天使のイタズラ
是非見てって下さい。
白の十字架は呪いの十字架
誰もコイツから 逃げられない
私は昼休みが少しだけ苦手になった。別にいじめられてるわけではない。ただ、この時間になると私の心がモヤモヤとし始めるのだ。
授業終了のチャイムが鳴り、いつものように笹見中学校の昼休みが始まる。
私、結城美咲のいる2ー3は新学年になって一ヶ月経ち、男子はバラバラだが女子ではすっかりグループが出来ている。
みんなが固まって昼食を広げるのを見ながら、私はクラスを見渡した。
こうしてみなくても、集団で食べていない人は分かっている。
1人は別室で食べている図書委員長と、1人はいつもどっか行ってる変人と、もう一人は————
あ、目が合った
咄嗟に目を逸らしてしまう。
(しまったぁ……)
心の中で落胆しつつそっと視線を戻すと、彼女は何事もなかったように自分の机にむかって黙々と弁当を食べていた。
水戸 霞。
整った顔立ちと艶やかな長い黒髪、そして姿勢正しく静かに座っている様は、他のクラスメイトとは明らかに違うオーラを放っている。
手入れが面倒と肩までのボブカットにしているお調子者の私には、彼女は輝いて見えた。
そんな美しい彼女、かすみと私は、実は小学校のころ友達だった。
いつも一緒に帰っていたし、休日も友達とかすみを誘って遊びに行ったものだ。
中1のころは別のクラスだったから全然話す機会がなくて、今年になってまた一緒のクラスになれたので、仲良くしていこうと思っていたのだが……
「ちょっとみさき〜何ボーッとしてんの〜」
声のする方に振り向く。
そこには10人くらいの女子が輪になって席をつくっていて、その内の1人、河内あやこが私を呼んでいた。
ウェーブのかかった茶髪と濃い化粧は、かすみとは正反対である。
「あぁ、ごめん。今行くよ」
「早くしないと休み時間終わっちゃうじゃ〜ん」
なんというか、私はクラスの中心的なポジションのあやこに気にいられてしまった。
特に拒む理由も無いと、一緒に昼ご飯を食べるようになったが、あやこがかすみを嫌っているのを知ったのはすぐ後だった。
当然と言えば当然か。品行方正で成績優秀なかすみをあやこが目の敵にするのは当たり前なのかも知れない。
そのおかげで、私がかすみに関わろうとすると何かと圧力をかけてくる訳だが……。まあ、そもそもかすみもそれほど大変そうじゃないし、私が話しかける必要なんてないのかも……。
後頭部をガシガシと掻く。
これは言い訳だ。そんなの気にしなければ良いじゃないか。
しかし、情けないことに自分は小心者だった。やることは簡単なことだ。簡単なことなのに……
その簡単なことをする勇気が、私には無かった。
軽く自己嫌悪に陥りながら、とりあえず弁当を取るためにもう一度振り返る。と
ムニッ
「ほわたぁっっ!!?」
「おおっ?いいリアクションだねぇ」
突然頬に指を押し付けられる。
考え事をしていて無防備だった私は、思い切り世紀末な声を出してしまった。
「うしし、これは今週のハイライトだね」
私にむかってニカッと笑う小柄な少女は、先ほど言った変人、龍ヶ崎琴美。
サラサラと長い腰まである金髪を後ろでまとめていて(イギリス人のハーフだとか言ってた気がする)相当可愛いと思う。
まるで絵に描いたような美少女ではあるが……
「……ごめん。今そういう気分じゃないから」
正直、鬱陶しい。
「うえぇ……いいじゃん小学校のよしみでさぁ」
そう、この金髪変人も同じ小学校だったりする。
あの時はこのノリも面白かったりしたけど、中学生にもなると面倒くさいだけだ。
「ちょっと〜うっさいんだけど〜 ボンボンはどっか消えてくんな〜い?」
あと、龍ヶ崎家は相当の金持ちだ。
そのせいで彼女もあやこの気に入らないリストに登録されている。
機会があったら是非見せて欲しい。広辞苑みたくなってるだろう。
「おお、あやぽん久しぶりー」
「次それで呼んだら殺すから〜」
「ひどいなぁ あやぽんは。それよりわたしのアドバイスは聞いてくれなかったのかい?また髪が黄ばんでいるじゃないか」
「これは染めてんだって言ってんでしょ!?つか、あんたも金髪だろーが!!」
「わたしは地毛だ。酸化した汚れと一緒にしないでくれ」
「ケンカ売ってんのかテメェ!!!」
あやこがガタンッと音を立てて立ち上がり、クラスが一瞬で緊張状態になる。
「ジョーダンだって、あやぽん」ケタケタと笑う龍ヶ崎をみて、こういう時は素直に凄いと思ってしまう。この変人パワーは少し見習いたいものだ。
「そうだ、鹿島君がどこにいるか知らないかい?」
鹿島とはうちの男子クラスメイトで、しょっちゅう問題を起こしては指導室に連れて行かれている問題児だ。
あの鹿島と繋がりがあるのか、やはりこの変人とは距離をとろうと固く決心する。
「さあ…また指導室に監禁されてるんじゃない?」
「ほう!………もう捕まったのか、鹿島君が落ちたのか、はたまたゴリトーのレベルアップか……」
龍ヶ崎がぶつぶつ独り言を始めた。なにこの子、怖い。
「あぁ、ごめんみさりん。用事の邪魔しちゃったかな?」
突然、龍ヶ崎がハッとして尋ねてきた。
「用事?」私は首をかしげる。
すると逆に龍ヶ崎が一瞬「あれ?」という表情を浮かべ、私にだけ聞こえるように再度尋ねてくる。
「かすみんと話すんでしょ?」
体が強張る。数秒、私は動けずにいた。
「みさりん?」
私はゆっくりと自分の席の弁当を取り、
「私、お昼食べなきゃだから」あやこ達の方へ向かう。
「……うん。分かった。じゃね」
そう言い残し龍ヶ崎は教室から出て行った。
「……くっそ、あのチビほんっとムカつく〜〜……『呪い』さえなけりゃボコボコにしてやんのに…」
あやこの呟きを聞き流しながら、私は席に着く。
私もムカついている。あの時、龍ヶ崎の質問に答えられない自分に心底、ムカついている。
その日の放課後、私はホームルームが終わると同時にさっさと教室から出て帰ろうとしていた。
結局あの後もかすみに話しかけられなかった。
このまま1年経ってしまうのではと、心底自分が情けなくなる。
「ハァ……」
ため息をつきながら、自分の下駄箱を開けて靴をとろうとする。
「ん?」
奥に何か入っている。手紙?みたいな物だ。
ヤダヤダラブレターカシラ、なんて考える余裕のない私は、どうでもいいなという態度でそれを取り出し、眺める。
「!!」
しかし、それを見た瞬間、私の無気力だった眼が一気に開かれる。
「これ……まさか……」
真っ黒な封筒を裏返し、決定的証拠を見て呻き声が漏れる。
白の十字架。
私がこの学校に入った頃から噂が広まった、『呪い』のシンボルマークだ。
封筒の中に書かれた条件通りに行動すれば見逃して貰える、だが背いた場合は対象が絶対に呪われるという悪魔の十字架。
現に、今までも条件に背いた人達が被害に遭っている。
皆が皆、不良と呼ばれる生徒達だったが、それでも口を揃えて「呪われた、もう止めてくれ」と泣きながら訴えたというので、『呪い』の信憑性は一気に増した。
私には関係のない事だとばかり思っていたのに……。
「…………」
ゴクリと唾を飲み込み、私は封筒を開け中の紙を取り出し、恐る恐る広げた。
紙には、まるで血のようなドス黒い赤色の字でこう書かれてあった。
結城 美咲
土曜の8時きっかりに自身の教室に来い
この事は誰にも知られてはならない
さもなくば、水戸 霞は呪われる
「……!?なんで……!!?」
どうしてここでかすみの名前が出てくるのだ。
私は軽いパニック状態だった。
「結城ちゃん、どうかしたの?」
ビクッと大袈裟な反応をしてしまう。
見ると、驚いた表情のクラスメイトがいた。どうやらかなり大きな声を出してしまったらしい。
「ああっいやえーとぉ……」
先ほどの手紙の内容がフラッシュバックする。
誰にも知られてはならない
「……ナンで!やっぱり、カレーはナンで食べるよねっ!」
「は?」
「じゃっ!!」
ポカンとしているクラスメイトを置き去りにしてダッシュで昇降口を出る。
完全におかしい女だ。もう龍ヶ崎のことを言えない。
数時間後、私は自室のベッドに寝転がり天井をぼんやりと見つめていた。
今日は金曜日。つまり『呪い』の指示した日にちは明日ということだ。
すでに、怖い。5月の初めなので8時では完全に日が落ちているだろう。
教室でどんな恐ろしい事が起こるか分からない。
でも、
ランドセルを背負って、肩を並べて一緒に帰ったあの頃の彼女の笑顔を思い出すと、自然と恐怖は無くなった。
今までは何かと理由をつけて自分に言い訳していたが、今回は明らかにかすみのピンチだ。
ここで逃げたら私は、私を一生許さない。
「………よし」
グッと拳を握り、決意を固める。もう私の意思を拒むものはない。
「……いや、待てよ」
前言撤回。あった。
「………ゴリトー……」
そう、我が校の教頭先生である。
彼の顔面はまるでゴリラのような、いやゴリラなので付いたあだ名がゴリラ教頭、略してゴリトー。……そんなことはどうでもいい。
何が厄介かというと、彼は超絶Sランクの生徒指導愛好家なのだ。
職員室が2階にあるにも関わらず、常に1階の指導室に居て(それで良いのかと思うが)、校内で少しでも問題が起きれば嵐のような勢いで現れる。
そして捕まったら最期、地獄のエンドレス説教コースである。まともな状態で帰還した者は、未だに確認されていない。
そして明日、私が夜の8時に校内に忍びこむのは間違いなく校則違反だ。
見つかれば朝まで帰してもらえないだろう。
「……どうしようかなあ」
翌日の午後7時55分、私は校舎裏にいた。そして、目の前の窓に手を掛ける。
「良かった。開いた……」
特に難しい事はしていない。
土曜日でも部活動はあるため、学校は午後6時まで開いている。なので、午後5時頃に来て女子トイレの窓の鍵を開けておいたのだ。
警備員のおじさんは腰が悪く、昇降口から入ってきた不審者や違反生徒を教師にチクるのが仕事になっているので、基本的に校内の見回りはゴリトーが行っている(本当にそれで良いのかと思う)。
流石のゴリトーでも女子トイレを細かく点検はしないだろうと予想したが、どうやら当たりらしい。
外に人の気配が無いか確かめ、ゆっくりと女子トイレから廊下へ出る。
「う……」
こんな時間に校舎の中に入ったのは初めてだ。
真っ暗闇の中で見えるのは非常口の明かりだけ。あとはただただ静かで、ビビリの私には不気味でならない。
(大丈夫、大丈夫……)
深呼吸をして、足音をたてないようにトイレのすぐ脇の階段を上る。
学校の校舎は4階建てで、2ー3は3階にある。
目で確認出来ない階段を、手や足で探りながら一段一段しっかり踏んでいく。
いつもの3倍くらいの時間をかけて、やっと2階についた。よし、もう一階上って……。
誰かいた。
2階の踊り場で、今確かに誰か動いた。教師だろうか?それとも他の何か……?
私はそちらを見ないようにする。
気のせいだ。確認なんてする必要はない。別にビビってる訳じゃない。
私は先ほどよりも早足で3階へむかった。
廊下を壁伝いに進む。1組、2組……来た。
私のクラス、2ー3。時間は、丁度1分前。
ドアの前で、再度深呼吸。
ここまで来たんだ。『呪い』が何だ。かすみのためにも、私のためにも、絶対に負けるもんか。
ドアを静かに開ける。中は、ほんの少しだが外の光で机などがうっすらと見える。
とりあえず明かりのスイッチをカチカチ押してみるが、反応なし。
「誰……?」
「うおおおっ!!?」
突然、教室の後ろから声が聞こえてきた。
ついにきたか。サッと身構え、声の主の方向を睨みつける。
「……あ、あんたこそっ、だれだっ」
フーフーと荒い息を吐きながら、いつでも逃げれるよう準備する。
「……みさきなの?」
「……ほへ?」
しかし、その問いかけに私は一気に力が抜けて、間抜けな声を出してしまった。
「かすみ……?」
「ええ、そうよ」
そこにはいつものように自分の席に座っているみさきがいた。
「こんな時間に何してんの……?」
「そっくりそのまま返させてもらうわ」
一体どういうことなのだろう。どうしてかすみがここに……。
バアンッ!!!
「「!!」」
突然、物凄い勢いで開いていたドアが閉まる。
いきなりの出来事で驚くよりも呆然としてしまうが、ここで『呪い』の事を思い出す。
まずい、かすみ自身に『呪い』を知られてしまった。このままじゃ……
続いて、教室中の机がガタガタッと鳴り始める。
「きゃあ!?」
「かすみ!!」
私は恐怖を振り捨て、体に机をぶつけながら真っ直ぐみさきの元へ走る。
「みさきっ……!」
私はかすみの手をグイッと引き、そのまま教室の後ろの壁に二人で体を押し付ける。
「……これが……」
「大丈夫」
私は震えるかすみの手を握って、繰り返す。
「大丈夫」
徐々にかすみが落ち着いていくのを肌で感じる。
しかし、問題は解決していない。今も机が小さくカタカタと鳴っている。
直後、太く低い男の声が教室に響き渡った。
「カクゴハヨイナ、キサマラ」
ぞっとする。もう逃げられない。かすみが、呪われてしまう。
気づけば、私の手は強く握り返されていた。
「みさきを、一人にはしない」
かすみの呟きと同時に、男の声が全身を包んだ。
「ワレワ、キサマラヲ—————」
私は両目をぎゅっと瞑る。
「ノロエナイッ!!」
時間が、止まった。
「「………え?」」
ガラガラと教室の後ろのドアが独りでに開く。
「サッサト………」
ひと呼吸、置いて。
「デテイケェ!!!」
耳をつんざくような男の叫び声と共に、先ほどとは比べ物にならないほどの机の大合唱が私たちを襲う。
「ひっ!?」
「うわああぁっ!?」
開いたドアから廊下に飛び出し、一目散に階段へ向かう。とにかくあの教室から離れたい。その一心だった。しかし
「一体どこの何奴じゃゴラァァ!!!」
下の階から怒鳴り声が聞こえた。サッと血の気が引く。ゴリトーだ。
万事休す。
階段を下りれば指導室行き、後ろに戻るのは絶対にイヤだ。
みさきも同じらしく、2人で教室と階段の間で突っ立っていた。このままでは、見つかるのは時間の問題だろう。
ドタバタと階段を上る足音を聞きながら、もういいや、どうにでもなれ————と投げやりになっていく。
だが、よく聞くと足音は2人だ。
それだけでなく破壊音も混ざっているし、何やら言い争っている。
「ちょっ、ゴリトォ!!槌矛って、鈍器はシャレになんねって!!てかなんで持ってんの!!?」
「ええい黙れぃ!!こんな時間にドタバタと騒ぎおって!!二度と物音たてられんよう指導してやる!!!」
「もはやそれ遠回しに殺人予告してますよね!!?うおっ危ねぇ!!」
ギャーギャーと騒ぐ音がいつの間にか上から聞こえてくる。
どうやら3階を通り過ぎ4階に移動したらしい。
「………」
数秒、私とかすみは互いの顔を見て、2人同時にダッシュで階段を駆け下り始めた。
「「ハァ…ハァ……」」
階段を下りた後も2人は無言だった。
窓を這い出て校舎裏を走り校門の柵を乗り越え、ようやく立ち止まって息を整える。
とりあえず私もかすみも無事だ。
それに対する安堵と共に、何故かすみがあの場にいたのかという疑問が再度うかんでくる。
《……これが……》
《みさきを、一人にはしない》
今一度かすみの言動を考えてみると、彼女は『呪い』について知っていたのではないか、と思った。
「ねえ、かすみ……」
膝に手をついているみさきが顔を上げる。
「『呪い』って、知ってる?」
すると何故かかすみはそっぽを向いた。
「……あなたは知ってるの?」
「ん、まぁ知ってるというかなんというか……」
それに呼ばれてきたんだし。
そんな私を見て、フゥと溜息をついたかすみは、ボソボソと話し始める。
「私に、その、『呪い』の手紙がきたの」
私は絶句した。それなら、かすみは『呪い』から二重に狙われていたということか。
「あなたを…みさきを呪うっていう内容の」
「えっ」
私の憶測は違うみたいだ。
恐らく、私宛ての『呪い』と似通った、私とかすみの立場が逆転した内容の物がきたのだろう。それはつまり……
「私のために………?」
その言葉を聞いて、かすみが少し戸惑う。
「え、ええ……その、なんというか……そうね、みさきのために………」
それを聞いて嬉しくなった私は、つい持ってきていた『呪い』の手紙を取り出す。
「その、私もかすみと同じようなのがきててねっ」
パッと手元の手紙が消える。私が何か言う間もなく、かすみは私の手紙を取って広げていた。
そして、読み終えたかすみがまじまじとこちらを見てきてだんだん顔が赤くなっていくのを感じる。
「これ……」
「きてて、それでその……」
あれ、なんだこれ。
「私も、かすみのために学校来た訳で……」
めちゃくちゃ、恥ずかしい。
「「……………」」
気まずい。凄く嬉しいのは確かなのだが、この空気は……。
これが本当の『呪い』の狙いなのだとしたら、相当タチが悪い。
「……ありがとう」
先に口を開いたのは、かすみだった。
「私なんかのために、来てくれて……」
「っいや、それはお互い様っていうか、こちらこそっていうか……」
しどろもどろになりながら、しかしかすみの「私なんか」という言葉にひっかかる。
かすみと目が合う。
笑っているが、どこか悲しげなその眼を見て、日頃感じていた後ろめたさが湧き上がってくる。
「……ごめん」そして、謝った。
かすみが少し驚いた表情になる。
「……私、いつもかすみが1人でいるのを分かってた。それが周りの嫉妬で、かすみは何も悪くないことも知ってた。なのに、なのにいつも話かけられなくて、そうしてる内にかすみはずっと苦しんでるって、そう気付いてたのに……」
言いながら、ダメだ、これは反則だと思った。
このタイミングでこんな言い方をされたら、かすみは————
「いいえ、私は大丈夫。だから、気にしないで」
こう返すに、決まってるじゃないか。
「かすみ……」
「私がなんだか気に入られていないのも分かってるわ。でも、もう慣れてるから。私は、私と無理に仲良くしようとしてみさきに被害がいく方がずっと怖い」
その言葉の意味を理解し、口を閉じる。
私に、話かけるな。
「……でも、今日みさきが来てくれたのは凄く嬉しかった。これは本当よ」
それじゃ、さよなら………
私の返事を待たずにかすみは早足で帰っていく。
その背中に、私は何も言えなかった。
ただ言葉を並べただけで彼女の元へ行こうなど、なんて驕っていたのだろう。私はこれまで何度もかすみを失望させるような振る舞いをしてきたのに。
先ほどまで2人でいた教室の方を見上げる。
それなら、私は—————
日をまたいで、月曜日。
いつものように起きて、いつものように登校し、いつものように授業を受ける。そして、やはりいつものように水戸霞は誰とも会話をしていない。
私はかすみをちらりと見る。
その姿も、先週までの彼女と変わらない。
私への拒絶は、かすみの悩みに悩んだ結果だったのだろう。
ならば、私はそれに答える必要がある。
チャイムが鳴った。いつものように昼休みが始まる。
「ちょいみさき〜 早く飯食お〜」
あやこの声が聞こえる。
それと同時に、私は立ち上がった。
そして教室を横切ると、かすみの前の席にどかっと座った。
「え……」
今度こそ本気でかすみが驚いている。
「ちょっ、みさき?」
軽く動揺しているあやこの顔をみて、ニッと笑った。
「ゴメン、私、今日からこっちで食べるから」
あやこが何か言いたそうに口を開くが、自分の鞄を見て、ぎりりと歯ぎしりする。
「……勝手にすれば」
やがてそう言い捨てたあやこは、私たちが見えないように座り、二度とこちらに視線を飛ばしてこなかった。
私は椅子を後ろに向けてかすみの机に弁当を広げる。
「みさき……」
箸を持ったまま固まってるかすみの卵焼きを、何も言わずに取って食べる。
「これはかすみのやり方」
「……?」
かすみが困った顔をするが無視して話し続ける。
「かすみは、勝手に私が卵嫌いになったんじゃないかとか思って、勝手に食べていった。だから」
今度は私の唐揚げを卵焼きのあった所に置く。
「私も、勝手に押し付ける」
目を白黒させているかすみに、フンッと言いつける。
「だって、かすみ絶対肉好きだもん」
「………」
かすみは唐揚げをじっと見つめ、しばらく黙り込んでいた。
やがて、静かにそれを口に運んだ。
「……っん、っん…」
咀嚼する間、かすみはずっと俯いている。私は覗き込まないよう、黙々と自分の弁当を食べていた。
長い時間噛み続けて、しっかりと飲み込んだかすみは、顔を上げて、私に言った。
「……うん、大好き」
気がつけば、あの頃のように私たちは笑い合っていた。
「………くっそ、ホントなんだってんの……なんであたしに『呪い』が2通もくんのよ……」
そう呟く河内あやこの後ろを通りながら、つい自嘲気味に笑ってしまう。
2通だぁ?ほとんど無いようなもんじゃねえか。
俺なんてほぼ毎日届くってのに。
屋上を目指して廊下を歩く。
俺に気づいた奴らは自然と道を開け、俺の顔をちらちらと覗いてくる。
そんな反応にもはや慣れてしまった俺は、それでも溜息をついた。
この学校で鹿島隼人と言えばある意味英雄である。
あのゴリトーの拷問的教育に微塵も屈せず、戦い続ける一匹狼……と言うと聞こえは良いが、実際は誰かさんに振り回された挙句そいつのツケを払ってるだけだ。
今日も机の中に真っ黒な封筒がささっていた。
鹿島君
昼休み20分までに売店で何か食べ物買って屋上来て
遅れたら食わせる
大学ノートの切れ端といいシャーペンの字といいだんだん手抜きが増してきている。
食わせるって何を。というかもはや呪ってない。
痛む足を引きずりながら階段を上り、『呪い』の主への文句を考えながらドアを開ける。
そこには、柵の下で何やらいじっている少女がいた。
「おい」
声をかけた瞬間、金髪のポニーテールが弧を描いた。
「あれぇ鹿島君、どういうこと?まだ購買で買える時間じゃないだろう、それとも『呪い』の放棄かい?」
勢いよく振り返った龍ヶ崎は、驚いたようにこちらを見てくる。
「ったく、やっぱこの時間に購買で食いもん買えないの知っててあの指示したのかよ」
ちなみに、我が校の昼休み開始は12時10分、しかし何故か購買のおばちゃんが出てくるのが早くてもその10分後なのだ。
つまり、あの『呪い』ははなから不可能な指令だった、という事である。だが、そこは手を打ってあるから良い。
「そんなことより……」
わたしのちゅうしょくをそんなこととはなにごとじゃあ、と喚く龍ヶ崎に思い切り怒鳴り散らす。
「土曜日!!てめえ、夜中に人呼んどいて何ばっくれてんだコラァ!!!」
「土曜?」
龍ヶ崎ははて、なんのことやらと首をかしげ、次におぉと思い出したように手のひらをポンッと合わせる。
「別にあの場には居たからばっくれではないよ。ゴリトーに捕まったのは君の不手際だろう?他人のせいにしないでくれ」
「その他人様に二階で待ってろと言われて迎えに来たのがランス装備の顔面ゴリラ男だった俺の気持ちを考えろ!!」
「なかなか刺激的な夜だったようだな。一足先に大人の階段を上っていく鹿島君におめでとうと言いたいが、うぅ、涙が溢れるのは何故だろうか……」
「話聞きながら爆笑してるからだろが!!あの後、明日は休日だなあ鹿島、とか言われて結局8時間も石抱きやらの拷問受けたんだぞ!!天国への階段上るとこだったわ!!」
「なんと……1時間半も記録更新じゃないか!これなら世界も夢じゃないぞ!」
「それ違う世界いっちゃってんじゃねえか!!」
それを聞いてハッと停止した龍ヶ崎は、急にモジモジしながら上目遣いで尋ねてきた。
「……目醒めた?」
「ブッ飛ばすぞテメェ!!!」
……いつもこんな感じだ。
誰もが恐れる『呪い』の主が、目の前のケタケタ笑ってる金髪少女なのだから世も末だと思う。
ハーッと溜息をついて、ボソッと龍ヶ崎に言う。とりあえず、労いの意も込めて。
「……まあ、良かったじゃねえか。結城と水戸」
すると、龍ヶ崎のニヤニヤとした笑いが、本当に嬉しそうな微笑に変わる。
「……うん。本当に良かった。みさりんとかすみんには、昔いっぱい遊んで貰ったからね」
……どうもこの笑顔は苦手だ。
これを見ちまうと、文句や不満が吹っ飛んでしまう。
龍ヶ崎のいたずらはくだらないことばかりだけど時折 本気で人のために動いている時がある。
ただ、意外に照れ屋な所があるから『呪い』なんて回りくどいことをしてるんだと俺は思っている。
俺への指示も、素直に手伝えと言えないからあんな形になってしまっているのだろう。
まあ、だからわざと引っかかったふりをしてしまう訳だが。
「へへへ」
幸せそうな笑顔を見てると、自然とこっちも微笑んでしまう。
これのせいで、これからもこの滅茶苦茶でむかつく天使のいたずらに付き合わされていくのだろう。
それはそうと、
「今回はずいぶん派手な『呪い』だったな。ちゃんと道具は回収したのか?」
「え?遠隔扉開閉操作器とか共振型ウルトラバイブレーターとか超立体音響変声メガホンのこと?」
…感動が薄れるが、龍ヶ崎の『呪い』を支えているのは、金だ。
龍ヶ崎家の有り余る財力をフル活用して、毎回こんなどうでもいい物を作ってきては使用している。
「……ホントくだらないもんばっかだな」
「なにを!?まあ、確かに邪魔になりそうな物は撤去したけど」
「おい、まるでまだ残ってるもんがあるみたいじゃねえか」
「あるよ。遠隔扉開閉操作器」
「一体何に使うんだよ……」
「正義の為だよ。鹿島君が女の子の体育着をハスハスする。閉じこめる。現行犯逮捕。ほら、世界平和の完成だ」
「当たり前の流れのように言うんじゃねえ!!そもそも俺にそんな性癖はない!!」
「……やはりゴリラで無いとダメな体になってしまったんだね、鹿島君……」
「さっきのネタを掘り返すな!!」
こちらを生暖かい目で見ていた龍ヶ崎だったが、突然その目をかっと見開いた。
「そうだ忘れてた鹿島君っ!!お昼!!ちゃんと買ってきてあるんだろうね!?」
空腹を思い出した龍ヶ崎が犬のように見つめてくる。
そんな姿を見つつ、俺はニヤッと笑った。
「まあな。ほらよ」
差し出したそれを嬉しそうに受け取ろうとする龍ヶ崎だったが、一瞬で表情が固まり、数歩後ろに下がる。
「か…鹿島君……これは……」
「んー?なんだ?ただのメロンパンだが?」
そう、ただの美味しいメロンパン。別に悪い物は何も入ってはいないのだが。
「……っこの下衆め!私が『メロンパンのどこがメロンだ貴様にメロンを名乗る資格は無い』をモットーにしている事は知っているくせに!!第一、うちの購買にはメロンパンは置いていないはずだ!!」
この龍ヶ崎に対して、メロンパンは精神をえぐるほどのダメージを与えられるスーパーアイテムだ。理由は未だに理解できない。
「ふっふっふっ、不注意だったな龍ヶ崎!!お前は俺への指示に“売店”と表記した!!コンビニも売店の意味を成すだろうが!!」
信じられないという表情でよろよろと後ずさりする龍ヶ崎は、手すりにもたれかかる。実に愉快だ。
「……この人でなし」
「ふはは、なんとでも言え」
「お仕置きしてやる」
むっ、それは恐い。
俺は反射的に龍ヶ崎と距離をとる。
すると、龍ヶ崎は最初来た時にいじっていた柵の辺りをよじ登り、外側へ降りてしまった。
「なっ、おい!!」
そう言って、更に後ろに下がる。当然だ。
何か仕掛けてくるに決まってる。龍ヶ崎の心配など全くしていない。
龍ヶ崎がランドセルほどの箱のような物を取り出す。爆弾か?
「おい、なんだそれは」
「鹿島君はロープウェイを知ってるかい?」
その箱的な物を背負い、安全ベルトみたいなものを腰に巻きながら龍ヶ崎が説明する。
「そりゃあ、まあ……」
「これは、それの小型版だ」
龍ヶ崎が屋上の縁に腰掛け、ロープと箱の繋がりを確かめる。
「あちら側……体育館の上とここに我が龍ヶ崎家特製のドラゴンティップエンジンが付いている。これであちらとこちらを自由に行き来できる訳だ。一人限定だけど」
またくだらない物だった。いや、凄いのは分かるけどどうも金の無駄使いだと思う。というかドラゴンティップって。さき違いだろ、それ。
「そんで、それで何する気だ?」
「これは私が逃げるために使う。君へのお仕置きは『呪い』だ」
「あ?ちゃんと持ってきたじゃねえか」
「私が受け取らないから無効だ。残念だったね」
なんと横暴な。というか『呪い』ってどんなのだっけ?
ああ、あの5W1H分からないようなやつか。いや、俺が食べることは分かってるから、4W分からないってとこか?4W分からないとかwwww
ピンポンパンポーン
「2年3組鹿島隼人君。昨日の復習講義を行うそうです。至急指導室まで来て下さい」プチッ
…………………。
「笑えねえ!!!」
俺は唸り声をあげながら、龍ヶ崎を睨む。
「テメェ、何しやがった!!!」
「何って、20分に学校へ届くよう極上寿し出前を一人前頼んだだけさ。鹿島君名義で」
「きっさまああああああ!!!!」
「じゃっ、健闘を祈る」
龍ヶ崎がスイッチを入れると、音もなく小型ロープウェイが動き出す。
その稼動の静かさたるや。あまりの滑らかさに、いつの間にか息をするのも忘れる。
これが、ドラゴンティップエンジン……
「ってそうじゃねええ!!こっちこいやオラァ!!!」
「ならばそうさせてもらおうかぁ!!」
突然、ドアが物凄い音を立てて吹き飛ばされ、こちらに飛んでくる。
「うおおおっ!!!」
間一髪で避けるとドアはそのまま校庭まで飛んでいった。
「鹿島ぁ……まぁたお前はふざけきった事をしおって……」
「ゴ、ゴリトー、これにはその、深いわけが」
ヒュンヒュンと死の音を奏でながら、ゴリトーの雷が炸裂する。
「ええい黙れぃ!!今日という今日は骨の髄まで社会のルールを叩き込んでやる!!!」
「あなたのモーニングスターを骨髄に食らったら100%下半身不随になるんですけど!!というか毎回どっから武器調達してんじゃあ!!!」
「絶対逃がさんぞ鹿島ぁ!!!」
「あんた俺のこと好き過ぎだろぉ!!!」
「やっぱりそうなのね鹿島君ー!!」
「遠くから叫ぶな黙ってろ龍ヶ崎!!!」
ゴリトーの息もつかせない攻撃を避けながら、思う。
やはり、龍ヶ崎は俺にとって最低最悪な存在だ。本物の神様や天使がいるというのなら、
「助けてくれー!!!」
ありがとうございました。