10.鍛治職人の村③
ドルフさんに鴨を捌いていただいて、肉が少しついている骨部分は、軽く火で炙ってからぶつ切りにして、お酒と水で煮立て、一度湯を捨てて、月桂樹の葉を加えてもう一度ゆっくりと煮込みます。
脂の多い赤身は一口大に切ったら、軽く焼いて両面に焼き色をつけて、芋や人参などお野菜と一緒に鍋へ。
鴨肉は焼くと脂がたっぷり出ますから、その脂を使って刻んだ玉ねぎを飴色になるまで炒めたら、バターを加えて、小麦粉をふるい入れます。焦げないようにゆっくりと鍋底からかき混ぜて、クリームペーストになったら、オリーブや香草と共にお鍋に加えます。
台所に並んで立って、副菜の仕込みをしているバーバラさんが、楽し気に鼻歌を歌っていました。
鍋がひと煮立ちしたら岩塩を加えて味を整えて、小一時間煮込んだら、火からおろして一度冷まします。出来立てよりも、敢えて一度冷ましてしまってから、食べる前に温め直した方が不思議と美味しくなります。
台所に立つのも、誰かの為に料理をするのも久しぶりでしたが、楽しくて、バーバラさんに釣られて歌ってしまいそうです。
……ですが、一方で、台所と続きの居間にあるテーブルには重い空気が立ち込めています。
腕を組み険しい表情のドルフさんと、背も高く姿勢も良いのに、肩を竦めて小さくなっているギルバートさんが、向かい合って腰掛けています。
「……ギルバート、今朝も話したが、確かに補助金具で工夫すりゃ、その鍛えた体幹を使って、お前の負傷した利き腕でも充分に威力の出せる斧にはなる。戦斧は剣より扱いが大雑把だからな」
いつになく低い声音のドルフさんは、お茶を一口啜ると、ギルバートさんの目を見て語りかけます。
「だがな、剣のように小回りは利かねぇし、防戦にも向かねぇ。大振りで動作が遅いんだ、魔獣を相手に戦うには、威力はあっても隙だらけだ。……お前、死にに行く気か?」
ギルバートさんは、苦いものを堪えるような顔でしばらく沈黙した後で、首を横に振りました。
「馬鹿言うな、……そんな事、あの人だって望んじゃいない」
低く、絞り出すように答えた声は、少し掠れて、色々な感情を押し殺しているようにも聞こえます。
再び沈黙が降りて、ドルフさんは目を瞑って、片手で髭を撫でながらしばらく思案していました。
それから、目を開けギルバートさんの顔を見ると、長く長く息を吐いて、立ち上がりました。
「バーバラ、夕飯が終わったら、旅支度だ」
「はいよ!」
バーバラさんの、何もかも心得たような明るい返事が響きます。
「はぁっ!? な、何だよそれ、どういう……」
勢いよく顔を上げて、ギルバートさんは困惑の声をあげました。
「あの補助金具は長期戦は想定してねぇ。定期的に修繕が必要だ。それに守りのひと工夫で手を加えるには、何と戦うのか知る必要もある」
ギルバートさんは目を見開いて絶句しているようです。
それからドルフさんは、台所に立ち様子を窺っていたわたくしに向かって、にっと笑いました。
「そうだフローラちゃん、この後、行く宛てはあるのかい? もし良ければだが、」
「おい、待て爺さん」
焦りと困惑の渦中に居るギルバートさんを余所に、ドルフさんは悪戯を思いついたみたいな笑顔を見せます。
「見ての通り、儂とバーバラの、老いぼれの長旅なんでな、身の回りの世話を焼いてくれる人手が欲しい。雇われてみないかい?」
急に振られた話に驚いて、わたくしも目を見開いて固まってしまいました。
けれども、この村に立ち寄った後の、その先の事はまだ何も考えていなかったのは事実です。
生まれ故郷のカディラ領は貧しく、女手で身を立てられる職も殆どありませんから、伯父の負担を考えれば帰郷も躊躇われて、悩んでいたところもありました。
──それに、『何も出来ない役立たずの妻』と、言われ続けた反動でしょうか、たとえ小さな事でも、わたくしでも出来ることを探してみたいという、反骨心のような火が今、ぽっと音を立てて胸の中に宿ってしまったのです。
「是非、お供させてください!」
思い切って口に出せば、何だか体温が少し上がった気がします。
「待て、待て待て、ちょっと待ってくれ、どこに向かうのか、わかっているのか……? 危険なんだ。あんたらも、それにフローラさんまで、巻き込むわけにはっ」
焦りを濃くしたギルバートのさんの声に、ドルフさんは底抜けに明るい笑みを向けました。
「ギルバート、お前さっき言ってただろう?『大切な人には安全な場所にいて欲しい』だったか」
その通りだと頷いて、ギルバートさんは眉を顰めます。
「だからな、安心しろ。儂はお前が居る戦地の、一番近くの、一番安全な場所に居るさ。もちろんバーバラとフローラちゃんもな」
胸を張って宣言すると、ドルフさんは豪快に笑いました。
ギルバートさんは、それを聞いて呆気に取られたように口を開けて固まっています。
それから、困り果てたような表情は次第に緩み、半笑いで呟きました。
「まぁ、大切な……ってのは、否定しないが…………それを、自分で言うか……?」