53話:夏休み最終日攻防戦
時は8月31日。
・前園孝介の場合
――10:54――
「…………よし! 終わったー」
最後の赤丸を付け終え、僕は大きく伸びをした。
卓袱台に積み上げられた宿題の数々。しかしそれは最早絶望の対象ではなく、僕の努力の結晶だ。その多さと比例した達成感が込み上げてくる。
「孝介ー、終わったんなら早いとこ明日の準備しときなさーい」
「昼からやる……」
「買うものがあったらどうするの!」
どうやら母さんは束の間の休息も許してはくれないようだ。
買うもの……ないと思うけどなぁ。
「えっと、持ち物持ち物……。筆記用具、体育館シューズと雑巾……雑巾? っと、買わなきゃ。あとは…………玉子?」
……………………。
「って、玉子!?」
玉子って何だよ玉子って。休み開け早々調理実習? いきなりすぎない?
もしそうだとしても、普通『卵』だろ。『玉子』じゃ調理済み、って知ってんのかな。
でも、とりあえず買ってくるか、卵。
「母さーん。買い物行くからお金ちょうだい」
「何を買うの?」
「えーと……、玉子」
「卵?」
「玉子」
「だから卵でしょ?」
「玉子なの」
「なんで卵?」
「わかんないけど玉子」
「まぁいいわ卵」
「ありがとう玉子」
しょうもない会話はともかく、お金も貰ったし、スーパー行こう。
「ついでにモロヘイヤとらっきょうと生クリームもよろしくね」
「何を作る気だ!?」
……ついでのついでにカップ麺でも買っておこ。備えあれば憂いなし、だ。
・柴村琢人の場合
――同時刻――
がららら
「あぁ、さっぱりしたー」
やっぱランニングの後のシャワーは最高だわ。
元サッカー部としちゃ、体を動かさないと気持ち悪くなるしな。
「おっ、置き手紙」
スーパーで働いてるらしい母さんからだ。今日は日曜だっつーのに。
苦労かけてんだよなぁ、俺。
「えーっと、『昼ご飯はれいぞうこの中です。諦めずに宿題しなさい』か」
どうでもいいけど“れいぞうこ”がひらがななのは、俺が読めないと思ったからなのか? さすがにわかるっつの。
ほら、そのー……あれだ。まぁ、書けないけどさ。
「今は……11時っと。まだ昼飯には早いな」
宿題、めんどくさいけど、高校行けなくなるのは嫌だ。母さんには早く楽してもらいたいし。
「よしっ!」
俺は、ぱんぱん、と両頬を叩いた後、筆箱に手を伸ばした。
・井戸端海梨の場合
――13:31――
暇だなー。さすがに最終日の昼くらいは勉強しなくてもいいよね。
「そだ。ヒノは、今何してるだろ?」
電話掛けてみよ。
トゥルルルル……トゥルルルル……トゥルがちゃっ
「………………」
『………………』
「…………? えっと、あっ! やみよくん?」
「………………」
なんか電話の向こうで頷いた気がする。やみよくんが電話に出るなんて珍しい。
でもさ、電話に出たときくらいは喋ろうよ。
「ヒノいる?」
『いる』
良かった良かった、やみよくんだ。やっと喋ってくれたよ。
「何してるのー?」
『……宿題』
だよねー。毎年毎年大変だからね、ヒノは。なんであんなに溜め込むんだろ? 修行か何かなのかな?
「終わりそう?」
『手伝って、くれる……、と、ありがたい』
どうしよう。そろそろヒノにも、受験生としての自覚を持ってほしいんだけどねぇ。
「やみよくんが手伝うだけじゃダメなの?」
『カイリ! つべこべ言わずに来ぃっ!』
電話越し、ちょっと遠い声でヒノの怒号。そんなに怒らなくても。地獄耳めぇ。
「はーい。今から行き『さっさと来い!』……はい。わかりました」
――13:55――
「おじゃましまーす」
「遅いっ!!」
「……仕方ないでしょ」
ヒノん家までの上り坂、結構きついんだよ? 暴走自動車をヒノが止めたりしたおかげで、信号とかできて安全にはなったけどさ。
「どのくらい進んだ?」
さっきの声を頼りに、ヒノは居間にいると推察して、扉からちょっと覗いてみた。
「うおぉぉぉぉおおお!!」
「………………」
何か獣みたいな雄叫びが聞こえたのはともかく(意味あるのかな?)、思ったとおり、部屋いっぱいにノートやプリントが散乱していた。
……ていうか多すぎじゃない?
いや、まぁ宿題は多いよ? でも、こんな部屋から溢れかえる程じゃなかった気がする。うん。少なくとも、足の踏み場くらいはあるはずだよ。無いけど。
「そこぉ! 何つっ立っとんじゃぁぁぁああ!!」
「いや、何というか……、元々の量より多くないっすか?」
「知らんっ!」
そんなぁ。
「……自由研究……」
「うわっ!」
いつのまにか隣に立ってたやみよくんが、ボソッと呟いた。びっくりしたー。
「自由研究……課題、面倒だから……」
「課題、何にしたの?」
「『モロヘイヤとらっきょうと生クリームの変遷と確立』」
「そのどこに共通点が!?」
タバコと塩の博物館みたいな? それとも私と小鳥と鈴と?
次々とハテナマークを浮かべる私に、ヒノは立ち上がり、びしっと指を突き付けた。
「共通点が無いことが共通点となるんや!」
「なんか格好いいー!」
でも意味わかんない!
「さっさとしまいにするで! そっちの数学よろしく!」
「了解……」
来てしまった以上、仕方がない。
私は、心の内で溜め息を吐いた後、この部屋のどこかにあるだろう数学のワークを探し始めた。
・柴村琢人の場合
――19:21――
「……と……、た……」
んー……?
「と! 琢人! 起きなさい!」
「うぉっ!」
慌てて起き上がると、かなーり渋い顔をしている母さんが居間に。
カーテン閉めてるから外の明るさはわからんけど、つまりカーテンを閉めるような時間帯ってことだよな……?
「琢人。問題です。今何時でしょう?」
「え、えっと。午後5ご」
「5ごって何?」
「なんとなく“ご”が続いたから」
「正解は7時半前」
「ええっ!?」
そんなに寝てたのか、俺?
数学のワークは、1ページ目を開いたままで静止している。もちろん真っ白。
あー、思い出してきた。ワークを開いたはいいけど、全然わからなくて、ふて寝したんだった。
「どういう事かちゃんと説明してくれる暇があったら今からでもちゃんとやろうか?」
「うっ……!」
台詞を先回りされてしまった。言い訳もできない。
そう厳しい事を言ったものの、鬼にはなりきれないのか、母さんは一息ついた後、「夕飯を作るまでの間は頑張りなさい」と残して台所へ向かった。
「これは、頑張らなきゃいけないパターンだよな……?」
自分しかいない部屋で、一体誰に訊いたのかは分からない。けど、答えは“イエス”だろう。
「うっし」
分かるところだけでも解いていこう。
……っと、母さんにあれを訊くのを忘れてた。
「今日の飯何ー?」
「モロヘイヤの生クリーム仕立て、らっきょう付き!」
…………はい?
・凩ひのでの場合
――同時刻――
「あのぉ、そろそろ……」
「何やっ!」
「ひぃっ……!」
思わずデカイ声出してしまった。ま、子猫みたいに怯えてるカイリが可愛いからえぇけど。
「で、何なん?」
ちょっと刺があるんは許してほしい。ウチやって焦っとんや。
「もうそろそろ帰らないと危ない、かなー……」
「………………」
「えっと……な、なんなのかな、その目は?」
「ん? ウチそんなジト目しとった?」
「ジト目ってわかってるじゃん!」
「大丈夫大丈夫。心配ナッシング!」
ちゃんと手は打っとんやなぁ、これが。
「カイリんとこのおばさんに、連絡は入れたから」
「いつの間に!」
ふふふ、一瞬の隙を突いたのさ。
「机の下でケータイ弄ってメール」
「………………」
「ん?」
ジト目でも可愛く見えるんやから、カイリって人生得しとるよなぁ。羨ましいわー。
っと、そうそう。
「返信は『明日学校だし、早めに帰らせておいてね』でしたとさ。ちゃんちゃん」
「お邪魔しました。また明日ねー」
それだけ言うと、カイリは風というか矢というか、そのくらいのスピードで帰っていった。
「最期通牒かいな」
これはもう、やみよの力を借りて……。
「……おやすみ」
「………………」
最期通牒ゆーか、死刑宣告、みたいな?
今日は徹夜やな、うん。
・柴村琢人の場合
――20:12――
「どう?」
「……美味しいって思ってしまうのが悔しい」
モロヘイヤと生クリームとらっきょうだぜ?
発想自体ありえねーっつうの。
「どんどん食べなさいね」
「おーう……」
美味しいんだけど、何か、嫌だ。
・前園孝介の場合
――21:57――
「げっ、雑巾忘れてた……!」
卵を買ってきたはいいんだけど、そうだよ、雑巾が無いんだった。
だいたい雑巾ってインパクトが無いんだよインパクトが。雑巾にそんなもの求めるだけ無駄かもしれないけど。それもこれもモロヘイヤのせいだ。畜生め。
本当、モロヘイヤと生クリームとらっきょうとかいうわけのわからん三拍子なんて、世界中探しても、この家にしかないね。
これだけは、自信を持って言える。
さて、どうもお久しぶりです。
では、今から次話書いてきます。
言い訳:総体に向けての練習と本番。テストor模試×3。
でも、五月中は余裕あったはずだったんですけどね…。