第8話『炎の少女と氷の竜』
頬を叩かれたと気がついたのは、叩かれてから数秒後だった。
「……えっ?」
何故叩かれたのか、わからなかった。自分の頬を打った少女は、怒りで肩を震わせながらこちらを睨みつけている。
――いったい、何をした。
叩かれた理由がわからず、ただ呆然と少女の目を見つめることしかできない。
「貴方、自分がしたことわかってる?」
炎のような髪の毛を逆立てて、蒼い竜と同じ瞳で怒る少女に気押されながら、少女が言っている意味を考える。
特に悪いことをしたとは思えずただ首をかしげる。
「……さぁ?」
「さぁ? じゃないわよっ! 言ったわよね! 私!」
語気を荒げながら捲し立てるように少女が詰め寄ってくる。炎のような髪からは太陽のにおいがしたような気がした。
「『ここは私に任せなさい』って! 言ったわよね! なんで急に突撃してくるわけ?」
「いや……それは……」
――悔しかったから……。
などとは口が裂けても言えない。何よりもこの状況でそれを口にするのはさすがに恥ずかしい。
「何っ? 男だったらもっとはっきり言えないわけ?」
挑発でもしているように聞こえる凛とした声にどうしてもたじろぐことしかできず、ただただ視線をそらすことしかできなかった。
そんな様子を見てか、少女はこちらをみてため息をついてから手を差し伸べた。
「まあ、いいわ。何にせよ、助かったわ。ありがとう」
差し伸べられた少女の手を掴んで立ち上がる。
「ああ……」
「兄様! 大丈夫ですか?」
叩かれたことを心配しているのか、リィゼが後ろから走ってきて隣に経ったかと思った瞬間に、少女を射殺さんばかりの表情で睨みつけた。
「兄様に何するんですかっ!」
「なに、この子?」
突然の来訪者に少女も戸惑ったのか、リィゼの剣幕にたじろいでいる。
「大丈夫だよ、リィゼ」
「ですが、兄様……」
叩いたことへの納得がいっていないのか、リィゼはまだおさまらない表情でこちらを見ていた。その眼には若干涙の痕が残っていた。
「大丈夫だから」
もう一度、今度は安心させるように呟いて手から離れ、地面に転がっている剣を手に取る。
「兄様、これ……」
リィゼから差し出された鞘に剣をしまう。
結局、この力は何なのだろう。自分と同じような力を持つ少女がいる。
伝説の戦士とは何なのだろうか。正直、何なのかよくわからない。
「ちょっと、一緒に来てもらってもいい?」
「え?」
突如、少女に言われた言葉にハッとして少女の方へと向き直る。
「兄様、着いていっても大丈夫です」
戸惑う自分をよそに、大丈夫だと言い聞かせるように袖を掴むリィゼの頭をなでることしかできなかった。
「この人は王国竜騎士団の人ですから……」
――王国竜騎士団?
少女には聞こえない声でこっそりとリィゼが耳打ちしてくる。
「わかった」
「そう、よかったわ」
言いながら少女は炎のような髪をひるがえして、巨大な剣を片手で軽々と持ち上げて背中に担ぐと歩き始めた。
着いて来いということなのだろう。
※
しばらく、街の中を進む。見慣れない景色に、屋台が並びいわゆる中世のヨーロッパのような光景だと言えば分りやすいだろうか。
屋台では果物や野菜、肉やその場で調理しているものまで様々なものが売っている。
リィゼも街の中を見渡しながら、楽しそうな表情をしていた。
街は先ほど化け物に襲われたというのに、にぎわいを失っていない。被害がほとんど出ていないからか、元々襲撃に慣れているのかは分からないが、シュウジは人を殺さすずに済んでよかったと言う思いだけが残る。
すでに何人も殺している。その罪から逃げるわけではないが、殺さなかった安堵感で胸を撫で下ろしたい思いに駆られた。
「ここだ」
少女が立ち止り、不意に口を開いた。どうやら、目的地にたどり着いたようだ。
人通りが多い路地のその先の城門の脇の小さな小屋だった。どうやら、兵舎のような場所のようで中に入ると、あわただしく動いていた兵士が少女が入ってきたと同時に礼をしていた。
少しだけ中には行って、応接間のような場所に通された。
「しばらく待っていろって言われたけどな……」
少し歩いたことによって、ローブの中がむしむしと熱く感じ、脱ごうとした手をリィゼに止められた。
「兄様、それはやめた方がいいです……」
なんでと言う疑問を一瞬もったが、自分自身がこの世界の人間ではないことを思い出して脱ぐのをやめた。
なんだか、たった二日なのにとても順応している自分がいることに気がつく。生まれて初めての戦いと、人殺し、自分から考えることをやめてしまったようなそんな感じがする。
「そうだな」
リィゼに頷くように呟いて、シュウジはリィゼと同じように備え付けのソファーに座る。リィゼと二人で座っても十分スペースがあった。
「すまない、お待たせした」
部屋の扉が開かれ、先ほどの姿とは違った恐らく騎士服だろうと思われる服に着替えた少女が部屋に入ってきていた。白と青で彩られた騎士服に、深海のようなマントを携えている。腰につけている剣は先ほどの巨大な剣とは違い、刺突剣だろうか。
「いや……」
先ほどの会話のせいかいささか気まずさを感じつつもシュウジは目の前に座った少女に見とれていた。やはり、目鼻立ちは整っており美人の部類に入るだろう。炎のような髪とは違い、その美しい紺碧の目の対比が更に少女の美しさを引き立てていた。
「それで、本題なのだが……」
少女の真剣なまなざしが膝の上に置かれている手の項に降り注ぐ。
「その力、どこで手に入れた?」
まるで刺されるような少女の視線に背筋がぞっとした。急に周りの温度が上がったように感じる。
「いや、違うな……誰から受け継いだ? それとも奪い取ったか?」
更に目を細めて威嚇するような少女の目。このままではと思いつつ、蛇に睨まれた蛙のように動けずにいた。自分でもわかっていない、力なのだから説明などもできるはずもない。
「気がついたら、手にあった」
――嘘は言ってない。
恐らく原因はあの謎の声なのだろうが、あの声とのコンタクトが取れない今、詳しく状況説明ができるわけではないのだ。
「そうか。まあ、そこは納得しておくとしよう」
一先ずの追撃をかわしたことで、ほっと胸を撫で下ろしたい気持ちを抑えつつ。続いて出てくる言葉に頭を回転させてシュウジは考えを張り巡らせる。
「ああ、そう言えば名乗っていなかったな……私はクリス・フェネトリード。国王直属の王国竜騎士団≪ドラグニカ≫の第五席、氷の竜の契約者だ」
「氷結のフェネトリードっ!」
隣で黙っていたリィゼがクリスと名乗った少女の自己紹介の後に、不意に驚いたように口を開いた。
「その呼び名は好かないんだ。悪いが、クリスと呼んでくれないか?」
「では、クリス様」
リィゼは一旦そこで言葉を区切ってから、本題とばかりに冷静な口調で呟くように言う。
「何故。いえ、兄様に何をさせるつもりなんですか?」
その問いにクリスの目が大きく見開かれた。




