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「リル、やはりもう少し休んでからの方が良いのでは……」
サンの言葉に、リルは胸当てを身につけながら答える。
「大丈夫ですよ、体調はもう万全だし。それにそろそろ潜って様子をみておかないと、アイラに怒られるからね」
笑顔で言ったが、サンは心配そうだった。朝のアイラとの会話を聞いて、『亡霊』について危惧しているのだろう。
自分の恋人の姿をした『亡霊』。俄には信じがたかったが、その正体が何なのかをリルは突き止めたかった。
2人は飛行鳥に乗り、フルドの洞窟へ向かう。リルたちが入る場所は、滝に近い場所にあるので、『滝口』と呼ばれていた。アイラたちが入る方は、奥深い森の中にあるので、『森口』だ。
「サン、守護者には情報を全て共有しなければいけない決まりになっているから、言いますね。グラヴィスは私の恋人でした。でも私は、彼が生きて戻ってきた、なんてことは思ってません。あの時、実は死んでいなかった、とも」
「はい……私もそれはわかっています」
「それが何であれ、私たちは禁書を探して持ち帰らなければいけない。もしそれが、私たちを阻むようなら……排除しなければいけない」
リルは、自分に言い聞かせるように言った。
「3刻で戻りましょう。もしくは、1階層を全てまわったら」
サンはうなずいて、短剣を腰に差し、大剣を背中に背負う。リルは魔導灯を出し、水などの入った鞄を背負って、腰に短剣と剣を差す。
魔導灯は、長い筒状の先端が光るようになっており、その中には魔導石が入っている。連続で3刻ほど保ち、魔導石を交換すれば再び使えるようになるので、リルたち探索官は替えの魔導石を複数持ち歩いている。
リルは魔導石を発火させるために、呪文を唱える。
「ヤック」
魔導の力が使えるのは人間だけだ。人間の体内には微弱な魔導の力が流れている。神のように大きな力を使うことはできないが、魔導石のような魔導の力が蓄積されたものを利用すれば、自分たちの生活に役立てることができる。
魔導灯に光が灯り、リルは腕時計を確認して、洞窟の内部を照らす。サンの半歩後ろについて、中へ進んでいった。
洞窟は、アイラの描いた地図のような構造になっていた。大きい空洞の部屋と、それを繋ぐ細い通路。岩の表面は乾いていて、外の気温より少し肌寒い。地表と近いせいか、ところどころ光が漏れていて、完全な暗闇ではない。
道は今のところ、一方通行だ。リルはあとで地図を描き起こせるように記憶する。
魔獣の気配も無い。一度魔獣の巣窟に入ると、その気配を嗅ぎつけて魔獣が集まってくる。その為、探索は最短2日、間をあけなければいけない。
もしアイラの方の入口と繋がっていれば、既に魔獣と遭遇している筈だ。しかしまだ姿が見えないとなると、入口は繋がっていないか、もっと下の方で繋がっているかだ。
10の部屋を通り過ぎたあと、サンは突然立ち止まって、リルに右方向を指さした。リルはうなずいて、部屋の内部、通路から見えない場所に身を潜め、魔導灯を消す。
彼らは耳や目が良く、人間よりも遥かに早く魔獣を察知する。
リルは念の為、自分の剣を抜く。サンもリルの少し前で身を隠し、背中の大剣を抜いた。剣幅は、リルの片手くらい広い。単に斬るための剣ではなく、叩き斬ることに特化した武器だ。
――私には持つことも難しそうだ……
リルは思いながら、白く反射する刃先を見る。
サンは通路から顔をのぞかせ、音も無く飛び出していった。それを追ってリルは通路から顔を出す。白い刃がうなり、刹那、魔獣のものと思われる甲高い声が小さく響いた。
――素早く的確に仕留める……他の探索官から人気が高かったのも納得だな
暗闇の中、サンが振り返って、うなずくのが見えた。リルは魔導灯をつけ、彼の足元に倒れている魔獣を見る。真っ二つに斬られたその体は小さく、恐らく第3級程度の魔獣だろう。
魔獣はその大きさによって強さを変える。第3級は10歳くらいの子供の背丈程で、最も弱い。剣術や槍術に精通した者であれば、人間でも何とか倒せるほどだ。
魔獣は共通して、背中から生えた2本から6本の手、獅子のような4本の太い足と胴体、丸く潰れたような頭部を持つ。顔には黒い点のような目が左右にあり、鼻と思われる二つの空洞と、巨大な口がある。
鈍色の外殻は鎧のように強固で、腕はそれ自体が強力な武器のようだった。斬撃をくらえば、人間の体はたやすく切り裂かれてしまう。
「まだ奥に続いているようですね」
サンが声を発した。魔獣討伐士が魔獣の領域内で話すときは、まわりにそれらがいないことを示す。
「そうですね、思ったより広い……1刻半までもう少し、回りましょうか」
サンは剣を鞘に収め、歩き出した。リルも剣をしまって、その後ろについていく。
5つの部屋をまわったところで、さらに1匹の魔獣を倒し、そこで1刻半を過ぎた。サンは奥を見やってから、リルの方へ振り返った。
「まだ続いていそうですね。1階層でこれほど広いとは……」
「続きは次回にしましょうか。今回は様子見も兼ねていたので、これくらいで戻りましょう」
リルは、拍子抜けしていた。まさかあの『亡霊』には遭遇しないだろうが、魔獣はもっと多く、強いのかと思っていた。
道もほぼ一方通行で、覚えやすい。今回の探索は、不慮の事故もなく終わるのではないか、という気がしていた。
だからそれが現れたとき、あまりに突然で、リルは思考を失った。