第10話 『色が救う世界』
結界を解いたガッシュフォードはイナビを睨みつける。
――私の魔力と神の魔力……。どちらが上か勝負といこうか。
ガッシュフォードは詠唱を始めた。イナビはそれに気づき、ガッシュフォードの目の前に降り立った。
ガッシュフォードは大魔術の詠唱をしていた。大魔術は普通の魔術より詠唱時間が長い。だが、それを待っているイナビではない。イナビは長い尻尾をガッシュフォードへと振り回す。ガッシュフォードは上空へ飛び上がりそれをかわした。だが、イナビの目から出ている触手がガッシュフォードの足に絡みつく。
――これがあの種の成長したものか……。この触手自体の意思で動いているというわけか……。
他の触手がガッシュフォードの体にも絡みつき始めていた。
それを見ていたハインスは焦りを感じていた。
「ガドのやつ。一人で大丈夫か? 天に対抗しやがって……。あの負けず嫌いが……」
小羽は突然立ち上がり、足になにかを描き始めた。
「ガッシュフォードさんを助けましょう! 私は行きますっ!」
小羽は一人、走り出した。
「小羽っ!」
「小羽ちゃん! 戻れ! ……って速っ!」
ハインスが驚くのも無理もない。小羽の走る速度は異常だった。もちろん。自分の足に色魔導を使っていた。あっという間にイナビのもとへたどり着くとイナビの全身になにかを描き始める。
小羽に気づいたガッシュフォードは思わず詠唱を止め、叫んでしまった。
「一色小羽! なにをしている! 戻れっ!」
「ガッシュフォードさんを見殺しにできません! ニルさんのためにも!」
「いいから戻れっ!」
――くそっ! 詠唱を途中で止めてしまった。触手ごと片目を爆発させようとしたのだが……もう間に合わん。
イナビは小羽に気づくと尻尾を振り回し始めた。小羽はそれに気づくも描くのを止めなかった。
――お願い! 間に合って!
小羽の描いているのは鎖だ。イナビの体中にぐるぐると巻き付く鎖。描き始めた鎖は現れ始めていた。イナビは尻尾を一度丸めて小羽めがけて振り回した。
「一色小羽っ!」
振り回した尻尾にも鎖は現れ始めていた。そして、小羽の目の前で尻尾は止まった。
「ま、間に合った……」
イナビの動きは小羽の色魔導により封じられた。だが、ガッシュフォードの全身は触手に飲まれ始めていた。
「に、逃げ……―――」
ガッシュフォードの全身を包んだ触手は片目から新しい触手をどんどん増やしていた。
「ガ、ガッシュフォードさん! そ、そんな……。イナビの動きは封じたのに……。ど、どうすれば……」
なす術のない小羽は焦っていた。
その時。隣に一人の女性が突然現れた。
女性はきれいな着物を着て、髪を後ろで束ねていた。派手な色の着物に似合う色白の美人。彼女は上を見上げてブツブツとなにかを呟いていた。
「……えっ? だ、誰?」
その女性はニコリと笑いながら口を開いた。小羽を見つめる女性はなんともなまめかしくもどこを見ているかわからない虚ろな目をしていた。
「発想は悪くはないね。でも詰めが甘いよ……」
女性は筆を取り出して地面へ筆を走らせる。
――い、色魔導? そ、そんなところに描いても……。
「な、なにをしているんですか? は、早く助けないと!」
「見ていればわかるよ。少し離れた方がいい」
女性は振り返り、その場を少し離れた。小羽も言われた通りに離れる。
突然。地面からぴょこんと芽が飛び出した。二つの小さな葉をつけた小さな芽。
「うん。上出来だ」
「こ、これは……。な、なんの意味があるんですか! ガッシュフォードさんが死んじゃいますよっ!」
女性の口元は笑っていた。
その直後。その芽は一瞬で成長を遂げる。一気に空まで伸びた芽はイナビの首元を貫通。そのまま触手の生えた片目を貫いた。ビクビクと痙攣した触手は動きを止める。
女性はさらに地面になにかを描き始めた。
ガッシュフォードを包んでいた触手は力を失い、巻きついていた体からゆっくりと剥がれていく。当然のようにガッシュフォードはその場から真っ逆さまに落下し始めた。
「あ、危ないっ!」
小羽は急いで筆を取るも間に合わなかった。だが。女性の描いたその地面から新しい芽が現れる。それは葉をたくさんつけた見たこともない草。幹を持たない葉だけの草。ガッシュフォードはそれをクッションに落下した。ガサガサとその草の中から葉をかきわけてガッシュフォードが現れた。
「ガ、ガッシュフォードさんっ!」
ガッシュフォードは体についた葉を払い、女性に近づいた。
「相変わらず独創的で素晴らしいな。どうしてここに?」
「警報が鳴っただろ? グロールの村の警報はイナビが出る時にしか鳴らないからね」
「そうか。ここにはよく来るのか?」
「たまに買い物しに来るぐらいだよ。久しぶりだね? ガーちゃん」
何事もなかったかのように話し込む二人を見て小羽は言葉を失っていた。
「え、えーっと……」
「あぁ。一色小羽は初めてだったな。こいつが緋翠だ」
「初めましてではないけどね。よく来たね。一色小羽ちゃん」
「は、初めまして。ん? ……初めましてではないってどういうことですか?」
「この世界に来た時に話をしたじゃないか。といっても一方的だったけどね」
「あっ……。あの声の人……ですか?」
「そうだよ。その声の人だよ。君はあたしに誘導されてガーちゃんに会ったんだよ」
「その話は後でいい。それよりもイナビ本体はどうする?」
「それはハーちゃんがなんとかしてくれるよ。ほら。ちょうど来てくれた」
ハインスとナズが走り寄ってきた。
「緋翠じゃないか。相変わらず美しい」
「あはは。ありがとう。ハーちゃん。イナビを森に帰してやってくれないかい?」
「そうだな……」
ハインスは光の精霊に語りかけ、イナビを帰すように促した。
『イナビ様は魔力の回復のため眠りにつくでしょう……』
「小羽ちゃん。もう鎖を解いても大丈夫だよ」
「は、はい」
小羽が鎖を消すと。イナビはゆっくりと浮かび上がり、森へ戻っていった。
それを見上げていた小羽にガッシュフォードは冷たい目を向けた。
「一色小羽。緋翠がいたから良かったが、二度と勝手な行動はするなっ!」
「す、すみませんでした……」
「ちょっと! いくらガッシュフォード様でも言い過ぎよ! 小羽は助けに行ったんだからっ!」
小羽を庇うナズの言葉にガッシュフォードはなにも言い返さなかった。
ハインスがナズの訴えに静かに答える。
「ガドの言う通りさ。冒険している以上。一人の身勝手な行動が仲間を傷つける時もある。現にガドが捕まった時。小羽ちゃんはなにもできなかっただろ?」
「で、でもっ!」
ナズの言葉に小羽は首を横に振った。
「……ナズちゃん。私が悪いんだよ。本当にすみませんでした」
小羽はガッシュフォードに頭を下げた。
「わかればいい。……学園で言ったことを忘れるな。今日のことは胸に刻んでおけっ!」
ガッシュフォードはそう言い放ち、朽ち果てた触手を拾い上げ観察していた。
「こ、小羽。気にすることないよ。間違ったことはしてないから」
「ありがとう。ナズちゃん。で、でも。ガッシュフォードさんは本当に優しいな……ぐすっ……」
「はあっ? どこが優しいのよ。厳しいだけじゃん」
小羽は涙を拭っていた。
この冒険をする前に学園で小羽が言われたこと。「……この世界は命が一つしか存在しない。それを守るのも消すのも全ては自分次第だ」その言葉に偽りはない。命を大事にするガッシュフォードの重い言葉を小羽はわかってはいても実感はなかった。
この世界は小羽にとってはおとぎの国。夢のような世界であり、現実ではないと思っていた。それがいかに無防備で危険なのかを小羽は身を持って知らされた。
「ひ、緋翠さんも……。ありがとうございました」
「あたしはガーちゃんの死ぬところを見たくなかっただけだよ。ただ……君の色魔導はお遊びだよ。あれじゃあ……誰も救えないね?」
「わ、私は……」
「責めてる訳じゃないよ。これから同じような状況の時に君がどうするか楽しみだ」
緋翠はニコリと笑ってガッシュフォードとハインスの側に歩いていった。
「な、なんなのよ! この人たちっ! 伝説のパーティーだかなんだか知らないけど小羽だって頑張ってるのに~っ!」
「ナズちゃん。今の私には理解できないけど、みんなが言ってることは間違ってないと思う。……もし、ナズちゃんが同じ状況になってたらって思うと……。わ、私は……」
「小羽……」
小羽の目からは勝手に涙が流れていた。悲しい訳でもなければ泣きたい訳でもない。結局はなにもできなかった悔しさが小羽の内側から溢れ出てきていた。
ハインスが離れた場所から声をかける。
「そろそろ行こうか。久しぶりに緋翠にも会えたしね」
「それよりもハーちゃん。勝手にお尻を撫でるのは止めてくれないかな?」
「ごめんごめん。緋翠のお尻は柔らかくて忘れられないんだよ」
「あはは。変わってなくて安心したよ。じゃあ。あたしの家に行こうか。グロールからもう少し西に行ったとこだよ」
緋翠を加え、馬車に乗り込み。一行は西を目指した。
半壊状態のグロールの村はハインスが王国にいきさつを説明し、修復の要請を促した。その際。イナビの森での天の捜索隊を回すように騎士団へ通達した。
馬車の中は異様な雰囲気が漂っていた。緋翠の持つ独特な空気は小羽とナズを緊張させていた。
「ガーちゃん。そーちゃんは一緒じゃないのかい?」
「天は五神の玉を集める旅をしている。ハインスに頼んでギラナダ騎士団に捜索をさせている」
「ふーん……。封印の更新の日は決まったのかい? ハーちゃん」
「まだ時間はあるからいつでもいいんだけどね。ちょっと魔族の動きが気になっててね。それで緋翠の力を借りたくてここに来たって訳さ」
「あたしがいなくてもできるんじゃないのかい? マーちゃんには会いたいけど、あんな姿のマーちゃんは見たくもないよ」
「……緋翠。マリーは必ず救いだす。そのためにはお前の協力は必要不可欠だ。更新に合わせて魔族が襲撃する可能性が出てきた。まさか五神にも種を植え付けているとは思ってもみなかった。正直。なにが起きるか予測がつかない状況だ」
「あたしには関係ない話だよ。そんなことより……もっと大事な用で来たんじゃないのかい?」
緋翠は虚ろな目で小羽を見つめた。
「あぁ。一色小羽。緋翠に聞きたいことを聞いておけ」
「あ、あの……。私は……」
「どうしたんだい? 遠慮しなくてもいいよ?」
小羽は唾を飲み込んで口を開いた。
「ど、どうしたらマリーさんを救えるのですか?」
そこにいた皆はその言葉に驚いていた。ガッシュフォードはもちろん。ハインスも緋翠ですら小羽がここに来た理由は元の世界に戻る方法を聞きにきたものだと思っていたからだ。
「い、一色小羽。お前はなにを考えている」
「い、いえ……。聞きたいことをと言われたので……」
緋翠はニコリと笑った。
「救う方法なんてないよ。マーちゃんはもう戻れない。そうだろ? ガーちゃん」
「そ、そんなことはない! 魔王と融合したマリーは必ず分離できる……」
「相変わらず甘い考えだ。あのまま魔王に止めを刺せばよかったのに……」
「そんなことをしたら……マリーも一緒に……。マリーが想った未来をあいつに見せるまでは……」
「ガーちゃん。あたしは異世界者だ。この世界を魔族が支配しようが関係ない。自分の理想のためだけに魔王を殺さなかったのは間違っているよ。それをマーちゃんが望んでいたとでも?」
「な、なにを言う! マリーの犠牲が今の未来を作ったんだ! お前にはわからないんだっ!」
緋翠は「ふぅー」とため息を漏らした。そして、うつろな目が豹変する。
「あたしはねっ! マーちゃんが生きているからこそこの世界に残ったんだよ! 見殺しにしておいてよく言うっ! だったら今すぐマーちゃんを返せ! この場にマーちゃんを連れてこいっ! 今すぐ連れてこいっ!」
大声でガッシュフォードの胸ぐらを掴む緋翠はわめき散らしていた。それを見たハインスは緋翠を抱きかかえる。
「落ち着けよ……緋翠。今それを言ってもどうにもならないだろ。これからのことを考えるためにお前に会いに来たんだ」
「うるさいっ! マーちゃんを返せっ! かわいい姿のマーちゃんを元に戻せっ!」
「僕もガドも天もそれは望んでいることだ。お前だけじゃないよ……」
緋翠はガッシュフォードの膝の上に崩れ落ちた。
「マーちゃん……。ううっ……」
「ガドも少し落ち着け。緋翠だって想いはある。少し熱くなり過ぎだ」
「あ、あぁ……すまない……」
そこには互いの感情しかなかった。互いの想いがぶつかっただけ。皆はそれ以降、なにも言わなかった。というより言えなかったという方が正しかった。その様子を見て小羽は隣にいるナズの手を強く握っていた。
やがて馬車が止まった。辺りはなにもない平地。御者は不思議そうにハインスに伝えた。「い、言われた場所に着きました」と。そして、五人は馬車を降りた。
「着いたみたいだね。ちょっと待っててね」
緋翠は何食わぬ顔で筆を走らせていた。その様子を小羽はじっと見つめているとハインスが近寄ってきた。
「小羽ちゃん。空気悪くしてごめんね? ガドも緋翠もマリーのことになるといつもああなんだよ」
「い、いえ。大事な存在なのはわかりますから……」
「ところで。どうしてあんなこと聞いたの? 元の世界に戻る方法を知りたくてここに来たんじゃないの?」
「それもありますけど……。イナビの目から出ていたあの触手はギニスさんの命を奪ったものと同じですよね?」
「……知ってたのか。そうだよ。それがなにか気になっているの?」
「私のせいでギニスさんが犠牲になりました。私は今、元の世界に戻るより、ギニスさんを救いたい……。もし、それができなくてもクワナの悲しみを少しでも無くしてあげたいんです。お、おかしいでしょうか……」
ハインスは優しい顔で微笑んだ。
「いや。素敵なことだと思うよ……。君ならギニス氏を救ってくれそうだ。マリーもね」
「で、できるかはわからないですけど……」
「……ガドが連れてくる訳だよ。ほらっ。あれが緋翠の家だよ」
ハインスが見た先を小羽が見ると、なにもない平地に現れた古びた家。古い日本家屋といった雰囲気だ。
「相変わらずいい趣味してるよ。理解はし難いけどね」
「す、凄いですね……」
緋翠が玄関の戸を開ける。
「さぁ。部屋はいっぱいあるから。好きなところ使っていいよ。どうぞ」
中に入ると居間の囲炉裏が目に入る。見事なまでの和風の造りだ。
その囲炉裏を囲んで座っていると緋翠は吊り鍋になにかを入れていた。たちまちいい匂いが立ち込める。
「今日はお客がいっぱいいるから鍋にしようと思ってね。……ガーちゃん。座りなよ」
「ひ、緋翠。さっきはすまなかったな……」
ガッシュフォードは照れ臭そうに眼鏡を直した。
「気にしちゃいないよ。ガーちゃんはいいやつだ。マーちゃんを想っての偽りのない気持ちは伝わってるよ。さぁ。座りなよ」
「…………」
ガッシュフォードは小羽の隣に腰を下ろした。
緋翠が鍋をよそい、皆に振舞う。
「美味しい……。懐かしい味がします」
「うん。美味しいね。初めて食べるけど」
「それは良かった。ところで君は誰なんだい?」
緋翠はナズを見てニコリと笑う。
「こ、この子はナズちゃんっていって。エルフの女の子です」
「ナズは小羽の色魔導でこういう姿になってるんだよ」
「虹の精霊を連れているのかい? 面白いね」
「小羽ちゃんは虹の精霊と契約してるんだ。本当は僕もしたかったんだけどね」
「ハーちゃんは胸の大きなかわいい女の子がいっぱいいるじゃないか。まだ手をつけるつもりかい?」
「虹の精霊は極端に魔力が強いからね。緋翠の色魔導じゃないけど似たようなことができる。それにエルフは巨乳の美人揃いだからねっ」
「ハーちゃんのは病気だね。困ったものだ……」
食事を終えた皆をよそに緋翠は一人、黙々と片付けを始めていた。それを見ていた小羽は食器を台所へと運ぶ。
「緋翠さん。美味しいお鍋ご馳走様でした」
「一色小羽ちゃん。お客なんだから座っていなよ」
「いえ。せめてものお礼です。こんなことしかできませんけど」
「君はいいやつだ。ガーちゃんもハーちゃんも気を許しているのがわかる気がするよ」
「そ、そんなことは……」
「君は元の世界に戻りたいんじゃないのかい? どうしてマーちゃんのことを聞いてきたんだい? ここに来たのも帰りたいからだろ?」
「…………。い、今はそれよりも大事なものができました。私にも救いたい人がいます。……し、死んだ人を生き返らせることは可能ですか?」
小羽の質問に緋翠は淡々と答える。
「可能だよ」
「ほ、本当ですか!」
「あぁ。君ならね。虹の精霊は自らの寿命を分け与えることができるからね」
「で、でも。それって……」
「ナズちゃんだっけ? 君の精霊の寿命が縮むだけの話だよ。その二択を決めるのは。一色小羽ちゃんって訳だよ」
「そ、そんなの決めれません……。どちらかが幸せになるのは……」
食器を洗う緋翠はその手を止めた。
「それが現実じゃないのかい? 食われる者と食う者。そのどちらかが欠けたらどちらも無くなってしまう。この世界は非現実的に見えて、元の世界より実に現実的だよ。あたしはね。この世界に来てすぐに魔族に襲われた。なにもわからずに体を引き裂かれてもう死んだと思ったよ。でも……一人の男の子がね。私を助けてくれた。その男の子が連れていたのが闇の精霊のリーちゃんってかわいい子でね。闇の精霊も虹の精霊同様、自らの寿命を分け与えることができる。その男の子は迷わず精霊に命令していたよ。体は元通りにならなかったけど命は助かったんだよ」
「……そ、その男の子って……もしかして」
「日向天。同じ異世界者で伝説の勇者様だよ。ちなみにあたしの名前は緋野翠。この世界では緋翠って名乗ってるんだ」
「で、でも……。天さんはイナビの森で会った時に精霊を連れてませんでしたけど……」
「リーちゃんはね。最後にそーちゃんの命を救って消滅したんだよ。結局はリーちゃんが死んで、そーちゃんが生きている。君の決めれない二択はそういうことだよ。それが今起きている現実なんだよ」
「…………」
小羽はなにも知らない自分が恥ずかしく思えていた。誰かの犠牲で誰かが生きていること。それはここにいる皆がマリーという犠牲で生きているのと同じ。そして、それを無いものにしようともがいている。
おそらくは天も同じだろう。自らの精霊によって生き永らえている。それが故になにかを成し遂げようとしていること。この世界は命の現実をさらしていた。
「一つだけ教えてあげるよ。元の世界には戻ることは可能だけど……ある特定の条件が揃った時にだけ現れる……なんて言ったらいいかな。異空間への入り口みたいなものが現れるんだ。それに入れば戻れるはずだよ。実際。入った人がいないからわからないけどね」
「そ、その条件ってなんですか?」
「聞きたいかい?」
「い、一応。聞いておきます」
緋翠はニコリと笑っていた。
「まだちゃんとわかっていないんだ。研究はしてるんだけどね。ハーちゃんにも協力はしてもらっている。異世界者の研究はガーちゃんの学園の先生たちにも協力してもらってるよ。魔力の持たない特殊な異世界者は珍しいみたいだからね」
「そ、そうですか……」
「君はどうしてこの世界に来たのかわかるかい?」
「い、いえ……。向こうの世界の記憶はあるんですけど。どうやって来たのかまでは」
「そうか。実はね。あたしもそーちゃんもわからないんだ。君と同じで記憶は残っているだけ。だからこそ。ちゃんとわかってからの方がいいよ」
「い、いろいろとありがとうございます。わ、私はこっちの世界のことがまだよくわかってなくて……」
「焦らない方がいいよ。確実に戻れる方法が見つかってからでも遅くない。それまで生きていればの話だけどね」
緋翠は食器を洗い終わり、囲炉裏へと向かった。
三人は昔の懐かしい話をしていた。途中。ナズが眠くなり、小羽はナズを寝かしつけるために部屋へ一緒に入った。
気がつくと小羽はナズと共に寝ていた。すやすやと眠るナズはかわいい顔で口を開けていた。トイレに起きた小羽は暗い廊下を歩いていた。
――素敵なお屋敷だけど。ちょっと怖い……。
薄暗い廊下を進んでいくと襖の隙間から明かりが漏れているのが見えた。特に気にもせずにその部屋を通り過ぎようとした時。中からハインスと緋翠の声が聞こえた。
その声は男女の営みの声。緋翠の色っぽい声とハインスの荒い息づかいだ。小羽はその行為自体はなにかは知らなかった。それでもなんとなくなにをしているかは察していた。
――な、なにしてるの……。ももも、もしかしてこれって……。ハ、ハインスさんって誰でもいいの?
気にもしつつトイレから出た後、その部屋の前を静かに通る。
「ありがとう。ハーちゃん……。こんな醜い体でごめんね」
「なにを言ってるんだよ。緋翠がどんな体だろうと美しいのには変わりない。同じことを何度も言わせないでくれよ」
「本当にいい男だね。でもハーちゃんとは結婚はしたくないな……」
「あはは。僕は誰と結婚すればいいのかいつも悩んでいるよ」
「最低な発言だね。でもハーちゃんは最高だ……んっ……」
ハインスと緋翠の生々しい会話を聞いた小羽は自分の部屋に戻った。布団に潜り、ナズを抱きしめる。「んんっ」っと反応するもナズはすやすやと寝息を立てていた。
――あ、あんなの聞かなきゃよかった……。はぁー……。
小羽はドキドキして自分の心臓の音で眠れずにいた。
―――小羽っ! 小羽ってばっ!
「……はっ! ナ、ナズちゃん?」
「やっと起きたーっ。もうみんな起きてるよ?」
「ご、ごめん……。あまり眠れなくて……」
「小羽ってば。人のお家で寝れないタイプ? お昼前にはギラナダに戻るんだって。そろそろ準備しないと」
「う、うん。わかった」
小羽はボサボサの髪のまま部屋を出て居間へと向かった。そこには着物姿でお茶をすする緋翠の姿があった。
「一色小羽ちゃん。おはよう。朝ごはん食べそびれたね。お弁当にしたから馬車で食べるといいよ」
「す、すみません……。なにからなにまで……」
「顔が赤いけど大丈夫かい? 疲れてるなら休んでなよ」
「だ、大丈夫です!」
――ううっ……。緋翠さんの顔がまともに見れないよ……。
「小羽ちゃんっ!」
「キャーっ!」
「そ、そんなに驚くことないだろ? 肩に手を置いただけだよ?」
「すすす、すみません。ハインスさん。おはようございます」
「まぁ。いいけど。随分寝ていたみたいだね? 疲れてる?」
「い、いえ。ちょっと眠れなくて……」
「そうか……。緋翠の家は独特だからね。仕方ないんじゃない?」
――さ、さすがに昨日のことだとは言えない……。
「そ、そうですね。と、ところでガッシュフォードさんはどちらですか?」
「ガドなら庭にいるよ」
「あ、ありがとうございます……」
小羽は縁側を通り抜けて庭へ出た。広く趣のある庭には東屋が奥に建っていた。その柱の影にガッシュフォードの結った髪の毛が見え隠れしていた。小羽はその東屋に近づく。
「ガ、ガッシュフォードさん。おはようございます……」
「一色小羽か。疲れているのか?」
「……みなさん。同じこと言うんですね。みんな優しくて思いやりがあって……最高のパーティーですね?」
「ふっ……。そう思うか?」
「ち、違うんですか?」
「いや。半分は違うな。でも半分は合っている」
「ど、どういうことですか?」
ガッシュフォードは空を見上げる。
「全てはマリーのおかげだ。私とハインスとマリーは昔馴染みだ。ある程度のことはわかっている。だが、緋翠も天も知り合った時はひどかった。緋翠は感情の起伏が激しい。天は自分勝手にやりたいことをする。始めの頃は仲間として信用はできなかった。それでもマリーだけはあの二人をわかろうと一生懸命だった。私もハインスもよく緋翠と天と言い合いを繰り返していた。だが、その度にマリーが泣いてそれを止めてくれた。それを繰り返すうちに互いがわかってきたのだ。そうなって初めて伝説のパーティーの名に恥じない強さを手に入れた。マリーがいなければこの世界は本当にどうなっていたか……」
「マリーさんは凄い人なんですね。す、少し……羨ましいです……」
小羽はうつむいた。昨日のグロールの村の件の責任は感じていた。良かれと思ってしたことが身勝手な行動だったことに罪悪感を感じ、泣きそうなのを我慢していた。
ガッシュフォードは小羽の頭に手を置いた。
小羽は突然のことにガッシュフォードを見上げる。
「なにを言う……。一色小羽はマリーと似たようなものだ。それは私もハインスも認めている。それに緋翠もな……。君のおかげで一緒にギラナダに来てくれることになった。「人のために自分を犠牲にできることは向こうの世界でもあまりない」と言っていた。君を連れてきて本当に良かったよ。ありがとう。一色小羽。改めて礼を言う」
小羽はガッシュフォードのその真っ直ぐな言葉に涙を流した。一人ではなにもできなかった不甲斐ない自分。ギニスの死によって色魔導を覚えたこと。それを開花させてくれたガッシュフォードやハインス。寂しかったのを忘れさせてくれるナズ。同じ異世界者の天と緋翠。全ての出会いが自身を成長させてくれたこと。
この世界を初めて好きになれた自分に涙を流した。
「泣き虫なところもマリーと同じだ。人の想いを素直に受け止められる一色小羽はもう私たちの仲間だ。胸を張っていい……」
「ううっ……うわーん……」
小羽は声を出して泣いた。認められたことが素直に嬉しかった。
そして、ハインスの声が聞こえた。
「ガド! そろそろ出発だっ!」
「わかった。今行く」
こうして、小羽の初めての冒険は終わりを告げた。
ガッシュフォードと小羽とナズはルメールへ戻った。ナズが虹の精霊であることがバレないようにGMAの特待生として迎え入れ、魔導学科へ入学。色魔導を覚えた小羽は魔導工学科のクラスSに特別昇級し、同じく魔導学科へと移った。ナズは小羽と同じ部屋に入り、色魔導によりその姿を人族と変えて過ごしていた。
そして、小羽はある決断をナズに話した。
「ナ、ナズちゃん……。ま、間違ってるかもしれないけど……。ギニスさんを生き返らせてほしい……」
「うん。いいよ」
「えっ! そ、そんな簡単に決めていいの?」
「簡単には決めてないけど……。虹の精霊として生まれた宿命みたいなもんかな? それに小羽もずっと悩んでいたんでしょ?」
「う、うん……。で、でも……」
「ナズはそんな小羽は見たくないから。それに契約者を守るのが精霊の役目だもん。ギニスさんっておじいさんでしょ? ちょっとくらい平気だよ」
そして、ナズはルメールの病院で冷凍魔導によって厳重に保管されていたギニスに対して、残り少ないであろうギニスの寿命を分け与えた。
死んだはずのギニスが帰ってきたスカーレット家では大騒ぎになっていた。クワナは涙を流し、ギニスの胸で泣いていた。もちろん。小羽もそれを聞いて胸を撫で下ろしていた。
それでも、小羽には少しのわだかまりがあった。たとえ虹の精霊の宿命だとしても。ナズの命を削ったことに罪悪感を覚えていた。
「本当にこれで良かったのかな?」
「小羽ってば。自分がどれだけ凄いのかわかってないの?」
「私は凄くないよ……」
「もうっ! このナズ様と契約したのがどれだけ凄いのかわからないのっ!」
「そうだね。ありがとう……。ナズちゃん。大好きだよ……」
ナズのその言葉は小羽を安心させると共に、命に対する現実を知らしめた。
そして、ギラナダに戻ったハインスは天の捜索が難航していることを知り、一旦捜索を打ち切った。そして、魔族の不穏な動きと種の存在を民に明かし、新たに冒険者を募った。
『魔族討伐の冒険者を募る。ギラナダの平和の為、不振あれば王国へ通報すべし』と。
魔王封印の更新の儀の最低期限まで残り一カ月となっていた。