無力なぼくは天に牙を剥く(三十と一夜の短篇第48回)
熱風に打たれたほほが焦げそうだ。
町は遠く、炎にまかれた住人があげる悲鳴もここには届かない。それなのに、町を飲み込む炎の熱が風に乗って運ばれて、たしかに町が燃えているのだと伝えていた。
「なんで……どうして……」
ソニアが地面に座り込んだままつぶやく。
ついさっきまで泣きじゃくって、助けに行くんだと暴れていたソニアは、夜闇に燃え落ちる家々を呆然と見つめている。
「……たまたま、運が悪かったんだ」
ザクロが、ぐったりとうなだれたままうめくように呟いた。彼の疲れは、炎に飛び込もうとするソニアを取り押さえていたせいだけではないだろう。
「運って、なによ」
町を見つめたまま、ソニアがぽつりと言った。
「運ってなによ……サフランは、ちゃんと良い子で布団に入ったのよ。だってあたし、あの子におやすみまたあしたね、って言ってきたのよ。なのに……」
ソニアは声を震わせる。
「なのに、どうして。どうして! あの子が燃える町にいて、あたしがそれを見てるの? 罰を受けるなら、夜中に家を抜け出したあたしたちでしょう⁉︎」
「俺たちだって、そんなとんでもない罪を犯したわけじゃない!」
叫びとともに地面を殴りつけたザクロに、ソニアがびくりと肩をすくめた。
泣きじゃくって暴れるソニアを前に抑えていた気持ちが、こらえきれなくなったのだろう。元来、彼は喜怒哀楽の表情がはっきりしている。
いちど気持ちを吐き出したザクロは、それだけでは足りなかったようでこぶしを振り上げる。
「ただすこし、夜中の冒険に出かけただけだ! それが町を、家を、家族を焼かれるほどの罪だってのか⁉︎」
振り上げては地面を殴りつけるせいで、ザクロのこぶしから血が流れる。それにも構わずこぶしを叩きつけ続ける彼を横目に、ぼくは町を見つめていた。
「……誰も、悪くないよ」
凍りついたような声は、まるで自分のものではないかのようだ。
その冷たい響きが気に障ったのか、ザクロがぼくをにらみあげる。
「じゃあ! じゃあどうして町が燃えてるんだよ! なんで、なんで俺たちの町に龍が下りたんだよ⁉︎」
ザクロの叫びが聞こえたわけではないだろうに、町の真ん中で巨大な影がゆるりと動く。
息を飲んで目を見開いたザクロとソニアの視線の先にたたずむのは、一頭の巨大な龍だ。
のっそりと首をもたげた、それだけで燃え残っていた家屋があっけなく壊れて瓦礫の山と化した。あのなかに生き残っていたひとがいたかもしれないのに。
きょとりと周囲を見回す首に合わせて動いた尻尾が、町をぐるりと囲う塀を打ち砕く。硬い石を組み上げて作ったはずの塀が、おもちゃのようにバラバラと崩れて落ちていく。
最大にして最強の災厄と言われる龍が、町を襲っていた。
いや、龍の側には襲っているつもりすらないだろう。
ただ、なんとなく下りた地上で炎混じりの呼気を吐いてみただけなのだ。すこし身じろいで建ち並ぶ物にぶつかっただけなのだ。
龍が下りたその場所にたまたま、ぼくらの生まれ育った町があっただけ。龍に害意などない。
そんなことは物心ついたばかりの幼児でも知っている常識だ。それなのに。
「たまたま、龍が下りた。それだけ、だけど……っ‼︎」
にぎりしめたこぶしがぎしりと軋む。
「そんなことで納得できるはずがないっ! 許せるわけがない、忘れられるはずがない。あいつはぼくらの家族を殺したんだ!」
「スターチス、手から血が……」
叫んだぼくにソニアがおずおずと言うけれど、いまは彼女を気遣う余裕なんてなかった。
燃え落ちる町を目に焼き付けなければならない。この胸の張り裂けそうな痛みを忘れてはいけない。
「ぼくは、龍を倒す」
胸の痛みとともに刻むべき決意をくちにすれば、ザクロがゆるゆると首を振る。ぐったりとしているのは怒鳴り散らして疲れたせいだろうか。
「無理だ。過去にどれだけのひとがそう言ったと思う。誰もなし得なかったから、いまそこに龍がいるんだろ」
「そうだよ。誰にも倒せなかったから、天災のひとつに数えられてる。だったら、ぼくがあいつを倒してみせる。天災の座から、ただの害獣に引きずり落としてやる!」
町の残骸のうえで気まぐれのようにぼうと火を吐く巨体を睨みつければ、自然と声に怒りが灯る。
ぼくがここで叫んだところで、龍は見向きもしない。
それはそうだろう。尻尾のひとなぎでひとの暮らしをめちゃめちゃにしてしまえるほどの巨体に、ちっぽけなぼくが何をできるでもない。
わかっている。わかっているけれど、納得はできない。
「いつか、かならず。かならず力を付けて、あいつを、あの龍を討ってみせる!」
そのときまで心が折れないように、燃える町の姿を目に焼き付けなければいけない。
瞬きする間すら惜しくて、見開き続けたぼくの目からこぼれるものがある。
「ああ……スターチス」
「スターチス、おまえ……」
戸惑うように名を呼んでくるソニアとザクロの声を聞きながら、ぼくは町を見つめ続ける。
飛び立つ龍の風圧で、残っていた家も何もかもが壊れて倒れ、散らばっていく。ぼっ、と燃えあがった建物の熱が風と共に遅れてぼくらの身体をなぶる。
濡れたほほは熱風に焼かれ、すこしも熱さが引いてくれない。
この熱さを忘れないでいよう。
いつかその巨体にとどめを刺す、そのときまで。