25.恥さらしの義勇①
王都の下町の一角。雑多な商店や古びた民家が軒を連ね、朝晩となく人が行き交い騒がしい町は、しかし昼過ぎだというのに珍しく静まり返っている。
住民達は民家の一つを遠巻きにして、息を殺すように見守っていた。彼らの視線の先にある民家の前には、人相の悪い男たちが複数押し掛けている。
「だから、知らないって言ってるでしょう!」
その家の主、チェルシーは震える声を張り上げて、玄関先を埋める男達を睨み付けた。肩も足も、震えが止まらないのを必死に堪えているが、恐ろしさと怒りで目には涙が滲む。
「知らないじゃ困るんですよ、お嬢さん。額が額なもんでねぇ」
「フローラさんが、そんなことするはず無いもの。絶対に何かの間違いよ」
「そうは言っても、証書はこちらにありますから。我々も手荒な真似はしたくない。フローラ・カディラが行きそうな場所の心当たりだけでも、何か知りませんかねぇ」
言葉遣いは穏やかだが、その声色のあちらこちらに侮蔑と威圧を滲ませている。趣味の悪い豪奢な服に身を包んだその男の後ろから、背の高い男達が視線で脅しを掛けて来ていた。
金貸しを名乗るその男が訪ねてきてからというもの、ずっと同じ押し問答を繰り返している。
「貴女は確か、何軒か豪商や貴族の邸宅で通いの洗濯女中をなさってるんでしたかね? 答えられないなら、雇い主に聞きに行った方が早いですかねぇ」
嫌な笑みを浮かべる男の言葉に、チェルシーは青褪めた。チェルシーの雇い主とフローラには直接関係は無いが、難癖を付けてチェルシーを追い詰めて、何かしらを吐かせようとする気だろう。
そんな真似をされたら、立場の弱い平民女中のチェルシーは仕事を失うばかりか、次の仕事さえ見つからなくなる。
そもそもチェルシーはフローラがどこに行ったのかを本当に知らない。答えられる言葉など持ち合わせていないのだが、目の前に居るこの男達は、何度知らないと言っても引き下がってはくれなかった。
──どうしよう、どうしよう……。ケビン……。
全身の震えが止まらない。心の中で恋人の顔を思い浮かべて堪えるが、助けを呼びにも行けない状況に、それ以上頭が回らない。
「ここでは答えられないというのなら、一緒に来てもらいましょうか」
そう言って男が一歩家の中に踏み込んできた時、家の外が急にざわついた。
「あら、これは何の騒ぎですの?」
聞いた事も無い甲高い少女の声が響き、チェルシーの目の前に居た男たちが一斉に家の外に目をやった。
「お嬢さん、邪魔しないでくれるか」
「これは一体何をなさっているのかしら?」
「あんたには関係ない。帰れ!」
「こんなに大勢の方が集まるなんて、きっと何か事件ですね」
「おい、待て! お前、なんのつもりだ!?」
「この中に何がありますの?」
男の制止の声など全く意に介さないような少女の声の後で、悲鳴と、どさりと倒れるような音がした。
「まぁ、乱暴ですこと! このわたくしを突き飛ばすだなんて!」
やけに芝居がかった少女の声が響き、続いて落ち着いた少年の声が聞こえた。
「侯爵家令嬢への暴行、現行犯だ。全員捕縛の後、速やかに牢へ」
その声と共にどこからともなく近衛兵たちが現れ、チェルシーの家の前に陣取っていた男達を次々と捕縛していく。呆気に取られながら立ち尽くしているうちに、玄関先には見知らぬ少年と少女が立っていた。
少女はつばの広い白い帽子にワンピース姿、少年は中折れ帽を目深に被り、一見すると富裕層の平民か、下級貴族の子息のような出で立ちだ。
「アマンダ、怪我はないか」
「大事ありません、アレク様」
「まったく、君は少し無茶が過ぎる……」
「あら、なかなかの名演技だったと思いますが」
何が起きたのか理解出来ずに呆然としていたチェルシーは、耳に入った彼らの会話に目を見開いた。
──アマンダ……侯爵令嬢? 王太子殿下のご婚約者の? だとしたら、隣の男の子は……。
玄関先に立っていた少女は、先ほどまでとは違った意味で立ち尽くしているチェルシーの方を向くと、ふわりと笑みを浮かべ、それからわざとらしく咳き込んだ。
「ごめんなさい、少し喉を傷めたようなの。ご迷惑でなければ、お邪魔して、お水をいただいてもよろしいかしら?」
「は、はい……」
チェルシーは頭がろくに回らないまま頷くと、少年と少女、それから護衛であろう青年を二人、居間に通した。
十五、六歳と思しき少年と少女は、今の服装には不釣り合いなほどに立ち振る舞いが洗練されていて、その素性を隠し切れてはいない。下町の民家の居間で、安物のコップに注がれたただの水など飲ませて良いものかと、チェルシーは困惑する。
「急に上がり込んですまない。私はアレクシス、彼女はアマンダだ」
「あ、あの……」
格好からすれば、所謂お忍びというものだろうか。あまりに簡潔に名乗られて、王太子殿下ですか、と問うて良いものか迷っていると、アマンダがくすりと笑った。
「これは私的な訪問で、周囲の目もございませんから。不敬などは気にせず楽になさってください」
チェルシーが既に正体に気付いていることを察してか、アマンダが告げると、アレクシスも同意するように頷く。
「先ほどの男達だが、侯爵令嬢への暴行容疑だけでは、あの場に居た全員への拘束力は弱い。しかし、叩けば余罪はいくらでも出て来るだろう。しばらくは抑えられるはずだ。安心してくれ」
それを聞いて、チェルシーは漸く少しだけ肩の力が抜けた。しかしその後に続いたアレクシスの言葉に、再び身体を強ばらせる事になった。
「実は、……私達も君を訪ねて来た。フローラ・カディラに関する話を聞くために」
──この人達も、フローラさんを疑っているの……?
助けてくれたと思っていた矢先の展開に、血の気が引いて行く。
顔を強ばらせたチェルシーに、目の前の二人はどう話を続けたものかと悩んでいる様子だった。
居間が静まり返る中、バンと音を立てて玄関扉が乱暴に開けられる。
「チェルシー!! 無事か!?」
「……ケビン……!」
汗にまみれ息を切らせ飛び込んできたケビンの顔を見て、思わずチェルシーは立ち上がった。ずっと堪えていた感情が溢れ出て、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ケビンの胸に抱き着いた。
チェルシーを腕の中に抱き込んで無事を確かめて、ケビンは安堵の息を吐く。それから顔を上げ、奥に居る人物が視界に入ると、目を見開いて息を飲んだ。
「……は? え? お、王太子殿下……? なんで、ここに……」
ケビンはこの場でなければ不敬な程に動揺している。一方でアレクシスは、困ったような顔をしていた。
「まいったな。王国騎士団の者か。……私は、彼らにはすこぶる評判が悪いからな……」