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失ってから気づくもの

 俺の家は高層ビルの最上階にある。

 玄関前に立つと、扉を無言で開けた。


 いわゆる一般的なタワマンとはちがい、元は高級ホテルだった建物を改装して作ったマンションで、扉ひとつ取っても無駄に凝った作りになっている。

 ただのビルではなく、元高級ホテルというちょっと気取った経歴がいかにも親父が好みそうで、建物に罪はないとわかっていても好きにはなれなかった。


 マンション内に住民専用のコンビニがあったり、ジムがあったり、他にも色々と施設がそろっているいかにも金持ちのためのビルだ。

 妹がいうには、なんでも近くにあるから便利だし、住民しかいないおかげで夜も危なくないところがいいらしい。

 まあそういう見方もあるんだろう。


 玄関に上がった俺は、並んだ靴を見て思わず舌打ちが出そうになった。

 珍しく親父がこんな時間に帰ってきているらしい。


 なにかの社長をやっているらしい親父はいつも夜遅くに帰ってくるし、そもそも帰ってこない日だって多い。

 夕飯前から家に帰ってるなんて何日ぶりなんだろうか。


 だが、勘違いしてはいけない。

 親父の性格を一言で表すなら、徹底した合理主義者だ。

 一家団欒のために早めに帰ってくる、なんてことは絶対にしない。


 そもそも食事の時間すらもったいないといって栄養サプリや完全食しか口にしない男だからな。

 この時間に家にいるということは、この時間に家で済ませるべき用事があるということだ。


 玄関の音を聞いたのか、リビングから声がした。


コウ、話がある。こっちにこい」


 機械のように用件だけを伝える冷たい声。

 いつかヒューマノイドが実用化されたらこんな感じになるのかもしれない。


 無視して部屋に行ってもよかったが、そうすれば俺の部屋にやってくるだけだろう。

 用事は面倒なものから先に終わらせた方がいい。


 リビングに入ると、家の中でも高そうなスーツをビシッと着こなした男がノートパソコンを操作しながら座っていた。

 こいつには家で休むという考えがないんだろう。


 他人に厳しいが自分にはもっと厳しい。

 ひょっとしたら眠る一秒前まで仕事をしているのかもしれない。

 そのストイックなところだけは尊敬してやってもいいだろう。

 父としても人間としても嫌いだけどな。


「用ってなんだよ」


 正面に立って端的にたずねる。

 座らないのは、お前とは長話をする気はないという意思表示だ。

 親父もまたキーボードを叩く手は止めず、視線だけを俺に向けた。


「長澤家の長女と付き合ってるそうだな」


「なじみと付き合ってるわけじゃないが……どっちにしろ関係ないだろ」


「ならもう二度と付き合うな」


「……は?」


「あの家は考え方が古い。そんな家の娘と付き合えばお前まで古びた考えになる。お前は崎守家の長男だ。私の跡を継げとはいわないが、相応の人物になってもらわなければならない」


 ふざけるな。

 誰がお前なんかの指図に従うか。


 そう言うのは簡単だったし、実際にそう思った。

 だけどなぜかその言葉を口にすることはできなかった。

 代わりにあふれてくるのはなじみとの思い出だった。


 初めて会ったのはいつだったのだろうか。

 一目見た瞬間から俺たちは友達になり、それからはずっと一緒だった。

 お互いに厳しい家が嫌いで、親から得られなかった愛情を俺たちで与え合うかのようによく遊んでいた。


 その頃からなじみは明るい女の子だった。

 よく笑い、よく怒り、よく泣いていた。

 明るくて、元気で、みんなから好かれていて、ちょっとイタズラ好きで、甘い物はもっと大好きで、勉強が嫌いで、なんでもすぐに忘れるのが得意で、負けず嫌いだけどすぐ泣いて、それでも思い浮かぶのはやっぱり笑顔ばかりだった。


 パンケーキが楽しみだと笑顔で言うなじみが。

 とっても美味しかったとうれしそうななじみが。

 また明日ねと少し寂しそうに笑うなじみが。

 頭の中に浮かんでは消えていく。


 そうか、俺はこんなにもなじみが好きだったのか。


 失ってから気がつくなんてよくある話が、まさか俺の身に降りかかるなんて。

 わかってしまえば俺の決断は早かった。



「俺はなじみと結婚する」



 親父の手が止まった。

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