13.新しい祈り
夕飯までの時間、ドルフさんは大きな羊皮紙を広げて、設計図のようなものを書き始めました。
この村の他の職人さん達にも協力いただいて、明日一日掛けて馬車を作るのだそうです。さすがは職人の村と感服してしまいます。
「なぁ……ドルフ爺、バーバラさん、フローラさん、聞いてくれ」
あれから押し黙って、ずっと悩んでいる様子だったギルバートさんが、声を上げました。
「俺が助力したいと言った、あの人というのは、王国騎士団長……いや、今は元団長の、ライオネル・オリアス・ヴィニアデル。俺が子供の頃から世話になった恩人なんだ」
ドルフさんが図面を引いていた手を止めて、顔を上げます。
「ライオネルが、騎士団を辞めたのかい……?」
その口ぶりから、ドルフさんもお知り合いである様子が窺えます。わたくしもお名前は存じております。式典などで遠目から拝見した事もありますが、壮年の勇ましく威風堂々とした風体の方だったと記憶しています。
「どうもな、この間の凱旋は、王命で強制的に帰還させられたもんだったらしい。俺も今は部外者だから、あまり踏み込んだ話は聞けなかったが、王国北部の不死魔獣討伐は、不完全だと言っていた。それで王に異論を唱えてその場で騎士団を辞めたと……」
「完全に根絶やしにせんかったのか。国王も愚かな事を」
ドルフさんが呆れたような顔で溜息をつき、肩を落としました。
話に着いていけないでいるわたくしに向かって、ギルバートさんが優しく笑んで補足してくださいます。
「不死魔獣ってのは厄介でな、倒し切ってしまわなければ、ほっとくと大変な事になるんだ」
「そうなのですか……?」
「不死魔獣に負わされた傷は、浄化しないと腐敗していく、これは知ってるかな?」
頷くとギルバートさんが話を進めます。
「では、人間以外の、例えば森に棲む獣や、普通の魔獣が不死魔獣に傷を負わされたらどうなると思う?」
「浄化する者がおりませんから、腐敗が広がって……死んでしまう?」
「殆どの鳥や動物はそうなんだが、力のある獣や魔獣は違う。全身に腐敗が進めば、死ぬのではなく、そのまま新しい不死魔獣になってしまうんだ。そうやってあれは増えて行く」
ギルバートさんの言わんとしている事はつまり、王国北部では中途半端に残った不死魔獣が、また増殖してしまうという事でしょう。それでは、討伐遠征をした意義が消えてしまいます。
「国王もまた、何だってそんな判断をしやがったんだ」
「さぁな、上の考えることはわからん。だが、看過していい事じゃない。一部の聖職者が北部に残って、被害が人里に向かわないように結界を張っているそうなんだが、長くはもたないだろう……ライオネル元団長はそこへ向かった」
それからギルバートさんは、背筋を伸ばして姿勢を正し、ドルフさんとバーバラさん、わたくしの目を見ました。とても真剣な表情をされています。
「……そんなわけで、俺が向かおうとしているのは、王国北部。不死魔獣と戦いに行くんだ」
ギルバートさんは、一つ深呼吸をして、頭を下げました。
「ドルフ爺はああ言ってくれたが、それでも危険な場所に連れて行く事に違いは無い。……だが、俺のこの身ひとつでは出来る事は限られている。だから改めて、頼む。力を貸してくれ」
それを聞いて、ドルフさんは豪快な笑声を上げます。
「まったく、水臭ぇというか律儀というか。儂はな、行くと決めたらお前さんが嫌がってもついて行くからな、安心しろ」
それを聞いてギルバートさんはまた困ったような顔で笑っていました。律儀なお人柄というのは、その通りに思えます。
日が沈む頃、夕飯の支度を始めると、村から他の職人さんやそのご家族も集まっていらっしゃいました。
思いのほか人数が多くて、わたくしの作った鴨のスープが足りるか心配でしたが、不思議な事に、次々とよそっても、鍋の中身が殆ど減らないのです。
思わず目を見開いて何度も鍋を確認していたら、バーバラさんが笑いました。
「ああ、その鍋はね、主人に作ってもらう時に、あたしが魔法を仕込んだんだ。ところがへそまがりでねぇ、滅多に働かないんだが、今日は機嫌がいいみたいだね」
「えっ、魔法……?」
会話を聞いていたドルフさんがまた豪快に笑います。
「フローラちゃんにはまだ教えてなかったか。隠してるわけじゃねぇんだがな、バーバラはこう見えて、魔法使いなんだ」
「まぁ! ではバーバラさんは、宮廷魔術師だったのですか!?」
この国でもごく少数、魔法の使える方は居て、希少な為に殆どが宮廷魔術師をされています。わたくしにとっては縁遠い存在ですから、驚いてしまいました。するとバーバラさんがにっこりと微笑みます。
「魔術師とはね、ちょっとだけ違うんだよ。まぁ、これから旅路でゆっくりと教えたげるよ」
バーバラさんは上機嫌にそう言って、夕飯の支度に戻ります。
わたくしは魔法を見る機会などこれまでありませんでしたから、鍋を何度も色んな角度から観察してしまいました。
ギルバートさんは、鴨のスープを気に入ってくださったようで、何度もおかわりしてくださいました。
随分と久しぶりの、暖かくて楽しい夕餉だったような気がします。
夕飯を終えると、皆さんと村の隅にある聖堂に行って、女神様に一日の感謝と祈りを捧げます。
教会と呼ぶほど大きな建物はありませんが、小さな聖堂には、長く大切にされている事がわかる古い女神像がありました。
古い教えによれば、民のささやかな祈りが寄り集まって女神様の加護の礎となるのだそうです。
王都に居た頃は元夫の無事ばかり祈っておりましたが、それはもう、終わったことです。
さて、それならば今日からは──。