23.隠れ郷①
武器商人ゴリアテから情報を得た翌日。
王宮の一室で朝も早くからエリオットは出立の支度をしていた。そこへロイドがやってくる。
「来賓との予定は、昨日出現した不死魔獣の調査という名目で全て取りやめてもらった。元々与えられる予定の休暇と合わせて、五日から六日といったところか」
昨日帰城してから、ロイドは隠れ郷に向かう為に迅速に予定を調整し、朝には出立出来るよう手配してくれた。
「ああ。すまない、ロイド、手間をかけさせた」
「構わんさ。パウエル司教が色々口裏を合わせてくださったお陰もあるしな。マーカスやリチャードの説得の方が厄介だったくらいだ」
ロイドは苦笑いを浮かべた。
「あいつらにも、まだ知られない方がいいだろう?」
「そう……だな……」
エリオットを聖騎士として敬い慕ってくれる彼らが、今の状況を知ってどんな反応をするのか。ただ落胆では済まされないであろう事は想像に容易く、その先は考えたくもなかった。
──早く、元に戻さなければ……。
「乗り合い馬車で二日なら、直接馬を走らせれば、一日もかからず着けるよな?」
「まぁ、それは可能だろうが、夜中に着いたところで話は出来ないぞ。冷静にな」
焦るエリオットをロイドが宥める。
「剣の修繕には、どのくらい時間が掛かるものだろうか……」
「それも、尋ねてみない事には何とも言えんな」
手掛かりがある一方で不安も募り、室内には沈黙が訪れる。目立たぬよう私服にフードの着いた外套を羽織る、その衣擦れの音さえやけに大きく聞こえる。
そんな沈黙を破るように、扉を叩く音と共に軽やかな明るい声が響いた。
「エリオット、おはよう! ねぇ、お休みを貰うって本当?」
顔を覗かせたエミリーに、エリオットは強ばっている肩の力を抜いた。
「ああ、だが数日は、昨日の不死魔獣の調査に向かう」
「ええー、そうなんだ……。あたし、お休みならエリオットと王都をデート出来るかな、なんて思っちゃった。お仕事なら、仕方ないね……」
しょんぼりと寂しそうに肩を落とすエミリーの頭をエリオットは慰めるように撫でる。
「そうだな。だが、なるべく早く終わらせて、できるだけ時間を作ろう」
「やった! あたしもお休みを合わせて貰えるように、マリアンヌさんに相談しておくね!」
エミリーは嬉しそうに目を輝かせてから、早速相談にでも行くつもりなのか、足取りも軽く立ち去った。
「約束などして大丈夫か……」
再び静まり返った空気の中、ロイドがため息混じりに問えば、エリオットは眉を寄せて苦笑いを浮かべた。
「悲しませるわけにはいかないだろう。時間が惜しい、俺達も出掛けよう」
そう言って、エリオットも出立の為に足早に部屋を出た。出遅れた為に閉じてしまった部屋の扉に手を掛けて、ロイドはふと動きを止める。
「……彼女は、一体いつ、祈りを捧げているのだろうな」
ロイドが呟いた小さな疑問の声は、誰の耳にも届かない。たった今口にした言葉を忘れる為に、ロイドは一度深呼吸して、扉を開けるとエリオットの後を追った。
王都と地方領を結ぶ街道沿いに、小さな小川が流れ、水車小屋がいくつも建っている。その後方には森が広がっていた。
「妙だな。この辺りと聞いていたんだがな……」
エリオットは辺りを見回すも、街道から脇に逸れる小道のようなものは特に見当たらない。
まだ早朝ゆえに薄暗く霧が立ち込めているが、視界はそれほど悪いわけではない。だと言うのに、眼前にあるのは奥深く続く木立ばかりだ。
王城を出て丸一日馬を走らせて、漸く辿り着いた目的地は、とても人里があるようには思えなかった。
「道を、間違えたか……?」
「いや、この街道は一本道だ。ゴリアテ殿から聞いた目印の水車小屋も確かにあったしな。隠れ郷と言うくらいだ、そこに続く道も、人の目につかないようになっているのか……」
二人は揃って目の前に広がる森に目を向ける。
街道沿いから森に続く雑木林を、生い茂る雑草を掻き分けて歩き回ってみたが、道の痕跡や道標のようなものさえ見つけられなかった。
日が高くなり中天に差しかかる頃には、疲労の色も濃くなる。
ただでさえ、昨日から昼夜問わず、ろくに休まずに馬を走らせて来たのだ。エリオットは疲労と焦りから眉間に皺を寄せて、腰にある剣の柄を握りしめた。
「……水車小屋の手前に、いくつか民家があっただろう。恐らくはあの辺りが乗り合い馬車の駅だ。そこなら人が居るだろう、訪ねて聞いてみないか」
ロイドの提案に、エリオットは苦い顔をしながらも頷く。事情が事情だけに、出来れば人目に触れたくはなかったが、そうも言ってはいられないだろう。
水車小屋の手前の街道沿いには、二三軒の小さな民家が寄り添うように建っていた。
始めはそこが目的地かとも思ったが、民家はありふれた農夫の暮らすもので、とても鍛治職人が住まうようには見えなかった。
街道に接するように小さな厩舎や水飲み場がある事からも、そこが乗り合い馬車の駅なのだろう。
訪ねれば、民家には腰の曲がった老婆が住んでいた。
「ご婦人、この辺りに、隠れ郷と呼ばれる集落を知らないだろうか?」
「隠れ郷……? ああ~、鍛治職人さんたちの村の事ねぇ……。見つからなかったのかい?」
エリオットが頷けば、老婆は柔らかく笑った。
「見つからなかったなら、それは招かれてないってことねぇ~。……じゃあ仕方ないねぇ、諦めなさいな」
「……招かれていない? それは、何か先触れか紹介でも必要なのだろうか。どうしてもそこに行かねばならない、何か知ってるなら教えてくれ」
ここで諦めるなどと言う選択は取れない。
焦りと苛立ちが隠せずに問い詰めるエリオットに、老婆は心底困ったような顔をして、溜息をついた。