第2話『魔法の言葉』
こんなものは今までになかった。いや、なかったはずだ。少なくとも自分が一度死ぬまではこんな紋様など見たことなかった。
――こんな中二病みたいなの恥ずかしすぎる。
高校生にもなって手にドラゴンの模様など恥ずかしい。そう思い自分の左手の手の甲を右手で隠しながらリィゼへと向き直る。
とりあえず、この状況だけでも何とかしたい。
「リィゼちゃんだっけ……。とりあえず立ってくれる?」
「はい、竜騎士様」
さすがに自分より幼い少女を傅かせている図は恥ずかしいので、リィゼに立ってもらうように促すと晴れ晴れしい笑顔をこちらに向けて立ち上がってくれた。
「とりあえず、状況だけ教えてもらっていい?」
自分に何ができるかは別にしてとはリィゼの輝く笑顔の前では言うことができなかった。おそらく自分には何もできないだろうが、話しを聞いて手伝うくらいならできるかもしれない。
「はい。ここでは何ですので、私の家に来てください」
前を歩くリィゼに次いでシュウジも歩く。ものの数分で目的地に着いたのだろうリィゼが立ち止まり、他の小屋よりも少しだけ立派な小屋の扉に手をかけると一気に開け放った。
「おじいちゃん!紅き竜騎士様をお連れしました! これでもう安心です!」
「何を世迷いごと……を……」
家でくつろいでいたであろう老人がこちらを向き言葉を詰まらせて目を見開く。やばい。完全に誤解されている。
「ちょっと、まってリィゼちゃん! 俺はまだ騎士だと決まったわけじゃない」
大人に誤解されると話しがややこしくなりそうで、リィゼの説明より先に老人に話しかけることにした。
「そこでは目立ちますゆえこちらへお入りください」
こちらの状況を察したのか、老人は先ほどとは打って変わって笑顔を浮かべながら中に入るように促してくれた。
「すみません。ありがとうございます」
「絶対! ぜえええったい! 紅き竜騎士様ですよ」
頬を膨らませながら抗議するリィゼに老人は呆れたような表情をしてから、シュウジのほうへと向き直る。
「お話しを聞かせていただいてもよろしいですかな?」
背負っていたリュックを下ろしてダイニングテーブルと思しき場所に老人の向かいに座る。リィゼは老人、おそらくリィゼの祖父なのであろう村長に言われいそいそと奥の部屋に帰っていった。今は村長と二人きりの状態だ。
「突然のことで自分も困惑してまして」
「でしょうな」
立派な白いひげを自らの手で撫でながらまるでわかっていたとでもいいたげな表情でこちらの様子を伺っている。
「手の甲を見せていただいても?」
「ええ」
村長の言葉に了承して、左手の甲を見せる。何よりも先に現状を確認したかった。
「おぉ……これはまさしく紅き竜騎士様の紋様」
「ですが、自分には……」
「わかっております。よほど困惑されたことでしょう」
「自分には戦う力というものはありません。せめて何かお手伝いできればとは思いますが」
高校受験のときに覚えた敬語を思い出しながら村長へと言葉を返す。正直、敬語にはあまり自信がなかった。
「大丈夫です。あの子のことなら気にしないでください。幼いころから古い伝承を御伽噺のように読み聞かせていたので夢見がちになってしまいましてな」
思い出しながら穏やかな表情をする村長にシュウジからも笑顔がこぼれる。まるで、この後山賊がやってくるとは夢にも思っていない顔にも見える。だが、村長は目を細めるとポツリと言葉をつなぎ始めた。
「明日の夜更けには山賊共がこの村を訪れます。それまでにはこの村を離れてください」
「何故……ですか?」
村長の提案にシュウジは目を丸くした。てっきりリィゼと同じように助けてくれといわれるのでないかと思っていた。助けてくれといわれても困ってしまうが。
「先ほどお話しした伝承はこの国の民なら皆が幼いころより知っております。山賊共がそれを知り、あなたを打ち負かしたとなればそれを御旗に山賊共が一団を築き、色々な村が襲われるでしょう」
そこで一旦区切って村長は話を続ける。その声は真剣そのものだ。
「これ以上やつらの好きにさせてはならんのです」
この人は大事のために小事を切り捨てられる人なのだろう。それが自らの村と自分の命と村人全員の命を引き換えにしてもとシュウジは思う。馬鹿げた話かもしれないが、この人は本気で国の未来を憂いているのだろう。
自己犠牲なんて流行らないと言ってしまえばそれまでかもしれない。だが、その自己犠牲で死ぬ人のことを考えるとシュウジの心はどこかなにかが抜け落ちてしまいそうな虚無感に襲われる。
「あと、これを持って行ってくだされ」
そういいながら村長は席を立ち上がり神棚のように高いところに飾られていた細長い木箱を机の上に置く。
「これは?」
「剣ですよ。聞いてのとおり物騒ですからな」
何故そこまでするのだろう。
おそらく差し出されている剣も相当大切なものだろうということがわかる。それを無償で渡そうというのだ。見ず知らずの人間に。お人よしもいい所だろう。
「…………」
おそらく自分が山賊の元へ行ったところで何もできず死ぬのが落ちだろう。それくらい理解できる頭はシュウジにもあった。だが、本当にこのままでいいのだろうか。
――いい訳……ねぇよな。
このままではいい訳がない。だからと言って何の策もないまま山賊の前に立ちふさがるのは無謀でしかない。
わかってはいる。頭ではわかっている。それでも、この現状を何とかしたいと思う。
思考の海にもぐって考える。何かいいアイデアはないものかと。あいにくと平和な世界で生きてきたシュウジの頭に山賊の退治方法など浮かんでくるはずもない。
「こちらを」
木箱から出された剣は鞘から柄まですべて赤一色で統一され、金の飾りが施された細身の直剣だ。おそらく相当に値が張るであろうことは素人のシュウジの目からも見て取れるほどだ。
「さあ、早く行きなさい」
その村長の言葉が終わるのとほぼ同時に家のドアが蹴破られ十数人の無精ひげを生やした男たちが部屋に入ってきた。驚く間もなく、二人とも包囲され剣を向けられ、身動きが取れなくなってしまった。
「村長さん……やっぱり予定を繰り上げさせてもらったよ。見せしめも必要だしな」
包囲したのを確認してからゆっくりとドアから入ってきた男が下品な笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。おそらく今までも好き勝手やってきたのだろう、他の男たちに比べ腹回りが異常に大きくなっていることから山賊の頭目は目の前の男だということは容易に想像がつく。
「見せしめじゃと……」
村長が射殺さんばかりの表情で山賊の頭目らしき男を睨み付ける。誰をとは聞けなかった。おそらくこの場にいる村長、自分、リィゼ、すべて殺されるのだろう。
「ああ、そうだな……貼り付けなんて面白いかもしれないな」
品のないうすら笑いを浮かべながら山賊の頭目は立派に蓄えたひげを撫で下ろす。
「そう言えば、孫娘もいたんだっけか……えらく可愛かったよな」
「俺にも味見させてくださいよ」
家の中にいやしい笑い声を響かせた頭目に続いて、部下の男たちも同じような笑いを浮かべていた。
このままだとリィゼは辱めを受けるのかもしれない。そうしたら明日には村の全ての女たちはこいつらの慰み者だろう。男たちは皆殺し。よくあるストーリーだが、人としてそんなこと許せるはずがない。そう思うと胸の内からひしひしと怒りの感情が沸いて来る。
「騎士様……こうなっては仕方ありません。勝手なお願いながらリィゼを頼みます」
言うのが早いか村長はすばやい動きでシュウジに向けて体当たりで突っ込んでくる。村長からの体当たりでシュウジはリィゼの部屋の前のほうまで飛ばされてしまう。
「クソジジイがッ!」
次の瞬間。耳障りな音が一面に響いた。
――えっ?
次いで何か重たいものが床に転がり落ちる音。
それが村長の首だと気がついたのは、一瞬たった後だった。
シュウジが村長の方に目を向けた時には村長の頭と体は完全に分離し、村長の胴体と頭からはドクドクドクと血がまるでペットボトルからこぼしたジュースのように床を汚していく。
「…………」
投げ出されたその先で、尻もちをついて動けなくなってしまった。
――死。
明確な『死』だ。今日の自分と同じように、村長は死んでしまった。言葉にすれば単純なものかもしれないが、その姿は恐怖を与えるには十分だった。
「いやあぁぁぁぁぁぁああああ!」
リィゼの絶叫にも似た悲鳴が耳に聞こえる。村長の首を切り落とした奴以外がこちらに向かって走ってくるのがみえる。
――恐怖。
それが体を支配する。怖い、死にたくない。
――どうして、こうなった。この状況からどうすればいい?
誰も答えをくれない。今、この状況を打破できるのは自分しかいないということだけはわかる。
――だが、何をすれば状況が打破できる?
考えもまとまらない頭で、迫ってくる山賊をただ見ている事しかできない。
――あいつらを殺す?
――それとも逃げる?
『そうだな。この状況ではその二択しかないだろう』
祠で聞いた謎の声が耳に届いた瞬間。あたりの景色は自分を残して全てモノクロに変わる。自分以外何も、誰も動かなくなってしまった。
『どうする? このまま殺されるか?』
謎の声が続ける。祠で聞いた声だという以外、何も分からない。
――嫌だ。死にたくない。
もう、電車で轢かれた時のような後悔はしたくない。死にたくない。
『じゃあ、どうする?』
――生きるために、逃げたい。
『そうだな。逃げれればな』
深いため息をつくような反応。
『考えても見ろ、この状況で逃げられると思うか?』
――でも、どうすれば……。
『答えならさっき自分で見つけ出してたじゃないか?』
――殺すしか……ない。
極限の状況で人の命を奪う選択をする。死にたくないのだ。殺さなければ殺されるのだ。
人の命を奪うくらいなら死を選ぶのは確かに高潔なことかもしれない。それでも、シュウジは死にたくなかった。一度死んだ後悔が、死ぬことをさらに躊躇させ、暴走する電車のように思考を暴走させる。
想像する自分の死は一度死んだだけあって、よりリアルに頭の中を覆っていく。
『上出来だ。やはり俺が見込んだだけはある』
――どうすればいい?
『立ち上がって叫べ。言葉はわかっているだろう?』
――そうだな。
自分以外の者に変わる言葉。それは幼いころから見てきたテレビの中のヒーローたちが叫んでいた。
『上出来だ。まあ、お前が死んだら俺も困るからな』
――そうなのか?
『ああ、俺はお前の体に同居させてもらってるからな』
――何を勝手な。
『その代わり生き返らせてやっただろ?』
とんでもないドヤ顔で言ってそうでいっそう腹が立つが、今はそれどころではない。生き残るためには殺すしかない。
『後三十秒でこの空間もお終いだ。準備しておけ』
――わかったよ。
シュウジが言葉を言い終わると同時に景色は色を取り戻す。
瞬間、止まっていた景色は動きだし、山賊がこちらに向かって走ってくるのが見える。
震える足に力を込めて、シュウジは立ち上がる。
そして、手の甲を山賊側に向けて咆えるように叫ぶ。
「――変――身――!」
それは自分以外の者になる魔法の言葉だった。