近づいて、離れて
※※※
楓視点
※※※
私はいつも、一歩近づいて、また離れる。
ゆらめく光が眩しく道路を照らし、朝だというのに汗をかかせるような熱を私たちに注ぎ込む。夏服になってから既に一週間が経ち、シャツが半袖になった恩恵を忘れてしまいそうだ。
重い足取りの私の横には、ここ最近で身長が十センチも伸びて、すっかり私より大きくなってしまった男の子が、やはり苦渋の表情で歩を進めている。
彼の名は、新妻昴。
私の幼馴染で。
私の初恋の人で。
やっぱり今も私の好きな人。
「あちぃーな」
「うん、そだね」
「部活のときはいいが制服はやっぱつらいな」
「ベタつくもんね」
いつもと変わらぬ言葉に、いつもと変わらぬ反応を返してみる。
変わってしまうことは、怖いことだから。あぁでも、変わらないでいるのも、おんなじくらい怖いかもしれない。
現に私は、この距離を変えられないでいるのだ。
「あ、じゃあ、この辺で」
「あ、うん」
昴はそう言うと、軽く走って、すぐに私の視界からいなくなってしまった。
昴と私の家はすぐ近くで、だから小学生の頃なんかは当たり前のように一緒に通っていたんだけれど。やっぱり高学年になるにつれて、男女が一緒にいることは、なんていうか。変、みたいな。
そんな雰囲気を皆だすようになって。
今、同じ中学の二年生になった私と昴は、去年、少し二人で話し合ってみて。
家がすぐ近くなのだからわざわざ別々に登校する必要はないかもしれないけれど、せめて校門に着く前には別れてしまおう、と決めた。
自分たちから進んで注目の的になる必要はない。避けれるリスクは避けよう、という決定だ。
私も、それでいいと思う。たぶん、そう言ったと思うけれど。
リスクなのかな。
昴にとって私と一緒にいることは、やっぱり恥ずかしいことなのかな。
一緒に登下校したくないのかな。
でも、なら、どうして、途中までは一緒にいてくれるの?
どうして?
昴は、私のこと、どう思ってるの?
クラスの、まだあんまり喋ったことのない女の子が急に私に尋ねてきた。
「新妻くんと付き合ってるの?」
付き合ってない。事実は事実だ。
「そっかぁ、なら、この手紙新妻くんに渡してもらえない?」
そう言って私に手渡してきたのは、花柄で可愛らしい手紙。ラブレターなんだろうな、間違いなく。
渡したくないけれど、断る理由も、ない。
ないんだ。
「うん、渡してみるね」
「ありがとー!」
あぁ、嫌だなぁ。
こうして、嫌なことを嫌だって言えない自分が嫌だ。
嫌だよ、だってこの子、可愛くて、もしかしたら昴、とられちゃうかもしれない。
でも、嫌だって言えない。私は昴のなんでもないから。
ただ、家が近いだけの、友人みたいなものなんだから。それ以上を求めちゃ、きっと、いけないんだから。
「ねぇ昴、これ」
その日の帰り、家のすぐ近くで合流した私は昴に躊躇いながら手紙を差し出した。
珍しく昴の目が点になっていたような気がするけど、それはそうだろう。中学二年生って、まだ意外と自分から恋人になろうって人は少ないから。
私は、昴がこれまでにどのくらいの女の子から告白されたことがあるのか、知らないけど。
「え、と、これって」
「私のクラスメイトから。偏見を持って欲しくないから、まずは読んで」
あぁ、違うの。
読まないで。
真摯になんて、向き合わないで。
今は私と一緒に帰ってるんだよ。
私だけを見て。
「あぁ、ちゃんと読むよ」
そう言って昴は手紙を優しく受け取って、折れないようにバッグの中の、たぶんクリアファイルか何かにしまった。
昴の顔を覗いてみると、困惑してるみたいだ。ばーか。私をこんな気持ちにさせておいて、自分ばっかり普通に青春してさ。
ひどい。
「昴にも彼女ができる日が来るのかな」
「そりゃ、一生独身でいるつもりはない。いつかは出来る……と、信じてる」
そうじゃないよ。
その訪れるいつか、昴の目の前にいる人は、誰?
誰なの?
私じゃない誰か? それとも私?
私にその権利はないの?
「わからないよ、昴」
「わからないのはそっちだろ」
もう夕方の六時になるのに、空にはまだ青空が広がっていて、まるで今日はいい日だと言わんばかりに私を見下ろしてる。
こっち見るな。
惨めになる。
私には、もう、昴が何を考えてるのか、わからない。
だから私は今日も。
触れられそうで触れられない今の距離を詰めようとして。
でもやっぱり彼に触れることなく。
また離れた。
※※※
昴視点
※※※
楓はいつも、俺に一歩近づいて、離れていく。
野々村楓は俺の幼馴染で、小さな頃からずっと一緒に遊ぶような奴だった。
それが、いつからだろう、周りにからかわれるようになって、それで、中学に行くのは別々にしようって話になった。
悪いことじゃないと思う。
周囲が騒いだり盛り上げるせいで一緒にいづらくなるのは、っていうか、それで楓が嫌な思いをするのは、嫌だから。
俺はずっと、これこそいつからかなんて覚えてないけど、楓のことが好きで。
好きだから楓との時間は大切にしたいし、誰かに邪魔をされたくもない。
けど、楓はどう思ってるんだろう。
俺といるの、嫌だったりするんだろうか。
でも、なら、どうしていつも途中まで一緒に登校して、途中から一緒に下校してくれるんだ。
俺は楓の考えていることがわからない。
いつか俺の気持ちを伝えようと決意してから、結局もう一年と三ヶ月が過ぎてしまった。
中学生になって二年目の夏は相変わらずの猛暑で、ただ普通に歩いてるだけでも汗が止まらない。
普段サッカー部に入って運動してる俺と違って、楓は音楽部だし、熱中症とか大丈夫だろうか。
あぁほら、汗でシャツが透けて下着が見えてるし。目のやり場に困る。何より、この場に他の奴がいなくて良かった。
別に、俺は楓のなんでもないから、そんなことを考える資格なんて、ないんだけどな。
楓はコミュニケーションが苦手なわけじゃあないけど、自分から進んで人と関ろうってタイプでもない。
どちらかと言えばクラスでは地味なポジションにいるほうだろう。
「お前さ、あの幼馴染と付き合ってるの?」
ほれきた。中学に入ってからもうこれで何回目だろうか。二年生に上がってクラス替えがあったからまた新しい友人が毎度お馴染みに疑問を俺にぶつけてくる。
「いや、付き合ってない」
事実は事実。嘘をつく必要はない。
俺自身、楓とどうなりたいのか、よくわからない。
「じゃ、横山さんと付き合うの?」
横山さん、というのは、昨日俺に手紙を渡してくれた女子のことだ。正確には、渡してきたのは楓だったけど。
その内容は、付き合いを前提に友達になってくれないか、というもの。
ラブレター自体は、実は貰ったのはこれで二度目だ。率直に言って、嬉しい。純な感情を自分に向けられていると思うと若干怖くもあるが、その怖さを塗り替えてしまえるくらいの熱が、たぶんそこにはあるのだろう。
だからせめて俺なりに真摯に応えたいところなのだが。
「どうでもいいだろ。どっちでも」
「んだよ、どうせ振るんだろお前ー」
「だから言わないって」
しつこく聞いてくる友人に対して、やや語気を強める。
そんな大切なこと、軽々しく言っていいものじゃない、と、俺は思う。
向こうだって勇気を出したはずで、だから俺も勇気を出して返事をしたい。
第一俺は手紙を貰ったことを誰にも話してない。たぶん楓も誰かに話したりはしないだろう。そうなると、横山さんから楓に渡すまでに情報が漏れたのだろうと思うのだが、なんにしたってこうして煩く言われたくはない。
実際のところ、どうなのだろう。
俺は横山さんのことを、なんとなく顔くらいは知っている。逆に言えばそれくらいしか知らない。
けれど、何故か、今の俺は、はっきりと断る、という選択が出来ずにいる。
それがどうしてなのか、きっと理由は単純で。
このラブレターを渡したのが楓だった。
きっと、それだけだ。
一体、どう考えて、俺に渡してきたんだろう。
やっぱり俺には興味がないのだろうか。
あくまでただの幼馴染で、それ以上でも以下でもないのだろうか。
恋愛対象には、ならないのだろうか。
楓が何を考えているのか、教えて欲しい。
その日の帰り、いつものように家の近くで俺と楓は合流した。
とぼとぼと、翳りが見える世界に音を響かせて俺と楓は歩き始める。
その距離は、手が触れるようで、触れ合わないくらいを保ったままだ。
恋人なら、近づくのだろう。友人なら、離れるのだろう。そんな距離。
「横山さん、返事、考えた?」
「まだ考えてる」
「そっか」
なんでそんなことを聞くんだ。
俺がどう返事するのか気になるのか?
それとも、自分が手紙を頼まれた手前、上手くいって欲しいと思っているだけなのか?
なぁ楓、お前は何を考えてるんだ。
「わからない」
「わからないかぁ」
夏だってのに今日の空は暗い。まるで俺の心を映す鏡みたいに。俺のことを滑稽だと嘲笑うように。
見るなよ。
惨めになる。
俺には、もう、楓が何を考えているのか、わからない。
だから俺は今日も。
一歩だけ、俺に触れてしまいそうなほどな距離まで近づいて。本当に触れようとして。
でも触れずにまた離れていく楓に。
気づかない、振りをした。
想いが募れば募るほど、きっと二人は苦しい経験を積んでいくのでしょう。
どうしても距離を埋められない、そんな二人の物語でした。