29.北の異変①
「ギルバート、あの狼煙の意味はわかるか?」
揺れる馬車の御者台で手綱を握りながら尋ねるドルフに、一つ頷いた後で、ギルバートは険しい表情で答える。
「……あれは、騎士団がよく使うが、各領の私兵団や傭兵なんかにも、共通で内容が伝わるようになってる。救援要請ではない事を示す為に魔術の光の粉を混ぜてあって、あの位置から一斉攻撃を仕掛けたか、あるいは戦線がその位置まで前進した事を伝えてるはずだ……」
ドルフは顔を顰めた。
「つまり、そんな事をしなきゃならねぇほどの大物がいるって事か?」
「恐らくはそうだ。問題は……はぐれ魔獣のデカブツが街を襲っただけなのか、それとも……」
先を言い淀むギルバートを一瞥して、ドルフは視界の先にある街を見据えた。
「ギルバート、何にせよ、無茶はするんじゃねぇぞ。それから今、儂らの手元には聖水が無い。万が一にも、あれが不死魔獣なら、あの街の教会でまずは聖水を調達せにゃならん」
「ああ……そう、だな……」
ギルバートは手元にある戦斧の柄を握りしめた。
「この辺りはもう、北部の前線だった地に大分近い。……追いつくなら、もうそろそろのはずだ」
「あそこにライオネルが居るってか?」
「わからない。だが、可能性は高い」
ドルフは前を向いたまま、しばらく思案し、そして声を上げた。
「バーバラ、フローラちゃん、今出来てる部品を集めておいてくれ」
「はいよ!」
「わかりました!」
三人の声を聞きながら、ギルバートは視界の先で徐々に大きくなる街の城壁と、その先にあがる狼煙を睨むように見つめた。
辿り着いた古い城郭の残る小さな街は、大勢の聖職者達が城郭に沿って結界を張り、怪我人の手当に当たっていた。
門をくぐり抜け馬車のまま中央の広場まで行けば、この辺り一帯の領主と思しき男が私兵団と険しい表情で何かを話し合っている。
領主の男はこちらに気付くとすぐさま駆け寄って来た。
「その戦斧、傭兵か何かか? すまんが、今は人手が欲しい。報酬は出す! 手を貸してくれ!」
「儂らに出来ることなら手伝おう。まずは何があったか聞かせて貰えるだろうか」
逸るギルバートを制して、ドルフが代表して答える。
「今朝方、近くの森に不死魔獣が現れてな。……騎士団の帰還命令が早すぎたんだ……国王陛下は一体何をお考えなのか……」
苦汁を飲まされたような顔で愚痴をこぼす領主の男に、ドルフが落ち着いた声で問うた。
「やはり不死魔獣か……。それで、遠目からでも狼煙が上がっているのが確認できたが、まだ殲滅は終わっとらんのか?」
「……ああ。そもそもうちの私兵団でも手一杯でな、幸い北部に残ってくださった聖職者方と、それから運良く王国騎士団長のライオネル卿が駆け付けてくださったんだが」
ライオネルの名が出た事で、ギルバートが馬車から飛び降り、領主に駆け寄った。
「あの人がここに居ないって事は、やはりあの狼煙のところか」
「ああそうだ。街から引き離してくださっている。実はな、かなり厄介な状況なんだ……」
領主は眉間に皺を寄せ、重い溜息を吐いた。
「大型の方は、一体だったからな、我らでも何とかなったんだが……その直後に、大量の小型の群れが現れた。数えられてはいないが相当の数が居る」
「小型の……? 不死魔獣が群れをなしてきたってのか?」
ギルバートが問えば、険しい顔で領主が頷く。
「そうだ。普通なら小型の魔獣や獣は、不死魔獣化する前に殆どが死んでしまうものだ。だからあんなに大量の数が同時に現れるなんて、聞いた事が無い……」
北部に近いこの街は、年に一、二度は不死魔獣が単発的に現れる事があるのだという。だからこそ知識もあり、単体への対処そのものは手馴れていたのだと領主は語った。
「先日の北部の大量発生の討伐でも、戦線で出くわす群れと言っても、概ね中型が十体ほどだったと言うじゃないか。それが、今日この街を襲ったのは、とても数えられる数じゃなかった」
ドルフもギルバートも、困惑に表情を歪めた。
「まさか、ここにきて変異種か……」
通常の魔獣ならば大型の方が厄介だが、不死魔獣の場合はその殲滅の煩雑さから、何よりも数が問題となる。
聖水で清めた武器で首を落とさねばならないが、聖水の加護はすぐに失われてしまうので、一体ごとに清め直す手間がかかるせいだ。
「聖水は、貰えるだろうか?」
すぐにでもライオネルの元に駆け付けたいギルバートが急いて問えば、しかし領主は首を横に振った。
「先ほど使い果たしてしまった。今、聖職者の方々に協力していただいて作り直しているところだ」
「そうか……」
ギルバートは俯き、震える拳を握りしめた。
その様子を横目に見てドルフが領主に問う。
「ライオネルは一人か?」
「いや、高位の聖職者数名と、うちの私兵団からも腕利きの者が数名同行している。距離を稼いだら、一時的に結界で抑え込んでいただく手筈だ。順当に行けば日が沈む前には戻られるはずだ」
それを聞いて頷くと、ドルフはギルバートを励ますように肩を叩いた。
「ならば、今はその先の事を考えて支度をせねばな」