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Stargazer - Part 4

 ◆ ◆ ◆

 

 ヴァネッサが去り、大和と二人きりで作業に取り掛かり、しばしの時間が過ぎた。

 大和のノーラへのトークぶりは半端なものではなかった。"口先から生まれてきたようなヤツ"という言い方があるが、彼には正にその言葉が相応しい。

 「ノーラちゃんって、地球出身じゃないよね? どこが出身なの?」

 「どんな食べ物が好きなんだい? 女の子だし、やっぱりお菓子好きなのかな?」

 「部活はしてなかったみたいだけど、好きなスポーツとかある? あ、やる側じゃなくて、見る側で好きってスポーツでもいいよ!」

 「その肌、見てるだけでツルツルスベスベだってはっきり分かるよね! 何か特別なお手入れとかしてるの!?」

 と、こんな感じで、質問のマシンガンをぶっ放している。ハキハキしゃべるのは得意でないノーラは、オドオドノロノロと片言で曖昧な返事をするばかりだ。その直後、大和はすかさず新たな質問を咽喉に装填し、高速で舌から滑り出すのである。

 こんなに喋りっぱなしではあるが、かと言って大和は作業の手を緩めているワケではない。軽やかなのは口だけではなく、手足もだ。喋る勢いと同様の素早い動きで車輛の間を動き回り、装甲車の損傷具合や一般車両の状態を確認したり、自身の特有の技術である定義拡張術を車体にかけたりする。流石に"やるときはやる"と自負するだけあって、素晴らしい働きぶりである。ヴァネッサが散々心配していたような、不適切な言動を取るような素振りもないので、そこは大いに安心している。

 一方のノーラも、作業に関しては負けていない。作業前に大和に確認した装甲車の放水機構の詳細を元に、作業時間・持続効果が最適と方術構造を考え出すと、今やお馴染みとなった大剣へ定義変換(コンヴァージョン)を施術。大剣は今、ペン並の大きさに縮み、はんだごてのような形状を取っている。そのペン先で装甲車の放水機構近くの表面に直接方術陣を書き込むと、方術陣は蛍光色を発しながら、まるで砂に飲み込まれる水のような有様で装甲内へと沈み込んでゆく。この大剣(だったもの)の能力は、方術陣の作成支援と、作り出した方術陣を物体内部の任意の位置へと移動させることである。

 ノーラの定義変換を目の当たりにした時、大和ははしゃぐ子供のような歓声を上げたものだ。

 「流石は、"霧の優等生"なんて呼ばれるだけのことはあるッスねぇ! 『神に所業に近い技術』と呼ばれる、定義変換を扱うなんて!

 …それにしても、その技術を見てると、なんか運命を感じちゃうなぁ。オレの扱う定義拡張(エキスパンション)は、キミの技術の下位互換、いわば親戚みたいなものだからね! これは、オレ達二人には運命の赤い糸が結ばれているって証拠に違いないね!」

 (いや…それは、発想の飛躍だよ…)

 ノーラはその突っ込みを、あえて胸の内に留めおいた。ヴァネッサとのやり取りから、大和が(芝居の可能性が高くはあるものの)ヘコみやすい性格だと認知している。だから、下手に冷たい言葉をかけて作業に支障が出ては困る、と判断したワケだ。

 そういうワケで、ノーラは大和のマシンガントークをやんわりといなしながら、作業に従事し続けている。

 やがて、質問されてばかりで嫌気が出たのか…ノーラの脳裏に、ふと、質問が浮かび上がる。

 「あの…大和君。訊いてもいいかな…?」

 「もちろん、オッケーだよ! 身長体重スリーサイズから、テストの成績まで! 何でも訊いちゃってよ!」

 「その…気を悪くしないでね…大和君自身のことじゃないんだけど…いいかな?」

 「あー…うん、別にそれでも、うん、構わないよ。答えられる範囲でなら、なんでも答えるよ」

 そう話す大和の様子は、ちょっと残念そうである。ノーラは悪いかな、と感じつつも、質問を口にする。

 「星撒部の部長さんって、誰なのかな、って…。

 私、部室の様子から、てっきり蒼治先輩が部長だと思ってたんだけど…。副部長の渚先輩の手綱を引いてるような感じだったし…。

 でも、イェルグ先輩は違うって言うから…」

 「ああ、部長ねー。そうだよねー、分かんないよねー。

 オレは、夏休み直前にこの部に入部したんだけどさ、その時は渚副部長のことを部長だと勘違いしてたんだよー。だって、あの存在感に行動力っしょ? 初見なら、誰でもあの人を部長と思って当たり前じゃんか?

 んで、ホントの部長は、ほとんど部室に顔を出さないと来たもんだ。だから、仮入部員のノーラちゃんが分からないのは、当然の話さー」

 ――部長が、ほとんど部室に顔を出さない? この状況を不審に思うのは、何もノーラだけではあるまい。

 「ということは…この部では、部長さんは幽霊部員…ということなの…?」

 「いやいやいやいや! それはとんでもない誤解!」

 作業の手を止めまで、顔の前でブンブンと手を振って力一杯否定する、大和。それほどまでにノーラの勘違いは、星撒部にとって見過ごせないもののようだ。

 「あの人は、部活に忙しすぎて、部室に顔を出す暇がないンスよ。というか、渚副部長によれば、部室どころか、授業にもロクに顔を出せていないみたいッス。課外活動が進級単位として認められるユーテリアだからこそ許される所業だよね。これが他の学校だったら、いくらあの人が超絶的な能力の持ち主でも、退学処分は免れないンだろうなー…」

 ――超絶的な能力の持ち主? 非凡且つ強力な能力の持ち主が集う星撒部において、そのように評される人物とは、一体どんな人物なのか。湧き上がる好奇心のままに、ノーラがストレートに問うと。大和は軽い口調そのままに答える。

 「ノーラちゃんも名前を聞いたことあると思うよ。

 ウチの部の部長は、何を隠そう、バウアー・シュヴァールの兄貴ッスよ!」

 バウアー・シュヴァール。大和の言う通り、ノーラはその名を聞き知っている。そもそも、ユーテリアに所属している学生のほぼ全員が、その名を知っていることだろう。2年生にして、学園内最強候補の一人に数えられる男子生徒である。彼には超絶的な噂が数々ある。曰く――ただ一人で3千の特殊精鋭部隊を数分で殲滅した、だとか、硬直状態にあった銀河規模の戦争において戦況を大きく動かした、だとか、果物ナイフ一つで重金属装甲を持つ強大な獣竜(サヴェッジ・ドラゴン)を打ち破った、だとか…。そんな噂は山ほどあるものの、彼自身の目撃証言は非常に少ない。そのため、実はバウアー・シュヴァールという生徒は存在せず、学園側が生徒たちを奮起させるために作り上げた虚像だ、とまで言われたことがあるほどだ。

 そんな幻のような存在が、なんと"暴走部"として学園中に名を轟かせている星撒部の部長を務めていようとは! 全くの盲点としか言いようがない。

 衝撃に近い事実を前に、作業の手を止め、ぱちくりと瞬きするばかりのノーラ。そこへ大和は、再び手を作業のために動かしながら語る。

 「副部長に聞いた話だけど、この部活は部長と副部長の2人が意気投合して作り上げたんだってさ。あの"暴走厨二先輩"とバウアー先輩が仲良くつるんでる姿って…あんまり想像できないんだよなぁ。共通点と言えば、部活に熱意をもって取り組む、くらいしかないように見えるしさー。

 …いや、やっぱり真逆の性格だからこそ、お互いに補い合って、うまく行くのかもねー」

 「大和君は…バウアー先輩に会ったこと、あるんだ…?」

 「うん、もちろん、あるよ。不定期にだけど、たまーに部室に顔を出すんだよね。面白いお土産を一杯持ってきてくれるんだよ。

 ノーラちゃんも、このまま本入部して、毎日部室に顔を出してれば、会えると思うよ。

 というか、ノーラちゃんの入部祝いやるから顔を出してって頼めば、スケジュール都合して来てくれるんじゃないかなー。ノーラちゃんが本入部したら、副部長に話してみようかな」

 「あ…いや、私のために、バウアー先輩に気を使わせちゃうのは、悪いから…」

 「いやいやいやいや。部長は、こういう仲間の絆ってのはうるさい人だから、むしろ呼ばない方が気を悪くすると思うんだよねー。

 だから、ノーラちゃん!」

 大和はまたも作業の手を止めると、ノーラの顔を真正面に捕えると、馴れ馴れしくウインクする。

 「星撒部に入って、オレと仲間以上の絆を深めようよ! ね!?」

 ここに至っても更にナンパ心を発揮する大和に、ノーラは思わず苦笑を漏らす。

 (入部は前向きに考えたいけど…仲間以上の絆って言うと…恋仲って、ことだよね…たぶん。 それはちょっと…遠慮したいなぁ)

 いつもの生真面目さが悪い方向に働いたノーラは、大和の言葉を冗談としてスルーせず、当人の気分を害さずにどう断るか、本気で考え始めてしまう。と、その時…。

 「おーい、ユーテリアの兄ちゃん!」

 突如、水晶のテントに中年男性の声が響く。続いて、散在する車輛の合間から、キョロキョロと視線を動かしながら4人の消防局員が現れる。彼らは大和を目に入れると、「おっ、いたいた!」と声を上げながら、小走りで大和の元に近づいて来る。

 「頼んでた車の修理、そろそろ終わったかなと思って来たみたんだけど」

 「えーと、スンマセン、整理番号教えてもらえないッスかね? 人の出入りが激しくて、顔と所有車が一致しなくて…」

 バツの悪い笑顔を浮かべて後頭部を掻く大和に、消防局員は「45番だよ」と告げると。大和は上着のポケットを漁って小さなメモ帳を開き、ふむふむと読み終えると、勢いよくパン! と手を叩きながらメモ帳を閉じる。

 「終わってるッスよ! 案内しますんで、ついてきてくださいッス!

 ノーラちゃんもついて来て! ノーラちゃん1号のお披露目ッスよ!」

 大和はメンテナンス中の装甲車から元気よく飛び降り、手振りでノーラを誘うと、意気揚々と車の合間を縫って歩き出す。ノーラはペン状に変化させた大剣をポケットに仕舞い込むと、大和の背後にゾロゾロと続く消防局員たちを速足で追い抜く。

 大和が向かった先は、彼の言葉の通り、ノーラが初めて手掛けた装甲車の元であった。修理前は、装甲が飴のように溶け、骨組みが大きくひしゃげていたが、今では新品同様の美しさを取り戻している。大和の定義拡張能力は――当然、限度はあるだろうが――破壊された機械機構を正しい定義に基づいた構造に治すことが出来るのだ。

 「流石は、地球最高の人材が集まるユーテリアの学生だなぁ! 工具もなしで、プロの職人並の仕事をやっちまうんだから、トンでもねぇよな!」

 「フッフッフッ…今回は、単に直しただけじゃないッスよ!

 忌々しい天使どもの炎を受け付けないように装甲を強化! 加えて、あの炎を完全に鎮火できる放水装置も完備ッス!

 水の自動補充機能の追加は無理だったんで、使い果たしたら手動でタンクに水を補充する必要はあるッスけど、以前に比べればかなり災害対応能力は高くなったッスよ!」

 「へぇ、そりゃあ助かるなぁ!

 まぁ、欲を言えば、出来るんだったら初めからその機能をつけて欲しかったなぁ」

 「いやー、この機能は、オレだけじゃ実現できなかったンスよ。

 ここにおわします星撒部の美しき新星! ノーラ・ストラヴァリちゃんが来てくれたこそ、実現できたンスよ!

 言うなれば、オレとノーラちゃんの愛の結晶ってことッスね!」

 語りながら大和はノーラに視線を走らせると、ウインクしてみせる。謂れのない話に対して目配せされてもノーラは困るだけであったが、事情をよく知らない消防局員たちは大和の台詞を真に受けてしまう。

 「へぇー、こんなカワイイ娘が、神崎君の彼女さんなのかい! こりゃ羨ましいなぁ! ウチの女房だって、若くてもここまで可愛くはなかったよ! まぁ、今じゃブクブク太って、当時の見る影もないんだけどねー」

 「あーっ、スレインさん! 今の話、キチンと聞きましたよ! 奥さんに言いつけておきますよー!」

 「別に構わねーよ! つーか、この話に刺激を受けて、ダイエットに勤しんでくれりゃ万々歳だよ」

 雑談に大盛り上がりの消防局員たちを前に、ノーラは大和の言葉を訂正しようにも、割り込むことができない。――とは言え、誤解されたままだとしても、彼らが学園内に噂を広めるワケではないので、放っておいても大した影響はないだろう。そう判断した彼女は、訂正を諦め、流れに身を任せることにする。

 「それにしても、このノーラちゃんにせよ、ホール内で頑張ってるヴァネッサちゃんにせよ、ユーテリアの女子生徒は美人が多いねー! 戦闘やサバイバルの訓練を受けてるって話なのに、ゴリラみたいな体型にならないしさー!

 それとも、容姿に関しても英才教育カリキュラムが組まれてたりするワケ?」

 「いやー、美人ばかりってワケじゃないッスけど…確かに、筋力のある娘でも、筋骨隆々な体型なのはあんまり見かけないッスね。種族による体質とか、魔法科学に関連した美容技術が関係してるのかも知れないッスけど…。

 あんまり気にしたことなかったんで、こう改めて質問されると、確かに謎ッスね。

 ねぇ、ノーラちゃん! ノーラちゃんの場合は、どうなんスかね? 長い大剣振り回してるようだから、結構筋力あるとは思うけど、体型は結構スマートじゃん? 何かスタイル維持の秘訣とかあるのかな?」

 大和が唐突に振った質問は、客観的に鑑みると、デリカシーのない質問とも捉えられよう。だが、女生徒的にデリケートな話題でもあまり気にすることのないノーラは、普段と変わらない調子で答える。

 「私は…特に、何もやってないよ。筋トレは人並み程度だと思うから…筋肉がガチガチにつくってことはないんじゃないかな…。

 それとも、大和君の言うように種族的な要素があったり、遺伝的な要素があるかも知れない…。私の父は、私が全然及ばないほどの筋力があるけど、そんなにガチガチした体型はしてないし…」

 「なるほど、ノーラちゃんはナチュラルビューティってことッスね! ますますオレのハートを揺さぶるッスねぇ!」

 「…あれ? その娘って神崎君の彼女さんだろ? なんでそういうこと、知らないんだ?」

 「…あっ…。

 ま、まぁ、良いじゃないスか! それよりも! 消防局員さんたち、あんまりここで油売ってちゃいけないンじゃないスか!?

 オレもあんまり手を休めてると、ヴァ姐さんにボッコボコに怒れちゃうんで…話の続きは、この大火事が収まった後にでも、ゆっくりやりましょうよ」

 「ああ、そうだな…。この災厄を、生き残れたら、な…」

 失意の陰に満ちる遠い目をして、消防局員がぼんやりと呟く。そのあまりに寂しげな、諦めきった態度が、ノーラの琴線に触れる。星撒部と関わる前までの彼女なら、あまり気にならなかっただろうが。部員たちから受け取った希望の炎はいまだ冷めず、彼女の感情を煽りたてる。

 「…"生き残れたら"、なんて弱気な仮定形を口にしないでください。

 絶対に、生き残ります。生き残れます。ですから、大和君との話の続きを楽しみにしてて下さい」

 急にキッと鋭くなったノーラの眼光に、消防局員は身を堅くして、顔を見合わせる。しかしすぐに、彼らはニヤリと笑みを浮かべる。ノーラの少々キツい激励に込めた希望の炎は、失意の影を輝きの中に消し去ったようだ。

 「ああ、そうだな! ユーテリアから一騎当千の英雄候補生たちが来てるんだもんな! 『現女神(あらめがみ)』のババァがなんだってンだよな!」

 その後。消防局員たちは、大和から消火装置の使い方や装甲の耐火性能について軽く説明を受けると、足早に装甲車に乗り込み、水晶のテントから早々と出て行った。

 ノーラは去りゆく車体の後ろを、しばらく見つめていた。施した方術は万全を期したはずとは言え、実践テストを行えなかったので、実際の成果が気になって仕方がないのだ。

 自ら激励しておいて、心配そうに視線を揺らしているノーラの背後から、大和が優しく、そして力強く肩を叩く。

 「大丈夫! ノーラちゃんはやれることをキチンとやったさ! 成果は必ず出るッス!

 それに、今は余韻に浸ってる場合じゃないッスよ! これから先、局員の人たちがまだまだ来るからね! 新しい車体の作成も含めて、バンバン作業をこなして行かないと! オレがヴァ姐さんに雷落とされちまうんスよぉ!」

 言葉の最後で大和はおどけてみせたが、彼の話は正論だ。事態はまだまだ収拾に向かっていない。むしろ、これからが"獄炎の女神"への反撃の本番だ。小事に拘り続けて大事を見失うようではいけない。

 「…うん。戻って、作業の続きをしよう」

 ノーラは後ろ髪を引く気弱さをスッパリと捨て、大和と共に速足で元の作業場へと戻る。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 再び時間は流れて…。

 大和とノーラは二桁を超える数の車輛の修理と作成をやり遂げていた。そのすべての車輛が消防局員たちの手に渡り、今頃は焦熱地獄の都市内を慌ただしく走り回っていることだろう。苦情が届かないところを鑑みる限り、ノーラが心配していた自身の方術はうまく効果を発揮しているようである。

 「おおっと!?」

 とある車輛を局員たちに引き渡した直後のこと。残り作業を記録していたメモ帳を読んでいた大和が、突然素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げる。

 「今ので、堪ってた作業は全部消化しちゃったンスね!

 いやー、ノーラちゃんのお蔭でメンテの頻度が下がりまくったからなー! ヒィヒィ言いながら作業に追われた頃がウソみたいッスよ!」

 あくまでノーラを持ち上げる、大和。純粋に彼女の存在を歓迎しているからか、未だに彼女のことを恋愛関係的に狙っているからなのか、それは分からない。だが、今のノーラにとってはどっちでもよかった。目まぐるしく動いた疲労が溜まっていることもあってか、大和の言葉を素直に嬉しく受け止める。

 「皆さん、無事に職務を全う出来ているといいですね」

 「きっと、うまくやってるッスよ!

 『天国』が太陽みたいな姿になっちゃってるから、空の色合いから火事の現状は把握できないッスけど…もしかしたら、火事はもうほとんど鎮火されてるかも知れないよ!? それだったら、ホント嬉しいな~! 人道的な意味でも、キツい作業からの解放的な意味でも、ね!」

 「そうですね…。

 でも、状況の詳細が把握できていないので、楽観視しすぎるのは危険だね…。

 大和君、万一のことも考えて、予備の装甲車を作っておこう。ここにはまだ、提供された自動車が残ってるし…」

 水晶のテントの下には、だいぶ数を減らしたものの、数台の自家用車が疎らに散らばっている。

 「んー、そうだねー…。一休みして昼寝したい気分だけど…急にドカドカ作業が頼まれて、忙しくなるのも辛いッスよねぇ…。

 仕方ないなぁ、ノーラちゃんの言葉に免じて、もうちょっと気張ってみるッスかね」

 大和は見るからにノリ気な様子ではなかったが、だからといってダラダラすることもなく、手近な自家用車に近づく。

 自家用車を一から装甲車へと定義拡張(エキスパンション)する様子を、ノーラはこっそり楽しんでいた。特に、まるで風船が膨らむようなプロセスで体積がプクーッと膨らんでいく工程がたまらなく好きだ。あらゆる部分の輪郭がプクプクに丸くなった有様が、とても可愛らしく見えるのである。

 今回の大和の作業でも、この工程を目の当たりにすることが出来た。ボンネットに手を置いた彼が魔力を込めると、車両が眩く蛍光色に輝き、次いでこの膨張が発生するのだ。膨らみきってしまうと、輪郭がどんどん鋭角的・重厚的にまとまってしまい、可愛らしさが失われてしまう。この工程を見るのは、ちょっと寂しい。

 変形の工程は、総じて5分ほど。この間、ノーラは定義拡張現象を傍観して楽しんでいたのだが…その穏やかな時間は突如、けたたましく鳴り響くナビットの呼出し音によって崩壊する。

 

 呼出し音が鳴ったのは、ノーラのナビットである。通信内容は映像通信で、発信者はヴァネッサである。

 この事態に、ノーラはちょっと困惑する。――なぜ、元からの知り合いである大和ではなく、自分に連絡を入れたのか? 仮入部員の自分を気遣っての連絡という可能性はあるが、それにしては連絡を寄越すタイミングが遅すぎる気がする。

 「ヴァ姐さんからの連絡ッスか?」

 大和が作業の手は休めずに、顔だけこちらに向けて尋ねてくる。

 「どーせ、オレがセクハラしてないかどうか、確かめようとでもしてるンスよ。女子の仮入部員が来ると、ヴァ姐さんはいつも、オレを監視してるンス。

 そりゃあ確かに、オレは口では軽いコト言ってるけど、中身までそんな軽薄なヤツじゃないッスよ…いつになったら理解してくれるンスかねぇ…」

 ため息を吐きながら、大和は泣き出しそうな顔でしみじみと呟く。連絡の内容も確かめないうちに、確信的にこんなことを言うあたり、過去に相当苦い経験をしているようだ。気の毒ながらも滑稽なものを感じて、ノーラは思わず苦笑を浮かべる。

 それはそうと、呼出し音を鳴りっ放しにしておくワケにはいかない。タッチディスプレイを操作して通信を受信し、3Dモニターを宙空に展開させる。

 両の手のひらサイズの3Dモニターに映し出されたヴァネッサの顔を見た途端…ノーラは思わず息を飲み、そして問いを口にしていた。

 「どうかしたんですか、先輩…!?」

 彼女を突き動かしたのは、ヴァネッサの表情だ。まるで身体を(えぐ)られて激しい痛みに耐えているかのような、あまりに険しく、辛く、苦しそうに顔を歪めている。整った顔立ちには不釣り合いなほどの大量の汗が見て取れるが、それらは冷や汗に違いない。

 「問題が…非常に厄介な問題が…起こりましたの…」

 呼吸荒く、言葉を途切れ途切れにしながら語る、ヴァネッサ。その様子を離れたところから見ていた大和もぎょっとして、作業の手を止めて小走りで近寄ってくる。

 「ホント、どうしたンスか、ヴァ姐さん!? 悪いモンでも食って当たったンスか!?」

 「あなたじゃないのですから…そんな間抜けなことはいたしませんわよ…」

 ヴァネッサはちょっと笑みを浮かべて返すが、すぐに辛苦が顔を塗り潰す。

 「無様なところを見せてしまって…申し訳ないのだけど…こうして会話している間にも…気を抜くワケにはいかなくて…。話しながらも…集中し続けるというのは…かなり厳しいですわね…」

 "気を抜けない"――この言葉からノーラの脳裏に、ヴァネッサの言う"厄介な問題"の断片を垣間見る。ヴァネッサが集中を要するということは、彼女の能力である水晶の制御に関することだ。ということは…彼女の水晶に覆われているこの地に、何か異変が起こった…または、異変を起こす何者かが到来したということに違いない。

 ノーラの予測は、大方当たりだ。その証拠に、ヴァネッサが次のように続ける。

 「先ほど…このコンサートホールの正面入り口に…設置していたゲートと…使い魔の番兵が…破壊されましたわ…。

 それも…本来ならあり得ないことですが…完全に溶融されてますの…」

 「え、マジッスか!? このパイロエンデュライトを!?」

 大和が驚きの声を上げる。彼が語った"パイロエンデュライト"とは、コンサートホールとその周辺地域を覆っている水晶のことである。この物質の特徴は、"非常に"と云う言葉が生ぬるいほどに高い耐熱・耐火性にある。分子構造に影響を与えている魔法科学的因子が、加熱や燃焼と言った現象を定義レベルで徹底的に拒絶しているのだ。とは言え、炎熱に対して完全に無敵というワケではない。恒星表面程度の莫大な熱エネルギーを与えられた場合、水晶の現象拒絶性は崩壊してしまい、堰を切ったように激しく燃焼しつつ昇華――つまり、固体から一気に気体へと相転移する。しかし、今回の災厄の場合、"獄炎"の天使どもがバラまく炎熱はそれほどの熱エネルギーを持っていないし、水晶の現象拒絶性を上回るほどの燃焼の定義が強固でもない。だからこそ、ヴァネッサは避難拠点の防衛手段として、夥しい量のパイロエンデュライトを生成したのである。

 それがなぜ、急に今になって破壊されるのか。しかも、溶融される――つまり融点を迎えて液化する――という、物性科学的観点から見て考えにくい現象を起こすとは。

 「まさか…新手の天使ですか? それも…今までのよりも強力な…!?」

 ノーラの発する問いに、ヴァネッサは歪めた顔を左右に振る。

 「いえ…相手から感じる神霊圧の規模やパターンを鑑みる限り…天使ではありませんわ。…もっと…厄介な存在が来てしまったようです…」

 神霊圧とは、『現女神』を端として発せられる、独特の魔法科学的圧力である。形而上的にのみ知覚できるもので、『現女神』ごとにその特徴(フレーバーと呼ばれる)が異なる。この圧力は『現女神』本人だけでなく、彼女らが創造したり、力を付与したものからも発せられる。この圧力が強烈になると人類のみならず全生物の精神に影響を与え、『現女神』への盲信衝動を引き起こす。ちなみに、"獄炎"の天使たちも神霊圧を持ってはいるが、彼らは"獄炎の女神"にとって尖兵程度。強烈な神霊圧を持つほどの存在ではないようだ。

 それはさておき、"もっと厄介な存在"と言う言葉を聞いてノーラは首を傾げただけだった…が。大和は露骨に顔色を青くし、冷や汗まで噴き出して見せる。

 「それってまさか…"士師"が来たってコトッスよね!? そうなンスよね!?」

 「未確認ですが…その可能性は十分考えられますわ…」

 "士師"。その存在については、後ほど解説するとしよう。今は単に、「天使よりも数段、厄介な相手」との認識で十分である。

 ノーラも部員二人の反応からこのことを悟ると、ようやく事態を飲み込み、二人の顔色がうつる。天使すらも凶悪な障害だというのに、更にその上がやってくるとは! 仮入部という形で活動に参加してすぐに、これほどシビアな状況に陥ることになるなど、誰が予想できただろうか?

 茫然となって固唾を飲むばかりのノーラであるが、ヴァネッサはそんな彼女を真正面から見据えて語る。

 「今は…わたくしの力を総動員して…足止めしていますが…遠隔制御では力を十分に発揮できない割には…手間もかかりますし疲れてしまいますわ…。

 ですから、わたくしが今から"あいつ"のところへ行き…直接、叩きます。

 もちろん、激しい戦闘になるでしょう…このエリアの水晶を十分制御できなくなる可能性があります…そこで、ノーラさんにお願いがありますの。

 方術を使用して…水晶の維持をしていただきたいのよ…。範囲は広大ですし…パイロエンデュライトはクセのある物質なので…大変なのは百も承知なのですが…この急事に臨む多くの人命に免じて…引き受けていただけないかしら…!」

 続いてヴァネッサは、大和に視線を向ける。

 「ノーラさんをお借りして…も問題ないですわよね、大和…? 元々、一人で作業をこなしておりましたものね…?」

 「まぁ…溜まってた作業も丁度終わったところだったスからね。ただ…」

 大和は何か続けようとしたが、ヴァネッサが即座に言葉を挟む。

 「それなら、問題ないですわね…」

 「いや…あの、現場に出てる車輛でまだノーラちゃんの方術を…」

 作業者として問題点を訴える大和であるが、ヴァネッサはやはり取り合わない。かと言って、それは大和に対して意地悪しているワケではない。うまく回っていた体制を崩すなのだから、問題が生じることはよく分かっている。それを知った上でなお、現在直面している災厄の方が緊急性が高いと判断しているのである。

 「どうかしら、ノーラさん…来ていただけるかしら…?」

 急かすようなヴァネッサの問いに対して、ノーラは多少圧迫感を感じながらも、逡巡せずには居られない。頼まれた作業の内容は、彼女には正直言って荷が重い。パイロエンデュライトなる物質を扱った経験がないので、どのような術式構造で魔化(エンチャント)を施すのが最適なのか、すぐには判断できない。おまけに、カバー範囲があまりに広すぎる。いくら定義変換で方術の施術を補助する器具を作り出したとしても、十分な対応になるとは思えない。

 (それでも…誰かが対応しないと…この避難拠点が、避難民の皆さんが、危ない…)

 ヴァネッサの気だるげな、しかし鋭く迫る視線を受け続けること、数十数秒。巡るノーラの思考は、はっと、一つの場所に落ち着く。

 「…すみません、ヴァネッサ先輩。私の方術の力量では、定義変換の能力を使っても、水晶を維持し続けるのは無理です…」

 この答えは、ヴァネッサを大いに落胆させた。ただでさえ辛苦に陰る表情が、砕けたガラスのような失意に満ち、拒絶を訴えるように目を見開く。これにはノーラの胸がズキリと痛むが、事実は事実だ。ここで見栄を張って安請け合いをし、信頼を裏切る方がよほど酷であろう。

 それに、ノーラの話はまだ終わっていない。

 「水晶の維持をするのは、やっぱり、ヴァネッサ先輩が適任だと思うんです…。

 ですから…私は…この拠点を脅かしているという敵に、当たります」

 「!!」

 この提案に、ヴァネッサだけでなく大和までも驚愕の衝撃に全身を粟立たせる。疲労したヴァネッサが何かを口にするより早く、大和がブンブンと頭を左右に振りながら、重い留めようと説得する。

 「いやいやいやいや! ノーラちゃん、"士師"ってヤツは、『現女神』のオバサンたちの配下でも別格! 天使どころじゃないんだよ!

 ノーラちゃんは、天使との交戦も今回が初めてだったんでしょう!? そんな状態のキミが士師とやり合うなんて…! 無謀にも程があるってもんだよ!」

 言葉の最後は説得というよりも、非難に近い響きを持っていた。ナンパな大和でさえ、そこまで真剣に後ろ髪を引くのだ。本当に尋常でない相手なのだろうと、ノーラは悟る。だが、相手の力量を想像しきれない事情も相まって、彼女は決意を曲げない。

 「大丈夫です。私、戦闘はかなり得意ですから。

 どんな性質から士師が天使より手強いのか、私には分かりませんけど…イェルグ先輩が天使を倒した様子や、ロイ君が天使の群れを相手にしているところを見る限り、立ち回りさえ問題なければ…私の剣は、ある程度通じると思います」

 「まぁ、確かに、士師だって生物だから剣も拳も通じるけどさ! それは物理的に、力学的に作用を及ぼせるって程度の話であって! ヤツらに有効な打撃を与えられるかどうかとは、また別問題なんだよ!」

 「確かに大和君の言う通り…私には経験はないから、士師という存在相手に勝利できるなんてことは、言えません。でも…少なくとも、時間を稼ぐことはできます。

 その間にお二人には、星撒部の部室に連絡して、士師との戦闘経験のある方をこの場に呼び寄せてください。私がこちらに来てから随分時間が経ってますから…部室の皆さんの折り紙作りも一段落してるかも知れません」

 「ノーラさん…あなたまさか…玉砕覚悟ではないでしょうね!?」

 悲鳴とも非難ともつかない口にしつつ、ヴァネッサが怒らせた視線でねめつける。

 「わたくしたちの部活は、笑顔を振り撒くもの。笑顔を絶やすような真似は、厳禁なのですわ!

 もしもあなたが犠牲になった上でこの都市を救ったとしても、あなたの家族が、そして仲間であるわたくしたちが、笑えなくなりますわ! それを部員の誰が許しても、わたくしだけは許しませんわ!

 …やはり、ここはわたくしが行きますわ。ノーラさんには水晶を…」

 「それだと、士師は倒せても、この拠点自体の壊滅を招くことになります! もう一度言いますが、私はこの広大な規模の水晶を支えるだけの方術を扱えません」

 「それなら、オレが…」

 大和が手を上げると、ノーラは即座に反応して振り返り、「ダメです!」と口をつぐませる。

 「大和君は、都市の鎮火や人々の避難を行うための、大切な装甲車を修理したり作り出したりする役割があります。その役目も、私では肩代わりできません。

 私が敵に当たることこそ、最善だと思います」

 ヴァネッサと大和に、苦渋の沈黙が訪れる。現状を鑑みるに、ノーラの案は正論に聞こえる。しかし、どうしても、今日初めて部に入った者に過酷な対処を押し付けるのは、気が引けてならない。

 逡巡する二人を、ノーラは更に追い立てる。

 「敵は迫っているんですよね? あまり時間をかけられる状況じゃありません。迷っていてもどうにもなりません。

 行かせてください」

 ノーラの瞳には、頑とした堅さを持つ輝きが灯っている。それまでは一歩退いたような態度を取っていたというのに、いざとなると、彼女は岩石のごとく頑固となりテコでも動かなそうだ。それを悟ったヴァネッサは、ついに折れる。目を伏せて、はぁーっ、と深くため息を吐いたのが、その証である。

 しかし、ヴァネッサも手放しで承認することはしない。

 「…一つだけ、約束して下さる?」

 伏せた目を開き、鋭い視線でノーラを真向から射抜きつつ、剣呑な調子でヴァネッサが釘を刺す。

 「さきほども言いましたが、あなたが犠牲になることは厳禁です。

 勝てないと思ったら、時間を稼ぐことを考えずに、逃げなさい。私たちに連絡を入れなくても構いません。自分の命を粗末にする真似だけは、絶対に、しないこと!

 これだけは、絶対に、約束なさい」

 するとノーラは、ニコリと笑った。その笑みは、初夏の日差しを受けて小さいながらも懸命に咲く、撫子(なでしこ)のように見える。

 「私…皆さんのように、自信が持てるような人生の目標はありませんけど…まだ死ぬ気はありませんから」

 ――あなたにいつ、わたくしたちの人生の目標を話したかしら? そう問い返したくなったが、ヴァネッサは口を噤んだ。ノーラの言う通り、今は時間が惜しい。彼女の卑屈な人生観を叩き直すのは、この災厄が終わってから、じっくりと取り組んでも問題はあるまい。

 未だ納得していない大和が、引き留めないのか、と目配せするのを横目に、ヴァネッサは優雅に髪をかき上げる。そして左手を腰にあて、右手の人差し指をビシッとノーラに向ける。そして口にした言葉には、もう迷いも後ろめたさもない。

 「いってらっしゃいな! 士師の存在、その目に焼き付けてきなさい!」

 対して、ノーラは無言。ただ首を縦に振ると、ナビットの通信を切断。そして大和の方をチラリと振り返り、ヒラヒラと手を振って別離を告げると、風のように軽やかに駆け出す。

 「え、あ、あの、ノーラちゃん!?

 …あーもっ! こうなったら、オレも応援するよ! 気を付けて、そして絶対に帰って来なよ、ノーラちゃん!」

 すぐに車の陰に遮られて見えなくなったノーラの背中を目がけ、大和は大きく声を張り上げる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ノーラは足取り軽く、水晶の広がる大地を駆けてゆく。

 胸の内では、鼓動が激しく打っている。全力疾走しているから…というのも、もちろん理由ではある。しかし、それだけではない。

 かと言って、緊張や不安が心臓を暴れさせているワケではない。それらの感情を抱いていないワケではないが、今のノーラにとってそれらは大して重要な要因ではない。

 鼓動を突き動かしている最も大きな要素…それは、昂揚感、である。

 経験者たちが"強大"と評価する未知の敵を相手にするというのに、恐怖感よりも、もっともっとポジティブな衝動が胸中を踊っているのだ。

 

 ノーラは今、成果が出ていないにも関わらず、喜びと満足を胸の内に膨らませている。

 自らの意志で、自らの力を人々のために役立てたくて、この災厄に首を突っ込んだ、ノーラ。これまでの彼女の働きぶりは、傍目から見れば、十分すぎるほどだろう。これまで彼女と関わってきたイェルグも、大和も、ヴァネッサも、その口から文句が飛び出すことはないだろう。

 だが、ノーラ本人は全く満足していない。むしろ、自分の成果を疑問視している。

 これまでの活躍はすべて、誰かと共に成し遂げたものだ。純粋な独力で事態の始終を解決してはいない。だから彼女はこう思うのだ――この災厄の解決に対して、私はどれほど役に立てているのだろうか?

 今回の敵との単独交戦は、この疑問の答えを量る絶好の機会なのである。

 加えて、彼女は交戦の結果について楽観視している。敗北することなど考えていない。脳裏に描かれるのは、敵を打ち倒し、避難民たちの脅威と部員たちの懸念を取り除き、笑顔を運ぶ自分の姿である。この痛快な光景は、誰の心にも昂揚感を与えることだろう。

 こんな楽観的な思考するのは、今までの彼女では考えられないことだ。人生の希望も目標も持たず、目先の足元だけを見て過ごしていた日々の彼女なら、もっと沈着冷静にして無味乾燥な思考をしたことだろう。

 しかし、今のノーラの胸には、希望の光が灯っているのだ。その光は、今まで影ばかりだと思っていた世界の様相を遠く、明るく照らし、彼女の世界観を大きく変えたのだ。

 

 ノーラはコンサートホールの中に至る。

 そこで彼女が見たのは、恐怖と混乱に満ち、ホールの入り口の反対側へ津波のように押し寄せてギュウギュウに固まる、避難民の群らがりである。

 恐らく、ヴァネッサか消防局員が現状を避難民に伝えたのだろう。そして安全のために敵が進入してくる入口から遠ざけるようと誘導したに違いない。しかし、都市火災の時点で恐慌状態に陥っている避難民たちが、更なる危険に晒されて平気でいられるワケがない。誘導を耳にした途端、彼らは堰を切ったように入り口からより遠くの位置へと駆け出したのだろう。そして、密度が限界に近い状態になった今でも、更に遠くへ足を延ばそうと、押し進もうとしている。まるで、加減のない"おしくらまんじゅう"だ。

 「あまり押さないで! 返って危険な状態になるから!」

 魔化(エンチャント)により製造された携帯拡声器片手に、局員たちが叫んでいる。あまりの押し合いに圧死者が出るのを防ごうとしているのだろう。だが、局員たちの必死の訴えは避難民たちの喧騒の中に消えてしまう。

 一方、避難民たちの手前の地面から、巨大な霜柱が立つように水晶の壁がニョキニョキと生え出しているのが見える。ヴァネッサが避難民たちを守るために作り出しているものだろう。その大きさからみて、かなりの規模の魔力を消費しているに違いない。加えて、彼女はホールの内に向かっている敵の足止めもやっていることだろう。映像通信時に見た濃い疲労の色にも納得できるというものだ。

 誰も彼もが、極限と言っても差し支えない厳しい状況に晒されている。

 ――これを打破できるかどうかは、自分の双肩に掛っている!

 ノーラは視界に映る光景を見て、自分の重責を改めて認識したが…相変わらず胸の内では、高揚が踊っている。むしろ、目肌で感じたことで、成果を遂げた際の充実感をより一層大きく捉え、興奮してしまったようだ。

 

 敵と戦うならば、尻込みするよりも、ギラつく戦意を抱えてぶつかる方がよほど良い。

 そして今のノーラの眼には、世界の影を取り払うほどの輝きが灯っている。

 しかし、輝きは善にばかり働くワケではない。

 眩しき過ぎる輝きは、却って世界を見えにくいものにしてしまうものだ。

 …そしてノーラはすぐに、そのことを身を持って文字通りに痛感することとなる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ホールを抜けて、正面出入り口への通路へ進入したノーラ。

 そこで目にした光景を前に、彼女の軽い足取りに、急激に鉛が纏わりつく。

 高揚で踊っていた鼓動は、一段と大きくドクンと震えたかと思うと、そのテンポを一気に緩慢なものにする。

 代わりに、体中の毛穴がゾワリと逆立つと共に、汗腺からブワリと水分が噴き出てくる。

 ――暑い。まず認識したのは、その痛々しいほどに不快な感覚。

 次いで想起されるのは――(何、これ…?)と自問せずには、目を丸くせずにはいられない、怯懦と困惑が混在する奇妙な感情である。

 

 "溶鉱炉"、または、"噴火中の火口"。眼前の光景にノーラの脳裏に浮かんだのは、それらの言葉である。

 通路は置くに向かうにつれ、眩い赫々(かっかく)の輝きに満たされる。輝きは網膜へ強烈な疼痛を投げかけると同時に、全身の皮膚に乾き切った灼熱を運んでくる。

 輝きの正体は、高熱によって溶融した通路および水晶が放つ熱光線である。…そう、通路は今、敵の影響によって莫大な熱エネルギーを与えられて、ドロリと溶融しているのだ。上下左右を囲んでいた直線的な辺はグニャグニャに歪み、ドロドロとゆっくりと流動している。天井からベチャリと滴る溶融物の滴と合わせると、この光景がまるで、激しい飢えを覚えた獣が獲物を前にして開いた、唾液まみれの大口のように見えてくる。事実、飛び込めば牙や胃液の役割をする高熱によって、大きな損害を被ることになるだろう。

 (これじゃあ、身動きどころか、まともに目も開けない!)

 ノーラは堪らず、出来うる最大の耐火・耐熱、そして遮光の身体(フィジカル・)魔化(エンチャント)を自身の身体に付与する。全身の輪郭に涼しげな青色の魔力励起光が灯り、全身を襲う強烈な不快感は大きく軽減される。が、それでも体表が常にジットリと汗ばむほどの酷暑を感じる。呼吸するたびに吸い込む空気も、まるで肺を蒸し焼きにせんばかりの熱気を運ぶ。

 (なんて熱量…! イェルグ先輩と戦った時の天使よりも、ずっとずっと、強烈だ…!)

 苦々しげに表情を歪めつつ、この恐ろしい状況を作り出した敵の姿を求めて、眩い赤の通路の奥に視線を投げる。

 求めるモノの姿は、すぐに見つかった。溶融した赤の粘海の中に、ただ一点、青銅の(きら)めきを放つ人物が見える。…そう、それは"人物"だ。一対の手足を持ち、大地を踏みしめて直立するその姿は、旧時代の地球の価値観においても文句なしに『人類』とみなされるものである。

 ノーラは更に目を凝らし、この敵の詳細な姿を脳に焼き付ける。

 まず理解したのは、身体から放たれる青銅の煌めきは、"彼"――そう、敵は男性だ――が身に着けている鎧が放つ金属光沢である。この耐熱性の高いパイロエンデュライトすら溶融する空間の中でも健在なところを見ると、よほど優秀な魔化(エンチャント)を受けているか、はたまたは未知の高耐熱性物質なのかもしれない。鎧は獅子を思わせる造形をしており、特に大口を開いた獅子の顔をした兜は、彼の腰よりながい長髪と相まって、威厳ある実物の百獣の王が見て取れる。

 しかし、鎧よりももっと奇妙な点がある。それは、彼の髪と、体表に浮かび上がる血管である。どちらも、周囲の溶融物質に勝るとも劣らぬ輝きを放ち、ゆっくりと明滅しているのだ。まるで彼の体内を巡る血液が、灼熱の物質であるとでも言わんばかりの有様だ。その輝きは彼の色濃い褐色の肌と激しいコントラストを呈している。

 彼はゆっくりとした足取りで、通路のこちら側に向かって歩みを進めている。その途中、溶融した床の中から鋭く巨大な水晶のツララが幾つも飛び出し、行く手を阻む。ヴァネッサが遠隔で能力を行使し、足止めをしているのだ。通路は一瞬にして水晶で塞がり、ノーラの行く先は行き止まりになってしまう。

 …しかし、この障害はすぐに役割を為さなくなる。数秒後、水晶の隔壁の中央にじんわりと、まるで白布にインクを落としてシミが広がるように、輝く赤が出現して円状に面積を広げてゆく。その直径が1メートルほどに達すると、その中央が粘性の緩い液体へと融解し、トロリと溶けだして穴を作る。同時に、隔壁の全体が徐々に赤みを帯びてゆき、まるで激しく汗ばむように表面がドロドロと溶け出して幾筋もの粘り気の高い滴を作り出す。

 やがてグニャグニャになった隔壁の中を掻き分けて、"彼"が再び姿を現す。鎧は相も変わらずに美しい青銅の光沢を放ち、色濃い褐色の皮膚は何事もなかったかのようにみずみずしく健在だ。高熱の物質の中から飛び出した彼は、太古の地球の一地域で崇められていたという火山の神ウルカヌスを思い起こさせる。

 この神々しく屈強な勇姿に、再び障害が襲撃する。"彼"の真横、熱い赤を帯びて輪郭が大きく歪んだ通路の壁から、突如として太く荒い水晶の柱が発生。転瞬、細かい破片をまき散らしながら爆砕したかと思うと、もうもうたる粉塵の中から煌めく水晶の巨兵が出現する。ヴァネッサの遠隔自動操作型の使い魔だ。長さが優に5メートルを超える、幅広の刃を持つ斧槍を手にし、"彼"へと猛然と打ち掛かる。

 「滅せよッ!」

 巨兵が咆哮と共に斧槍を落雷の勢いで振り下ろす。これに対し、"彼"は身を向けることもせずに、横目で一瞥をくれながら腕を伸ばすだけだ。その高慢とも取れる悠然とした態度は、単なる格好つけで終わらない。伸ばした腕の五指の爪がパックリと口を開くと、そこから真夏の陽光より更に眩しい輝線が出現。それらは鞭となって宙を駆け、激しくしなって躍り、水晶の巨兵に接触する。すると、凧糸が柔らかなスポンジケーキにやすやすとめり込み切り分けるように、巨兵の表面下に侵入。そのまま背中へと通り抜け、巨兵の身体には5つの切断痕が綺麗に残る。

 だが、巨兵は仮初(かりそめ)の命を吹き込まれた無生物の存在。痛みも感じず、動作を停止することもない。さすがに切断によって動きは鈍ったものの、重力も味方につけ、斧槍を"彼"へと肉薄させる。

 しかし、ここで巨兵に悲劇的な変化が訪れる。切断面を中心に、灼熱の赤が急速に広がり始めたのだ。その全身が輝く赤に包まれるまで、ものの数秒と掛らない。灼熱が全身に回ると、今度は巨兵の身体がガラス細工のように形を失い融解してゆく。斧槍はほんの数センチで"彼"の頭をかち割るというところで、完全な液体となって床に流れ落ちる。その直後、巨兵は「おぉぉ…」と無念の声を上げながら、泥のベシャリと溶け崩れると、床を流れる溶融物の一部へと成り果てる。

 (ヴァネッサ先輩の力が、全然…効かない!?)

 圧倒的な所業を目の当たりにしたノーラの心から、胸を張り裂くばかりに膨らんでいた昂揚感が、戦意が、楽天的な希望が、一気に萎む。そして全身から、暑さのものと相まう冷たい汗がブワリと噴き出す。結んでいた桜色の唇が血色を失い、だらしなくあんぐりと開く。立ち尽くす足が床に根付いたように、鉛に覆われたように、固く重くなる。

 

 彼女の眼に、もはや輝きは灯らない。眩さの消えた視界を通して網膜に映るのは、至極冷酷でシビアな世界の姿である。

 

 あ…あ…――あんぐりと開いた口から、呻きとも呼気とも取れる茫然とした音声を漏らすだけとなってしまった、ノーラ。そんな彼女と相対する"彼"は、その失意を汲むことなど勿論せずに、これまで通りのゆっくりした足取りで通路をこちらへ向かって歩いてくる。

 しばしの後、ふいに"彼"は足を止める。"彼"の深海のような深蒼の瞳が、ついにノーラを捉えたのだ。

 「ほう? 我が行く手を阻まんとする者か。それにしては、意外だな」

 穏やかにも聞こえる、力強い声。しかし声音の裏には、人間的な感情を持たぬ、無機質なまでに残酷さが含まれている。

 強烈な衝撃と失意に囚われたノーラが、瞬きするばかりで"彼"の問いに答えらずにいると。"彼"は丸太のように太い腕を組み、威圧感を更に煽って言葉を続ける。

 「神の代行者と戦わんとする涜神者にしては、あまりに脆弱な精神。あまりに非力な身体。

 お前の矮小さを目にしていると、当の昔に捨てた憐憫という感情を思い出されてくるな」

 非難をふんだんに含む酷評をぶつけられても、ノーラは反応できずにいる。そんな彼女の脳内には、対決せねばならないという現実から完全に逃避する思考ばかりが巡っている。――なんて大きくて力強い、神に恵まれた体格をしている相手なんだろう…だとか。凄く熱いな、あの人の身体が尋常じゃない熱量を放出してるんだ…だとか。近くで見ると、輝いている髪や血管や青銅の鎧が、まるでクリスマスツリーみたいんだな…だとか。その一々に、戦意の欠片はなく、(こうべ)を垂れ下げたくなる無力感が溢れている。

 押し黙ったままのノーラに向けて、"彼"が片眉を跳ね上げる。

 「どうやら、単なる勇み足で私と対峙し、神霊圧というよりも存在の強さそのものに屈服してしまったようだな。なんと哀れで、小さな魂魄か。

 だが、安心せよ。矮小なる存在であればあるほど、昇天してしまえば我が主の盲信者として、ひたすらに信仰を生み出す蝋燭となる。お前には、我らが"獄炎の女神"の糧となる、立派な存在意義が生まれる」

 "彼"が再び歩み出す。その足取りは、以前よりも早い。そしてノーラの身体を――魂魄そのものを捕獲しようというように、太い右腕を伸ばす。

 あと数十センチで接触、という事態に至っても、ノーラの身体は微動だにしない。あまりにも理解の及ばぬ、強大な恐怖の塊を目の前にした幼子のように、息を飲んだまま身を堅くしている。迫り来る、煌々と血管が輝く掌を茫然と見送っている。

 迫る掌が、ボォゥッ、と大気を小さく揺るがす鈍い音を奏でる。直後、掌の周囲に、血管と同様の煌めきを持つ灼熱の光域が出現。耐熱の身体魔化をしても、皮膚をジリジリと焦がし真っ赤な火ぶくれを作る灼熱を放つ。この脅威の掌で顔面を掴まれたら、どうなるか。顔面の皮膚が甚大な被害を受けるだけで済まないだろう。天使の炎が消防局員を焼いた時と同様、ノーラの全身を一瞬にして燃焼させ、その魂魄を"獄炎の女神"の元へと昇天させることだろう。

 ノーラはそういう事態を、冷静に把握することは出来ている。だが、身体が全く動かないのだ。脳は危険信号を放ちまくっているというのに、脊椎神経が断絶したかのように、全身が完全に麻痺しているのだ。

 "彼"の手が顔面を掴むまで、残り数センチ。ノーラの可愛らしい顔は火傷だらけになり、ビリビリとした鋭い痛みが至るところで生じている。それでもノーラは、視界の大半を覆う掌を、目を見開いて見つめているばかりだ。

 (…やられる…!)

 胸中で絶叫しながらも、脳の片隅、理性の辺境で…このまま魂魄を捧げてしまってもいい、という虚脱的な思考が泡のように生まれる。この思考は風船のようにムクムクと膨れ上がり、一気にノーラの怜悧(れいり)な思考を蝕む。――なぜ私は、こんな強大にして、素晴らしい存在と敵対しようとしているのか? 彼こそ、私の陰り切った心を照らす明星ではないか!? そんな彼よりも高位の存在である"獄炎の女神"ならば、さぞや素晴らしい光を私に与えてくれるだろう! ああ、この矮小で穢れた陰に満ちた私という存在を、その輝かしい手で浄化し、『現女神』様の元へ――。

 「ダメですわっ!!」

 突如として現れる、恍惚とした呆けに支配されたノーラの思考を鋭く切り裂く、声。直後、彼女の身体は横手から強かに突き飛ばされ、溶融を始めた通路の床に派手に転がる。その最中、身体中に生じる鈍痛の刺激は針となって、彼女の思考を圧迫する虚脱的な思考の泡を破裂させる。恍惚の熱が冷却され、元の怜悧な思考を取り戻したノーラは、瞬き一つすると、眼をキッと鋭くしかめる。麻痺していた身体が解放され、見事なバランス感覚を取り戻すと、キビキビした動きで身をよじり体勢を立て直す。

 壁を背にして片膝を付き、"彼"の方に向き直る、ノーラ。彼女が見たものは、掌を伸ばしたままの格好で、きょとんとした様子で足を止める"彼"。そして"彼"のすぐ手前、水晶で出来た荒々しい表面を持つ細身の鎧騎士である。この騎士、顔の部分だけはツルツルとしていてマネキンのようにのっぺらぼうだ。その反射光を眩く照り返す顔面はモニターの働きをしているようで、人物の顔を投影している。そこに映っているのは、この水晶騎士の主である、ヴァネッサの顔だ。

 ヴァネッサは眉をきつく釣り上げ、怒気に燃える眼でノーラを直視している。鋭い八重歯の目立つ口を大きく開き、火炎を吹く勢いで雷鳴のごとく叱りつけてくる。

 「この都市(まち)の皆さんを"獄炎の女神"から救うために、彼らに笑顔を振り撒くために、ここに来たのでしょう!

 そして、私の提案を剛毅に振り払ってまで、戦うことを選んだというのに! こんな士師程度の神霊圧に簡単にやられてしまうなんて、こいつの言葉じゃありませんけど、脆弱にも程がありますわよ! そんな心持ちでは、この異層世界中に笑顔の星を振り撒くなんてこと、到底できませんわ! 仮入部員としても失格ですわよっ!

 もっと自分の力を信じて、しっかりと――」

 ヴァネッサは更に激励を送ろうとするが、敵対者である"彼"はこれ以上、状況の変化を黙って見過ごしたりはしない。ノーラを掴むはずだった掌で水晶騎士の顔面をがっしりと掴むと、顔面を掴み砕かんと、輝く血管を隆起させながら力を込める。転瞬、掌の周囲の光域の色が一転、青白く濃密な火炎へと変化。水晶騎士の全身を一気に包み込む。

 「なんとも不愉快な物言いだな、人間風情が」

 "彼"は表情こそあまり変えなかったが、その漆黒の瞳の奥に確固とした激怒をギラつかせ、溶けてゆく水晶騎士の顔面越しにヴァネッサへと吐き捨てる。

 「"士師程度"、などと、我らを取るに足りぬ虫のように語るとはな。

 私の足をしつこく留め続けていたことと言い、その冒涜的態度、全く許容できん。

 貴様と相対したならば、その魂魄は昇天などさせぬ。私の力で一片残らず溶融させ、そこらの屑石と共に灼熱の泥濘として打ち捨ててやろう」

 「フンッ、不愉快なのは、こちらの方ですわっ!」

 もはや輪郭を全く失い、ぐにゃぐにゃの形状となった騎士の顔面にて。辛うじて顔が映るヴァネッサが、消えゆきながら一言、鋭い捨て台詞を残す。

 「特に、"人間風情"だなんて、わたくしたちを見下したその物言いがっ!

 あなただって、『現女神』に(こうべ)を差し出しただけの、『人間』のくせにっ!」

 この言葉の直後。水晶の騎士は形状を完全に崩壊させ、多量の水で溶いた小麦粉のようにベシャリと床に流れ落ち、大地に薄く広がって退場する。

 その残滓を不愉快そうに眺め、"彼"は厚い唇から苦言を吐き捨てる。

 「我らは崇高なる『現女神』により、既存生物より高次の存在定義を与えられし者。是非にでも"ヒト"というカテゴリで表現するならば、超越者――すなわち"超人"と称するのが適切だ。同列として扱うな、下等生物」

 生物として、あまりにも高慢な言葉。しかし、"彼"の全身から吹き上げる荒々しくも神々しい威圧感は、この言葉に重く確かな実像を結ぶ。これを耳にした常人は、不快感どころか畏怖に起因する感銘に身を震わせ、首を垂れて平伏することだろう。

 

 だが、そんな不可侵的存在と言える"彼"に対し、威圧の灼熱を切り裂く一陣の疾風となって、神々しい巨躯に牙を突き立てる者がいる。

 

 「ハァッ!」

 鋭く響く、呼気。同時に宙を一文字に駆ける、銀と飛沫の斬閃。それは"彼"の顔面を横薙ぎに襲う。

 肉どころか、鋼をも断つような勢いの一撃。それを受け止めたのは、"彼"が被る獅子の兜――ではない。血管網が赫々に明滅する、褐色の巨掌だ。小うるさい羽虫を掴み取るかのような、無造作にして無機質な態度である。

 受け止めた手の内で、飛沫を纏う銀色がジャブジャブと激しい水音を立てる。"彼"が受け止めた刃――そう、斬閃の正体は剣だ――は、青白くぼんやりと発光する水が周囲を高速回転する、奇妙なものだ。しかし、この刃には見覚えがある。先刻、イェルグと共に行動していたノーラが、積乱雲の魔化(エンチャント)に用いた、定義変換した大剣である。

 この斬撃の主は、もちろん、ノーラだ。今の彼女には、先に"彼"の神霊圧に当てられて畏怖に(すく)んだ面影はない。痛々しい火傷が点在する顔は活力と決意に満ちている。その姿は聖神に刃向う涜神者というよりも、邪神と勇猛果敢に戦う英雄だ。

 ノーラの一撃を阻んだ"彼"は、直ちに激しい反応を起こすことなく、ゆるりとした動きでもう一方の腕を伸ばす。掴みかかるようなその掌は青白い炎に包まれ、ノーラの可憐にして勇壮な顔を燃焼させ、握り潰そうとしている。

 これを避けるべくノーラは、大剣を大きく振るい、"彼"の手を振り払いにかかる。大剣は案外あっさりと解放され、自らの勢いで体勢を崩しそうになるが、すぐにバランスを取り戻すと、跳び退って"彼"との間合いを取る。

 この一連の動作をゆるりと見送った"彼"は、剣呑に身構えるノーラに向き直り、彼女の全身を黒一色の瞳に映す。そして尊大な態度で丸太のごとき巨腕を胸の上で組むと、厚い唇を動かす。

 「解せんな」

 その言葉は、釈明を求める響きを含んでいる。だが、ノーラは"彼"の期待に応えず、無言を貫く。もとより、何を釈明させようというのか、読み取れない。

 数瞬の沈黙の後、"彼"は言葉を続ける。

 「お前はすでに本能、いや、魂魄定義のレベルで認識しているはずだ。私がどれほど高位で強大な存在か。比して、お前がどれほど矮小で脆弱な存在か。その証にお前は一度、その身を私に委ね、その魂魄を我らの主に捧げようとしたではないか。

 しかし今になって、お前は魂魄定義で認識した畏怖を跳ね除け、神の代行者たる私と対決を挑もうとしている。その行為は、手も足も掛けられぬ絶壁に挑み天に至らんとする、白痴なる愚者に等しい。

 お前のその愚行を後押ししたのは、水晶を弄ぶ忌々しい涜神者の言葉であろうが…あの言葉に、一体どれほどの価値がある? その無価値な生命を無理無謀の前に使い果て、無為に失うほどの価値が、どこにある? 私の神霊圧を克服するだけの力が、どこから湧く?

 全く以って、解せぬ」

 対して、ノーラは答えない。その代わりと言わんばかりに、その身を再び褐色の疾風に変えて動く。身を低くして駆け出し、一息で"彼"の懐に飛び込むと、引きずるように後方に構えた水の大剣を下から上へと斬り上げる。

 (私には、このヒトのような余裕なんてない!)

 その身で"彼"の神霊圧を経験したノーラは、自身と敵との絶望的とも言える力量差を把握している。それゆえ、相手の余興的行動に律儀に付き合うような余裕はない。そんな暇があるのならば、相手の見下した態度を逆手に取り、その隙を突かねば勝利はもぎ取れない!

 ノーラの斬撃は、鎧に覆われていない"彼"の二の腕を狙う。まだ"彼"は対処の行動を起こしておらず――起こせないのか、あえて起こしていないかは不明だ――漆黒の瞳でこちらを見送っているだけだ。飛沫を散らす高速の水の刃は、すんなりと"彼"の褐色の素肌を捕える。

 ギィィィン――堅い陶器にでも激突したかのような、耳障りな音が立つ。同時に、ノーラの腕を至極堅固な手ごたえが激震となって伝ってくる。これは、肉を断った感触はない。功を奏すことなく弾き返された、無念の慟哭だ。

 (…しまった…!)

 ノーラは目を丸くするよりも、舌打ちしたくなる後悔に駆られる。相手は天使よりも厄介と評される存在、士師。天使ですら『現女神』の『神法(ロウ)』により存在定義を堅固に守られている。この士師も同じく『現女神』の使徒なのだから、いくらヒトに近い姿をしていようとも、同様の性質を持つことを想定するべきであった。

 "彼"を斬るためには、強烈な意志力を伴った加撃が必要だ。恐らく、天使を斬るより更に強力な意志力が。

 ノーラの斬撃が虚しく肌の上を滑る最中、"彼"が攻撃行動を起こす。体勢を整える動作は、雷光のごとく。赫々に輝く腕に力を入れて振り上げる動作は、弦を引き千切るほどに弓引くがごとく。そして、岩石の硬度で固めた拳をノーラの顔面めがけて振り下ろす様は、まさに天よりの鉄槌のごとく、だ。

 (!!)

 ノーラは反射神経を総動員し、流星のような鉄槌を身を転がして回避する。直後、背後を過ぎる猛烈な灼熱。そして、ベシャンッ、と緩い泥を思い切り踏みつけるような粘性音。即座に立ち上がり、再び"彼"と対峙したノーラが見たのは…ついさっき自分が居た位置の地面が大きく(えぐ)れ、溶岩溜まりのような有様になっている光景だ。これの直撃を受けたならば、身体魔化の効力をやすやすと打ち破り、肉体が即座に炭化させられただろう。

 「その若さにしては、良い反応だ」

 拳を穴から引き抜きつつ、"彼"が称賛を送る…が、その口調はあまりに無機質なため、世辞というより嫌味にしか聞こえない。

 しかし、苛立つような余裕は、ノーラにはない。二度の奇襲は全く功を奏さず、失敗に終わってしまった。却って、敵の化け物じみた性質を見せつけられてしまい、戦意が挫けそうになる。

 (どう戦う…? どうすれば、天使以上に堅いと予想できる『神法』の定義を、突破できる…?)

 暑さ以上に焦りによって、火傷だらけの顔をヒリヒリさせる汗がジットリと流れる。そんなノーラを"彼"は真正面から見据えると、ゆるりとした動きで、しかし大気を大きく渦巻かせながら、どっしりとした構えを取る。脚を肩幅に開き、両膝を軽く曲げ、両手の指を(あぎと)のように曲げた、獣性を想起させる近接戦闘系の体勢だ。

 「勝てぬと悟りながらも、私を打倒せんとする愚行を敢行するその意志は、無益無謀とは言え、勇気には違いない。

 その無駄に強き意志に敬意を表し、主より与えられし我が高尚なる名を告げよう」

 尊大な物言いの後、"彼"は一息を置くと、未だ考えあぐねて動けずにいるノーラへ鋭い呼気と共に名を告げる。

 「私の名は、"溶融の士師"プロクシム。主より賜りし浄化の灼熱で、すべての物体をあまねく溶融させ、形と定義を奪う者だ」

 ――ここに、"霧の優等生"ノーラと"溶融の士師"プロクシムの戦いが、本格的に炎を吹く。


- To Be Continued -

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