第44話:終わらないふたつの物語
気付けば、見覚えの無い天井がそこにはあった。
「……どこだ? …ここ……」
とりあえず半身を起こして辺りを窺ってみる。
床、壁、天井は全て白で統一され、ベッドやロッカーといった調度も白。窓から見えるこの建物の外装も、夕日に照らされてはいるが、おそらく白色だ。
背後には何やら機械というか機材というか、そんな感じの諸々が鎮座している。
そんないかにも不自然で非日常な状況下にあるにもかかわらず、不思議と安心感のある空間。
そうだ、確かここは―――
「……病室だよ」
ぼうっとした意識がやっと正常に働きだしたようで、僕の思考は何の変哲もない解答に辿り着いた。
それに伴って、僕がここにいる理由も思い出す。
葉桜にはびこる不良集団の頭・片桐。破れた策。タクの救援。薄れゆく意識。
ナオの涙。
「はぁ……」
思い出せば思い出すほど、そしてギプスで固定された右脚を見るほど、自分がみじめで情けなく思えてくる。
意識的か無意識か。よく分からないが、僕は布団を強く握り締めた。
「ふみゅ〜……」
「……………………」
最近の医療用布団にはお喋り機能が標準装備なのだろうか。これで患者を和ませるつもりか。ああ和んだよ、和んだともさ。
……そんなわけないよな。
一旦落ち着いて、声(?)の出どころを探す。
だいたいベッド横の方から聞こえたような気がした。でも、あるのは開かれたパイプ椅子ひとつだ――って、パイプ椅子?
もしかして。
「んん〜……、…みゅ〜…」
「……やっぱり」
そのパイプ椅子の横あたりの床、僕が少し無理な体勢にならないと見えない所で、ナオが寝息をたてていた。
多分椅子に腰掛けたまま眠っていて、そのまま転げ落ちたんだろう。普通なら落ちた時点で気付くものだけど、それでも眠り続けるのはナオだからこそ為せる業だ。
とにかく起こさなきゃな。眠っているとはいえ、床だし。
「おーい……、ナオさーん? ナオさーん!」
「んんー…? ……うん? ……………ひゃっ!! なんれあたひゆふぁれれてるの!?」
「言えてないけど」
脳内変換『なんであたし床で寝てるの!?』
「って、こーちゃん!? いつ起きたの!?」
「できればその台詞を先に言ってほしかったな……。さっきだよ、さっき」
気持ちはわかるけど。
「ああ…ほんと、よかった……。こーちゃんが生きてて……」
「そんな簡単に死ぬわけ……」
僕はいつもの調子でツッコミを入れようとしたのだが、ナオが布団に顔を押し当てているのを見て、急にその気をなくした。
きっと、泣いてるんだろうな……。
僕は声をかけるにかけられず、何時間にも感じられる数分間、ただナオを見つめることしかできなかった。
「……ってゆーのはウソだけど!」
「なっ!? んだと!!」
「あはははー!! 騙されてやんのっ! こーちゃん人を騙すのは得意なのにねー!」
「う、うるせ!!」
――気付いていないわけではない。
これがナオの強がりだってこと。
見逃すわけがない。
目の周りの腫れ。布団を濡らした涙。
「……そういや、タクとか海梨ちゃんはどこだか知ってる? いたよね?」
沈黙の再来防止が半分、単純に気になったのが半分で僕はナオに訊いた。
「あっ、タクくんと海っちなら、警察の人が来て事情を聞くとかどうとか……。だ、大丈夫だよねっ!?」
「うーん……、大丈夫じゃないかもしんない」
「ええぇ!?」
「ウソだよ。絶対に無事だ。断言する」
「そう……?」
あまりにはっきり言い過ぎて、逆に信用してないみたいだ。
僕自身、あまり確信はないんだけどね。もしかしたら。
そこで僕はナオに顔を近付け、耳元で「静かに歩いて行ってドアを開けてみ?」と囁いた。
その時に、なんかこう……女の子っぽい匂いがしたのには……正直、ドキドキした。男なんてそんなもんだと心から自分に言い訳したい。させてくれ。
なんてバカな事を考えている間にもナオはそーっとドアに近付き、思いっきり開けた。
「うわっ!!」
「ひゃわっ!!」
「痛ーっ!!」
なんか盛大に転げた。
「よ、よう…孝介。元気そうだな」
「き、奇遇やな孝くん」
「えっと……、ごめんなさい!」
勿論のこと、タク、ひのでちゃん、海梨ちゃんと……、
「なんで先生がいるんですか!?」
我らが担任・野々之村野乃先生が、生徒三人の上に倒れこんでいた。早く退いてあげて下さいよ。重そうじゃないですか。
「なんでとは酷い言われようね。当たり前でしょう。生徒が問題を起こしたって警察に呼び出されたのよ」
「……そうだタク! そのことはどうなった!?」
身を乗り出してタクに訊いた僕に、野乃先生は嘆息し「問題ないわ」と答えた。
「話を聞くかぎり、こっちに非があるわけじゃないって分かったから、さっさと片を付けて帰ってきたの」
「……いいんですか?」
「警察なんて組織は完全な上下社会よ。上層部さえ黙らせれば、あとはどうとでも……」
「生徒にそんなこと教えないで下さい!!」
アンタ本当に教師か? まず情報操作してる時点でおかしいだろ。
変に首を突っ込むと自分の身が危ないと判断し、タクな「いつからいたんだ?」と、お決まりの疑問をぶつけてみた。
「最初から」
お決まりの返答だった。
「せっかく気を利かせてやったのによ。感謝してほしいもんだぜ」
小声で付け足された。
「あー、うん。昼間助けてくれてありがとう。本当死にかけた」
「そっちのことは気にすんな。たいしたことじゃねぇ。そうじゃなくて、今の話だ」
まんざらでもない表情を浮かべたタクだったが、すぐに話を戻した。
「別に」
それに対する僕の反応は、まぁなんというか、そっけなく無愛想なものだっただろう。
ナオと二人きりという状況はそりゃ素直に嬉しい。昼間の続きを言いたかったから。
――でも、今の僕にそんな資格なんてない。
あれだけ格好つけておいて、結局ナオを護ることができなかった。
そんな僕に、今更何を言えというんだ。
「それじゃあ私は帰るわ。前園君、お大事に」
唐突に野乃先生が立ち上がった。あっさりしすぎな気もするが、この先生に限ってはそんなものだ。
「あなた達も程々にしなさいよ。あんまり前園君の体に負担をかけないように」
前言撤回。やっぱ先生は大人だ。
「それもそうだな……。じゃあ俺も」
「私も……」
「ウチも帰ろかな」
「あっ、あたしも帰るね」
あっさり……しすぎじゃ……。
「「「お大事に〜」」」
バタン。
「………………………」
そして誰もいなくなった。
「展開、速すぎじゃね?」
心なしか、独り言がいつもより大きく聞こえた。
「まったく……。………………ん?」
一人きりという現実から逃避するために目を閉じ、ベッドに体重を預ける。
悔しいが体の節々がまだ痛むのは事実だし、身体中がガーゼやら包帯だらけなのが見ずともわかる。
だから野乃先生の気遣いは半分ほどは嬉しかったり――などと考えていた矢先、手にくしゃっ、とした感触があった。
明らかに布団とは違った手触りに驚き、手に取り確認すると、それは可愛らしく水玉模様なんかがあしらわれたメモ帳一枚――とどのつまりは、手紙だった。
差出人は、ナオ。
宛先は書いていないが、まず僕で間違いないだろう。
そう思い、若干躊躇しつつも開いて読んでみた。
「………………………………………………………」
一回、二回なんてものじゃない。
何度も何度も読み返し、そしてまた嘆息して、仰向けに倒れこんだ。
視線の先には、相も変わらず不自然なほどに白い天井がある。
しかしそれは、次第に揺らぎ、滲み、霞んでゆく。
――ふと。
何気なく、ドアを見やる。
少し開いている隙間。
セミロングの髪が、揺れた。
そんな気がした。