24.隠れ郷②
民家の土間に椅子代わりの木箱を並べて、老婆は腰を降ろすとエリオットとロイドを見上げて、憐れむような表情を浮かべた。
「どうしても行きたいって言ってもねぇ……それは無理な話だねぇ」
「無理、とはどういう事だ?」
エリオットが問えば、老婆は困ったような顔をする。
「招かれる、ってのはねぇ、まぁ、ものの例えみたいな言葉でさ。誰かが招待するってんじゃない、あの村そのものに招かれるかどうかって事なのさ。聞いた話じゃ、村そのものに古い魔法が掛かってるとか、そういう事みたいだけどねぇ」
「魔法……? 魔術師の隠蔽魔法か、あるいは結界のようなものか?」
老婆は苦笑いを浮かべた。
「ごめんねぇ、あたしゃただの農婦だから、そういう詳しい事はよくわからないんだ。言い伝えとか聞いた話とか、そんなんばっかりだよ。それで良けりゃ知ってる事なら話せるよ」
「……それで構わない。聞かせてくれ」
今は何よりも手掛かりが欲しい。エリオットは逸る気持ちを何とか抑えて、老婆の言葉を待った。
「あの村には名前が無いから、皆好き勝手に色んな名前で呼ぶけど……古くは『無私の祝福の村』って呼ばれてた」
「無私の祝福……?」
「そうさ。無私の祝福を持つ者だけが招かれる、ってね。自分のことより他人のことを優先する人や、誰かの為に何かしたいとか、助けたいとか、そういう強い願いを持ってる人ってことさぁ」
そう語ると、老婆は土間の隅に立て掛けられた農具を指さした。
「そこにある鍬や鋤は、あたしが若い頃にあの村で作ってもらった。あの頃は子供育てるのに必死でねぇ、子供の為にってそればっかり考えてた。今じゃもう、子も孫も巣立って自分の生活で手一杯だから、あの村にはなかなかご縁が無いけれどね」
それから老婆は自分の皺だらけの手を眺める。
「まぁ、人間、自分の事をさっぱり考えない奴ってのもそうそう居ないだろから、気持ちの中の割合とか強さとか、その辺の問題なんだろけどねぇ」
老婆はエリオットの目をまっすぐに見た。
「自分の事に一生懸命でも、それが悪いなんて言わないさ。ただあの村は、自分の事しか考えられない奴は招いてくれない、それだけだよ」
老婆の口調は穏やかだが、それでも言い様のない自己嫌悪じみた憤りを覚えて、エリオットはそれを堪えるために拳を握りしめた。
外から馬の蹄の音がして、振り向けば荷馬車を引いた行商人が民家の前に止まっていた。
「やぁ、婆さん。水と飼い葉を貰えるかな。あと美味い桃が入ったんだ、良かったらどうだい?」
「あら、いいねぇ。ちょうどお客さんも来てるし、いただこうかねぇ」
「皆に食べてもらいたいからな、安くしとくぜ」
そんな会話をしながら、馬を馬車止めに繋いで荷を取り出し、日に焼けた行商人が民家の軒先にやって来た。
「この近くの村の子供たちにも、大好評だったんだ。味は保証するよ」
「近くの村? まさか貴方は『鍛治職人の村』から来たのか?」
「そうだよ。昨日から邪魔しててな、その帰りさ」
「その村には商人も、出入り出来るのか……?」
エリオットの疑問の声に、老婆は少し呆れた顔で笑った。
「なんだい、無私の祝福は商人には無いって? そんなこたぁないさぁ」
「ああ、なんだ、珍しく客人が居ると思えば、その話か」
訳知り顔で話す商人に、老婆は頷いて、それからエリオットとロイドに向かって皺を深くして笑った。
「まぁ、たまに居るんだよ。あんた達みたいに、あの村を探してここを訪ねてくる人がねぇ」
土間に並べた木箱をテーブルと椅子に見立てて、腰を下ろしたエリオット達と行商人に、老婆がむいた桃と茶を出してくれた。
「商人なんて、自分が儲けることしか考えてないってか。まぁ実際そういう奴は多いしね、そう思われても仕方ないけど」
行商人は気にしたそぶりも無く、出された茶を啜り、話を続けた。
「俺だって、あの村にはいつでも入れるわけじゃ無いよ。昨日はたまたま、凄く美味い良い桃がたくさん入ったから、これ買ったお客さんはきっと喜ぶだろうなぁ、なんて考えてたら、辿り着けただけ」
「自分の利益より、客や、作り手を喜ばす事ばっかり考えてる商人も、案外居るからねぇ」
エリオットは話を聞きながら、自問する。
──いつの間に、俺は自分のことしか考えられない人間になっていたのか。それに気付きもせず……。
自覚さえしていなかった事が恐ろしくも思えた。これでは件の村に受け入れられないのも道理に思える。
黙り込むエリオットの横で、ロイドが口を開いた。
「例えばなんだが、貴方に連れて行ってもらう事は可能なものか?」
「いや、それも無理だね。俺も入れなくなるか、もしくは、知らないうちに何故かはぐれて、招かれない奴だけ取り残されるかのどっちかさ」
「そうか……」
ロイドは肩を落とす。エリオットは、村に行く事は諦めて、別の事を尋ねた。
「それなら、ドルフという鍛治職人を、貴方に村の外まで呼んできて貰えないだろうか?」
「ああ、あんた達、ドルフ爺に会いに来たのか。……いや、そいつは残念だったな……」
行商人は困ったような顔をして頭をかいた。
「ドルフ爺は一昨日くらいに旅に出ちまって、あの村にはもう居ないよ」
「……そんな……行き先は?」
「すまんが、知らない。あの村の職人は時々旅に出るが、行き先は教えちゃくれないよ」
その言葉に、エリオットは表情を無くした。目の前が真っ黒に塗りつぶされたような錯覚を覚えた。
日が傾き掛けた中、王都に向かう街道を馬に跨り、エリオットとロイドは帰途に就いていた。
「辿り着けないばかりか、まさか不在だとはな……」
ロイドの落胆した声に、エリオットは声も無く沈黙を返した。
「……それにしても、『無私の祝福』か……。お前にその剣を贈ったのは、お前の父か母か? いずれにしろ、大切に想われていたんだな……」
ロイドが続けた言葉は何気ないものだっただろう。だがそれに正直に、先日別れたばかりの元妻だ、と答えることが出来なかった。
開きかけた口からは声も出ない。
──あの時、フローラがどんな顔をしていたかさえ、思い出せない……。
面倒ごとをさっさと片付ける、そんな事ばかりを考えて、何も見ていなかった。見ようとさえしなかった。
馬に揺られながら、腹の底に降り積もっていく感情は重くて、息をするのもやっとだ。