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Stargazer - Part 7

 ◆ ◆ ◆

 

 "異変"…それを感じ取ったのは、ロイとノーラの二人だけではなかった。

 彼らと同じくユーテリアから来た未来の英雄の卵たち…ホールで耐火水晶の制御を続けるヴァネッサ、ホールの外で装甲車のメンテナンスを続ける大和、都市の空で天使の残党を狩るイェルグ…彼らもまた、"異変"を認識する。

 ――いや、彼らのような非凡な力の持ち主だけではない。この都市国家アオイデュアに住まう全ての者達が、"異変"をハッキリと感じているのだ。

 

 彼らが真っ先に感じたのは、精神に強烈に干渉する圧迫感だ。全身の筋肉が緊張し、痙攣し、冷え切ってゆく重圧。重力のなすがままに五体を投げ打ち、頭を大地に擦り付け、嗚咽を吐き出したくなる強烈な衝動。この衝動に抗しきれず、実際に行動を体現する者も都市の各地に少なからず出現した。

 衝動に苛まれる者たちの思考には、意識を塗り潰すような"言葉"が嵐のように渦巻く。"言葉"からは恐いほどに威厳と共に、魂魄を優しく押し包まんとする深い慈悲もヒシヒシと伝わってくる。

 "言葉"は厳しく、甘く、人々の脳内に語りかける――私を讃えよ、私を崇めよ、私を愛せよ、私のために身を捧げよ。さすれば汝らは、大義の名の下に救済されるであろう。さあ、私を讃えよ、私を崇めよ、私を愛せよ、私のために身を捧げよ。さすれば汝らは――。

 壊れたレコーダーのように、絶えずひたすらに繰り返される言葉は、やがて脳の機能を蝕んでゆく。一種の麻薬のような快楽がジンワリと意識に広がり、老若男女問わず自身の状況を認識すること放棄し、威厳と慈悲と快楽に五体を投げるようになる。彼らは皆、歓喜と畏怖にボロボロと涙をこぼして、「讃えます、崇めます、愛します、身を捧げます」と繰り返し呟き出す。

 

 「ちょっと、皆さん…!」

 コンサートホールで耐火水晶の維持作業を続けていたヴァネッサは、周囲の人々が次々と地に額をなすり付けてゆく異様な光景を見ると、思わず作業を中断して声を張り上げる。脳に入り込んでくる甘言を、自身の声で追い出そうとするかのように。

 「ダメですわ、この言葉を聞いては! このままでは皆さんの魂魄は…」

 続きを言い掛けた途端、ヴァネッサもまた脳に入り込んでくる甘言に苛まれ、頭を抱える。体調が万全ならば、こうも簡単に魂魄への強制介入に屈することはないのだが…休むことなく大規模な水晶操作を続けてきたのが災いした。精神障壁を作り出そうにも、甘言の浸透速度に打ち負かされてしまう。

 「くうぅ…っ!」

 遂に苦悶の呻きと共にくずおれたヴァネッサは、最後の抵抗とばかりに両耳を抑える。しかし、脳へ直接作用する甘言の前には、何一つ功を奏するはない。

 塗りつぶされてゆく意識を必死につなぎ止めんとする艱難により、青と緑のグラデーションがかかった美しい瞳は濁り切り、ボロボロと大粒の涙を零す。

 (このままでは…わたくし…)

 胸中に広がる失意に、ついに魂魄が折れてしまう…かと思われた、その瞬間。

 優しく、暖かな手のひらが彼女の肩をポンっ、と叩いた。

 転瞬、彼女の意識を塗りつぶしていた甘言の霧が、一気に晴れ渡った。さきほどまでの苦悩は夢であったかと思うほどに、非常に爽快な気分になる。

 きょとんとして周囲を見渡すヴァネッサは、ホール内の人々もまた、投げ出していた五体を起こし、隣人と不思議そうに顔を付き合わせている様子を見る。どうやら一難が去ったようだが…一体、何がどうなったのか? 事情がよく飲み込めず、首を傾げるばかりだ。

 そんな彼女を、暖かな手が再度、肩を叩く。慌てて振り向いたヴァネッサがそこに見たのは――。

 「あ、あなた――!」

 

 一方、ロイとノーラも、この異変によって苛まれていた。

 特に影響が酷いのは、衰弱していたノーラである。ロイの手の中で、彼女は大きく目を見開いたまま、ガクガクと痙攣しながらブツブツと呟き続ける。「讃えます、崇めます、愛します、身を捧げます」と、呼吸する間も惜しむような勢いで早口で繰り返す。

 「おい、しっかりしろって!

 くっそ…やってくれるよなぁっ、"獄炎"のオバサンはよぉっ!!」

 ロイは憤怒を湛える瞳で、天空を睨みつける。彼は、この"異変"の正体を知っている。

 睨みつけた天空は、相変わらず焦熱地獄の赤に染まっている。その中央に悠々と存在する『天国』もまた、アオイデュアに来た当初と全く変わらず、荒れ狂う恒星表面の様相のままだ。ただし、この2点に加えてもう一つ、この天空に不可解な要素が追加されている。

 それは、巨大な紋章だ。その"巨大"の具合は、都市国家をすっぽりと覆うほどである。澄んだ紫色が混じった白い輝きで描かれたそれは、巨大な円の内部に、非常に複雑な模様――というよりも、何らかを象徴した抽象画のようだ――が描かれている。大きすぎて視界に入りきらず、全容を把握することは出来ないものの、網膜に投影された紋章は脳に直接イメージを訴える…業々と燃え盛る、血よりも星よりも濃い紅の火炎のイメージを。

 ロイはこの紋章の正式名称を知っている。『聖印』と呼ばれる、強大な神霊力が具現化した存在だ。そしてこれを作り出せる神霊力の持ち主は、天使や士師程度の存在ではないことも、苦々しいほどに知っている。

 『聖印』の出現が象徴する事象、それは…『現女神』自身の降臨である。そもそも『聖印』とは、『現女神』が空間転移するために作り出すゲートなのだ。そのサイズは神霊力の強さに比例し、領域内に『現女神』自身から由来する強烈な神霊力が瀑布のように注ぎ込まれる。これに魂魄が影響され、アオイデュアの人々やノーラが見せるような急性の精神症状が引き起こされるのだ。

 ロイが神霊力に屈しないでいられるのは、1年生ながらも士師から勝利をもぎ取るような修羅場を幾度もくぐり抜けたきた経験によるものだ。だが、そんな彼でも全く平気というワケでもない。脳裏には"獄炎の女神"を湛える言葉がチクチクと渦巻き、思考を圧迫している。

 そして更に、ロイの頭を痛めるような事態が発生する。『聖印』の中から、雲霞のごとく白い大群がゾワリとわき出したのだ。ロイは金色の眼をしかめ、大群の正体を確かめると…チィッ、と大きく舌打ちする。それらは全て、"獄炎"の天使だ。士師に比べれば戦力が小さいが、数が多すぎる。ざっと数えても千は超えているだろう。

 この大群を相手に、強烈な神霊力に耐えながら、苦しむノーラを庇いながら、戦えるだろうか? そう自問した直後、ロイの顔には冷たい汗が噴き出し、苦々しい笑いが浮かぶ。そう、笑わずにはいられない…あまりにも自明な無謀だ。

 そして生存本能が、ひっきりなしに叫んでいる――何もかも見捨てて、逃げろ。仲間だろうと何だろうと構うな。命が惜しくば、和毛ほどであろうと重荷を捨て、かすかでも身軽になって走れ。それが賢い選択だ――と。

 しかし…ロイはギリギリと歯噛みして、生存本能の叫びを噛み潰す。そして、凄みの利いた気概で、ニヤリと嗤いを浮かべる。

 「オレはバカだからな、賢い選択なんて知らねぇよ! 特に、仲間も何もかも見捨てて生き長らえるような賢さなんてモンは、特に持ち合わせてねぇよ!」

 続いてロイは、天使が呈する絶望の白が蠢く紅空を睨みつけ、叫ぶ。まるで、天を震わせ、大地に叩き落とさんとするかのように。

 「来るなら来いよ、天使ども!

 オレはな、ヒトであるよりも、『賢竜(ワイズ・ドラゴン)』であるよりも、星撒部の部員なんだよ!

 てめぇらみてぇに、人々から希望の星をむしり取ろうって輩を、見過ごせるワケがねぇんだよ!!」

 そしてロイは、視界を一転、ノーラに視線を注ぐ。いまだに『現女神』の神霊力の影響下にあり、脳を埋め尽くす強烈な誘惑に従ってブツブツと呟き続ける姿を認めると、ロイの表情が一瞬曇る。しかし、すぐに反骨心溢れる嗤いを浮かべると、力なく垂れ下がるノーラの手をギュッと握りしめ、語りかける。

 「なぁ、ノーラ! おまえだって、そうだろ? だからおまえは、自分の足で、心で! この大地に飛び込んだんだろ? このくそったれな地獄に、キラキラ輝く星を撒くためにさ!」

 ロイの言葉に対して、ノーラからの返事はない。彼女は相変わらずブツブツと、『現女神』を賛美する呟きを語り続けている。

 いや…微かに、そう、ともすれば見逃してしまうような僅かに、ノーラが反応を示した。濁りきってしまった碧の瞳が、ユラユラと揺れたのだ。これを目敏めざとく見て取ったロイは、気迫を捨てて、柔らかに微笑む。

 次いで眼を閉じ、しばし黙すると――勢いよく眼を開くと共に、再び絶望色が広がる紅空を睨みつける。

 「さぁ、やろうぜ、ノーラ! ヤツら一匹残らず、空の果てまでぶっ飛ばして、星の仲間入りにさせてやろうぜ!」

 語りながら、ロイは体内で闘気を練り上げる。再び竜化するつもりなのだ。実際に、彼の背中には物質化を始めた闘気が漆黒の翼を形成し始めている。

 その最中のことだ…不意に、背後から声が響いたのは。

 

 「うむ、さすがは我らが星撒部の部員じゃ! どんなに絶望の漆黒に塗りつぶされようとも、希望の星の輝きだけは燦々(さんさん)としておる! 全くもって清々しく、天晴れな気概じゃのう!」

 

 凛とした悠然たる響きに、古風な独特の物言いをする、若い女の声。ロイはこの声を、よく聞き知っている。なんといっても、ほぼ毎日耳にしているのだから。

 ロイは思わず安堵を覚え、ニヤリと顔がほころぶ。

 「副部長!」

 声の主に呼びかけながら、ロイは勢いよく振り返る。すると果たして、彼の視界の中央に、予想通りの人物が映える。

 赤の空の禍々しい光を受けつつも、柔らかなハチミツ色の輝きとして反射する、豊かにたゆたう金髪。失われた清々しい空の色を思い出させる、深く澄んだ青の瞳。小柄な身体ながらも、その身どころか世界までも溢れさせるような威風堂々たる気概。

 星撒部の副部長、立花渚だ。

 しかし、ロイの視界に映ったのは、彼女だけではない。

 「それに…みんないるのか!」

 彼の歓声が告げる通りである。渚を中心に、左右にずらりと並んでいるのは、星撒部の部員達である。部長であるバウアーなる人物の姿は、残念ながらなかったが…部室に残っていた部員たちはおろか、このアオイデュアに散って戦っていたイェルグ、ヴァネッサ、大和の姿まである。ただし、ヴァネッサに関しては疲労の色が濃く、彼女が慕うイェルグに肩を借りている状況であるが、強がった笑みを見せるくらいには無事のようだ。

 ロイは安堵と歓喜のあまり、竜化のための闘気練成も忘れて、ひたすらに仲間たちへ歓迎の視線を注ぐ。それに答えるように、渚はウインクしながら、親指をビシッと立てた右拳を突き出す。

 「ナイスファイトじゃったぞ、ロイ! 仮入部員のフォローに、士師の撃破! そして、この状況下でも決して忘れぬ星撒部根性!

 じゃが、おぬしばかりにいい格好させるのも癪じゃからのう! わしらも混ぜてもらいに来たのじゃよ!」

 周囲の地獄の状況にも関わらず、渚は始終ひょうきんな態度で語った。そして、『聖印』が幅を利かせるおぞましい紅空を見上げた今も、その態度は変わらない。まるでちょっと邪魔な小石でも見るかのような、軽い態度だ。

 「それにしても、"獄炎"のヤツ、相当頭に来ておるようじゃなー。『女神戦争』でもないというに、これほどまで戦力を投入してくるとはなー。

 まぁ、士師が2柱もやられたのじゃから、焦るのは当然じゃろう。

 じゃがな…」

 ここに至って、渚はようやく態度を一変する。ひょうきんな笑みは、意地の悪い険しい嗤いへと豹変。身体から溢れる気概は、人の心を躍らせるような愉快な気配から、ヒトの心を持たぬ怪物すら震撼させるような威圧へ激変する。

 「人々の胸中に灯る星の光を、利己的な神性で塗り潰すそうなどという暴挙! 『地球圏治安監視集団エグリゴリ』の役人ども見逃そうとも、このわしは絶対に許さんぞ!

 おぬしの振り撒く絶望は、わしらが超新星にしてブチ壊してやるわい!」

 そして渚は、バンッと拳と手のひらを強かに打ち合わせる。世界全土に、自らの決意を響かせようとするかのように。

 「さぁ! ここからがわしら、星撒部の真の見せ場じゃぞ!」

 

 こうして、"獄炎の女神"の大勢力と、星撒部の精鋭達との決戦が、幕を開ける。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 暗い…暗い…暗い…。

 重くて、暗い。粘ついて、暗い。濁りきって、暗い。騒々しくて、暗い。

 色彩のみならず、聴覚も嗅覚も、そして思考すらも塗る込めるような無明の闇の中を、ノーラは漂っている。

 身を包む闇は、決して虚無ではない。その真逆だ――あまりに多量の情報で満たされている。それが重なりすぎて、まるで色を混ぜすぎた絵の具が濁りきった色を呈するように、漆黒を形成しているのだ。その点を鑑みると、"暗い"というよりも"黒い"と表現した方が正しいのかもしれない。

 だが敢えて、ノーラが"暗い"と知覚しているのは、闇がもたらす重圧と寒冷による。この闇の中には、開放感や暖かみをもたらしてくれる要素がどこにもない――"光"という要素が。

 いや…微かに、ほんわりと、右手を通して柔らかな光の感触を覚える。その心地よさに意識を委ねようとするが…圧倒的な質量で迫る闇が、それを許さない。重苦しく、やかましく、冷たく、ノーラを四方八方から責め立て、僅かな光の感触すら漆黒の中に塗り込めようとする。

 抵抗しようにも、全く力が入らない…入れられない。闇が力を、それを行使しようとする意志を、貪っているのだ。足掻けば足掻くほど、ノーラは虚脱の深淵へと落下してゆく。

 そのうちに…ノーラは、落下の感覚がだんだん楽しく感じてくる。周囲に高密度に蔓延はびこる、うるさくて縛り付けてくる闇に比べると、なんと単純で爽快なことだろう!

 落下に身を委ねていると…深淵の向こうから、彼女を呼ぶ甘く、美しく、艶やかな声が囁いてくる。

 「私なら、あなたを救済できる。

 私なら、あなたを解放へと導ける。

 だから、ここに来て、私の手を取りなさい。私の手の甲に口づけしなさい。そして…私を讃え、崇め、愛しなさい」

 (…それで、この苦悩から解放されるのなら…)

 熱病に浮かされた者が、その病苦から逃れるために、とろけた思考でふらふらと益体もない迷信にすがりつくように…ノーラもまた、ふらふらと虚脱の深淵へと落下を続ける。そうするほどに周囲の闇はますます深まり、重くなり、粘つき、騒々しくなってゆくも、そうした煩わしい一切が一層ノーラの理性を奪い、落下に爽快感を添える。

 やがて…無限にも思えた深淵の向こう側に、輝きが見えてくる。それは鮮血よりなお鮮やかな、激しく揺らめききらめく赤色をしている。目障りで耳障りな闇に飽き飽きしていたノーラは、この赤を歓迎し、自らの手足を一心不乱に掻き回し、深淵の向こう側へと急ぐ。

 ――その時だ。

 「その赤は、何の光じゃ? そもそも、あれは光なのか? おぬしの胸の内を、頭の中を、意識の大海を照らす、星の光であろうか?

 わしには、おぬしの理性を最期の一片まで焼き尽くし、物言わぬ従順な灰燼へと返る、業火にしか見えぬぞ!」

 どよめく闇の中に、はっきりと響きわたる、凛とした声。それは雷光となって漆黒を一直線に走り、ノーラの脳天を打つ。頭頂から脊椎、そして手足の末端まで、電撃が走り抜ける…だが、その烈しい刺激には、不思議と僅かな不快感さえも感じない。むしろ、自身を押し込める闇の圧迫を滅茶苦茶に破砕する爽快感に、身がぶるりと震える。

 実際、声の雷光は闇を切り裂いていた。雷光自体は曲がりもせぬ一直線であったが、その衝撃波で闇がバリバリと音を立てて幾筋もの亀裂を生じ、微細な破片となって瓦解したのだ。

 完全に崩壊した闇の代わって、ノーラを包むのは…まばゆいほどの輝きを放つ、大小様々なサイズの光の塊…星々だ。

 「見よ! おぬしがその手につかみたかったのは、身を焼き滅ぼす業火などではない。己自身を照らし、そして己から世界を照らす、明星じゃろう!」

 

 その力強い呼びかけが、闇に縮こまっていた意識をガツンと叩いた時――ノーラは混迷の昏睡から、ようやく覚醒を得る。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 だるい瞼をゆっくりと開いたノーラの視界に、まず初めに飛び込んできたのは…。

 「あれ…相川さん…?」

 ボブカットにした艶やかな黒髪と、赤味を帯びたブラウンを呈する神秘的な瞳を持つ少女…ノーラのクラスメートであり、星撒部の一員である相川(あいかわ)(ゆかり)の顔である。

 「やっほー、おはよー、"霧の優等生"ちゃん」

 紫はサッと右腕を上げ、無感情っぽく呼びかける。

 その声に鼓膜が震わす頃、ノーラは後頭部を包む柔らかで暖かい感触に気付く。途端、紫に膝枕されていることを知覚すると、慌てて上体を起こす。

 「あれ…あれ…? 私、なんで相川さんの膝を借りてしまってるの…? というか…なんで、相川さんがここに? 星撒部の部室に居るんじゃあ…?」

 「相川だけではないぞい」

 状況が飲み込めずに混乱するノーラの背後から、独特の物言いをする少女の声が聞こえる。そちらへ振り返れば、そこには腕を組んで威風堂々と立つ、面白がるような笑みを浮かべた立花渚の姿がある。

 「わしら全員――いや、一部居らぬ者もいるが――ともかく、総出で出張ってきたのじゃよ。派手な喧嘩になりそうだったのでな、一口噛ませてもらおうと思ってな」

 渚はウインクをしてみせるが、ノーラは気が気でない。

 「派手な喧嘩って…。相手は、『現女神』なんですよ…! 降臨しない状態ですら、私たちの魂魄に深い影響を与えるような、凄まじい力の持ち主なんですよ…!」

 語りながら、ノーラははっと気付く。そう言えば…空に『聖印』が出現した頃、強烈な不快感に意識が混濁してしまい…その後の記憶は無くしてしまった。恐らく、『現女神』の強烈な神霊力に当てられて意識が狂乱し、思考が暗転してしまったのだろう。

 この事情を踏まえた上で、ノーラは素早く上空に視線を向ける。禍々しい紅の空には、いまだに『聖印』がデンと居座り、強烈な存在感を放っている。その機能は未だに健在のはず…だが、ノーラは今、神霊力の干渉による意識障害を全く感じていない。そのお陰で無事に覚醒することが出来たワケだが…なぜ、神霊力影響下で、意識的な抵抗手段も講じずに平気でいられるのか。理由が解らず、首を傾げる。

 疑問符が浮かぶついでに、もう一つ解ったことがある。思考が暗転するよりも前、徹底的に痛めつけられ、激痛と疲労の枷がまとわりついていた身体が、不思議と軽い。万全な体調とは言い難いが、平時の動作を行うには全く支障がない程度まで回復している。

 実際に、視線を己の身体に引き戻して見てみると…制服はズタボロなままであるものの、火傷に覆われていた皮膚は綺麗に治っている!

 「あの…! 私のこと、治療してくれたのは…副部長さんですか? それとも、相川さん…?」

 「はい、私の方ですー」

 紫がビシッと手を挙げ、自己主張する。すると渚がケラケラ笑いながら補足する。

 「相川は、見た目によらず、治療の腕は学園内でもトップクラスじゃ。特に、薬草類を使った治療術では、本気で他の生徒の追随を許さぬじゃろうな。

 これで愛想さえ良ければ、母性に飢えた男子どもからチヤホヤされるものを…」

 「スミマセンね、生まれながらの毒袋持ちなもので」

 紫は、ジト目で陰のある笑みを浮かべ、フフンと鼻で笑う。

 そこへもう一つ、新しい声が混じる。

 「渚の言う通りですわ。人を癒す時には、もっと和やかに、朗らかにあるべきですわよ。あんな険悪な半眼で接されては、落ち着けないどころか、こちらが悪いことをしているような気がしてきますわよ」

 この声は、ノーラが今日でよく馴染んだものだ。声の来る方…紫の身体がちょうど陰になった、その向こう側…に視線を投げると…果たしてそこには、思い描いた通りの人物が腰を下ろしている。

 水色から緑へ移り変わるグラデーションの長髪を持つ、優雅で多少高飛車な雰囲気をまとった女性――ヴァネッサだ。彼女の姿を認めた途端、ノーラの顔に明るい笑顔が灯る。過酷な士師との戦いを乗り越えられたのは、彼女の激励があったからこそだ…そう考えているノーラにとって、ヴァネッサは正に恩人なのだ。

 ヴァネッサもまた、ノーラの笑みを写し取ったように、クスリと微笑む。

 「ようやくお目覚めになりましたのね、眠り姫さん。一眠りして、頭の中がスッキリしたんじゃありませんこと?」

 「え…あの…えーと…。

 確かに…眠気は感じません。ただ…ちょっと、頭が重い感じが抜けきってませんけど…」

 受け答えしながら、ノーラはふと、首を傾げる。――そういえば何故、私は眠っていたんだろう? そもそも、本当に眠っていたのだろうか? 酷く悪い夢…というか、光景というか…を見ていたことは、はっきり覚えているが…。

 「まぁ、あれだけ意識を浸食されていたからねー」ノーラの隣で、紫が呟く。「脳活動がまだ本調子じゃないんだよ。今は安静にしてるのが一番ね。…ホラ、水でも飲む?」

 「うん…頂くね…」

 差し出してくれた紙コップを受け取ると、桜色の唇で柔らかく触れ、コクコクと小さな音を立てて水を飲み下す。冷たすぎない、優しい涼しさが咽喉から頭に浸透するのが心地よい。一度でコップの中の水を飲み干すと、ふぅ、と安堵の一息をつく。

 そこへ…まるでノーラの平穏を破壊するのを気に病むような態度をとる渚、申し訳なさそうな笑みを浮かべて頬を掻きながら、おずおずと語り出す。

 「そのぅ…おぬしの剣のことなんじゃが…」

 「はい…?」

 答えながら、そういえば、とノーラは思い出す。"溶融の士師”プロクシムとの激戦の最中、手から放れて溶融した壁の中にめり込んでしまって以来、手に戻す間もなく新たな士師との交戦に入ってしまい、それっきりだった。ロイの激闘の最中、通廊は天井も床も壁も吹き飛んでしまったので、今どこにあるか見当がつかない。

 そんな彼女の前に、渚は背中に手を回すと、なにやら酷く歪んだ黒い"消し炭"を取り出す。渚が掴んでいる部分が――ガタガタにひん曲がってはいるものの――細長くなっているので、辛うじて柄であると認識できる。しかし、刃の部分は…溶けて縮んだ蝋燭のような惨めな有様である。

 これを差し出した渚は、いよいよ苦笑いを大きくし、ヒクヒクと頬を痙攣させながら、揺れる声で語る。

 「これが…そのぅ…おぬしの剣なのじゃ…。

 あのロイの馬鹿、戦うことに夢中になりすぎて、おぬしの剣など眼中になくなってしもうてな…。ロイと交戦した士師に、好き勝手に高熱の荷電粒子をバラ撒かせたとの話じゃから…恐らくそのとばっちりを受けてのう…」

 ノーラはパチクリと大きな瞬きをすると、呆けた様子で渚の手から惨めな剣を受け取る。見事な黄金の刃も、刀身を豪奢に飾っていた優麗な装飾も、微塵とて面影はない。

 渚はバンッと両手を合わせて頭を下げる。

 「すまぬ! おぬしの唯一無二、壮麗優美な愛剣が、こんなになってしもうた! 償おうとて償えるものではないが、まずは頭を下げさせておくれ!

 本ッ当に申し訳ない!」

 渚の謝罪をよそに、ノーラは歪んだ柄をそっと握ると、クルクルと様々な角度に回しながら、愛剣の成れの果てをためめつすがめつする。その様子から渚は、愛剣との在りし日の思い出を懐かしみ、哀愁を感じているのだと判断し、ますます表情を暗くしたのだが…。

 「あ、"この程度"なら…」

 ノーラは至って軽く呟くと、ごく少量の魔力を練り上げ、大剣に投じる。すると、まるで枯れ始めた樹木が再び芽吹くように、消し炭の大剣が変形しながら伸び上がる。そしてほんの数秒後、大剣は元の荘厳にして優美な、磨き抜かれた黄金の輝きを取り戻す。

 このあまりにあっけない修復に、渚はおろか、紫もヴァネッサも目が点になる。

 「…へ…? 何なのじゃ、その…そんなにあっさりと…」

 拍子抜ける渚に、ノーラは朗らかに微笑みながら答える。

 「私、授業や個人訓練で、この剣をよく酷使してますから…。元の形状に定義変換するのって、とっても得意になっちゃったんです。

 完全に分子分解されなければ、なんとかなりますよ」

 「…さすがは"霧の優等生"、半端ないわねー。定義変換の時点で超絶技巧だってのに、それを大した魔力も使わずに実行して、消し炭を元の姿に戻すなんてさー。やっぱ、出来が違うんだろうねー」

 紫が賞賛するが、その口調はかげりはどう解釈しても嫉妬の悪意が含まれているようにしか聞こえない。

 「ま、まぁ…ともかく。元に戻ったのなら…うむ、良かったわい」

 ほっと胸を撫で下ろした渚は、安堵に満ちたコメントを口にするのだった。

 

 寸劇のようなやり取りが一段落したところで、ノーラの思考は再び疑問の方へ向く。――どうして眠り込んでしまっただろう? それに、一緒にいたはずのロイは、今どこにいるのだろう?

 これらの疑問を口にすると、まず前者の質問について、ヴァネッサから答えが返ってくる。

 「"獄炎の女神"の神霊力にやられて、魂魄と脳活動とが乖離してしまったのですわ。

 ほら、空を見てご覧なさい。巨大な紋章がありますわよね? ノーラさんは、これまでに見たことがあるかしら?(ノーラは首を横に振る)…まぁ、当然ですわね。わたくし達みたいに、『現女神』と張り合うような活動してないと、中々目にしませんものね。

 あれこそ、『現女神』が降臨のために神霊力を練り上げて作り出した転移ゲート、『聖印』よ。あれ自体が高密度の強烈な神霊力の具現化ですからね、あれだけでも魂魄には相当の影響を与えるのよ。加えて、『聖印』から流れ出してくる『現女神』自身に由来する、直接の神霊力も混ざりますからね。かなりの訓練を積んでいないと、例え『地球圏治安監視集団エグリゴリ』の隊員といえども、深刻な症状に陥りますわよ。

 …と、まぁ色々しゃべりましたけれども、あなたの"眠り"は魂魄と脳活動の乖離による意識障害ですから、本当の意味での"眠り"とは別ものですのよ。実際、あなたはずーっと瞼を開いたままでしたしね」

 ヴァネッサの説明を聞いて、ノーラの顔が赤らむ。瞼を開いたままで意識障害に陥っていたということは…さぞや酷い表情をしていたことだろう。それをロイにもしっかり目撃されていたと考えると…羞恥で顔がカァーッと熱くなる。

 するとヴァネッサが腕をパタパタ振りながら、すかさずフォローに入る。

 「そんなに気になさならないで。わたくしだって、あなたと同じように意識障害に陥っておりましたもの。それだけではありませんわ、この都市国家の住民の大半が同じ状況に陥っていましたのよ。

 あなたもわたくしも、身も心も疲れ果てていたのですもの、神霊力に抵抗しきれずなくて当然ですわ」

 ヴァネッサの心遣いに、ノーラははにかむ。しかしここで、新たな疑問が湧き、羞恥を塗り潰す。

 「ヴァネッサ先輩でも抵抗できなかったほどの神霊力なのに…私はどうして、その影響から抜け出せたんでしょうか?」

 「ノーラさんだけじゃないわ」紫がどことなく、自慢げな雰囲気をまとって語る。「もうこの都市国家には、"獄炎"のオバサンの影響を受けてる住人は一人も居ないわよ」

 この言葉に対して、ノーラが更に問い質すより早く。紫は、腕を組んで空を見上げたまま仁王立ちする渚に視線を走らせて、言葉を続ける。彼女の視線には、明らかな羨望の色が混じっている。

 「今は、"獄炎の女神"の力を真っ向から打ち消す力が働いてるからね。『聖印』経由の神霊力程度じゃ、針の先ほどもこの都市には届かないわ。

 まっ、降臨してきたとしても、何の影響も与えられないでしょうけど」

 『現女神』に対し、皮肉たっぷりで不敬の言葉を語る、紫。その一方で、渚へのキラキラした羨望の輝きは決して失わない。

 そんな紫の様子につられ、ノーラもまた渚へと視線を注ぐと…あっ、と思い出す――この都市へ送り出してもらった時のことを。

 星撒部の部室からこの都市までの転移ゲートを作り出したのは、渚だった。その際、彼女は異様な"人型"を呼び出した。背中に一対の翼を持ったその姿は、デザインこそ異なれども、雰囲気はこの都市で飛び回る天使たちと非常によく似ていた。そんな存在を呼び出せるということは…。

 そんな風にノーラが思案している最中のこと。

 「あ、それと、ロイのことだけどさ」

 不意に羨望の輝きを消した紫の言葉が、ノーラの思考に割り込んでくる。

 「あ…うん」

 思案をひとまず棚に上げ、ノーラが紫に視線を注ぐと。紫は右手の人差し指を立てて空を指し、ゆっくりとクルリと円を描いて見せる。

 「あいつなら、バカ元気にこの空飛び回って、天使達相手に大暴れしてるよ。

 "暴走君"なんて呼ばれてるけどさ、あいつのバイタリティにはホント参っちゃうわー。士師相手にバカスカ大暴れしてもまだ飽き足らずに、一休みもしないですーぐに飛んで行くんだもの。どんだけエネルギー有り余ってるんだろうねー」

 皮肉の毒を込めて語る紫だが、どこか誇らしげで、そして楽しげだ。

 「あら、バイタリティなら、わたくしのイェルグだって負けておりませんわよ」

 ここでヴァネッサが、紫に張り合って己の恋人を誇る。

 「今回は士師との交戦の機会はありませんでしたけど、この都市が災厄に見回れて以降ずーっと! イェルグは人命救助に天使討伐にと、活躍し続けていましたわ!

 今回の活動の一番の功労者はイェルグだと評価しても、過言ではありませんわよ!」

 物凄い勢いで力説するヴァネッサの様子に、ノーラは顔を綻ばせずにはいられない。ヴァネッサは本当にイェルグにぞっこんなのだと思い知らされ、とても微笑ましい気持ちになる。

 「確かに、あやつら二人はよく働いておる。だが、今働いておるのは、二人だけではないぞい」

 ここで、空から視線を外した渚が、ノーラにウインクを投じながら口を挟む。

 「この都市を救わんがため、わしら星撒部は今! まさに一丸となって戦っておるのじゃ!

 のう、ヴァネッサ。ノーラに、皆の勇姿を見せてやってはくれぬか? 今のおぬしなら、"映晶石テレスコルプダイト"を生成して操るくらい、支障はなかろう?」

 「ええ、だいぶ休みましたから、問題ありませんわ。

 では、ノーラさん。私たちの…取り分けイェルグの勇姿を、ご覧なさいな」

 ヴァネッサは語りつつ両腕を前に突き出すと、軽く瞼を閉じて魔力を練り上げる。すると、宙に幾つかの小さな水色の結晶粒が発生する。それらはピキパキと乾いた音を立てながら徐々に体積を増し、いびつな多角形をした平たい結晶板と化す。板面は磨き抜かれた鏡のように美しく平坦で、ノーラ達の顔を歪みなく映している。

 ヴァネッサが更に魔力を込めると、結晶板が一斉に、ほんわりと青緑色に発光。直後、光が色彩をまとって沈着すると、それぞれの板面には動く光景が投影される。その様は、テレビディスプレイそのものだ。

 板面にはそれぞれ、一人の人物が中央にクローズアップされて表示されている。それぞれの人物が星撒部の部員であることは、説明するまでもない。彼らは各々が、多数の天使を相手に1人で戦いを繰り広げている。しかも、大して苦戦している様子もなく、天使たちをことごとく撃破しているのだ。

 

 それでは、ノーラが目にした星撒部の部員たちの戦いぶりを描いてゆくとしよう。


- To Be Continued -

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