27.恥さらしの義勇③
「殿下、俺はその……殿下を、恥さらしだと思った事は一度も無いです」
目の前に座るアレクシスをまっすぐ見る。今年十六歳になるこの国の王太子は、大人びて見えるがまだ少年の面影が残る。八歳ほど上のケビンにしてみれば、まだ彼は守られるべき子供の歳に思える。
ケビンは緊張しながら言葉を紡いだ。
「俺なんか、十九の時っすよ。初陣で、それも不死魔獣じゃなく普通の魔獣で。生まれて初めて至近距離で見たら、あんなもん、怖くて、初っ端から腰抜かして立てなくなって、結局その日は何も出来ないまま、上官に背負われて帰還して……服は自分で、洗濯して…………」
だんだん羞恥が湧いてきて言葉尻はしぼんでしまった。隣でチェルシーが慰めるように肩に手を置いた。
──俺がこんな事言ったって、何の慰めにもならねぇだろうけど……。
王太子アレクシスが戦地に慰問に来たのは、エリオットが聖剣を得てからひと月ほど経った頃だったか。王族、それも未来の王たる身分の少年が戦地で晒した醜態を、直接揶揄する事などは当然無かったが、見えない裏では一部の騎士達から嘲笑されていた。
ケビンはそれをあまりに下らなく、あまりに愚かだと思う。だが、場末の酒場で平民が支配階級への不満を稚拙な言葉で嘲るように、当人の居ない場で聞くに耐えない言葉が飛び交う事なんて、何も珍しい事ではない。
愚かな人間ほど、誰かを幼稚な言葉で卑しめる事に疑問を抱かない。
時代が違って絶対王政でもあれば、王族への罵詈雑言など許されるものでは無いだろう。けれども今のこの国の時勢では、末端の言葉狩りをするほど強気な政治が敷かれているわけでもない。
些細な切っ掛けから始まった愚弄は、やがて大きくなって騎士団内に広がっていった。
「でもあいつらが、陰で殿下を必要以上に貶めてんのは、逆恨みの腹いせですよ」
アレクシスもわかっているのだろう、苦笑いが返ってくる。
「逆恨みとはどういうことですの?」
黙って聞いていたアマンダが、身を乗り出した。事情は知っている風ではあったが、詳細は知らないのだろう。
「殿下が、あの女を聖女と呼ぶ事を拒否したからです。つまんねぇ理由です」
「そうでしたの……」
アレクシスがすっかり歳相応の少年の顔をして、口を尖らせた。
「……あの場には、聖職者も僧侶も大勢居た。年齢も性別もばらばらだが、その誰もが国と民の為に長く貢献してきた人たちだ。彼らを差し置いて、教会が認めたわけでもない、見習い僧侶を聖女と呼ぶなど……。その場にいる他の全員に対する侮蔑に等しいじゃないか」
ケビンは真顔で頷いた。この少年は何も間違った事など言っていないのだ。
一方のアマンダは、頬を染め目を輝かせて、テーブルの上に置かれたアレクシスの手に、彼女のその手を添える。
「ええ、さすがわたくしの敬愛する殿下ですわ。……ですが残念な事に、些事をことさら大袈裟に取り沙汰して誹謗に換える者など珍しくも無い事。わたくしも、傲慢だの高飛車だのと、よく言われておりますもの」
アマンダはそれから思案するように遠くを見た。
「それに……そのような状況を意図的に扇動して利用する輩というのも、おりますしね。稚拙な言葉しか持たぬ者ほど、乗せられてしまいやすいもの」
それを聞きながら、アレクシスは深く息を吐くとケビンに向き直った。
「君は違うようだから、言っておこう。私は、エミリーというあの見習い僧侶が聖剣をもたらしたとは、どうしても思えないんだ。何の確証も無いというのに、それが持て囃されている事にさえ疑問を持っている。……ただ、聖剣はよくわかっていない事が多いから、反証を集めるのも難しい……」
しばらく沈黙が降りる。ケビンも同調するものの、何かの証拠を提示出来るわけではない。
「……君は、先ほど私を、励ましてくれようとしたのだろう? その、ありがとう。……これは礼と言っては何だが、一つ教えておく。もうそろそろ表に知れる事だ、君が今日少しばかり早く知ったところで問題は無いだろう」
アレクシスの言葉にケビンは顔を上げた。
「王国騎士団長であったライオネル卿がその職を辞して、北部に戻った」
「へ……? ライオネル団長が!? え、それに、不死魔獣の討伐は、終わったんじゃ……」
寝耳に水の話にケビンは動揺する。
アレクシスは表情を険しいものに変え、ケビンの目をまっすぐに見た。
「王太子という立場であっても、残念な事に状況を全て把握出来る訳じゃない。私は、さっきの話の通り、侮られているからね……。だけど、良くない予感がしている。フローラさんの件もある、何かわかったら君達にも報せよう」
下級騎士という立場ゆえに、戦況にせよ騎士団の作戦内容や結果にせよ、ケビンもまた知れる事は多く無い。胸に広がって行く不安と動揺を抑え込む為に、膝の上で拳を握り締めた。