9
リルは、夢を見た。アレド遺跡に潜った時のことだった。前方にはアイラと、トアの姿が見える。
――ああ、嫌だ。この先は……
トアが前方の魔獣を見つけ、素早く対応する。リルは万一の時のために魔導銃を用意する。
皆、前方の魔獣に気を取られていた。グラヴィスもそうだったはずだ。それにあの魔獣の気配には、耳の良いトアすら気づかなかった。戦闘中とはいえ、近づく魔獣がいたら警戒の声を発していたはずだ。
だから彼の悲痛な叫び声が聞こえたとき、リルは体が動かなかった。何かから逃げようとした彼の右腕は無く、そして倒されるように地面に横たわれる。巨大な口がグラヴィスの頭を掴もうと伸びてくる。
彼は、自分を見ていた。そして唇が動く。
『タ・ス・ケ・テ』
目を覚ましたリルは、辺りの暗さにまだ夢が続いているのかと錯覚する。しかし外し忘れた義手の重さで、現実だと気づく。
リルは体を起こして、大きく息を吐く。口の中が乾いていた。水を飲みたいと思い、廊下に出る。
壁灯はついていたが、廊下の窓から外を見ると真っ暗だった。一度部屋に戻って腕時計を見ると、真夜中を過ぎていた。
調理場へ行き、水瓶から水をすくって器に入れ、それを飲む。ようやく生き返ったようだった。ふと調理台を見ると、肉と野菜の煮込みのようなものが盛られた皿と、大瓶に入った酒、書き置きがあった。
『猪肉の野菜煮込みです。酒は、ジェスカがあなたへのお詫びとして持ってきたとのことです』
――酔いつぶれた自分へのお詫びにお酒って……面白いな、あの人
リルはその二つと匙、器を持って、居間へ行った。中は暗く、室内灯をつけた。そして長椅子に腰をおろし、大瓶を開けて酒を注ぐ。
――こんなところ見られたら、呆れられるだろうな……
しかしサンや他の兄弟たちは眠っているだろうから、その心配もないはずだ。と思ったその時、扉が開いて、サンと目が合う。
「……!」
沈黙が流れる。リルはどう言い訳をしようかと考えあぐねていたが、やがてサンは扉を閉めていった。
――これは本当に……呆れられてしまったのでは……
すると再び扉が開き、サンが器を持って入ってきた。
「付き合います」
「えっ……」
サンはリルの隣に座ると、自分の器に酒を注いだ。
「酒、強いから大丈夫です。それに、あなたを介抱できるくらいには理性を残しておきますから」
「うっ……その節はすみませんでした……」
「昨日のことですよ」
「はい……」
サンは、一口で酒を飲み切った。リルは驚きながら少し酒を飲み、そして猪肉の煮込みに手をつける。
「初めて食べたけど、猪肉っておいしいんですね」
「一角猪は高級食材なんですよ。臭みもなくて食べやすいですよね。まだ他の部位が残ってますから、明日別の料理も作ってあげますよ」
「ほんと!? 襲われた甲斐あったなぁ」
リルはしみじみと言ったが、サンがピシャリと言った。
「危ないところだったんですからね」
「はい……」
リルは猪肉を噛み締め、飲み込む。
「グラヴィスって人のこと、教えてください」
思わず手を止めて、リルはサンを見た。彼はまた大瓶の蓋を開け、酒を注いでいる。
「……面白い話じゃないですよ」
「守護者には情報を共有する決まりなんでしょう」
低く、抑揚のない口調に、リルは恐る恐るたずねる。
「サン、怒ってます……?」
「当然です」
サンは、酒瓶をドンと置く。
「ご、ごめんなさい……飲んでばかりで」
「そうじゃなくて」
「え?」
「自分を見失うくらい、あれはそんなに大切なものだったんですか」
リルは匙を置いて、酒を飲む。
「俺はその大切さを知らない。だから教えてください」
片手で膝を抱えて、遠くの壁を見ながら、リルは記憶を掘り起こす。
「何から話そうかな……」
「何でもいいですよ」
「……グラヴィスは私と同い年で、探索官の訓練校から一緒でした。彼は首席で、私は次席。座学も、剣術も、体術も、全部私より上でした」
目をつぶると、グラヴィスの笑顔が思い浮かぶ。
「いつも明るくて、笑ってて、友達が多かった。でも私は最初、そんな彼が大嫌いだった。私と同じように、家族を魔獣に殺されたのに、なんでヘラヘラ笑っているんだろうって。そしたら、彼、こう言ったんです。『なんで悲しい顔をしなきゃいけないんだ? お前の家族はきっと、お前に笑っていて欲しいだろう』って」
リルは酒を飲み、息を吐く。
「この人には敵わないって思った。それから彼のことを好きになって……私がまた笑えるようになったのは、彼のおかげです。グラヴィスは、世界で一番大切な人だった。彼のためになら命を捨てられると思った。だからアレド遺跡で彼を失ったとき……なんで自分じゃなかったんだろう、って何度も思った。自分が一番後ろにいれば良かった、って。今もまだ……自分が身代わりになれるなら」
リルの右腕を、サンが掴んだ。
「そんなこと、言わないでください。俺はあなたが生きていて良かったと思う」
サンの瞳は、炎のように強かった。自分の悲しみや悔しさが、その炎に焼かれてしまいそうになる。
「自分の命を軽く扱わないでください。あなたは生きていて良かったんだ。もしそう思えないなら……俺が、生きていて良かったと思えるように、あなたを導きますから」
サンの両手が、リルの右手を包み込んだ。リルはその温かさに、なぜか涙が出そうになる。
「どうしてそういうこと……言うんですか」
「あなたがくだらないことを言うからです」
リルは顔を上げて、サンの目を見つめた。すると彼の腕が背中にまわってきて、抱きしめられる。
「サン……自分のこと、俺っていいましたね」
「えっ、いや、それは……」
「もう本性を隠して大人しくしなくてもいいですよ」
「どうして本性を隠していると……」
「シンを見ていればわかります」
「うっ……」
リルは笑って、その大きな背中に手を回す。
「ありがとう、サン」
その時、扉が突然開いた。
「よう!やっぱり一緒に飲もうと思って……」
ジェスカが笑顔で中に入ってきて、目が合う。そしてその表情は一気に険しくなった。
「てめええぇ!! サンに手を出しやがって!!」