プロローグと恋するアナウサギ
白に染まった視界が目を擦るたびに段々と元に戻る。せせらぎの音と小柄な人物が何かを登っていくような音が耳に届き、その足音が途絶えたところである程度見えるようにまで回復する。
「うさ……みみ……?」
目の前に現れたシルエットは、ふんぞり返った体勢のまま頭部から生やした2対の耳をふるふると揺らす。
「僕、待ってたんですよお?」
ボーイッシュな声をしたその人物は、小麦色の兎耳をピンと立てる。小さくまとまった可愛らしい顔を不満げな表情で染め、白と黒のゴスロリで包み込まれた小さな体を大きく見せようとめいいっぱいに伸びをしている。
こんな人に今まで出会ったことないんだけどな……。
「その目は……僕が誰だか分からないって感じですね……? そうですね? そうに決まっています!」
俺に近づくために降りていた机の上に再度乗り直し、ずびしぃ! と効果音が付きそうな勢いで指を突きつけると、その娘はふふんと鼻を鳴らしながら言う。
「僕はコムギ。ご主人が小麦色だから、って付けてくれたの覚えてます?」
「……え?」
俺が高校に通った時に親にせがんで買って貰った俺の飼ってるウサギの名前がコムギのはずだ。俺が沼に引きずり込まれた時草を採取していたのはソイツの為だったし、コムギの性別は雌だった。
「じゃあ……右前脚の傷跡がある筈だっ!
特徴的な形の傷だったから本物か区別できるはずっ!」
ペットが可愛らしい女の子に変わって目の前に居る。その事を受け入れきれず、きつい口調で彼女を追い詰めてしまう。無意識では分かっているはずなのに、理性が理解しようと働こうとしない。
いつも働きものの理性さんは非常識の度合いをあまりに超えたものに対してニートになるらしい。今初めて知った。女の子を無意識に傷つけてしまうとこんなにも心が痛む、という事も。
「コレで……いいかい? 主人」
「あ、あぁ……」
ためらいがちにレースの手袋をたくしあげた彼女の右手の甲には、俺のミスで暖房器具を壊した時に作ってしまった火傷の跡がコムギのものと全く同じように存在していた。
ひきつった肉が多少のデコボコを作り上げていて、ソレに沿うように広がる赤くなった肌はもはや痛ましく、それ以来ケージ用ヒーターを持ち上げる時は細心の注意を払うようになった。
記憶にこべりついたソレを恥ずかしがるように手袋で隠す彼女へと正座し、頭を下げる。
「コムギ……すまない。取り乱したせいで気を使わせてしまったようだ。」
この後、さらなる衝撃が俺を襲うこととなるのを知るのは神と、その衝撃を与えた本人しかまだ知らない。