第2話 『変わり始める世界』
ガッシュフォードマジックアカデミー。通称 GMA―――
ルメール地方に拠点を置き、学園長であるガッシュフォードが魔王を倒した後、自らの魔導士としての経験を世に広めるべく創設された学園である。
魔導士とは生活や戦闘。あらゆる場面において魔術を操る者を指す。ルメールには魔導士の名家が多く、伝説の大賢者の学園ならばと入学者が後を絶たない状況であった。
GMAは月に一回の昇級試験により、各科でのクラス分けが行われている。クラスCからクラスSまであり、昇級試験の成績によってクラス昇級が可能な完全実力主義をモットーとしている。クラスSに選ばれた者は科の卒業認定が与えられ、別の科に移ることができる。
魔導学科。魔導術式科。魔導工学科。魔導陣形科。
四つの科それぞれの成績優秀者は王国の騎士団の推薦を勝ち取ることができる。
ギラナダ王国の騎士団といえば、選ばれた者しか入団が許されておらず、王国の守護。魔族の討伐。王国内の警備など。この世界では誰もが敬い、憧れる存在だ。ギラナダ騎士団の訓練は最も厳しいとされており、たとえ選ばれたとしてもそれを日々こなせない者は退団を余儀なくされる。
小羽が席を置くのは魔導工学科だ。主に魔導具の制作や開発。その起源や歴史を勉強する科だ。ちなみに小羽はクラスC。この世界に入って間もない小羽は新規入学者と同等の扱いから始まっていた。
寮に戻った小羽は遅い夕食を済ませ、大浴場の脱衣所で服を脱いでいた。
GMAの寮は共同トイレと共同風呂だ。入寮者は個室の部屋を与えられる。食事の時間は決められており、寮希望の学園の生徒たちと共同生活をしている。
――はぁー……。疲れた……。それにしても……あの人。凄かったなぁ。あんな大きなモンスターと互角に渡り合うなんて。それに学園長に説教までして。何者なんだろう……あの人。ちゃんとしたお礼言えなかったな……。
シャツを脱いだ小羽はなにかを落としたのに気づいた。
――あれ? これ……なんだろう?
足元にはいびつな形の勾玉のような小さいもの。小羽はそれを拾って手にとる。
きれいな紫色の勾玉は大きい丸い石の中央には大きな穴。尖がった同じ石が六本突き出ている奇妙な形をしていた。
――きれい……。これって魔石ってやつかな? あっ! もしかしてあの人のかな? だ、大事な物だったらどうしよう。失くさないようにしなきゃ……。
小羽はそれをシャツのポケットに入れ、大浴場へ向かった。
小羽は体を流し、湯船に浸かっていると脱衣所から声が聞こえてきた。そして、大浴場の引き戸が開いた。入ってきたのはサランとネーブルだ。
「―――だからさー。もう死んでるんじゃない?」
「だよねぇ。だよねぇ。さすがに知らない土地で迷子は私でもムリだし……。……サ、サっちん。見てよあれ……」
「ん? へぇー……。生きてたんだ……」
二人は小羽に気づいた。無言のままシャワーで体を流し、湯船の中に入るとゆっくりと小羽に近づいた。
「あんたさ? 班行動なのに勝手にどっか行くとかありえないんだけど。あんたのせいでアレクサンダース先生に叱られたじゃん」
「ご、ごめんなさい。気がついたらイナビの森ってとこに迷い込んでて……」
「イ、イナビの森っ! ねぇ? どうやって帰ってきたの? 魔術も使えないのにどうやって帰ってきたの?」
「え、えーっと。た、助けてもらって……」
「誰に? 誰に?」
「だ、誰かまではわからないけど……。す、凄く強い男の人に……」
サランは不機嫌そうに小羽を見つめる。
「ふーん。運だけはいいんだ? てっきりモンスターの餌になったかと思ってたけど」
「サ、サっちん。それは言い過ぎだって……」
「いいんだよ。あんたさ? この際だからはっきり言っておくけど……。ウチらの班に足手まといとかいらないから。特別待遇だかなんだか知らないけどあんまり調子にのんないでよね」
「ちょ、調子にのってるわけじゃ……」
「魔導工学科にあんたみたいなクズはいらないんだよ!」
「サっちん。キツくない? さすがにそれはキツくない?」
「…………」
小羽はなにも言えなかった。サランが言ったことはおそらくは間違いではない。班行動でなにもできない生徒ほど、実力主義のGMAでは邪魔なものはない。それでもなにも知らずにこの世界に来た小羽にとっては傷つく言葉であることには変わりなかった。小羽もとりあえずは学園に慣れようともがいていた。だが、それが空回りをしていつのまにかこの二人に目をつけられ、イジメとも言える行為が始まっていた。魔導工学科での二人の影響力は強く、誰もそれを止めようともしなかった。
小羽が湯船でうつむいていると、どこからか声が聞こえてきた。大浴場に響くその声は天井から反響しているように聞こえていた。
「魔導工学科の人たちは随分と口が悪いんですね……」
姿の見えない声にサランは敏感に反応した。辺りをキョロキョロと見渡す。
「誰っ! どこにいるの!」
そして、いきなり目の前に女の子が現れた。
「最初からいましたけど?」
「サ、サっちん! この人……。魔導術式科の……」
ネーブルの声は明らかに震えていた。だが、サランは強気な態度を崩さなかった。
「ネっちん。なにビビってんの? あんたさぁ。なにが言いたいわけ?」
「別に……。個人的にこういうのはあまり好きじゃないので……。少なくとも私の目の前では目障りなので止めてほしいのですけど?」
「め、目障りって。本当のことを言っただけでしょ。あんた何様のつもりよ! 魔術科のクラスSだからってあんたも調子にのってるんじゃないの?」
「私に対してのそれなら受けて立ちますよ? それとも……ここで始めましょうか?」
「な、なんなのよ! 行くよ! ネっちん!」
「えっ? ま、待ってよっ。サっちん! 待ってってばっ!」
二人は逃げるように脱衣所に向かい、引き戸を強く閉めた。
そして、女の子は澄ました顔で湯船に入った。きれいな横顔に見惚れつつも小羽は彼女に声をかける。
「あ、あの……」
「一色小羽さんでしたよね? どうしてイナビの森に?」
「そ、そんなことより…。ど、どうして私の名前を?」
「魔導術式科でもあなたの噂を聞いたので知っていただけです。たしか……一色さんは異世界者だとか?」
「そ、そう呼ばれてますけど……」
「まぁ。それはいいとして。イナビの森の話を聞いてもいいですか?」
「は、はい。ま、魔石探索で森に入ったまではよかったんですけど……。その後はぐれちゃって……。気がついたらそこにいたんです」
「あの二人が同じ班だった……ってことでいいですか?」
「そ、そうです。あ、あなたは?」
「まだ名乗っていなかったですね。私はネリスと申します」
「あっ。よ、よろしくお願いします」
「……。あの森からどうやって戻ってきたのですか?」
「き、きれいな羽を投げたら、光がバァーって広がって宙に浮いたみたくなって……。なんていうか……」
「そういう意味ではなくて……。イナビの森には上級のモンスターが住み着いてると噂を聞いたことがあります。失礼かと思いますがあなたでは倒すことができないのでは?」
「モ、モンスター? そ、そういえば一度も見てないですけど……。あっ! 凄く大きなイナビっていうのは見ましたけど……」
「あ、あなた……。イナビを見たんですか?」
「えっ? は、はい。そう言ってましたけど……」
「言ってました? 一人じゃなかったんですか?」
「と、途中から凄く強い人に抱きかかえられて……」
小羽は話の途中でお姫様抱っこされたことを思い出す。
――い、いきなりだったけど……男の人にあんな風にされたの初めてだな……。お、お父さんはカウントしないけど……。それに私のお尻の近くを触って……。も、もうっ。なんなのよ。あの変態っ。
「イナビと凄く強い人……。その人はどんな人でしたか?」
「え、えーっと。背はそこまで大きくないんですけど、自分の身長と同じくらいの大きい剣を振り回していました。イ、イナビの玉? それを取ったと言ってましたけど」
「大きい剣にイナビの玉。なるほど……。興味本位でいろいろ聞いてしまいましたね」
「い、いえ……。た、助けてもらったので」
「あの二人は他の科でも有名なイジメっ子ですよ。気をつけてください。実力もないのにわめいているだけです」
「そ、そうなんですか……」
ネリスは湯船から上がり、脱衣所へ歩いていった。引き戸に手をかけると濡れた長い髪を抑えて振り返った。
「そうそう。……学園長はなんて言ってましたか?」
「と、特には……」
「…………」
ネリスは無言で大浴場を後にし、脱衣所で鏡に映る自分を見つめていた。
――あの子は伝説の勇者に会った……。イナビを探していたということは古の言い伝えを信じている……。もしくはあんな言い伝えが本当だとでも……。だとしたら……。
着替えを終えたネリスが脱衣所を出ると、入れ替わりで小羽が姿を現した。ボーっとした様子で鏡を見つめる。
――うー……。頭がクラクラする。のぼせたかな……。それにしてもネリスさん。どうやって大浴場に入ってきたのかな? 全然気づかなかった。魔導術式科って魔術使うところだったよね。なんかカッコいい。ちょっと羨ましいな……。
小羽は着替えを済ませて部屋に戻り、ドライヤーで髪を一生懸命伸ばしていた。小羽は少しくっせ毛で髪を長く伸ばしたことはあまりない。長い髪だったのは自分では覚えてもいない小さい時ぐらいだ。物心ついた時にはいつも肩の高さで髪を切っていた。
髪を乾かし終わるとすぐにベッドに飛び込んだ。
――はぁー……。なんか今日は疲れたな……。それにしてもあの男の人の名前聞きそびれちゃったな……。もう一度会えるかな……。拾ったあれも返さないと。ふぁあああ……寝よう……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日。小羽は登校してすぐに担任のアレクサンダースに呼び出された。
「君はどうして一人でイナビの森なんかに行ったんだ?」
「い、行きたくて行った訳ではないですけど……。班のみんなからはぐれたみたいで……。気がついたら森で迷ってたんです」
「ふーむ。班のみんなとの行動は無理だと?」
「そ、そういうわけでは……」
「なら……ちゃんとみんなと一緒に行動しないとダメだぞ? 学園長に怒られるわ。捜索隊に叱られるわで散々だったんだ。君が異世界者なのは聞いているが、僕は特別扱いするつもりは毛頭ないからね。覚えておいてくれ」
「す、すみません……」
「魔導工学科は魔石を集めなければ授業ができない。自分たちで使うものを自分たちで集める。それが僕の教えだ。学園に来たばかりでこういう言い方はしたくないけど。別に周りと仲良くしろと言っているわけではない。協調性を重んじてほしいんだ。それができないなら君に問題があるのかもしれないよ? 少しは魔工科のみんなと打ち解けるといい。朝から呼び出して悪かったね。もう戻っていいよ」
「は、はい。失礼します……」
小羽は職員室を後にし、教室へ向かった。
――どこの世界も学校って似たようなものなのかな? 協調性って……。この世界のことなにも知らないのになにをどうやって協調したらいいのかわかんないよ。
小羽が教室へ入ると、周りがざわつき始めた。そのいつもと違う雰囲気に戸惑いながらも自分の席に座ると、隣の席の女子生徒が話しかけてきた。
「一色小羽さんだったよね?」
「は、はい。そうですけど……」
「イナビを見たって本当? よく戻って来れたね?」
――な、なんか噂になってる。そもそもイナビってなんなのかな? 暗くてよくわかんなかったし……。あの男の人しか見てなかったかも……って私。なに言ってるんだろう……。
「う、うん。助けてもらって……」
「ほ、本当なの? 凄いっ! どうだった? 強かった?」
その女の子が興奮して大きな声をあげた。その声につられて二人の周りを魔工科の生徒たちが囲み始めた。
「ど、どうって……。つ、強いとかよくわかんないけど……キラキラした毛で凄く大きかったよ? あ、あの……。そもそもイナビってなに?」
小羽の質問に生徒たちがざわついた。隣の席の女子生徒は興奮気味で話し始める。
「知らないの? 魔力の強いある特定の地域を守護する神ってのがいてね。あの平坦な山全体を昔からイナビの森って呼んでるんだよ。あの山は光の精霊が生息してるのでも有名なんだよ? その守護神がイナビ。見た人がほとんどいなくて文献にしか載らない伝説の神なんだよ。それに会えるとか本当に凄いよねっ!」
「そ、そうかな? できればそういうのにはあまり会いたくないんだけど……」
「えーっ? 変なの。見れるなら見た方がいいに決まってるじゃん?」
「わ、私……。魔術も使えないし。どうしていいのかわからなくて……」
「私も魔術は使えないよ? そのために魔導具があるんじゃん! 正直、魔術なんてもう時代遅れだし。これからは魔力に頼らない魔導具の時代だって!」
「ま、魔術を使えないんですか? えーっと……あなたは……」
「私はクワナ・スカーレット。……ふふふん。ふんふん。ふーふふふん」
クワナは突然鼻歌を口ずさんだ。
「あ、あの……」
「えっ? 知らない? スカーレット魔導具店の歌」
「ご、ごめんなさい。知らないです……」
「マジかー……」
「クワナさん。お家が魔導具屋さんなんですか?」
「クワナでいいよ。私も小羽って呼んでいい?」
「うん。ク、クワナ……」
クワナは笑いをこらえていた。
「ププッ……。なんか変なのー。ねぇ? 今日、お家に遊びに来ない?」
「い、いいの?」
「プププッ。私が誘ったんだからいいに決まってるじゃん! じゃあ、一緒に帰ろう?」
「うん。あ、ありがとう……」
「いいってば……ププッ……」
二人が話しているとアレクサンダースが教室にやってきた。
周りに集まっていた生徒たちは自分の席に戻り、授業が始まった。
「さぁさぁ。早く座りなさい。授業を始めるぞ。教科書の二十二ページから……」
小羽は授業に集中できなかった。この世界に来て、初めて同年代の子とまともに話をしたからだ。そして、向こうの世界を思い出していた。
――美術部のみんな元気かな……。そろそろコンテスト始まる時期かな? 友達は多い方じゃないけどいなかったわけでもないし。私……なんでこの世界に来たんだろう……。どうやって来たのかも思い出せない……。向こうに帰れるのかな……。
小羽は気がついたらこの世界にいた。
どうやって来たのかもわからずにだ。
初めてこの世界に来た小羽は広い草原に立っていた。
目の前には広がる大自然と真っ赤な夕日。見たこともない大きな夕日だ。その夕日に見惚れながらも呆然とする小羽に優しく語りかけてきた女性の声。それは姿を成さない声だけの存在であった。
その頭の中に聞こえてきた女性の声に導かれて学園の敷地内へと案内された。
そこにいた銀色の長い髪を結った眼鏡をかけた背の高い男。学園長と名乗ったガッシュフォードに生徒になるように指示され、そのまま寮の部屋に案内された。
身の回りの物や制服はあらかじめ用意されていた。
それがおよそ二週間前の話だ。
――元の世界に戻れるのかな……。魔法使いとかはアニメやマンガでは憧れてたけど……。私にはなにもできない……。向こうに戻りたい……。帰りたい……。
小羽は一人。窓の外を眺めていた。
澄み渡る空を見ると向こうの世界を思い出して。
誰にも気づかれないように涙を流していた。