Stargazer - Part 8
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まず、ノーラが注目したのは、ロイである。
彼は再び『賢竜』の姿を取り、漆黒の竜翼をはためかせながら、自在に紅空を飛び回り、天使達の群へ自ら突撃する。そして鋭い手足の鉤爪を振り回したり、強靱な竜尾を一閃したり、牙だらけの凶悪な口腔から吹雪の息吹を吐き出したりと、怪獣そのものの暴れぶりで、天使達を次々と純白の羽根状をした神霊子へと分解してゆく。
そんな彼の姿は、士師との戦いを制した直後と全く同じ姿をしている。制服はズタボロだし、竜鱗に覆われていない皮膚部には火傷の腫れも見える。だが、暴れ回る彼には、一切の苦痛も疲労も見て取れない。それどころか、ギラギラした剣呑な嗤いを見せて、身体を思い切り振り回すことを喜ぶ子供のように、戦闘を楽しんでいるかのようだ。
――星撒部1年生、ロイ・ファーブニル。学園中からは"暴走君"のニックネームで知られるが、彼をよく知る者達からは、また別の名で知られている。その通り名を、『暴黒竜』。
次にノーラが視線を注いだのは、イェルグである。彼は相変わらず和やかな笑みを浮かべて、のほほんと壊れかけのビルディングの最上部に腰掛けている。
しかし、彼の余裕綽々の有様とは逆に、彼を取り巻く状況は由々しいものだ。映画スターを取り巻くファンの津波のごとく、純白の天使どもが炎の玉を携えて押し寄せている。
これに対して、イェルグは人差し指をたてると、その指先に小さな小さな黒雲が生成される。黒雲はパリパリと小さな音を立てて、青白い電流のアークを幾筋か宙に走らせる。
…と、見えたその直後。水晶板の全面が青白い閃光に包まれる。同時に、耳を聾する轟音が水晶板をビリビリと震わす。震えが止まるよりも早く、網膜を焼き潰すような光が消えると…そこに現れたのは、天使の残骸を示す大量の羽根状神霊子だ。
イェルグはたった一発で天使の群を斃してみせた選考の正体は、霹靂だ。指先に出来た黒雲は頼りない体積を持ちながらも、とんでもない電力を内包した積乱雲だったのである。
――星撒部2年生、イェルグ・ディープアー。自らを"空の男"と称し、その名に違わぬ空と天候にまつわる事象を操る男。彼をよく知る者は、彼のことをこう呼ぶ…『空の申し子』。
次いでノーラが見たのは、大和が映る水晶板である。
…とは言え、ノーラは初め、その映像の中に大和を認識できなかった。彼女が真っ先に目にしたのは、禍々しい赤の空を背にして闊歩する、巨大な金属製の人型機動兵器である。
機動兵器は両腕に装備した大口径ヴァルカンや、背に生やす2門の巨大高射砲をぶっ放しまくり、空に大地に蔓延る天使達を片っ端から撃破しまくっている。
そんなド派手で痛快な光景がしばらく続いた後、映像が機動兵器の中央部にズームインする。するとそこには、強化ガラス(と、思われる)に囲まれたコックピットに搭乗し、忙しく機器を操作する大和の姿がある。
先刻、ノーラと行動を共にしていた際には額に当てていたゴーグルを、今は目に当てている。ゴーグルの表面には蛍光色の照準やら数値やらがみっしりと描かれており、機動兵器を的確に操作するための情報インターフェースの役割を果たしているようだ。
この巨大な機動兵器といい、多機能なゴーグルといい、おそらくは大和の定義拡張能力の産物であろう。これらを全身を駆使して操る大和の顔は、ノーラを口説いた時よりも清々しく、活気に満ちている。己の思うがままに作り出した機械を扱う瞬間というのは、例え激戦下の状況であろうと、大和にとっては至福の時間であるようだ。
――星撒部1年生、神崎大和。部員一のお調子者である彼だが、"機械工学の求道者"の自称に恥じぬ、機械と道具造りの天才である。特に戦場においては、彼はありとあらゆるものから大量の兵器を作り出し、単身にして圧倒的な物量を実現する。その姿から彼のことを、"歩く兵器工場"と呼ぶ者もいる。
ノーラが4番目に視線をやったのは、部室で折り紙を教えてくれた美女、アリエッタである。
ノーラは部室で彼女を見かけた時から、そのおっとりとした物腰柔らかな雰囲気が争いには全く相容れないと感じていた。その考えは今も変わらない。
そして、アリエッタ自身も、殺意溢れる天使に囲まれた現状においても、その雰囲気が変わることはない。危機感に焦ることも力むこともなく、血気に逸ることもない。ただただ、小春日和の微風の中に立つ桜の大樹のように、柔らかな微笑みを浮かべて立っているだけだ。
脳活動まで小春日和の陽気にやられてしまい、現状がうまく飲み込めていないのでは…そんなハラハラとした焦燥感がノーラの中で生まれた頃。彼女の不安に応えるように、アリエッタがようやく動きを見せる。
と言っても、彼女の動きは戦闘行為にしてはあまりにも緩慢である。春の陽気の中でジワジワ溶け出す残雪のような、ゆるりとした動きで身をひねりつつ膝を曲げ、腕を腰に延ばす。腰元には鞘に収まった刀が備わっており、アリエッタはこれを鞘ごと手に取る。そしてやはり、ゆるりとした動きで、天使達に見せつけるように刀を身体の前に突き出す。
アリエッタの刀は、見せつける行為に相応しく、非常に優美な形状と装飾が施されている。純白地に複雑な金の装飾が施された鞘が、一際眩しく網膜に焼き付く。この美しさを見て、自らも剣術を扱う身であるノーラは、感嘆よりも不安を覚える。刀の美しさからは、所有者と同じく穏やかさをひしひしと感じ取ることは出来るが、戦いに対する覇気が全く感じられない。実戦向きというより、儀式向きの逸品だ、という印象が想起される。
アリエッタが、ゆるりとした優美な動きで、鞘から刀身を取り出すと――ノーラは、自らの不安の的中を悟り、固唾を飲み込む。刀身は真冬の銀月を思わせる、ため息が漏れるほどに壮麗な輝きを放っているが…肝心の刃は、刃引きされている。つまり、刀剣としての殺傷力を持ち合わせていないのだ。
そんな"無能な武器"を手にしたアリエッタが、強敵である天使たちを前にして始めたことは…なんと、"舞い"である。優麗な曲線的な動作は、春の日差しの元で穏やかに流れる雪解けの川を思わせる静けさと優しさ、そして儚さを見る者に植え付ける。その印象はノーラの意識に深く食い込むと、彼女はそれまでの不安も焦燥も忘れ、ひたすらにアリエッタの演舞に見入る。
…この時、忘我の最中にあるノーラは、見入る光景の中にある"不可解"を認識できていない。その"不可解"とは、アリエッタを取り巻く天使たちが、無防備に舞い続ける彼女に対して何の攻撃行動も起こさないことだ。『現女神』が生み出した無感情な兵器のはずである彼らも、ノーラと同様に、アリエッタの優美な舞いに見惚れてしまっているのだ。
アリエッタの舞は、実際には1分も続かぬ短い出し物であった。しかし、見入っていたノーラは、もっともっと長い時間、舞の穏やかさに浸っていたように感じる。天使たちも、同様の思いを抱いていたのであろうか? 彼らののっぺりとした白一色の無貌からは、推し量ることはできない。だが、彼らが身動き一つ取らずに、呆然とアリエッタの動作を見送っていたことは確かだ。
やがて…アリエッタは刀と鞘を観衆に見せつけるように手前に突き出すと、ゆっくりと刀身を納める。そしてついに、キィン、という澄んだ鈴の音にも聞こえる鍔鳴りが響き渡り、舞の終演を世界に知らしめる。この音に鼓膜を穏やかに叩かれて、ようやくノーラは忘我から現実に引き戻される。とは言え、舞の余韻は魂魄に深く浸透しており、ノーラは拍手喝采を送りたくなる衝動に駆られる。だが、画面に映る天使たちの姿を改めて認めると、頭を振って余韻を追い出し、再び不安と焦燥を脳裏の奥底から引っ張り上げてくる。
しかし…ノーラの心配を余所に、天使達はアリエッタの舞が終わってもなお、身動き一つ見せない。まるでゴルゴンの人睨みの前に石像と化してしまったかのようだ。…優麗なアリエッタの舞を怪物の凝視に例えるのは、甚だ失礼な話であるが。
…とは言うものの、先の形容はあながち的を外れたものではないかもしれない。
何故ならば、停止した天使たちのことごとくが、輪郭がぼやけてゆき…やがてその身体も、霞のように不安定に揺らめいきながら薄れ…とうとう、影も残滓も無く消滅してしまったからだ。羽根状の神霊子へと分解される現象が確認できない点を鑑みると、形而上・形而下問わず破壊的作用が働いたワケではなさそうだ。とすると、天使たちを消し去ったのは、いかなる作用なのか。ノーラは全く理解できず、ひたすらに目をパチパチ瞬きさせるばかりだ。
「いつ見ても見事ねー、アリエッタ先輩の剣舞は」
不意に、深い感嘆のため息をつきながら、紫が蕩けた声を上げる。部員としてアリエッタと時間を共有している彼女は、当然ながら剣舞の作用を知っていることだろう。
好奇心が抑えられないノーラは、素直に紫へ尋ねてみる。
「アリエッタ先輩は、一体何をしたんですか…? どうして天使が、消えてしまったんですか…?」
この問いに答えてくれたのは、渚である。
「アリエッタの剣術は、"戦い屈服させる"技ではない。"魅せて楽しませる"技なのじゃ。
天使どもはアリエッタの剣舞に魅せられ、楽しみ、本来の存在定義である『戦意』を喪失してしもうた。故に、あやつらはもはや天使ではいられず、全く異なる存在へと変質してしもうたのじゃ。何に変質したかは、映像越しでは判断できぬが、恐らく空気か空間と同化したのじゃろう。
しっかしのう…こんな方法で天使を無力化できるのは、莫大な数の生徒を誇る学園都市ユーテリアでも、アリエッタただ1人だけじゃろうなぁ」
多くの優秀な人材を束ねる星撒部の副部長をして、心底感心させるアリエッタの能力に、ノーラは畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
――星撒部2年生、アリエッタ・エル・マーベリー。故郷の伝統武芸、"アルテリア流剣舞術"の免許皆伝にして、「千年に1人の逸材」と称される天才剣術士。その剣舞は感情を持たぬ無機物にすら、感激を植え付けるとまで言われている。その端麗な美貌と立ち振る舞いから、”剣華"と称される。
アリエッタの舞に心を洗われたノーラが、次に目に入れた映像は…先とは全く異なる、激しい雰囲気が全面から伝わってくる光景である。その中央には、息つく間もなく動き回っている1人の少女――部室では紫の隣に座っていた、狐型の耳と尾を持つ獣人、ナミトである。
彼女の動きは、ロイと比肩できるほどの速度と激しさだ。翼を持たないため、さすがに"飛び"回ることはできないが、鍛え抜かれた張りのある腿を思い切り曲げ伸ばしながら、赤い空の下を"跳び"回っている。
ナミトが扱う武器は、己の拳足のみだ。しかも、ロイのように攻撃的な形状に変化したものではない。旧時代の地球人類と全く同じものだ。そして、籠手を始めた具足は一切用いていない。素手素足にて、強敵・天使を相手に業を振るっている。
ナミトの体術の動作自体は、さほど特別なものではない。東洋的な要素が見て取れるが、だからといって何かの体系立てられた武術流派を扱っているワケではなさそうだ。敵に対してひたすらに、最短で最適な動作を用いて、己の攻撃を当てるだけである。
どんな達人であろうと、ただ拳足を当てただけでは、『神法』の加護を受ける天使を撃破するには至らない。それはナミトとて例外ではない。それゆえ彼女の攻撃には、工夫がこらされている。インパクトの瞬間、天使の体内から凄まじい轟音と爆裂が発生するのだ。これは打撃に闘気を乗せて、相手の体内で爆発などの作用を引き起こす技術、"発勁"である。闘気は戦闘的意志を力学的エネルギーに転化させたものであり、意志をぶつける戦闘技術はすなわち、敵対する存在の定義の否定へつながる。故に、天使に対する有効な攻撃手段となるのだ。
戦っているナミトの姿に見入っているノーラは、部室で見かけた時との相違点を発見する。それは、尾の数だ。部室ではただ1つだったはずが、今は9つに増えているのだ。この数の差は、一体何を物語っているのか? その答えは、発勁を発動する直前に隠されているようだ。ナミトの拳足が天使の身体に抉り込まれた瞬間、尾にパリパリと紫電の糸が走る様が見て取れる。ここから鑑みるに、彼女の種族にとって尾とは、闘気を練り上げるのに一役買っている器官なのかも知れない。
それにしても…嵐のように不断で戦い続けるナミトの表情は、満面の笑顔だ。まるで、極上の玩具を与えられた幼子のような様子である。ロイもまた戦いの際に笑みを浮かべるが、彼の場合はギラギラとした剣呑な表情だ。ナミトの純真無垢さとはベクトルが全然違う。
この厳しい戦いのどこに、破壊衝動以外の楽しめる要素があるというのか? ノーラが疑問符を浮かべていると、それを横目で見た紫が答えを口にする。
「"人生を楽しむ"…それがナミトのポリシーなのよ。言葉だけならよく耳にするけど、ナミトの凄いところは、それを徹底的に実践してるトコね。
あの娘にとっては、どんなに辛い苦境も、楽しめる一要素に過ぎないのよ。あの娘曰く、"窮地をいかに切り抜けるかを楽しむ”ンだってさ。
まぁ、手放しには羨ましがれないけど、ホント良い性格してるとは思うよ」
そう紫が語っている最中、ナミトに早速窮地が訪れる。周囲を囲む天使たちが一斉に、猛烈な勢いで火球を雨霰と叩き込んできたのだ。対するナミトは、もちろん、盾など持ち合わせていない。ノーラの常識で考えれば、魔術で障壁を作って防御するのがセオリーだが…ナミトからは、魔術を発動させる気配が感じられない。ただ単に、喧嘩の際に打撃を防御するのと同様に、顔と胸の手前で両腕を交差させて防御態勢をとっただけだ。
あっ…とノーラが不安の声を上げたのと同時に、火球の群はナミトに直撃。盛大な火柱と爆発が映像を埋め尽くす。天使の炎の厄介な性質と威力は、都市を走り回って救助活動に当たっていたノーラはよく知っている。それだけに、ナミトの対応では悲惨な結末を呼ぶだけだと確信し、思わず眼を閉じる寸前までに細めた…のだが。
すぐに、ノーラの眼は丸く開かれることになる。
盛大で残酷な真紅の中から、勢いよく飛び出してくる人影がある。一呼吸の間もなく姿を現したその正体は――全くの無傷の、ナミトである!
「え…嘘っ…!」
ノーラが驚愕の声を漏らしている間に、ナミトは相変わらずのスピーディな動きで天使に肉薄。掌底や蹴りを思い切り見舞うとともに発勁を発動、天使の体内で闘気を爆発させて神霊子へと分解させる。
ノーラは完全に紫へ顔を向け、身振りで説明を要求する。紫はニヤリと翳りを含んで面白がる笑みを作ると、人差し指を立てながら要求に応える。
「闘気を攻撃に使う技術、"発勁"が存在するなら、闘気を防御に使う技術も存在する。それが、"鍛功"よ。
物理性質自体を術式によって拡張したり付加したりする身体魔化と違って、"鍛功"は"性質に『力を込め』て、性能を引き上げる"って代物らしいわ。術式を構築する手間がない分、発動までの時間は断然短いんだけど、身体をミッチリ鍛え込まないと実現できないんだってさ。
ナミトみたいに、筋肉とナイスバディの二物が同居できる身体に生まれたなら、修得するのも面白そうだけど…私はパスだね、ただの女マッチョになりそう」
紫が説明する間にも、ナミトは次々と天使を撃破し、周囲を純白の羽根状光だらけにする。その中で汗をキラリと光らせながら無邪気に笑う彼女の姿は、アリエッタとは違う、健康的な美しさで輝いている。
――星撒部1年生、ナミト・ヴァーグナ。"仙獣"と呼ばれる獣人系人種の少女であり、"発勁"と"鍛功"の達人。無邪気な笑いで激闘を制し続けてきた彼女には、"悦狐"の通り名が送られている。
ノーラが最後に覗き込んだ映像は、星撒部一の苦労人(?)、蒼治である。
彼も戦闘に際しては、よく動き回っているが、ロイやナミトほどの勢いはない。その行動からは、どこか物静かで、計算高い賢しさが見て取れる。
彼の戦場は、ロイと同様、地上のみならず空中にも及んでいる。とは言え、彼にはロイのように背から翼が生えているワケではない。ただし、翼の代替というべき青白い"部品"が3対6枚、背中の周囲を覆っている。この"部品"の正体は、翼状に変形した方術陣だ。これを翼さながらに器用に扱い、空中を自在に飛翔している。
蒼治の武器は、両の手に一丁ずつ握られた拳銃である。ただしこの武器、射撃目的にだけ特化した代物とは違う。長めの銃身の上下には強化フレームが取り付けられ、物理攻撃の防御や殴打による近接攻撃を考慮されている。実際、蒼治は接近した天使をこの銃身で強打し、後退させて間合いを取る戦術を見せている。
蒼治はマニュアルとセミオート連射を巧みに切り替えながら、的確に天使に弾丸を運び、撃破している。その動作を眺め続けていたノーラは、ある違和感に気付く。それは…ひっきりなしに銃撃しているのに対し、リロード動作が全く見受けられないことだ。
しかしノーラは、すぐに違和感を払拭して納得する。その理由は、射出される弾丸自体が明かしてくれる。弾丸は蛍光の魔力励起光を発しながら宙を疾駆する――それは、方術のスペシャリストである蒼治が弾丸を魔化しているからだ、と"誤解"していた。だがこの弾丸、実際には一切の物質を用いていない、高密度の術式で形成された純粋な魔力弾なのだ。つまり蒼治は、逐次の射撃の際に方術で弾丸を作り出しているワケだ。機械のセミオート射撃にも対応できる速度で、実用的な魔術弾丸を連続で作り出すとは…達人業という言葉すら霞むほどの技量である。
そんな強力な業を駆使する一方、蒼治の表情は酷く険しい。眼鏡越しの細い目は厳しい鋭さを帯び、食いしばった歯が薄い唇の間から覗いている。そんな彼の表情は、交戦を繰り広げている部員たちの中でも明らかに浮いている。群れて襲いかかってくる強敵相手に、不断の魔術酷使も相まって、大苦戦しているように見えるが…?
「あの…渚先輩、蒼治先のこと、援護した方がいいと思うんですが…」
ノーラがたまらず言及すると、渚はチラリと蒼治の映像を見やったが、すぐに視線を空に戻してしまう。とは言え、彼のことを見限った、というワケではなさそうだ。その証拠に、渚の顔には余裕溢れる笑みが浮かんでいる。
「蒼治の戦っている様が、苦しげに見えるので、気になるんじゃろ? 初めてあやつの戦いを見る者は皆、そういう感想を抱くものじゃ。
じゃが、安心せい。蒼治にとっては、いつものことじゃよ」
この台詞を、突き放した冷酷さと受け取ったノーラが、隣に座す紫に視線を向ける。だが、ノーラに視線で応える紫の表情には、渚への同調が見て取れる。納得のいかないノーラは、更にヴァネッサにも視線を向けるが…彼女も極々平然とした様子で、己が制御する映像を見ているだけだ。
ノーラの胸中に不安が膨らみ、露骨にそわそわし始めると。渚が再び空から視線を外し、苦笑いを浮かべながらノーラへフォローを入れる。
「蒼治のヤツ、仮入部員に心配させるとは、罪作りな男じゃのう。
じゃがな、ノーラよ、本当に心配する必要はないのじゃぞ。よく見てみよ。蒼治のヤツ、別に苦戦しているワケではないのじゃ。その証に、ホレ、天使どもを一発で仕留めておるじゃろう?」
渚は指差しまでして、ノーラを説得にかかる。なるほど、彼女の言う通り、蒼治の射撃は一々天使を的確に捉えると、大きな球状の青白い爆発を起こし、その後には純白の神霊子の蒸発現象を残す。たまに天使に接近されることはあるが、銃身の殴打や巧みな蹴りで間合いを取るため、押し込まれている様子もない。表情さえ気にしなければ、かなり優勢に戦いを進めているように見える。
ノーラがようやくこの事実を認識し、ほうー、とため息を吐くと。それを耳にした渚が、こめかみに指を立ててグリグリしながら、眉根を寄せて語る。
「蒼治のヤツはのう、希望の星を撒くこの部に所属しているくせに、自分自身に対してはひどい悲観主義者なのじゃ。
よく言えば、慎重派、とも表現できるかも知れんが…相手が明らかに格下であろうと、常に最悪の展開を予想して立ち回る。それ故に、いつでもあのように辛そうな顔をしておるのじゃ。大抵、あやつの予想は杞憂そのものなんじゃが…どうにも、身に染み着いた習慣というか性質というものは、そうそう消えぬようじゃ。
あやつが平々凡々な表情で臨めるのは、ウォーミングアップ目的の練習試合くらいなんじゃよ。全く、難儀で小心極まりない性格じゃわい」
そうこうと渚が言及している間にも、蒼治は苦虫を噛み潰したような顔のまま、二十を超える数の天使を軽々と撃破している。この頃ようやくノーラも、蒼治のことを気難しい実力者なのだと、半ば呆れながら安心して映像を眺めるようになった。
――星撒部2年生、蒼治・リューベイン。常識的にして慎重な性格ゆえに、勢い頼みの行動派が揃う部員たちへの気苦労が耐えない、苦労人。そして、学園内でもトップレベルの方術操作技術を持つ実力者。彼の紺の髪色と、ブルーな雰囲気から、彼の実力を認める者は『鬱蒼の狩人』と呼ぶ。
◆ ◆ ◆
ノーラが、ヴァネッサの映像を一通り目にした頃のこと。彼女の隣に座っていた紫が、おもむろに立ち上がる。
「さーて、ノーラちゃんも部員のみんなの戦い振りに突っ込み入れられるくらい元気になってきたことだし。
ヴァ姐さん、ノーラちゃんのこと頼んでも良いですか?
私もそろそろ体動かさないと、あとで部員のみんなに睨まれちゃいますからねー」
「あら、そんなこと気にする必要ありませんのに」
紫の棘を含みつつも冗談めいた言葉に対し、ヴァネッサはまともに返答する。
「あなたが、わたくし達のために献身的に治療して下さったことは、周知の事実ですわ。文句など言われるはずがありませんわよ?」
すると、紫は切ないような、はにかむような、可笑しな表情を浮かべる。
「…いや、知ってますけど…。
私も他の部員のみんなみたいに、カッコよく活躍したいだなんて、恥ずかしくてマトモ言えなかっただけです…。言わせないで下さいよ…」
「あら、そうでしたの! それはそれは…悪いことを致しましたわ」
「いえ…もう良いです。気にしてませんから」
紫は言葉ではそう言うものの、顔を赤くしながらプルプル震える様子からは、どう見ても"気にしていない"ワケがなさそうである。
だが、紫はいつまでも気にしてはいない。はぁー、と長いため息と共に挫けた意気を体内から吐き出すと。先刻と打って変わって、刀剣のようにキリリと引き締めた表情を作り、禍々しい赤の空を睨みつける。
この時、ノーラ達の頭上には丁度、5体の天使が姿を見せていた。彼らは恐らく、交戦を続ける部員のいずれかの元に向かっていたのであろう。しかし、眼下にノーラ達を見つけると、慣性を無視した動きで飛行を急停止。5体は螺旋を描きながら、弧状の翼上に炎弾を生成しつつ、降下してくる。
「よっし、お誂え向き!」
紫は指を鳴らし、勇ましく呟く。直後、彼女は両の眼を瞑って深呼吸すると、体内で術式を練り上げる。すると、彼女の体から赤白い魔力励起光が揺らめく円柱状に発生する。まるで、紫の闘志がそのまま燃える炎へと転化したかのような光景だ。
励起光の柱が出現して、数秒と経たぬほどの短時間の後、紫の体に変化が起こる。彼女の衣類一式…いや、それだけでない、衣類を装飾品の類をつけていない頭や掌まで…が、励起光と同じ色に塗りつぶされる。光はやがて形状を変え、曲線的でありながらも堅固な印象を持つシルエットを持つ。
形状が完全に固定したのと同時に、光が蒸発するように弾けて消滅。そして露わになった紫の姿は…赤と白を基調とした、体のラインにフィットする機械装甲に覆われている。ただし、"機械装甲"と言えども、無機質な兵器のような印象は持ち合わせておらず、女性的な柔らかさを持ち合わせた、"暖かみのある鎧"といった印象だ。特に、頭に装着されたティアラ状の部品は、猫耳を思わせるような可愛らしいデザインとなっている。
紫の見せた能力は、『魔装』と呼ばれるもので、『変身』能力の一分野である。変身能力自体も希有な能力であるが、『魔装』はその中でも一際珍しい能力である。術者自身にマッチする物品しか作り出させないという制約はあるものの、魔力を用いて無から有を作り出すこの力は、定義変換同様、"神に近い技術"とされている。
紫のこの能力を目にしたノーラは、思わず目を丸くして見入る。ノーラと紫はクラスメート同士であるが、こんな希有な力の持ち主だとは知らなかったのだ。そもそも、クラスでの紫はあまり人との接触を持とうとしないため、クラスメート達の観点からはノーラ以上に未知の人物として扱われ、忌避されているようなきらいさえあるのだから、あまり情報がないのだ。
ノーラの視線に気付いた紫は、ニンマリと笑って口元に指先を当て、おどけて語る。
「ウッフッフ、私のシークレットでグレイトな変身に見とれちゃったかなー?
そのままハートにクラクラ来て、倒れたりしないように、気をつけなよー!」
語尾にウインクまでつける紫の動作は、彼女の普段の態度とあまりにかけ離れており、ノーラは困惑して目を白黒させる。
そんなノーラをしばし面白がって見つめていた紫であったが…やがて、降下してくる天使達の神霊力がヒシヒシと皮膚を刺すようになると、キリリと顔を引き締めて上空を睨みつける。
「っとと、あんまりおどけてる場合じゃなかったわね。
それじゃヴァ姐さん、後はよろしく!」
ヴァネッサに向かって指で敬礼するような仕草を残した直後、紫は脚部装甲に装備されたバーニア部を点火。ボォッ、と大気が爆発的に燃焼すると同時に、紫の体が宙に浮かび――一気に急加速しながら、天使たちの元へと肉薄する。
接近の途中、紫は両手で虚空を握りしめる仕草を見せる。直後、両手を端として、またもや赤白い魔力励起光が発生、グンと幅広に延びる。その大きさたるや、紫の体をすっぽりと覆うほどの面積だ。やがて励起光は小片へと破砕、剥離すると…そこに現れたのは、巨大な剣だ。しかも、単なる大剣ではない。刃にはチェーンソーを思わせる、蠕動する荒い凹凸があり、刀身の峰の部分には3つ並んだバーニア機関がある。紫の魔装に付随して生成される、彼女専用のユニークな武器だ。
紫はこの大剣のバーニアをも起動させ、さらに上昇速度を加速。赤い稲妻となって天使達の元へと接近すると――!
「セイッ!」
鋭い呼気と共に、大剣を暴風と化して一閃。凹凸が蠕動する刃は、一気に3体の天使を薙いで激突する。転瞬、轟ッ、と大気が激震する轟音が響く――いや、違う。震えているのは、大気ではない。轟音と共に発生した漆黒の雷電を伴った黒い球体、その周囲の光景がグンニャリと激しく歪んでいる様子見て、ノーラは覚る。震えているのは、空間そのものだ! そしてインパクトの瞬間に生じた黒い球体、それは暴走する重力の渦なのだ。
重力の渦は、斬撃をまともに受けた3体の天使のみならず、近くを飛んでいた2体の天使まで引き寄せると、まるで雑巾を絞るように激しく捻り潰しながら、漆黒の深淵へブチ落とす。天使達は美しい純白の神霊子の光を残すことも出来ず、静かにその存在に幕を下ろす。
あっと言う間に5体を片づけた紫は、収縮して消えてゆく重力塊を過ぎり、そのまま飛翔を続けて赤の空の中へととけ込んでゆく。その飛翔の軌跡の途中には、いくつもの漆黒の球が葡萄の実のように連なって発現する様が見える。その一々が、天使の撃破を物語っているのだろう。
ノーラのことを散々"霧の優等生"と呼んで持ち上げている紫だが、彼女自身も相当の実力者である。
――星撒部1年生、相川紫。クラスの中では、寡黙で人付き合いのない、謎に包まれた人物。だが部活動下で明らかになるその実態は、ブラックユーモア溢れる毒舌家であり、希有なる能力『魔装』の持ち主。彼女の実態を知る数少ない者達は、魔装発動後の赤白い装甲を纏って暴れ回る姿から、『赤雷の剣姫』の渾名を送っている。
紫も戦場へと飛び出しまい、残るはヴァネッサとノーラの"お疲れ組"と、未だに空ばかり睨みつけて動かぬ渚の3名となってしまった。
「全く…紫ったら、やる気旺盛なのは誠に結構ですけど…。わたくしたちが要救助者だということ、すっかりと忘れて飛び出してしまうなんて、理不尽極まりない話ですわね」
ヴァネッサは肩の高さに手を挙げて首を振り、やれやれとため息を吐く。
「おまけに、わたくしは了承なんてしていませんのに、ノーラさんのお世話も丸投げするんですものねー。
…あっ、ノーラさんが悪いと言っているワケではありませんからね、悪しからずですわ!」
慌ててパタパタ手を振りながらフォローするヴァネッサの様子がなんとも滑稽に見えてしまい、ノーラはクスクス笑いながら頷く。
「それにしても…」ノーラがヴァネッサに語りかける、「相川さんって、この部にいるときは、とても活き活きしてるんですね…。クラスに居るときと全然違うので、ちょっとびっくりしました…」
「あの娘曰く、"仲良く出来る人間の数が限られている"、のだそうですわ。
そんな性格をしていながら、不特定多数の皆さんに希望の星を撒くこの部活に所属しているというのは、なんともおかしな話ですわよね」
そんな世間話をしていると…再び、頭上からチリチリとした神霊力の波及が現れる。ヴァネッサとノーラがほぼ同時に天を向くと、そこには案の定、天使の姿がある。その数はざっと10体程度と、さっきより数が多い。
「あーあ…これは明らかに、紫さんの所為ですわね…」
ヴァネッサが苦々しい笑いを浮かべ、去っていった少女への苦言を吐く。
「折角、蒼治が事前に魔力的迷彩を施してくれましたのに…派手に戦闘なんてやらかしたものですから、天使たちに目をつけられてしまいましたわ」
ヴァネッサの言葉は紫への当てつけとも聞こえるが、あながち的を外れた意見ではない。実際、紫が戦闘を行うまでは、天使たちがこの地点を目的に集結してくることはなかったのだから。
だが今、赤い空を見上げると、頭上の10体のほかにも、この地点へ向かうような動きを見せる天使の姿がチラホラと見える。紫の派手な行動が引き金になってしまったのは、事実のようだ。
ノーラはこの時、チラリと渚へ視線を走らせた。ずっと空を見つめている彼女のことだ、天使の存在に気付かないワケがない。しかし、彼女はノーラ達に警告するでもなく、撃退行動を取るワケでもない。ひたすらに空を――とりわけ、『聖印』の中心を睨み続けているだけだ。ヴァネッサやノーラのように、負傷したり疲弊したりしている様子は全くないのだが…。
(一体、何をしてるんだろう…?)
部員に気を配る立場であるはずの副部長が、傷つき疲れ果てた部員たちの世話もせずに、虚空を見つめることがそんなに大事なのだろうか? ノーラが胸中で不満の棘を尖らせるが、当の渚は気付くもはずもなく、どこ吹く風といった風体である。
一方、こんな副部長の態度をとうに見限っているのか、ヴァネッサは不満を漏らす素振りを一切見せない。それどころか、人差し指をピンと突き立てた右腕を上げ、自らの手で事態を打開すること世界に宣言する。
「全く…先輩遣いの荒い後輩を持つと、気苦労が絶えませんわね」
ため息を吐きながら口にする不満は、渚に対するものではなく、紫へのものである。渚へ不満をぶつけないのは、同年代のよしみによる気遣いであろうか?
真相はともかく…そうこうしている間にも、天使達は一直線に降下を続け、ノーラたちの元へ迫り来る。弧状の翼には幾つもの炎弾をたわわに実らせており、すぐにでも破壊衝動をブチ撒けそうだ。
だが、天使達が衝動が行動に結びつくことはなかった。天使の周辺から突如として、パキパキ、と言う乾いた音が騒然と鳴り始める…それと同時に、宙に深い青色をした結晶が最初は平面的な多角形状に、徐々に厚みを増してゴツゴツした多面体へと成長してゆく。やがて結晶は天使の体に接触、そのまま内部へ飲み込んでゆく。天使達は無貌ながら、この事態に明らかに慌てて始める。まるで捕まったトンボのようにジタバタと体をうねらせ、水晶からの脱出を試みるのだ。この行為にすっかりと気をとらわれてしまったらしい、炎弾を形成するための魔力集中が途切れ、炎は情けなく萎んで消えてゆく。
天使たちは必死にもがけども、水晶の捕縛からは決して逃れられない。それどころか、水晶は更に成長を続け、天使の全身を飲み込んでゆく。ついに天使が、琥珀に閉じこめられた蜂のように、水晶の中にすっかり閉じこめられてしまうと、水晶は重力の為すがままに自由落下。巨大な雹のように大地に激しく激突し、盛大な砂埃を上げる。
この美しくも奇妙な現象を引き起こしたのは、言うまでもなく、水晶使いのヴァネッサだ。ピンと立てた人差し指の先端は、高密度の術式の励起光によって眩い青白色に輝いている。広大なコンサートホールの敷地を丸ごとカバーできるほどの強大な魔力を扱える彼女のことだ、効果範囲を限定して結晶凝固に集中すれば、『神法』を打破して天使どもを水晶の棺に閉じ込めることくらいやってのけて当然であろう。
直近の危機を見事に打開したヴァネッサであるが…彼女は決して気を抜かない。むしろ更に険しい表情を作って、天使が舞う空を睨みつける。彼女の懸念は、果たして的中した…仲間を斃されたことを察知した天使たちが、更に数を増してこの地点目指して集結する様子が見て取れる。事態はますます面倒な方向に進んでしまったようだ。
ヴァネッサは小さくため息をつくと、落下した水晶塊を見回す。水晶塊の中には、天使たちが神霊子に分解されぬままに封入されている。
「さあて、天使の皆さん、あなたがたの出番ですわよ」
ヴァネッサが言葉を口にすると共に、指をパチンと鳴らす。同時に、彼女の体から大量の魔力が水晶塊一つ一つに向けて流れ込んでゆくのを、ノーラは敏感に感じ取る。
魔力を受け取った直後から、水晶塊に早速変化が起こる。封入された天使が、熱水の中で急速に溶ける氷のように縮みだす。それと反比例するように、水晶塊はガキガキと激しく軋む音を立てながら、樹木が枝を伸ばすような有様で成長する。やがて形状が、一対ずつの手足と翼、そして一つの頭を持つ人型の姿を取ると…パキンッ、と澄んだ破砕音を響かせて細かい結晶片を撒き散らし、細かいディテールを整える。そうして完成したのが、芸術品の領域にも及ぶ緻密で豪奢な装飾が施された、翼を持つ水晶の鎧巨人だ。その体高は、優に5メートルにも及ぶ。この巨躯よりも、さらに頭一つ分も長大な斧槍を左右の手に一つずつ装備したその姿は、空を飛び回る無貌の天使よりも神々しく、力強い。
ヴァネッサの得意技、水晶の使い魔の生成が今ここに、完遂したのである。
「さあ、お行きなさい、わたくしの忠実なる兵士達よ!」
ヴァネッサは戦争映画の軍師よろしく、大仰に右腕を振るって使い魔達に下知する。
「あなた達の結晶構造には、天使の神霊力を封入しましたわ! その力を存分に振るい、弱き者たちを虐げる天使どもを成敗しておやりなさい!」
「応ッ! 我らの存在の全ては、我らが姫の御為に!」
ヴァネッサの命令に応え、使い魔達が一斉に雄々しい声を張り上げる。そして次々に翼をバサバサと大きく打ち振るわせて巨躯を宙に躍らせると、一直線に天使達の群へ向かって突撃してゆく。天使と異なり、意志の疎通が出来る彼らであるが、その感情は仮初めのものである。彼らは自らの存在が破壊されることへの恐怖など微塵も感じることなく、機械的な勇敢さで敵へと立ち向かうのだ。
使い魔たちを見送ったヴァネッサは、ふうー、と一仕事終えた安堵のため息を吐くと。ノーラに和やかな視線を送り、自嘲の色が混じる小さな笑みフッと浮かべる。
「ノーラさんはもうお分かりと思いますけど…この部に足をつっこむと、怪我をしようが疲れ果てていようが、おちおち休んでもいられなくなりますわよ」
そう語るヴァネッサの声は、うんざりとした不満よりも、多忙の中にやりがいを見い出した誇りが色濃く滲み出ていた。
――星撒部2年生、ヴァネッサ・アネッサ・ガネッサ・ラリッサ・テッサ・アーネシュヴァイン。その長たらしい名前は、出身世界において貴族階級にあることを意味する。恵まれた環境に生まれ育ちながらも、その恩恵のぬるま湯に浸り続けることなく、自らの意志で過酷な人生に飛び込んだお嬢様。しかしながらその実力は、彼女を単なる"物好き"に留めない、確固たる本物である。その厳然たる貫禄と、華麗な水晶の技を扱う姿から、『翡翠の戦姫』の称号で通っている。
さて…ヴァネッサが回復したての力を振るって、天使との戦いに本格的に参加する一方で…。副部長である渚は、やはり一向に参戦する気配がない。相変わらず『聖印』の中央を見据え、腕組みして立っているだけだ。その姿勢だけは威圧感たっぷりだが、実益は全く伴っていない…そう判断したノーラは、段々と渚に対して不満を募らせる。
そしてついに、ノーラは少しムスッとした様子で、言葉の棘をぶつける。
「…副部長さんは、戦わないんですか…? 部員の皆さんは、とても頑張っているますけど…」
「ん? そうじゃな、皆、本当によく戦っておるのう。『地球圏治安監視集団』でも、ここまで戦える者はそうそう居るまい」
「…あの、そうではなくて…」
話の方向をはぐらかす渚に、ノーラはますます不満を募らせると。その感情を直球の言葉に宿す。
「なぜ副部長さんは、みんなと一緒に頑張ろうとしないんですか? どうして、空ばっかりぼーっと見つめてるんですか?」
すると渚は、後輩の苦言に気を悪くすることもなく、ハッハッハ、と余裕綽々に声を立てて笑う。
「要の秘密兵器が、ホイホイと前線に出てはいかんじゃろ?」
"秘密兵器"…? その言葉が一体、何を意味するのか。全く理解できないノーラは、眉根を寄せて首を傾げる。
しかしノーラは、その不可解な言葉を単なる言い逃れと判断することにした。そして、募った不満に同意を求めて、ヴァネッサへと視線を向けた…が。彼女は全く気にすることなく、むしろ納得し切った様子だ。それどころか、ノーラの不満を解くべく、語りかけすらする。
「良いのよ、これで。
むしろ、こういう場合に渚が出張ると、事態が酷くややこしくなってしまいますのよ。
必要な時にキチンと働いてくれれば、それで十分ですわ」
「ま、そういうことじゃ」
まだ納得していないノーラへ、渚は悪びれなくウインクを送る。
「しかし、案ずるでない。わしの出番は、必ず回ってくる。不幸にも、のう」
"不幸にも"。その言葉がチクリとノーラの不満を突く。――確かに彼女にとって不幸だろう、怠けられなくなるのだから――そんな風に嫌味な方向に解釈したノーラは、こっそりとジト目で渚を睨みつける。
…とは言え…不動の渚に文句をつける自分自身も、戦闘に荷担できてない。その事実を顧みると、渚への不満がヘナヘナと力を失って萎んでゆく。
一応、ノーラは動けなくても面目が立つ理由を抱いている。意識を失って紫に解放されるまで、都市国家のために休まずに働き、士師との戦闘もこなしたという実績があるのだ。だが、ノーラはこの実績を頼れないでいる。同じくこの都市で働き続けた大和、イェルグ、ヴァネッサ…そして、彼女と全く同様に士師との戦闘もこなしたロイも、未だに戦闘の最前線に立っているのだ。それに比べると、休養にどっぷり浸かっている自分が情けなく、そして怠け者に見える。
「あの…ヴァネッサ先輩。何かお手伝いできることはありませんか…?」
ノーラはたまらずに、ヴァネッサへおずおずと尋ねる。紫に――詳細はよく解らないが――治療してもらったとは言え、正直、戦闘をこなせるような気力はない。だからせめて、雑用をこなすくらいのことはしたいのだが…。
尋ねられたヴァネッサは、ニッコリと和やかに華やいだ笑みを見せると、やんわりと首を横に振る。
「初めて部活動で、こんな大変な状況に放り込まれたんですもの。あなたは十分すぎるほどに、頑張ってくれましたわ。まだ体調は万全でないのですから、ゆっくりとお休みなさいな」
「いえ…! 自分から望んで、みなさんのために何かやりたくて、ここに来た身です!
このまま休んでいては、何のためにここに来たのか、分からなくなります…!」
強く訴えるノーラに対し、ヴァネッサは心底困った苦笑いを浮かべつつ、諭す。
「あなたはもう、十分にわたくし達のため、そしてこの都市のために働きましたわ。その実績を疑う人なんて、どこにも居りませんわよ。
そんなことは気にせず、まずは十分に体をお休めなさいな。むしろそれこそが、今のあなたがわたくし達、そしてこの都市のために出来るベストだと思いなさいな」
「…でも…! 私以上に頑張り続けてきたヴァネッサ先輩は、今もこうやって、頑張ってるじゃないですか!」
ノーラはなおも食い下がるが、ヴァネッサは笑みで彼女の勢いを食い止める。
「わたくしのことなら、心配無用ですわ。だってもう、慣れっこですもの。
経験の少ないあなたが、爪先立ちするほど無理をして、わたくし達と肩を並べる必要はありませんわ」
「もしも…」
急に言葉を挟んできたのは、空から視線を外しノーラを見つめる渚である。
「おぬしがわしらと同じ域に立ちたいのならば、いっそ本入部して、わしらと共に場数を踏めば良い!
おぬしも身に染みて知った通り、決して楽な活動でないが、やりがいや達成感は学園中の部活の中でも一番であることは、このわしが保証しよう!」
小振りながら形のよい胸をドン、と拳で叩き、渚が誇らしげに声を上げる。こんな時分でなければ、ノーラはこの言葉に素直に感銘を受け、気持ちが一気に傾いたかも知れない。
だが…渚に対して素直になれないノーラは、(あなたに保証されても…困るんですけど…)と苦言を胸中で漏らすのであった。
何はともあれ、何もすることがないと言われた以上、ノーラは地に尻を付けると、ヴァネッサの働きを見守ることにした。もちろん、空を見てるだけの渚になんかは一片の興味もない。
ヴァネッサは顔の周囲に展開した水晶ディスプレイで使い魔たちの状況を把握しながら、頷いたり首を捻ったりする。時々、青白い魔力励起光がともる指先を空に向けて、使い魔たちへ魔力を供給する仕草も見せる。…とは言え、全体的には外観的な動きの少ない作業なので、見ているのは正直、飽きてくる。
働く緊張感のない状況が続くと、ノーラの体内深くに潜伏していた疲労感が鎌首をもたげてくる。それは瞼に鉛の重さを運び、虚ろな睡魔を呼び込む。
(いけない…ここは戦場、みんな頑張ってるのに…!)
一生懸命に自身を鼓舞し、睡魔を押さえ込もうとするが…その甲斐なく、カクリ…カクリ…と首が力を失って、不安定に揺れ動く。
ついに…瞼が完全に閉じ合わさり、ノーラの意識が暗転する…そう思われた矢先、強烈な異変が生じる。
ガクンッ――擬音語で形容すれば、そんな感じであろうか。急に、頭を押さえつけるような圧迫感が発生。ウトウトと夢の狭間を彷徨っていたノーラを、一気に現実に引き戻す。
(いきなり、何…!? この感覚って…!?)
圧迫感は次第に大きくなり、頭蓋や眼底を締め付けるような鈍痛を呼び起こす。同時に、意識の中に流れ込んでくる、騒がしい言葉に嵐。――私を讃えよ、私を崇めよ、私を愛せよ、私のために身を捧げよ。疑うことなかれ、抗うことなかれ、私の魂魄の抱擁に身を委ねよ。さすれば汝、白痴の至福を得ることだろう――理性を蕩かす甘ったるい響きを知覚したノーラは、先に意識を失った直前の記憶と共に、声の正体を思い出す。"獄炎の女神"の神霊力による意識介入だ!
強大な神霊力は魂魄と脳活動との間にギャップを作り出し、意識障害を引き起こす。その前兆として、狂乱した中枢神経が引き起こす異常な神経パルスによって、頭部周辺もしくは全身に圧迫感が生じる。この"圧迫感"から、この現象は"神霊圧"と呼ばれるが、その言葉は正に言い得て妙だ。ノーラは重力操作を受けたように、全身が重くなってくずおれ、四つん這いになってしまう。
『聖印』が出現したにも関わらず、今の今まで神霊圧を感じなくなっていたものを…何故に、またもや強い影響が生じるようになってしまったのか。その原因を求めて、億劫ながらも必死に首を回し、空を見上げたノーラは…すぐに、この異変の元凶を見出す。
『聖印』の中央に、大地へ向かって延びる純白の光の噴出が見える。この噴出は断面積と高さを徐々に増してゆき、それに比例して神霊圧が高まってゆく…この点からも、異変の元凶が噴出であることは明らかだ。
噴出が強烈に吐き出しているのは、神霊力だけではない。これまで以上の勢いと物量で、天使の大群を絶え間なく吐き出している。今や空は恒星表面状の天国が呈する真紅から、天使の表皮の色である純白へと変わろうとしている。
この光景は、ノーラの肌を激しく粟立たせた。空にゴミゴミとうごめく天使の数は、軽く万単位を越える数を擁しているように見える。これでは、いくら星撒部の部員たちが天使を軽々と撃破できる実力者揃いであろうが、分が悪すぎる。どれほど驚異的なスタミナがあろうが、完璧なる存在である『神』でない以上、いつかは疲労の枷に襲われることになる。そうなれば天使達の圧倒的物量の中にあっと言う間に埋没し、生命をも塗り潰されてしまうことだろう。
(援軍は…!? 『地球圏治安監視集団』は、来てくれないの…!?)
状況の打破を望み、ノーラは加勢を求めたが…すぐに、頭を横に振り、この考えを頭から追い出す。加勢は、この問題を解決してくれないだろう…光の噴出からドンドン出現する天使たちは、無尽蔵のように思える。いくら加勢があろうが、高々有限な人員で立ち向かう以上、敗北は必至だ。
「一体…どうすれば…良いの…」
ノーラは己の失意を、尻すぼみに消えてゆく力ない言葉に託して表現する。そうしている間にも、空はどんどん天使によって埋め尽くされてゆく。その神々しい純白とは裏腹に、ノーラの意識は絶望の漆黒一色に染まりつつある。いくら希望の星を世界に撒くために奮闘する、勇敢なる部員たちと共にあろうとも、寸分たりとも楽観も安堵もできない。まさに、絶望の深淵の奥底に落ち込んでしまった状態だ。
その時だ――足掻こうにも四方八方を暗澹が埋め尽くすような状況の中で、フフッと軽く鼻で笑う声が漏れる。その笑いは暗黒の中に差し込む一条の目映い輝きのごとく、ノーラの意識に鮮烈な刺激を与える。
ノーラは髪を振り乱して、笑い声の主を見やる。そう、声の主は明白だ――これまで何もしてこなかった、空ばかり眺めるだけだった少女、立花渚である。
(何を笑ってるんですか!? どうして笑えるんですか!? この地獄で、一片の苦労にも荷担せず、ふんぞり返っていただけの貴女が! どんな算段があって、そんなに余裕綽々で笑うんですか!?)
胸中で爆発する不満を鬼気迫る表情に投影し、ノーラが渚を睨みつける。険しい視界の中、渚はノーラの激情など全く意に介さず、軽いストレッチを始める。
「そろそろ、良い頃合いじゃな! のう、ヴァネッサ!」
いきなり話題を振られたヴァネッサは、眉間にしわを寄せた視線を水晶ディスプレイから離さずに、余裕なく早口で言葉だけ返す。
「ちょっと、遅すぎませんこと!? わたくし、もう手一杯ですわよ! それに、神霊力でまた頭がズキズキしてきましたし…!
こんなに引っ張っておいて、本当に大丈夫なんでしょうね!? 力及ばず失敗しちゃった、では済みませんことよ!」
非難にも近い口調には、ノーラも全面同意だ。しかし渚はやはり、余裕な態度を崩さずに、ハッハッハッ、と芝居がかった笑い声を出す。
「案ずるな、己の分はしかとわきまえておる。その上で、"獄炎"のヤツを殴りつける、最高のタイミングは計っておったのじゃ。
これでもか、というほどの戦力を投入した今、"獄炎"のヤツは勝った気でおるじゃろう。その上であやつは、悠々とこちらに向かってきておる。わしには――いや、"わしだからこそ"、よく分かる。
そして、これ以上ないほどにのぼせ上がったあやつを――!」
鋭く、力強く、弾むように語尾を言い切った、その直後。渚の全身からブワリと、物理的な烈風を伴う強大な魔力の奔流が発生する。烈風に煽られ、渚の美しいハチミツ色の髪が暴れはためき、逆立つ。
他方、渚の足下を中心にして、大地に巨大な円形の紋章が出現する。文字にも幾何学模様にも見える、複雑な模様を内包した円は、方術陣にも見えるが――ノーラは即座に、違うものだと認識する。何故ならば、この紋章から吹き出すエネルギーは、単なる魔力ではなく…地獄の空から発せられるものと同質の、神霊力だからだ。
つまり、この図形は、『聖印』というワケである。
『聖印』は素早く拡大し、半径1キロほどの巨大な図形となり、逆さまにしたオーロラのような神霊力の励起光を放ち始めた…その時。
「思いっきり、ブッ叩く!!」
天使で埋め尽くされた天蓋を揺るがすような大声を放つ、渚。転瞬、彼女の身に奇妙な現象が発現する。
まず、彼女の背のあたりから、キンコン、と澄んだ鐘の音が響く。そして、純白の光の円が虚空に現れると、その中から異様な人型の存在が姿を現す。体中をベルトや鎖で覆い、胸元には大きな錠前を付けた、無貌の者。その背中には、一対の純白の翼がある。
ノーラはこの人型に見覚えがある。部室からこの都市国家へと移動する直前、渚が呼び出した存在だ。そして、"獄炎"の天使との戦いを経た今、新たな印象が芽生える。
(この姿、この雰囲気…天使と同質…ううん、違う、天使そのものだ!)
そう、ノーラの印象の通り、この人型の正体は"天使"だ。その証拠に、神霊力のうねりが発せられている。しかも、そのエネルギーは"獄炎"の天使より強烈だ。だが、頭痛を喚起するような刺々しさは全く持ち合わせていない。それどころか、人の不安のさざ波を押さえつけてくれるような、優しい圧力さえ感じる。
優しき天が、白光の円からの出現を完了すると、即座に異様な動きを見せる。初めに、胸元の錠前がカチリ、と金属音を立てて勝手に開錠する。次いで、全身の拘束器具がシュルシュル、ビリビリ、ジャラジャラと騒がしい音を立ててほどける。頭部以外の全ての部位が展開すると、ヒラリと動いて渚の身体に背後から覆い被さる。すると、天使の身体は眩い輝きとなって渚の全身に広がり、彼女の輪郭に完全にフィットする。
今や輝きの人型となった、渚。その形状が、粘土細工のように柔らかに変じてゆく。額や腕などでは細かな輪郭の変化が生じている一方、背中では翼や尾の生成という大きな変化が見られる。変形の最後に、頭上に棘のついた輪っかを戴くと…輝きが一瞬にして飛沫となり、霧散する。
そして現れたのは…神々しくも異様な風体をした、新たなる渚の姿。
身体を覆うのは、輪郭にフィットした柔軟にして、陶磁器のような光沢と純白を備えたボディスーツ。手足には、先端部が獣面を模した装具。背中には、魚のヒレのようにも見える、一対の純白の翼。臀部からは、骨片が連なったような外観をした尾がスラリと延びる。この尾の先端は、まるで鍵のように凹凸がついた円柱形をしている。頭には金色に輝く、棘のついた光輪を頂き、その光にハチミツ色の髪や海のような深蒼の瞳がキラキラと輝く。
この形状を取った瞬間から、渚を中心として強烈は神霊力が放出される。力は威厳溢れる震動となってビシビシとノーラの肌を振るわせると同時に、マシュマロのような柔らかさの毛布が生む暖かみが脊椎深くまで染み込む。畏怖と安堵が共存する奇妙な感覚が、ノーラの意識を捉えて離さない。
この時、ノーラは"獄炎の女神"の神霊力に由来する頭痛から完全に解放されていた。渚の生み出す神霊力が、前者の神霊力を凌駕し上書きしたのだ。だがノーラは、渚の姿と力から受ける強烈な衝撃によって、頭痛が癒えた事実を知覚できずにいた。
ノーラの驚嘆の視線に応え、渚は彼女へと向き直ると、深蒼の瞳を細め、桜色の唇を綻ばせて微笑む。
「疲れているところに、不甲斐なさげな姿を見せてしまい、すっかりイラ立たせてしもうたな。すまんかったのう」
渚は、ノーラなどとうに察していたらしい。その上で、目先の評価など気にせず、嫌われ役を勝ったまま、対局的な好機を待ち続けていたのだ。
「じゃが、これまでイラ立たせた分、ここからは痛快劇を楽しんでくれい!
このわし、"解縛の女神"ナギサの晴れ舞台の始まりじゃっ!」
女神――渚が自ら語った正体を、ノーラは素直に受け止める。そもそも、薄々感づいていたのだ…この都市に送り込まれた時、天使を呼び出した時から。だが疑問もあり、彼女の中で訝しむ部分もあったのだが…もはや疑いの霧は胸中のどこにもない。
渚が『現女神』として"降臨"した、その瞬間。都市中の天使達が一瞬動きを止めた。
それは、星撒部の部員たちと交戦中の個体達においても例外ではない。
ロイは総勢50を越える天使に囲まれながらも、驚異的なスタミナをフルに駆使して、『暴走君』の名に相応しい戦闘の暴風を吹かせていた…が。急に眼前の天使が回避行動も忘れて動きを完全に停止し、ロイの竜炎をまとった拳をまともに顔面に喰らったのを見ると、眉根を寄せて動きを止める。
羽根状の神霊子へと蒸発してゆく天使の有様など気にも止めず、周囲の天使達に視線を巡らす、ロイ。天使のことごとくが、時間が凍結したかのように停止している様を見ると、ますます眉根を寄せるが…。
(ん? …この感覚…)
皮膚を通して伝わってくる、震動と暖かみを知覚すると…ニヤリと笑って、納得する。
同時に、天使達がロイに背を向け、一斉に同一の方向へ向かって全速力で飛翔する。隙丸出しの愚行としか言いようのない行動だが、ロイは敢えて彼らを追撃しない。――どうせ、彼らの末路は決まっているのだから。
「副部長、とうとう動いたのか!
独壇場にされちまうのは悔しいけど…まぁ、オレは十分働いたことだし、見物と洒落込むか!」
ロイは翼を開いて空中に静止すると、あぐらをかいて天使達が向かう先を見やる。
万を超える数の天使達が集結する有様は、天空に銀河の渦が形成されているような光景である。やがて渦の中心が盛り上がり、高速で螺旋を描きながら地上へ向けて一直線に効果する。まるで逆さまにした山が、天から落下してくるようだ。
もちろん、山の頂点が目指すのは、『現女神』渚の頭上である。巨大質量に対し、星を撒く女神の姿はあまりにも小さく、儚く見える。山に埋もれる野ウサギ程度にしか映えない。
それでも渚は、相対する巨大質量に絶望することなく…それどころか、不敵な笑いを大きく浮かべる。その表情は、巨大質量を挑発する――容赦なく、全力でドンドンかかって来るが良い!
更には、挑発して待つに留まらず、異形の翼を一打ちすると、純白の流星となって降り迫る天使の山へと一直線に接近する。
(嘘…ッ! これだけの戦力を相手に、自分から立ち向かうなんて…!)
傍観するノーラは驚愕と不安のあまり、思わず手で口元を覆う。そんな彼女の暗い感情を吹き飛ばすかのように、渚が全天を轟かす威声を張り上げる。
「寄って集っ(たか)て弱者を嬲らんとする、不届きなる天使どもよ! 真に聖なる『現女神』、"解縛の女神"のお通りじゃぞ!
おぬしらの横暴なる主に、これから一発ブチかましに行く! さっさと――!
"その道を、開けよ"!」
言い終えると同時に――渚は、眼前に迫った天使の山の頂き、大群の戦闘に位置する個体に向けて、拳を繰り出す。拳の肉薄の道中、手を覆う獣面の籠手が献上を変化。長大に延びる円柱の表面に、凹凸がついた独特の形になる。まるで、鍵のブレードだ。これがドリルのように高速回転し、戦闘の天使の身体のド真ん中に突き刺さる。
インパクトの瞬間、天使の身体がブレードの回転に引きずられながらギュルリと歪み、ポッカリと穴を開く。その直後、ブレードがカッと眩い閃光を放った――同時に、穴を目掛けて金色の衝撃波が放出される。
衝撃波は漏斗状に断面積を広げながら、強烈な烈風を振りまきながら天上へ一直線に驀進する。衝撃波の断面積は最終的に半径約1キロほどにまで達し、極太の円柱となって天使の山を貫通する。衝撃波を形成する強大な神霊力は、飲み込んだ天使達の神霊子結合を直ちに解くと、羽根状の残滓を残す暇も与えずに瞬時に霧散させる。
天使の山に、頂から根本までを貫く巨洞が開く。この時点で既に、ノーラやアオイデュアの各地で戦う部員たち、大量の天使の前に怯え縮こまっていた避難民たちは、驚天動地の心地に呆然とするばかりであった――が、渚の威力はこれで留まらない。黄金の衝撃波が振りまく烈風が天使達を押しやり、抉り、潰す…そして穴は、更に、更に、更に拡大を続け――しまいには、山の麓の裾をわずかに残すのみの、大空洞をこしらえる。今や純白の帳はほぼ消え去り、真紅の空と、そこに描かれる巨大な『聖印』を露わにする。
"道"と言うにはあまりに大きな虚空の中を、渚は真っ直ぐな純白の輝線となって悠々と飛び、大空洞の中心部、『聖印』の中央めがけて驀進する。
一方、『聖印』の中央では、光の噴出の勢いが火山噴火のごとくに達し、高さが10メートルを優に超えるような飛沫の柱を形成していた。それはまるで、水中から慌てて飛び出そうともがく者が蠕動で、水面が激しく揺れ動くかのようだ。
事実、『聖印』の向こうでは、"獄炎の女神"が降臨を急ぐべく、転移空間内で足掻いている。彼女は今の今まで、敵対勢力に自分と同等の存在が潜んでいるなど、知る由もなかったのだ。送り込んだ配下が一撃で殲滅寸前まで追い込まれた事実に、彼女は激しく焦燥し、そして憎悪している。
しかし――女神の努力も虚しきかな――"獄炎の女神"の憎悪は形を結ぶことなく、終わりを迎える。
渚がついに、『聖印』の中央、光の噴出にたどり着いたのだ。噴出される光の正体は、超高密度のあまりに物質界に相転移した神霊子である。常人ならば飛沫を浴びた途端に魂魄どころか存在定義自体が狂乱し、名状しがたき存在へと変容してしまうことだろう。だが、渚は自らも強烈な神霊力を携える『現女神』である。拳を変形させた鍵のドリルは光の飛沫を盛大に弾き飛ばし、紙程度の障害にもならない。渚はそのまま一気に噴出の根本へ至る。
「存分に口惜しみ、身悶えして悔しがるがよいぞ、"獄炎"よ」
噴出の中央に向かい、渚はニヤリと維持の悪い笑みを浮かべ、余裕綽々と勝台詞を投じる。
「おぬしのド派手な降臨は、ここでドタキャンじゃっ!!」
目の冴えるような鋭い叫びと共に、渚は鍵のドリルを噴出の中へと挿入。グリッ、と腕を大きくひねる。
ガギンッ――『聖印』から全天に向けて発される、重々しく軋むような金属音。それは、ドアの錠をロックした時に耳にする音に酷似している。
いや、"酷似"ではない。ロックそのものの音なのだ。渚の鍵のブレードと化した腕は、『聖印』の転移ゲートに対する鍵として作用し、閉鎖してしまったのだ。"獄炎の女神"はもはや、すきま風ほどもこの都市国家に流れ込みはしなくなったのである。
『聖印』が完全閉鎖されると、アオイデュアの天空に大きな変化が現れる。
まず、『聖印』が、折り紙を畳むかのようにパタパタと折り畳まれ、急速に面積を縮めて行く。同時に、空を染めていた赤が薄らいでゆき、清々しい蒼穹へと移り変わる。
恒星表面の姿をした、灼熱地獄の姿をした天国にもまた、変化が訪れる。まるで蜃気楼が風に吹かれて歪むような有様でグニャグニャと姿が潰れる。そのまま数秒ほど、色彩が発狂した巨大な円形の混沌が生じていた…が、やがて、これまでのプロセスを逆再生するような有様で、形状が落ち着きを取り戻してゆく。そして最終的に形成されたのは…希望学園都市ユーテリアの上空にあるものと同様、中世の荘厳な城塞を模した、壮麗にして威厳に溢れる、それでいて平穏な天国だ。この変化から都市の住人たちは視覚的にも、"獄炎の女神"から解放されたことを覚る。
一方、渚が撃破し損ねた、僅かに残存するだけの天使たちだが…。主からの神霊力の供給を失い、急激に弱体化。大半が体積を極端に収縮させ、昆虫のような大きさになってしまった。体積に比例して力も弱くなり、今では子供の掌で叩かれただけでも消滅してしまう有様だ。
未だに体積も力も健在でいる個体も、極々少数であるが存在している。しかし、何をしていいのか全く分からない状況に陥っており、フラフラと右往左往するばかりだ。失笑を買うような不抜けた存在に成り下がった…とは言え、何らかの原因で暴れ出す可能性は否定出来ない。一匹残らず撃滅する必要がある。
「さぁてと…ゆるりと害虫駆除と行くかのう」
一仕事を終えてなお、気力ありふれる渚は、異形の翼を打ち鳴らして、蒼空を彷徨う天使へと追撃に向かう…その矢先のこと。
パァンッ! 風船を潰したような音を立てて、視線の先の天使が破裂、消滅する。もちろん、渚はまだ何もしていない。きょとんとして動きを止め、ぱちくりとゆっくり瞬きをしてから、消滅した天使の向こう側を見やると…。
そこには、蒼穹を背にした大小様々な形状の浮遊戦艦や、戦闘機が大挙して空に一軍を形成している。渚は深蒼の瞳を細めて、戦艦や戦闘機のディテールをよくよく見やる。形状は先述の通り多様であるが、独特の傾向が2点ある。
1つは、無機物の機関に混じって、植物的な機関部品が存在すること。戦艦になるほど、全体の割合に占めるこの類の部品の比率は多くなり、小さな林のような姿に見える。これは、"樹霊着生型構造"と呼ばれる、魔法科学独特の機械構造だ。金属では成し得ない柔軟性と硬度の共存、そして事故修復機能を備える、高価ながら優秀な構造である。
そしてもう1点は、装甲のいずこかに張り付けられているマークだ。ディフォルメの地球に、小さな鳩の翼を持つ輪がたすき掛けのように装備されているそのマークは、『地球圏治安監視集団』の所属戦力であることを物語るものだ。
「このタイミングで、ようやくご到着かい…」
渚はやるせない感情をジト目に宿し、艦隊に苦笑を向ける。戦いはもう終わりを迎えるという頃に、大挙して押し寄せられても、有り難みは全くない。
「まぁ、でも、事後措置まで投げっ放しにされるよりは、断然マシというものじゃな。その点だけでも、良しとしておくとしようかのう」
渚は独りごちるだけに留まらず、芝居かかった動作で独り頷き、自身を納得させるのであった。
――星撒部2年生、立花渚。星撒部の副部長として有名であり、特にその独特の言い回しと、冗談で済まない尋常ならざる活動方針を打ち出すその姿から、後輩たちは彼女のことを『暴走厨二先輩』と呼び、恐れている。
その一方で、無茶苦茶な言動に対して一切文句を言わせないほどの、確固たる実力の持ち主としても知られる。一説では、幻の生徒として扱われている星撒部部長、バウアー・シュヴァールを凌ぐ力を持つ、とまで評価されているほどだ。
そんな彼女の正体が『現女神』であることを知るものは、学園でも極々限られている。そもそも、"慈母の女神"が運営する学園に、別の『現女神』が共生しているという状況自体が極めて異様なのだ。『現女神』達は『天国』を巡って争い合う存在、手を取り合うなど一般的には考えられないことなのだから。
人としても『現女神』としても、"色々な意味で"規格外な彼女が持つ女神の号は、"解縛の女神"。あらゆる概念を自在に解き開き、また縛り閉じる神格である。
- To Be Continued -