10.
月日は巡り、2人が、ポーカーと最後に会った日から2年が経った。
「すっかり身長も抜かれちゃったわね」
セシリーがエリックに新しい服を仕立てるために採寸しながらため息をつく。この屋敷に来た頃は、まだ少年と言うよりも児童に近かったが、今はすっかり少年と呼ぶにふさわしい身体つきになった。毎日の激しい訓練は、成長途上にある男子の身体を大きく逞しくしていく。
「セシリーさんのおかげですよ」
「もう! そんなとこだけは変わらないんだから」
からかうように言うエリックのおしりをピシリと叩く。引き締まったおしりは、セシリーが叩いても弾力で跳ね返すように応えた。
「ふーん。このあたりはすっかり逞しくなっているのね」
腰回りをさするように触るセシリーに
「や、やめてください」
と腰を引き逃げると
「そのあたりは、成長なのかしらね?」
と冷たい目でエリックを見た。
「エリック。まだ?」
ドアがノックされ、リーズが顔を出す。リーズの身長もこの2年で大きく伸びた。3人が並ぶとエリックが165cm、リーズが155cm、セシリーが156cmくらいとなる。
リーズの身体は、逞しくなってはいるが、女性としての体つきはそれほど変わっていない。女性らしく胸元が膨らみはじめているくらいで大きな違いはない。だが、二の腕や見せないお腹周りには無駄な贅肉は一切ついていないぐらい引き締まっている。
「お待たせ」
セシリーが採寸を終える。
「よし。リズ今日も始めようか」
セシリーの許可を得たエリックは、リーズと日課の訓練を開始する。2人が難なく通り抜けている走り込み用のコースは、複雑な障害がいくつも設置され大人でも完走することが難しいものになっていた。おまけに行きと帰りでまったく別のコースになるように工夫された障害物は、2人の成長に合わせて日々難度を高めており、時々来訪する客人が奇異の目でその庭を眺めていく。
木の杭はすでに100本以上、庭に打ち込まれており林のようになった。かつてはそこに立ちバランスを取っていた2人だが、今2人はその上で自在に動けるようになっている。卓越したバランス感覚を身につけた2人は、目をつぶっていても杭の上で制止することもできるようになった。これは、ポーカーが置いていった道具の効果もあったのかもしれない。
ポーカーが送り届けてくれたロングソードは、ショートソードの2倍くらいの重さがある。エリックはそのロングソードで訓練し、リーズは細見の刺突剣であるエストックかレイピアを使っている。これは、先々を見据えたもので、参考書籍を読み研究した2人が出した答えだ。どうしてもリーズの力は男性と比べれば劣るので刺突に向いた武器を選択した。使い慣れるためにも今は刺突剣を中心に訓練している。
叩き斬る事に向いた長剣と刺突剣の扱い方についても2人は日々研究を続けている。
「ねえ。やっぱりこれ以上は実践するか打ち合わないと難しいわね」
「そうだな~。さすがにイメージトレーニングも限界だね。実際にしたことがないとイメージも難しいから」
「お父様に頼んで剣術指南できる人を探してもらっているけど、そんな人なかなかいないのよね」
「まあ。どこにでもいる人じゃないからね」
2人は、木から吊るした的に的確に剣を打ち込む。紐で吊られた木材は、打てば揺れ、飛ばせば戻ってくるように作ってある。2人は次々と動く的へ剣を打ち込んでいく。これは、回避も想定した訓練で飛ばした的は、飛ばした勢いで戻ってくるのでそれをすばやく回避するか打ち返す必要がある。的が増えればそれだけ難度もあがっていくのだ。
「私達ももうすぐ13歳になるわ」
「そうだね僕は、来月には13歳になる。リズは3ヶ月後だね」
リーズが剣を突き入れると的にした木材が粉々に砕けた。
「私達は、今どのくらいの強さがあるのかしら」
「2年前とは比べられないくらいにはなっていると思うよ」
2人が話していると
「ああ。お前達は強くなった」
2人がその声に顔を向ける。
「「ポ、ポーカーさん!!」」
2年以上顔を見ていなかったポーカーがそこにいた。そして、その身体を見て2人は言葉を失った。
「ポ、ポーカーさん。左手が…」
ポーカーの左肩から先がそこにはなかった。
「ああ。これか、これは俺の勲章だ」
笑って語るポーカーの姿に2人は何も言えない。
「それより、2人ともずいぶんでかくなったな。背も伸びたし、リズもすっかり女の子になっちまったな」
「ポーカーさん」
「訓練も影から見させてもらった。2人ともずいぶん頑張ったんだな」
「はい。でも自分たちだけでは、この後どうしたらよいのかもわかりません」
素直に返事したエリックをポーカーは優しい顔で見る
「ああ。そのために俺は、ここに来た。お前たちが安心して旅立てるようするためにな」
何度も死線をさまよい死を覚悟したこともあったが、ポーカーは2人の事を考え生きる事を選んだ。
「それじゃ……」
「ああ。養成所に入るまで、俺がみっちりとしごいてやる。だからお前達は何の心配もしないで養成所へ行け」
2人が養成所に入るまで残り半年を切った。
「「お願いします」」
2人がポーカーに頭をさげる。それは、先輩への敬意であり、自分たちを大切に思ってくれる人への礼でもあった。
「これからは、厳しく行くぞ」
「「はい」」
屋敷の中にある執務室で、ガスタンがポーカーと向い合せにソファーに腰をおろす。
「すっかりやつれたな」
「こうして生きて戻っただけでも幸運ですよ。仲間は大半がやられましたからね」
熾烈を極める悪魔との戦いにおいて、戦士の命は長くない。
「それほどひどいのか北部は?」
「ええ。上級悪魔だけでも手こずっているのに最近は、その上の奴が頻繁に現れています」
「魔将か?」
「はい。北部方面を指揮しているのはおそらく魔将でしょうね」
「となると相手もさらに駒を進めてくるな」
「このままでしたらね。今、エクソシストの他に騎士団や傭兵団も動いています。簡単には侵攻はできないでしょう」
「そうか。さすがに危機となれば仲たがいもできないか」
騎士団や傭兵団は、エクソシストを否定している。自分たちの役割を奪われるのが嫌なのだ。
「はい。ですが、魔将が出てくれば、騎士団や傭兵団が束になっても傷ひとつ付けられないでしょうね」
「アブソープ……コンタクトできる者でなければ倒す事はかなわないか」
「ええ。しかし、こちらもこの2年で研究はかなり進んでいます。今、新たにコンタクトに成功した者の中には大天使や権天使、中には能天使とコンタクトする者も現れています」
「そうか。ついにそこまで成功したか」
「もう少し時間が欲しいですね。しかし、我々には時間はそれほど多くはないでしょうね」
「そうだな。ある程度悪魔の侵攻を抑え込まなければ、人間は悪魔に攻め滅ぼされるだろう」
「ほら、また体制が崩れたぞ!」
「違う。捌くなら半身で受けるんだ」
片手で剣を振るポーカーがエリックやリーズの剣を受け止める。実戦経験のない2人は、どうせめてよいのかまだ理解できていない。
「お前たちは、すでに速さは十分あるんだ。相手の動きを見て、1撃1撃をきちんと見極めろ!」
歯止めした剣がエリックの上腕に打ち込まれ、剣を落とす
「くっ!」
「剣を落とせば、命がなくなるぞ!簡単に手放すな」
「はい!」
「ほら。リーズも突く事ばかり考えていたら相手に読まれるだろ! 相手をよく見ろ。相手は自分のどこを見ている?」
「はい」
実戦経験豊富なポーカーが、2人を相手に次々と指示を飛ばす。時折、打ち込まれる剣に2人の身体は痣だらけになっていく。
「痛いか? だがな。本番じゃあ痛いじゃ済まないんだぞ」
自分の事を言っているのかポーカーの言葉に重みがのしかかる。歯止めしていない剣ならその先は切り落とされているだろう事を2人も理解している。
「よし。今日はここまでだ。自分に何が足りなかったか。何が必要かを考えろ」
2人は、横にりながら呼吸を整える。そして、反芻するように自分の動きを思い出しながら確認していく。ポーカーが戻るまでどうしてもできなかった訓練が今こうしてできているのだ。
ポーカーが戻ったあと
「これで普段の訓練をするときにイメージしながらできるな」
「ええ。でも加減が難しいわ」
エリックが口に手を添えて声を落とすようにリーズに伝える。きょろきょろとあたりを見た後、リーズの耳元に口を寄せる。
「それは2人の秘密だって約束しただろ」
「ごめんなさい。つい……」
距離を取ったエリックは
「朝の訓練の時の負荷量を変えようか。どうやら実践だと瞬発力がさらに必要みたいだ」
「あとは、相手への視線や動きの察知かな?」
「ああ。それは感じたな。互いの動きを読み取るって言葉じゃ簡単だけどやってみると難しいよね」
「確か本には、肩の動きだとか相手の目の動きを見て先を読むって書いてあったけど」
「今度、2人で向かい合ってやってみようか」
「それがいいかもね」
連日のように続けられるポーカーとの実践訓練だったが、怪我の影響もあってかポーカーの体調はおもわしくなく長時間の訓練に付き合う事は難しくなってきた。
「大丈夫ですか?」
肩を押さえながら苦悶の表情を見せるポーカーにエリックが歩み寄る。
「心配するな。少し疲れただけだ」
2人の成長と逆に衰えを見せ始めたポーカーは、まるで10歳も老けてしまったかのように2人は見えた。
「それよりも、なんださっきの打ち込みは、お前達の力ならもっと鋭い打ち込みができるはずだろう」
「ですが……」
バシン!とエリックの顔が拳を受ける。
「俺に気を使っているつもりか。ふざけるなよ。実戦で怪我を負った奴には憐れみをかけるのか? 傷ついた悪魔にも同情するのか! お前たちが向かう世界は、そんな甘い所じゃないんだぞ!」
ぜいぜいと呼吸を整えながらポーカーは2人を見据える。
「力を隠して、俺に付き合って何になる? それでお前たちは今よりも強くなれるのか?」
2人は返す言葉がなく黙ってうつむいた。
「俺は、お前達を強くするためだけにあの忌まわしい戦場から戻ってきたんだ。俺の想いを否定するつもりならこんな訓練は今日でお終いだ!」
「す、すみません」
「ごめんなさい」
2人はポーカーに頭をさげる。
「お前達が優しいのはわかっている。だが、残された時間は俺達には少ないんだ。お前達の覚悟はそんなものじゃないだろう」
「はい」
「はい」
立ち上がったポーカーは剣を2人にむける。2人は覚悟したかのように剣を取った。2人が互いに頷くとポーカーに全力で挑む覚悟を決める。
「行きます」
エリックがそう言うとこれまでに見せたことのない速度でポーカーに剣を向けた。そのあまりの速度にポーカーはかろうじて剣を合わせたが、合わせた剣ごと吹き飛ばされる。それでもポーカーは膝をつき立ち上がった。視線がリーズに向かう。リーズにも来いと言う事だ。
「行きます」
リーズもエリックに負けないくらいの刺突を見せる。ポーカーも数発は、剣で回避できたが、その速度と手数はポーカーでも回避することはかなわない。数発を体で受け止める。
「ぐあ!」
「「ポーカーさん」」
2人が剣を捨てポーカーの元へ駆け寄る。さすがに歯止めし、剣先を潰してあっても直撃を受ければダメージがないわけではない。
「なんだよ。2人ともやればできるじゃないか」
にっと笑うポーカーが、震える膝にもう一度力を込める。
「ポーカーさん。もう、無理しないでください」
リーズの悲痛な叫び。涙を浮かべて懇願するが
「まだだ。まだ、お前達に俺はすべてを伝えきれていない」
いつの間にか庭にガスタンの姿もあった。じっと隠れて見ていたが、もう隠れてはいられなかったのだ。
「いいか。よく聞け2人共。これから俺が見せるのは、エクソシストがエクソシストとして認められる条件でもある。コンタクターとして悪魔と戦う戦士としてお前達の魂に刻んでくれ。これがエクソシストであるポーカー・ヒストール最後のコンタクトだ」
残された右手に握った剣が輝きだすとポーカーの背後に翼をもつ天使が現れる。
「2人ともしっかり見て置け!」
背後からガスタンが声をかける。
「「はい」」
光を集めた剣をポーカーが掲げるとそこにさらに光が集束していく。
「光線!」
剣を振りおろすと、剣の軌道上に光線が放たれる。軌道上の芝生を焼きつくし目標とした大きな岩が寸断される。
そのあまりにもすさまじい力に2人が言葉を失っていると
「ポーカー! しっかりしろ!」
ガスタンに抱きかかえられるように倒れ込むポーカーの姿があった。
「「ポーカーさん」」
我に返った2人がポーカーの側まで行くと
「これが……これが本当のエクソシストの姿だ。お前達は絶対に忘れるんじゃないぞ!」
ガスタンの目からも涙があふれている。
すでに生を全うした1人のエクソシストの最後の姿に二人は泣き続けた。がくりと落ちたポーカーの右腕に残された腕輪をガスタンが手に取り覗く。
「コンパス値98大天使か……。最後にここに至るとは本当にポーカー君らしいね」