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統一という名の不統一を理解できない人たちの教えについて

作者: kazu.Nagasawa

 宗教には統一という言葉が馴染まないことを理解できない人たちの教えについて

 (そもそも!?を問われるとグウの音も出ないにもかかわらず、生き延びる組織)


 旧統一という聞き慣れない言葉と、世界なんちゃら協会という別の団体名の違いが怒りに変わって久しい。マスコミは何が言いたいのか全く理解出来ないのには、完全に忖度がはたらいている。口止め料は、マスコミにもまわりまわって支払われているのだとかと言われるような、あらぬ誤解を生まないためにも国民目線の報道をやってほしいものである。

 宗教など思想信条を超えた親子の関係を宗教思想が介入することに違和感を覚えないことはなぜなのか。ことの発端は、マスコミ報道の曖昧さに会った。

 血縁や子供への愛情という人間の本質を信仰が潰しにかかる。当時、こんな状況が放置されれば融和協調という統一に必須の条件が成しえないと思わない空気が漂ったが、ゴシップネタに変わった。絶頂期だった桜田淳子の集団結婚式をジャーナリズムが見逃したことで、そこに興味を抱き何人ものファンが入信したが、この異常さに日本の政治や司法も行政も読みが浅かったのだ。


 これだけ多くの国民が家庭を崩壊させられ、分からないまま入信させられ、誰かと結婚させられ、他の家に養子に出され、不幸を感じる宗教があっても良いのだろうか。洗脳されたものでなければ、これを是とする価値認識に行き付かないと言うのはごく当たり前だと言わないマスコミはどこを見ていたのだろうか。これは、ある民族が悪意の民族から宗教戦争をしかけられた中世の状況に類似するが、誰もこれを理解する者はいなかった。

 例えば、朝鮮有事の際に、日本の教会信者はどう動くのかなど、家族を犠牲にする信仰のマインドコントロールは尋常ではない。


 政治と金の問題に絡んで、たしかに多額の献金に注目が集まるのは分かる。しかし、宗教たるもの、周りを不幸にすることで自分が救われるような信仰は、カルト以外の何ものでもない。

 その宗教団体を正式に名指しできない今の社会を作った政治や行政が、法律や信仰の自由を盾にして、人として擁護するべき必要最低限のレベルを遺憾に思わないのが異常である。

 その絶対に譲ってはいけないことを明確にして、不幸を見過ごさないための必要性を説明すれば済む話だが、これにアナリストもマスコミも手を付けない寝ぼけた社会になっている。この問題の本質は、日本の国における自己チェック機能がいとも簡単に破られてしまったと言わざるを得ないこのだ。わたしは、そこを突かれたと言うことがとても情けないのだ。


 こう言った場合、国会や自治体は新法の必要性を自ら察知するだけの権限と予算を持っている。その中枢にいる政治家が、多くの国民を苦しめる宗教団体に、金と票という蜜をちらつかされて手玉に取られたのがこの問題の根っこである。

 その教団の本質は虚無である。彼らは南北に分断された国に同じ民族がいると説明したが、その国の周辺国の中国にもロシアにも同じ民族は住んでいて、国籍もそれぞれ別である。では、なぜ中国やロシアの地域を除いて南北統一という言葉を使うのかを考えるに、歴史上で自らの意志ではない誰かの意志が強く関わって分断を強いられたからで、それに対抗して再び一緒になるという意味にたどり着く。これを未来志向に立てば、同じ思想や価値観で縛る統一という言葉にする必要が何処にあるのか、外から見て理解に苦しむのである。


 仮に、中国、ロシアの一部を含み、朝鮮民族が多く住む場所が国として統一され、自治区をイメージしたような国家として一つになった場合、そこに住む人たちにとってどの様な幸福がもたらされるのであろうか。その前段で、もし、二つの国が国交を正常化すれば、片方の国の問題が一気に自分たちの共通問題となると本音では思っているのに、統一して平和を勝ち取りたいと犠牲者の立場をとっているだけに思えてならないのだ。北の上層部の不正が露呈して世界の恥さらしになっても、その位どうでもいいから一緒になろうと覚悟すれば、南北の軍事費は別に回せるし労働力も市場活動も期待できるとは思っていないのであろうか。疑問が深まるばかりである。

 評論家が言うように、感情が優先する国民性とは歴史の中から自分たちが被害者だと刷り込まれたからではないか。相手に対して仕返しをもくろむ心に統一や融和協調という言葉はけっして馴染まないのだ。

 半島の新しい国の形は、例えば、まったく別の統治手法で、主義思想が異なる人どうしが、同じ民族としてルーツが繋がって、言語も同じという人が、パスポートを持てば一定の自由活動が出来る。これは画期的で、ものすごいアドバンテージに恵まれているかに見える。この際の特例として、べつに将軍様や不正を働いた上層部は、自由にどこかに亡命させればいいと思う。なまじ国際法などで裁くより、一定期間内に出国すれば命と生活費は保証すると言う免責条件を出して、鬼畜の扱いを無視してもいいとするくらいで、無駄な経費や人を掛けない程度の考えで十分だと思うが、感情が優先されればそうはいかないのだろう。


 さて、前段の話はこのくらいにして、本題に入る。

 まず初めに、統一という言葉は宗教の理念にはない。人はあくまで個人の存在であり、それぞれが意思を持って生きる社会の個人に対して統一という考え方は馴染まないのである。逆に、その人の意思に反して特定の他者の意思(教え)を強いることは、その時点で信じるという宗教の本質から外れ、本人の意思に馴染まない思想に陥れ当事者を苦しめることになる。これを、マインドコントロールなどで実際に作為的に行っていることを俗にカルトという。思想の定まらない子供を洗脳する生活スタイルは異常である。

 では意思とは何か。マインドコントロールされた者はどう考えるのか。あるいは、洗脳や催眠術にかかった場合の意思とはどう捉えるのか。今それが争点になろうとしているのである。客観的に見て、政治と行政は、この救済法を制定して政治影響の強い宗教団体を守るような規制を世に送り出したように見える。裏で、実態暴露のカードをちらつかされていれば、こうなるとは思っていたが残念としか言いようがない。


 人の意思は誰かの影響を受けるものであるが、それが仮に詐欺や悪意を持った者の教えだった場合、あるいはプロパガンダという事実と異なるフェイクであった場合、その人は被害者である。では、その人が別の人にも教えを説いたり、自分の子供に教えを強いてその子の人格に悪影響を与えた場合、その人は加害者でもあり被害者でもある。

 この、加害と被害の両面を持った状況は、ねずみ講被害によく似ているが、カルトの場合は外部と接触することによってマインドコントロールが解かれることを嫌う。このため信者の囲い込みを行うのが多い。しかし、この統一を騙る不統一化のカルト集団は、ものの見事に情報を操作しマジョリティーに躍り出たのだ。この裏に、陰謀論があるというのがいまの常識である。

 結論から言って、今の状況は日本の宗教界への攻撃と、ほんとうに宗教と生活が一体となった日本文化を壊しにかかっていると言えるのだ。


 私は、マジョリティーに躍り出たことも含め、国際宗教組織という某国が国を挙げて活動を認めた宗教団体が、他国にカルトを持ち込み、その国(日本)の政治を動かして信者を増やし、詐欺とねずみ講と、婚姻による子孫入信、恐怖によってマインドコントロールした信者から家庭崩壊を引き起こすであろう献金を誘う行為を、相当な組織がいると考えている。はたして誰が考えて裏で糸を引いているのか。あの表に出ている教祖様が思いつくような話であろうはずがない。ここをマスコミが追及しないで、被害者や国民が納得することはないのだが、日本のマスコミは腐っている。

 その罠にハメられ、その悪行を見て見ぬふりをして来た政治、行政、マスコミも含め、これからしっかり責任を果たしてほしいと言いたいところだ。


 もし、これを信仰の自由を盾に無理だと言うのであれば、この種の信仰犯罪はこの新法の抜け穴を理由に、法を守ればやりたい放題出来ると言う逆のスタンスで、活動を強化すると考えられる。社会道徳や常識と言われる日本の最も優れた部分に焼き火箸を押し当てるに近い傷を負わせることになるのだ。この傷の治りは極度に遅く、治療を間違えればさらに悪化し、治っても火傷の跡は消えないのである。


 この統一を騙るカルトは『作為的に日本の国民の親和性に付け込んで、信仰の自由を盾に、人の心理を巧みに利用してマインドを操り、その信者を傀儡化して金と生活を奪い、家族の人権、信仰の自由、生活権を奪うに足りる重大な憲法違反を惹起したと言わざるを得ない。そして、その行為に加担した政治、行政、マスコミ、学者、法律家などの責任は極めて重大である』

 政治家には、金と票という蜜の味でコントロールして、いまもその実態を暴露するというカードを握っている。

 行政にも、政治家とグルになって蜜を吸わせ、国民を裏切っていたと言う実態を暴露すると言うカードを握っている。行政訴訟で実態が暴露されることを避けたいのだ。

 そして、マスコミや文化人にも一部ではあるが政治と行政と同じ蜜により口封じをされていたことを暴露すると言うカードを握っている。

 そしてこの宗教団体は、われわれ国民に対して、政治と金と宗教の関係は統一的な見解を出すべきだと言うカードを握っているのである。もちろん、そんられべるで屈するつもりはない。


 この答えは簡単で、なるべく多くの国民が幸せになるために国家があり、政治、行政、マスコミ、企業等などがその実現に貢献するのが常識であるというのが答えである。これは、北の将軍様や上層部の不正を解ったうえで、一緒になると言う話と極めて近いことのような気がする。

 私は、カードを斬られても被害者らが幸せになれるのであれば、カードのことはどうでもいいと思うのである。


 日本は、近代の被爆国である。いまの宗教の問題は、近代の宗教戦争の当事国となっているということを多くの人に知ってほしいのだ。


2022.12.12  Kazu.Nagasawa

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