結局何もわかっちゃいなかった。
落胆、失望、怒り、そんな感情が渦巻くのを俯いて堪える。
下を向いたケビンの視界の端を、ふわふわとした金の髪が掠めた。
──この女も……。どういう神経で付いてきてんだ。理解出来ねぇほどのバカだ。
妻と離縁をしに来た男に、『付き添う』などと言い出しここまで付いてきて、挙げ句にエリオットの隣に並び立とうとさえしていた。
慌ててエミリーの腕を引いて、なるべくフローラの視界に入らないよう、騎士団員の後ろに引っ込めた。睨みをきかせて、せめて黙っていろと一声掛ければ大人しくはなったが、それでも尚、背伸びして中を覗き込もうとする姿が癇に障る。
『ひとこと、あやまりたいの……』
ここに来る道中、エミリーは何度もそう口にしていた。
『アンタが許されたいだけの謝罪なんて、迷惑なだけだ』
堪えきれずにぼそりと呟いた言葉は、思いのほかエミリーに刺さったらしい。
棘のある言葉に俯くエミリーを、仲間の騎士達は庇って慰めていたが、それすら愚かしくて余計に苛立った。立場の低い下級騎士が聖女を咎めた事に、激昂する輩も居たが、その時ばかりは無視をした。
騎士達の多くが敬愛する聖女サマだが、ケビンはエミリーに対しては嫌悪感すら抱いている。
戦地で何度も彼女を諭したのだ。エリオットには王都に待つ妻が居るのだと。
──知らなかった、なんて言わせねぇ。
妻の存在を知っていても尚エリオットに近づいた癖に、今更一体何を謝るというのか。