旧暦3月3日の大潮
サニツ浜。
わたしがその言葉を知ったのは、あるブログでのことだ。
旧暦の3月3日に、女性は浜へ行き、海水で身を清める。
まあ清めると言っても、水はまだ冷たいので足をつけたり手で海水をすくって顔を洗ったり。その程度のことなのだが、それを読んで思い出したことがある。
まだ春といってもいいぐらいの頃、いくら沖縄といえどまだ地元の人間は海水浴などしたりしない、海へ行くには全然早い。
そんな時期に、なぜか親に「今日は海へ行くよ」と言われて家族総出で車に乗って出かけることがあった。
行き先は、たいてい砂山。
砂山、というとなんだそれ、と思うだろう。子供の頃、初めて聞いたときはわたしもそう思った。
変な名前だ、と思い、他の言い方はないのかと訊いた覚えがある。
砂山以外に名前はない、と言われてからも、絶対正式名称があって別の呼び方をするはずだと考えていた。
例えば「美容院」が「散髪屋」や「パーマ屋」であるように。
ちなみにこの「屋」はわたしの地元では「やぁ」もしくは「やー」となまる。もうそれだけで十分別物だ。
親にしてみればおかしなことを訊く子どもだっただろう。
だがわたしは真剣だった。だってあり得ないからな、「砂山」って。いや確かに見たらそのまま砂山なんだけれども、だけど正式名称「砂山」って!
そして今、その場所は「砂山ビーチ」として知られている。
そう、まじで「砂山」だった。疑ってごめん、親。
まあそんなことはどうでもいい。
旧暦の3月3日の記憶に話を戻そう。
旧暦の3月3日、沖縄では女性は浜へ行き、海水で身を清める。
これを本島では浜下りもしくはハマオリと呼び、わたしが生まれた宮古島ではサニツと呼ぶらしい。
らしい、というのは、わたしはこの習わしについて名前を聞いたこともなければ、説明をされたこともないからだ。
ただ、寒いから海に行きたくないと言っても連れて行かれたし、寒いから海に入りたくないと言っても「海の中に入って足をつけるだけでいいから。そしたら手を洗って、顔も洗いなさい」と言われた記憶がある。
時期的なことや、言われた言葉などからすると、多分あれがそうだったのだろうと思う。
説明してくれよ、と思わないでもないが、我が家はどうにもそういう説明のない家であった。
だが今こうしてわたしのみならず弟妹たちまで沖縄を出て暮らしていることを思えば、それで良かったのかもしれない。
この年になって初めて、あれが意味のあったことで、サニツという名称まである習わしだったことを初めて知ったが、ブログで読んだ当初は「ああ、あれはそういうことだったのか」と思った程度で、特になんの感慨もなかった。
今回こうしてエッセイとしてまとめようと思ったのは、ネットでひな祭りについて調べたからだ。
ひな祭りの由来について、中国の上巳の節句であろうという説があり、そしてそこには「水辺で厄落としをする」という内容のことが書かれていた。
季節の習わし。
春を寿ぐ、邪気祓い。
わたしは昔、家にお雛様がないのが嫌だった。
けれど、違う形でひな祭りの儀式に関わっていたのだと思うと、少し満たされるものがある。
お雛様はない。流し雛もない。宮古島は昔、過酷な島であったのではないかと思うことがある。
けれどそんな中でも、親たちは子どもの健康と幸せを願って浜へ出た。
神様や先祖にお供えをして、一緒に食べて、春を祝った。
そんなささやかな人の営みは、とても美しいと思う。
文化や風習に美しさを感じるものが多いのは、美しいものだけが残されてきたからなのかもしれない。
わたしが前回、海へ行ったのはいつだっただろうか。
おそらくもう10年ではきかない。
下手をすれば20年は前の話だ。
いつかまたあの海へ行けたらいいと思う。
きっとそこには、わたしの家族や先祖たちの思いが残っているだろう。