プロローグ・笑顔・致命傷。
ピシャリ、と頬が濡れる。
叫んだ声も、伸ばした手も。刹那に願った願いさえも届くことは無い。
とことん、運命は無慈悲だ。
「コムギぃぃいっ! 」
俺の伸ばした手の先、呆然とした表情のままに吊り下られたコムギ。
呆然としていた顔を引き締め感情を噛み殺し、追撃を防ぐ為に盾を掲げて守りを固めるミドリ。
ざまぁみろとばかりに表情筋の無いはずの顔で嘲笑するサソリ。
そして、手を伸ばしたまま固まってミドリに庇われるままになっている俺。反射的に伸ばされているコムギの手へ向かって走り出すことも出来ず、止まった思考をただただから回らせるだけのガラクタに成り果てるただの弱者。
俺は……どうすればこの出来事を回避できた……?
戦える力がほぼ無いであろう元ウサギであるコムギはビンの中にしまっておくべきだった……?
俺の指示が間違っていた……? それなら何処に……?
答えが出ないままの脳が処理する事を拒否した視界の中では、ミドリが痺れたままのはずの腕で大盾をぶん回しサソリを攻め立てている。
「コムギを……返せやぁぁあっ! 」
冷静さを失ったその動きは考える事の出来ない今の俺ですら無謀であると分かる動きであるし、恐らく五分も持たずに黒腕の下敷きになって砂漠の砂をちょっぴり赤く湿らせるのは歴然としているだろう。
だが……俺は動けない。
何かを言い出したらそれのせいでミドリが死んでしまう……かもしれない。
俺がこのままでいたほうがいい方向に働いてサソリが倒せる……かもしれない。
可能性が、IFルートが、タダですらから周りしかしていない頭を混乱させる。
俺は、どうすれば……?
ゲームならこんな時ああなる。
チートものならこんな風に収まった。
無駄にある知識が無意味な選択肢を洪水のように頭をかき回す。いくら考えても選択肢が増えるばかりで正解が見当たらない。こんな状況からでも最善を導ける、そんな正解が。
正解は……何処にッ! 何処にあるッ!
俺は望む限りに物語を読んできたッ!
ならば、この物語に合う正解の断片くらいはあるはずだッ!
ある……筈なんだ……。
からまわりはいくら考えてもから回ったままで元の歯車と噛み合う気配すら無い。記憶の濁流の中を深くより深くへと潜っていく俺の視界に、変化が訪れる。
頭部をカチ上げられ、大きく姿勢を崩したサソリ。その尻尾に吊り下げられていたコムギの体がこちらへと飛ばされ、砂の上を滑って俺の元へと吹き飛んできた。
息が有るのか無いのかがよく見なければ分からない程に弱りきったコムギ。モノクロのゴスロリ服は胸元を中心に紅で染まり、傷跡付近の肌は血の気なく青白い。土気色にほど近い顔色としんなりしたウサギ耳。
痛々しいその姿にから周りしていた思考が一瞬、止まる。その時、視界が、ブレる。
パァン、という音。音に驚いて左右を見て、一呼吸置く。そこでようやくソレが顔をビンタされた音だと気がついた。
何故?
その思い出いっぱいになった俺へとコムギは優しく声を振り絞る。
「な……んで……?」
「主人、キミはさ行動して、行動し終わった後に後悔するタイプの人間だった筈だよ……?」
弱々しく、俺を包み込むような笑みを浮かべたコムギは俺の背へ手を回し、そして……
「ほら、初めてをあげたんだから頑張ってよ!
そして、さ。いつもみたいに僕に泣きついて、僕を使って思う存分にその気持ちを全部押し流してよ!
僕はその後、1度だけ微笑みかけてくれるって約束してくれるなら、どんな事でもがんばってあげるんだから。
……だから、今はキミに頑張って欲しいんだ。
いくら後悔するようなミスしてもいい。ただ、戻ってきてくれればね?」
頬を薄く染めた笑顔でコムギは俺を突き放す。そして、俺は。
覚悟を、決めた。