『大きな桜の木の下で』
初投稿です。お手柔らかにお願いします。
全く推理していないし、よくわからない内容になりましたが、
最後まで書けたっぽい感じになったので(人生で初)、記念に投稿します。
毎週土曜日。私は女学校からの帰り道、喫茶『大きな木の下で』に立ち寄る。学校帰りに寄り道するのは、本当はいけないことなのだけれど。お稽古までの時間もあるし、とついつい立ち寄ってしまう。今日は迎えまで時間があるという友人たちとおしゃべりしようと三人で店の扉をくぐった。
大通りの喧騒からは少し離れた場所にある、落ち着いた雰囲気の小さな喫茶店。その店内は周囲の建物に遮られ強い日差しは届かないが、窓際の席では読書が楽しめるくらいには明るさがある。その奥。店の壁の一面を、大きく枝を伸ばした木が覆っている。近付いて初めて本物ではないとわかる絵画は、本物よりも艶めかしく、太い幹から天井に向かって伸びた枝はまるで襲い掛かってくるような恐怖を湧きあがらせる。しかし、
「いらっしゃい」
と、カウンターから柔らかい店主の声がかかると、その恐怖心はふっと消失した。その心地に安堵しながら、店主にいつものようにミルクティーを注文して、大木の絵画がよく見えるお気に入りの席へと向かう。友人たちは「なんだか怖いわ」と眉を顰めるが、私は大きな手の中に包まれているような気持がして少し安心する。本当は、絵画の一番近い席に座りたいけど、そこは常に『ご予約席』と書かれたプレートで埋まっている。
「小春子さん、十三階段の噂お聞きになって?」
「ええ、もちろん。北校舎の三階の階段のことでしょう?」
話しながら声をだんだんと潜めていくと、向かいから友人たちが身を乗り出し囁き声を重ね始め、
「その階段の段数を夜に数えると十三段になっている。その十三段目の階段を昇ってしまうと……」
友人たちが言葉を切って、ゴクリと息を呑みこんだ。
「この世に帰ってこれなくなる。」
話し終わると友人たちはきゃあと小さく悲鳴を上げた。怖がる姿が可愛くて、私が可笑しくなって笑うと友人たちもつられて笑みをこぼす。
「でもこれって、ただの数え間違いよね」
私は疲れた喉を潤すために紅茶を一口飲んだ。
「その言い方、まるで本当に数えたみたいね。小春子さん。」
「ええ、本当に数えましたわ。昼間に窓のカギを開けておいてね、日が暮れてからこっそり学校に戻ったの。それで北校舎の三階まで数えたら、」
「数えたら?」
「なんと十四段だったの」
友人たちがぷっと噴き出す。
「やだ、小春子さんったら。それこそ数え間違いよ、きっと。」
その言葉に頬を膨らました私を見て、友人たちがさらに笑い声を立てる。
「そんなに拗ねないで、小春子さん。」
「それにしても。これで、何個目かしら?小春子さんが実際に見に行った怪談話は。」
友人の言葉に私は「えぇと……」と、指折り数え始める。
「夜にだけ十三段になる階段でしょ。音楽室の目の動く肖像画とひとりでに鳴るピアノ、被服準備室の踊るトルソー、それから、廊下を歩いていると聞こえてくる自分以外の足音の五つですわね。」
「まあ、五つも。」
「小春子さんそんなに学校に忍び込んでいらっしゃるの?」
「まさか、まだ三回よ。」
友人の問いかけに答えると、それでも多いわと二人顔を見合わせる。
良識あるご令嬢なら、夜の学校に忍び込むなんて、人生で一度すらないことだろう。
しかし、小春子は一度気になったことは自分の目で確かめるまで気が済まず、退屈な淑女教育を受ける友人たちにとって、そんな普通のご令嬢から外れた小春子の行動は刺激的に映るのだろう。どこか羨ましそうな視線を向ける。
「そうだわ。私、今の時期にぴったりの怪談を聞きましてよ。ご存じ?」
「まあ、どんなお話かしら?」
「ほら、今の時期、どこも見事に桜が咲いてるでしょう?」
そう言ってうっとりと目を閉じる友人の瞼の裏には上野か飛鳥山か江戸川か美しい桜の名所が描かれていることだろう。
「そうね、学校にも。」
「校庭の桜が見事ですわよね」
満開の桜の下、暖かい日差しを受けて談笑するお姉さまたちはそれはもう美しかった。と先日見かけたお茶会の光景を脳裏に浮かべうっとりと目を閉じる。
「そう。学校のどこかにその桜は咲いているそうですわ。その美しく咲き誇る桜の大木の下には、」
友人がぐいっと身を乗り出して、声を一段落とした。
「死体が埋まっている。」
友人が顔を青くさせながら、ひぇぇっと悲鳴を上げる。
「まあ、死体。どうして学校に埋めたのかしら?」
「え?そうねぇ、どうしてかしら?あら、迎えが来たみたい。わたくしこれで失礼しますわね。」
友人の視線が私を通り越して店の入り口の方を向いた。
「もうそんなに時間が経っていたのですねぇ。わたくしもお暇しますわ。」
「ごきげんよう、小春子さん」
「ごきげんよう」
二人を手を振って見送り、一人、冷めた紅茶をすする。
「桜の下、かぁ……」
正面のの壁に描かれた大木を見上げる。大きな幹、天井まで届きそうな程に伸ばされた枝。その枝の先には花はなく。絵画なのだから、今後も咲くことはないだろうその木は、店名から栗の木だと思われがちだが、おそらくは、
「これも桜……よねぇ」
「死体でも埋まっていそうかい?」
突然、低めのアルトが斜め隣の席から届いた。
絵画の中には一輪も存在しないというのに、彼女は満開の桜を纏い、いつの間にかその席に座っていた。
絵画の最前席、いつもは常に席に置かれている『ご予約席』と書かれたプレートを玩び、絹のような黒髪を耳に掛けながら「盗み聞きして済まない」と笑う。奔放な印象の男言葉と、日本人形のような怪しげな美しさを放つ黒の着物姿がちぐはぐだが、その言葉遣いは彼女の声にひどくしっくりとくる。
「それは、この絵画のモデルとなった木の下にでしょうか?それとも、このお店の下に?」
「さて、どっちだろうね。」
微笑む彼女は上級生のどのお姉様よりも美しい。
「ねぇ、それより、昼間数えてみた?」
「え?」
「北校舎の三階の階段。」
「そういえば、昼間は数えたことがありませんでしたわ。」
私はノートとペンを手に階段を上っていく。ノートには校内の簡単な見取り図を描き、階段を上り終わる度にその段数を、『13』という数字を書き加えていく。
月曜日。私は、一昨日喫茶『大きな木の下で』で彼女に言われた言葉が気になって、さっそく北校舎の三階の階段を数えながら上った。結果は、十三段。四度も、しかもそのうち二回は、千切った紙片に数字を書いて一段ずつ数えたのだから間違いない。前回数えたときは、見回りの来ない間にと焦っていたために、やはり数え間違えていたのだろう。肝心なところで詰めが甘いと、反省する。
そして、私は学校中の階段を数えていた。北校舎の三階の階段は十三段だった。しかし、これでは、噂が成立しない。噂の内容はこうだ、この学校には夜にだけ十三段になる階段がある。その階段を上ってはいけない。上ってしまうと、二度とこの世に帰ってこられなくなる。つまり、昼間っから十三段ではダメなのだ。だから、私は学校中の階段を上り、下り、重くなった足を引きずりながら数日に分けるんだったと、傾き始めた西日に後悔していた。
「……、十、十一、十二。」
私の足元に十三段目はない。いや、人によってはあれを十三段目と数えるかもしれないが。十二段目まで上った私の目の前には扉がある。その扉は、床から少し高い位置に造られており、その前に一段分の階段のような段差が設けられている。
ここだわ。校舎の北側三階。校内で唯一、屋上へと続くこの階段、きっとここが噂の元になった階段なのだ。
私は嬉しくなって、今すぐにでも喫茶『大きな木の下で』まで駆けて行ってあの時のお姉さまにお話ししたいわと思ったが、お姉さまには会えるとは限らないもの明日ゆっくり待てばいいわと考えを現実へと戻した。
私は目の前の扉まで歩を進め、丸いノブを回した。すぐに、ガチャガチャと固い手ごたえが返ってくる。
「開きませんわね……」
それでも、諦め切れなくて、ガチャガチャとノブを回し続けていると、
「誰かいらっしゃるの?とっくに下校時間は過ぎていますわよ!」
金切り声が響いた。
まずい。この声は教頭。見つかったら罰掃除だわ。
私は、慌てて、階段を降り、階段裏の物が雑多に置かれた隙間へと体をねじ込んだ。口元を抑えて息を殺す。コツコツと近付いてくる足音。見つかりませんようにと縮こめた体にひんやりとした風が当たる。
足音は階段を上り、扉が閉まっていることを確認して下りてきて、暫く立ち止まっていたけれど、諦めたのか、ゆっくりと遠ざかっていった。
私は完全に足音が聞こえなくなってから、漸く、息を吐きだした。
でも、どうしましょう。あの教頭のことだから、昇降口で待ち伏せしてるかもしれませんわね。
うーんと考えに耽りながら、私は頬に触れた。右頬だけがいやに冷たくなっている。
そういえば、どうしてこんなところから隙間風が吹いていたのかしら。
私が壁を弄っていると、壁の一部がぽっかりと口を開けた。
私は、もしかしてと、その穴の中に進み、壁だった板をはめ直した。真っ暗になったけど、暫くすれば、目が慣れてくる。幅が狭く、天井も低く、暗い通路を私は屈んだ状態で進み始めた。
壁に沿わせながら進めていた手が空を切った。目を凝らして確かめれば、そこには梯子状に階段が伸びている。人一人が通るのがやっとの隙間に取り付けられた踏板に足を掛けると、ギシッと踏板が音を立てる。
「こ、壊れたらどうしましょう?」
小さく呟いた声は暗闇へと吸い込まれていく。下を向いてもさらに深い闇があるばかり。でも、先生方、特にあの頭でっかちの教頭に見つからないように帰ろうと思ったら、職員室のある三階を通るよりも二階を通った方が安全なはずだもの。私は、意を決して、なるべく梯子の支柱にかけた指に力を入れて、踏板に体重がかからないように気を付けながら下っていく。一階分ほど下りたところで、辺りを見回すと、遠くに薄っすらと光る二条の筋を見つけた。
私は見つけられてよかったと胸を撫で下ろして、その光の筋を広げた。
壁に空いたえんどう豆程の二つの穴に目を当てる。そこから見えるのは、夕闇に沈みかかった机と椅子の列、黒板、そしてピアノ。きっと今この部屋に誰かがいたら、壁にかかった肖像画の目が動いていたように見えたことだろう。
「やっぱり。音楽室に繋がってましたのね。」
以前、目の動く肖像画を調べに来た時に見つけた隠し通路。その時は灯りを持っていなかったので断念したが、こんなことになるのなら調査しておけばよかったと後悔する。無事辿り着けたのだし、まあいいかと肖像画の下の戸棚から這い出て教室の扉に手を掛けるが、ガツンと固い手応えがあった後はビクともしない。
「あら?どうして開かないのかしら?」
私は、見回りの先生が来てしまわないようになるべく音を抑えながら、かたかたと扉を押したり引いたり引っ張ったりした後、ようやく鍵穴があることに気が付き、そういえば音楽室を利用するには鍵がいるんだったなと思い出す。しかも、なぜか内側から開けるのにも鍵が必要な仕様。
「これってなんだか、誰かを閉じ込めていたみたいですわ……」
いやいや、そんなまさか、ここはほら音楽室だから、ピアノは貴重品だからと、不穏な考えを打ち消す。
「でも、どうしましょう。流石に、一晩帰らないとお父様に叱られてしまいますわね。」
鍵は持っていないし、壊すのは忍びない。それに、幼いころ通っていた学び処のボロ家敷と違って、しっかりした造りの目の前の扉はそう簡単に壊れそうにない。 窓から逃げたところでここは二階。となると、退路は先程出てきたばかりの肖像画の下の戸棚のみ。先程の階段はまだ下に続いていているようだった、外に出れるという保証はないけれど、何もしないで夜が明けるのを待つよりは、隠し通路の出口を探した方が絶対に楽しい。
そうと決まれば、やることは一つだけ。私はもう一度肖像画の下の戸棚の中へといそいそと潜り始めた。
ギシリ、ギシリと不穏な音を立てながら進めていた足がベチョというあまり嬉しくない感触と共に地面へとたどり着いた。支柱を握りしめていた手が緩む。と、まだ踏板に引っ掛けていた足に体重がかかり、ミシミシと音を立てる。まずいと思った時にはもう遅く、バキンと音を立てて踏板が割れ、片足の支えを失った私は見事にバランスを崩して顔面から壁へと突っ込んだ。
「うぅ……。痛ぃ……。あら?今の衝撃で壁板が歪んだのかしら。」
暗闇の中に光が差し込んでいた。隙間ができた壁板の周りを押せばグニグニとした柔らかい手応えが返ってくる。
「これなら壊せそうですわね……。でも、器物破損……。いえ、あまり遅くなるとお父様に見つかって叱られてしまいますもの」
壁板の隙間に指を差し込み、押して引いてと体重をかけ続けると、なんとか人一人が通れそうな穴が開く。そこを体の向きを変えながら通り抜けると、大きな桜の木に出迎えられた。
どっしりと据えられた太い幹から天へと高く伸びる枝には満開の桜の花が咲き。所々その花びらを散らしている。私は魅せられたようにその木へと近付いた。まるで襲い来る巨人の掌のように撓る枝に恐怖心が沸き起こる。
ゾワゾワと高鳴る心臓に気持ちがさらに高揚する。その中に混じる少しの既視感。
私は好奇心を抑えられず、校舎の裏でひっそりと、だが満開に咲き誇る大きな桜の木の下をふらふらと歩いた。
視界の端に見えた気がするものを探して視線を彷徨わせる。
『小春子、それ以上はいけないよ。』
「あら?今、お姉さまの声が……」
辺りを見回すが人の姿はない。どこかしらと踏み出した足が縺れ、どてっと地面に手をついた。薄っすらと積もった砂と桜の花びらの下に満開の桜があった。
コロンと下駄の音が鳴った。いつ現れたのか、小さな黒塗りの下駄を履いた小さな足が目の前に立っている。視線を上げていくと、人形のように可愛らしい少女と目が合った。真っ直ぐな黒髪を肩のあたりで切りそろえ、黒地に満開の桜柄の着物が小さな体を覆っている。
お姉さまと同じ桜柄。いいえ、違うわ。模様の向きが反対だもの。とすると、お姉さまの妹さまでしょうか。お二人ともとても美人ですもの。きっとそうですわ。
でも、お近くにはいらっしゃらないようですし。
「迷子……?でしょうか?」
少女はフルフルと首を振った。
「でも……ひとりは、いや!」
少女とは思えない強さで手首が握られる。
「痛っ……くない!」
どうしてと見つめた手首からは、小さな手によってミチミチと肉が引きちぎられていく。
「置いていかないで。一緒にいて。ほら、見て。ここの桜は美しいでしょう。私のお陰なのよ。貴女も桜の糧になりましょう?美しい桜が見たいでしょう?一緒に愛でましょう?」
これは夢かしら?
頬を抓って痛ければ夢じゃないと言えるのかしら?いいえ、それよりもずっと痛そうですもの。
骨が見えるほどに深く少女の指が食い込んでいるにもかかわらず、血も流れない自分の腕に、もしかしたらあの世に来てしまったのかもと荒唐無稽な妄想を抱く。
ここの桜は確かに美しいけれど、私が見たい桜は別にある。
「わかりました。では、一緒に参りましょう!」
私は、少女の体を抱きしめた。
これが夢なら、いいえ夢でなくても。私はあの人に会いたいわ!
灯の落ちた喫茶『大きな木の下で』。月明かりに照らされて、満開の桜が咲き誇る。淡く光るように咲く花びらは、現実か幻か……。風のない店内では長く桜を楽しむことができるだろう。
「小春子。君は馬鹿だ。いけないと言ったのに。どうして逝ってしまったんだい?」
薄闇へと溶けるように漏れた疑問に答えるように、入り口のドアベルが勢いよく鳴り響いた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。