第43話:何度倒れたっていい。立ち上がれるのなら
「ふ、ふふ……」
「……?」
「ふふふ……ハハハハハハハハハハハハハッ!!」
「――――!!」
突如。
何の前触れもなく、何の前振りもなく、片桐は哄笑した。
全てを見下し圧倒的な優越感に浸っているような目には、ギラついた光が宿り、紅く妖しく煌めく。
その姿は――狂気と化していた。
「テメェいい度胸持ってんじゃねぇか。ハハッ! カタギのくせに並の奴よりよっぽどマシだ!」
「何を……」
「さすがは烈風の仲間、といったところか? だが、この俺をあんまり見くびるなよ?」
まるで怯えてすらいない――まさか、策がバレた!? そんな馬鹿な!!
「咄嗟に策を思い付く頭は褒めてやる。だが、俺らに“警察”なんていう常識が通用すると思うな」
「……どういうことだ?」
そう訊いた瞬間、後悔した。まずい。流れが向こうに回ってる。
僕の心境を見透かしたように片桐はニヤリと笑い、答えた。
「渡瀬組――日本で最も力を持ち、最大級の組織力と影響力を誇る暴力団。その葉桜支部が俺らの後押しについた。別に過信や慢心なんかじゃねぇ。――渡瀬組の力は国をも動かす」
「何を……っ」
……有り得ない、違う。考えろ。
そんなご都合主義な最強設定がこの世に存在するはずはない。
もし存在するなら、この国の法治国家は既に崩れ去っているはずだ。
はず、なのに――何なんだ、この余裕は。
「さて、話は変わるが……俺はこう見えてかなり我慢がきくほうなんだ」
さっき簡単にキレてた気がする。
「ただ、こいつらはさっきから我慢の限界らしくてな。丁度良い。その身をもって理解してもらおうか。テメェを殴る理由も、できたことだしな」
そう言うと、それまで下っぱを制していた腕を下ろし、ただ一言。
「やれ」
「…………っつ!!」
「ヒャハハハ!! こいつおもしれー! サンドバックじゃねぇ……かっ!!」
ドゴッ!!
「ぐぅ……」
「こーちゃん!!」
「駄目だ! 来ちゃ……」
腹に疼く鈍痛に耐えながら、駆け寄ろうとするナオを制した。
腹だけではない。頭はくらくらしていて、背中は倒れる度に悲鳴をあげる。全身のうちで痛まない部分を探すことは不可能に等しい。
もう、策なんて考えている余裕は、ない。
「おーおー、こりゃスゲェ。まだ耐えるか? 白馬の王子様は大変だな〜。ハハハッ!!」
片桐は完全に余裕綽々な態度で、自分が手を下すまでもないとドラム缶の上で足を組んでいる。
このまま一方的にやられ続けるだけじゃ終われない。終わってたまるか!
「……うらぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
「ん? ……よっ、と。ほら!!」
ガンッ!!
「つぅ……」
「遅い遅い。遅すぎるんだよ動きが。お前、男のくせに喧嘩したことねーだろ? 今流行りの草食系男子ってやつかァ?」
「……………………」
何も言い返せない。言われたことが事実である、というのも理由だが、それよりも口を動かす気力すら起こらないと表現した方が適当だ。
言葉だけが武器の僕にとって、状況は絶望的。
――でも、それでもまだ。
「っ……、はぁ……はぁ…………」
「なんだ? まだ立ち上がれんのかよ」
僕は倒れない。
再び立ち上がる。
一年半前のあの時に誓った、揺るがない決意を胸に。
ナオを絶対に護る、と。
これ以上泣かせない、と。
ずっと、笑顔のままでいてほしい。
僕の大好きな、あの……。
「あ〜、なんか飽きてきたな。お前――そろそろ死ねよ」
唐突に呟かれた言葉。
今では冗談にさえ使われるほどのフレーズ。
しかし、この時僕は、たったこれだけの言葉に心底、恐怖した。
ゴッ!! と鈍い音が聞こえる。鋭い痛み。同時に、僕の両足は地を離れ……、
「あ……あぁ………」
ふわりとした感覚。痛みや苦しみからの解放。全てがスローモーションに見える。ゆっくり、ゆっくりと落ちてゆく。
目を開いた一瞬、建物の間に、青い空が見えた。
そして、ガラクタが崩れ落ちる派手な音と共に、僕の痛覚は何倍にもなって再び目を覚ました。
もう、動けない。そもそも動こうとすら思えない。思うことすらままならない。
「こー……ちゃ……」
「ちっ、もう終わったか。まぁ、見た目にしちゃあ粘ったほうだな」
終わった。
結局僕は僕だった。
大切な人を、ナオを護ることなんてできない。
格好つけるのは、元々格好いい奴がするから格好いい。格好悪い奴が格好つけても――滑稽なだけ。
なんだか――どうでもよくなってきたな。
「……はっ、………ははは…………はは……」
「おっ? まだいけるのか? なかなかしぶといじゃねぇか」
「もうやめて!!」
……なんだ? なんでナオは止めるんだ? 僕はこれ以上傷ついたって何も変わらないのに……。
「おっと、お姫さまのご登場、ってか?」
「まーまー、君の相手は後からするから。今はどいてようか」
「お願いします!! あたし、何でも……何でもしますから!! だから、こーちゃんだけは……」
…………………………。
「おい、何でもするってよ!」
「そうだな、前できなかったことをしようぜ? どうします? 片桐さん」
「……勝手にしろ」
「あ、あの……、本当にこーちゃんは……」
「あぁ? 心配しなくてもこれ以上しねぇっつうの。それより早くこっちに来い」
「は、はい……」
…………ははは。本当、バカみたい。
護れなかったどころじゃない。ナオに護られるなんて。
どれだけ格好悪いところを見せたら気が済むんだ、僕は。
「ナ……オ……。離…れ……ろ…」
全く、なんてザマだ。
身体が動かない? 馬鹿言え。動かすんだよ。
立ち上がれない? 甘えるな。立ち上がるんだよ。
いつまでここで寝てるつもりだ?
そろそろ起き上がれよ。
護るんだろ?
「!? テメェ、どうやって立ってやがんだ…! おかしいだろ…!」
おかしい? 確かに脚は痛いけど…………、あぁ、なぁんだ――折れてるや。
「もうやめてよ……、こーちゃん……っ」
あー……、ふらふらする。まっすぐ立てない。
今の僕の姿はきっと、とてつもなく無様なんだろうな。
それでいいけど。悪くない。高望みなんてしないから。これが僕なんだ。
でも――さ、
「離れろって、言ってんだろ……!!」
こんな、どこまでも格好悪い僕だけど。
何も護れない、頼りない僕だけど。
無様でいい。
滑稽でいい。
それでも僕は、精一杯。
精一杯格好つけて――――言った。
「おまえは“俺”が護ってやるから。だから、ずっと……笑っててくれないか?」
「“護る”ねぇ……。大層な口利きじゃねぇか、前園孝介!」
「何の、ことでしょうか? 僕は……あなたなんかには、負けない」
「はっ、物分かりの悪い奴だ。これだから馬鹿は……っつ!!」
ヒュン、と。
空気を切り裂いて飛来した“それ”は、片桐の後頭部に直撃した。
「ちっ、さすがに刺さらないな」
「……カッターが刺さるわけないだろ、バカ」
「うるせぇ。つーか、おまえの方がよっぽどバカだぜ? ……孝介」
「悔しいけど、同意見だよ。……タク」
柴村琢人。親友。代名詞のカッター。
殺人鬼の、息子。
「テメェは、あの時の……!!」
「んだよ、うっせぇな。お前は俺の親友を傷つけた」
――許さねぇ。タクは低く呟く。地の底から響くような、ドスのきいた声だった。
さすがの不良たちも怯み、たじろぐ。
その一瞬で、不良の一人の腕から紅い液体がほとばしった。
驚愕の表情を浮かべた不良を捨て置き、目にも留まらぬスピードで身を翻して、また次の獲物を狙う。
一人、二人と蹲ってゆき、その度に地面に真紅の花が咲く。
「あっ……」
安心からか、突然足の力が、ふっと抜けた。
地面がどんどん近づいてくる。今度こそは限界だ。
ついさっきまでの光景が、走馬灯のように駆け巡る。
“結局、僕は何をしたかったんだろう?”
意識を手放す直前、そんな考えが頭をよぎった。