第7話『竜と踊る』
迷っている時間はなかった。投げられた剣が形を変えた事より、死にたくないと思った。
シュウジは巨大な剣を持ち上げ、振り上げられた拳を切り上げる。
オークの拳から出た風圧により圧倒されそうになるが、足に力を込めて踏ん張りを利かせる。
「――――■■■■■■■■■ッ!」
咆哮と共に地面を蹴って剣で斬り飛ばす。
オークの体は打撃を与えていた時とは違い、その重い巨体を揺らしながら森の方へと弾き飛ばされていく。
「よく持ちこたえたわ」
透き通った、それでいて凛とした声がシュウジの耳に届く。
一瞬、何が起きたかわからなかった。
炎のような赤い髪が自分とオークの前に立ちふさがる。
誰が、この状況で目の前に立ちふさがったのか。
――女?
颯爽と長い髪を風になびかせて、自分が持つよりもさらに巨大な二又の大剣を片腕で軽々と持ち上げながら、オークへと突きつけている。
振り返った少女の笑顔を見てシュウジはゾッとした。相手が化け物だと言うのに、少女は物おじしないかのように笑顔を浮かべていたのだ。
――正気じゃない。
自分は化け物のような力を持っていたからこそ、化け物であるオークの前へと躍り出ることができた。だが、少女はどうだ。
その手にある巨大な剣だけで化け物に挑もうというのか。
「その分だとまだ竜騎士になりたてでしょう? ここは私に任せなさい」
何を言われたのか一瞬何のことなのか、シュウジは理解できなかった。
――このままではダメだ。
自らの剣をもう一度握り締めて、シュウジは少女の前に出ようと体を進めようとした瞬間、少女の手によって抑えられてしまった。
「――――っ?」
口から吐息が漏れる。あんな化け物に本当に挑もうと言うのだろうか。
「大丈夫。私がやるわ」
そう言うと少女は巨大な剣を地面に突き刺し、その右手で空に十字架を切った。
大地が揺れ、少女の頭上の空間が文字通り割れた。
「――――ッ」
思わず息をのんだ。まるで天使の輪のように少女の頭上を七つの花弁が回転している。
――綺麗だ。
光る花弁の天使の輪に巨大な剣と少女。何てアンバランスな組み合わせなのだろう。しかし、それでいてとても綺麗に見える。
ゆっくりと少女から離れる。何が起こるのかわからない。
「変身」
少女の口から静かに放たれた言葉に、シュウジは耳を疑った。それは自分が持っているのと同じ、竜騎士の力ではないのだろうか。
少女の体を蒼銀の鎧が包み込む。同じように竜を象った頭に、流線形の胴体、白衣のマントが風に揺れる。
綺麗な炎のような髪とは違い、氷のような静かさを放つ鎧は少女のイメージとは程遠いまるで鍛え抜かれた戦士のようだ。
ただ一つ、自分と違う点は少女の後ろに巨大な氷の竜が現れたことだ。
見たこともないようなその巨大な姿にただ呆然とその光景を見ることしかできなかった。少女につき従うように蒼き竜は鎌首をもたげる。
「――□□□□□□□□□□□□□□□□□□っ!」
咆哮。大気も地面も揺らすその声に後ろに控えていた兵士たちが喝さいを送っているのが聞こえる。
その光景を見ても少女は動じることなく地面に突き刺していた剣を抜いた。その瞬間に、二又の剣は二対の剣に変わる。しかし、その大きさは元の大剣よりも一回りも大きい。
竜が現れたと言うのにオークも何事もなかったかのように立ち上がると、今度は少女の方へとその巨体からはおよそ似つかわしくないスピードで走り始める。
「頭は相当イかれてるわね」
少女が嗤ったように見えた。
オークの拳をまるで竜とダンスでもするかのようにかわす。ひらひらと花が舞い散るように、可憐に踊りながら正確な斬撃で足を手を、切りつけていく。
時に空を飛び、オークの股の間を抜けて、背中を切りつける。
――美しい……。
戦いがここまで美しいものだと、知らなかったようにシュウジはただ目の前の光景を見つめ続けることしかできなかった。
避けては近づき、近づいては離れ、死角に入り込んでは斬りつける。
竜も少女の動きに合わせるように少女の反対に回りながら、時に爪で、時に尻尾でオークを打ちのめす。まさに完璧なコンビネーションだ。
見惚れる。全てはただその一言に尽きた。
戦っている最中に、こんな事ができるほど少女には余裕があるのだ。
数分も経たないうちに、オークの体はボロボロだった。自分があれだけ殴ってもビクともしなかった相手が、たった一人の少女と竜にこのありさまだ。
胸の奥から湧いて出てくるものは悔しさ。
なんと情けないことだろう。
このまま何もできないまま、少女に負けたくはなかった。
剣を握ったその手に、地面を踏み締める鍵爪の足に、一瞬で相手を切り裂けるように力を入れる。
刃を上にするように剣を両手で構える。
一瞬の隙をつけるよう、ただ自分が突撃した際に少女と竜を傷つけないように気をつけながら。
「――■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」
咆哮。瞬間的に地面を蹴ってオークとの距離を詰める。
一瞬。一瞬のはずだった。周りの景色がスローモーションに見える。ゆっくり、ゆっくりとオークとの距離を縮めながら、吸い込まれるようにオークとの距離はゼロになった。
続いてきた衝撃は、剣ごとその大きな腹へと突き刺さった時だと分かった時には頭と体が同時に動く。
――今だ。
オークの腹から、一気に剣を打ち上げる。
「グオォォォォォォォォォォォォォォォ……」
頭目をリィゼが殺したときのような断末魔があたりに響き渡り、血の雨が降り注いだ。
あたりにオークの内臓が飛び散り、深紅の鎧は血に染まっていく。
オークの巨体から降り続ける血の雨が止む頃には地面に膝をついてただ呆然と森の方を見ていた。
「兄様……?」
リィゼが心配そうに寄ってくる。とっくに変身は解除され、剣も巨大化していた形跡が見られえないほど、細身に戻っていた。
これが、現実なのか幻想なのかわからず、やはりシュウジはただ呆然としているほかなかった。
「ちょっと?」
凛とした声が前から聞こえる。先ほどの少女だろうか、どこか怒りを孕んだ声もどこか別の世界のことのように思えて仕方がない。
倒した実感よりもどこか自分があのオークに恐怖している感じがまだ抜けていない。
「聞いてるの?」
先ほどよりも確実に怒りを内包している。
「聞いてるよ……」
座ったままの状態で少女に顔を合わせることもせずに、森を見ている。手の震えは止まらない。足もおぼつかない。
ただただ、返事をすることだけしかできなかった。
「そう……」
再び少女の声が聞こえた瞬間、あたりに乾いた音が響き渡った。




