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禁書探索官  作者: 遠野凪
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3

 ユア島までは、2刻(2時間)ばかりだ。直線の距離は遠いのだが、飛行鳥がとにかく早いので、まわりの景色を見ている内に着いてしまう。


 リルは初めて乗る飛行鳥に緊張し、空からの景色にただ圧倒された。自分たちの住む名ばかりの大陸の、なんと小さいことか。そして遠くに見える海の青さと美しさに、リルは目を奪われていた。


 前を飛んでいるのが、アイラとトアの乗る飛行鳥と、2人の魔獣討伐士が乗る飛行鳥だ。大陸と亜人の島々を行き来する唯一の移動手段である飛行鳥は、200年前、人間が神から取り上げられ、亜人が所有するのみになっている。


 飛行鳥はあっという間に上昇すると、風に乗って滑空した。下を見ると既に海へ到達しており、浅瀬で貝を取っていると思われる人たちがただの点になっている。ここから落ちたら間違いなく死ぬのだと思うと、リルは、目がぐるぐると回った。


「リル、大丈夫ですか?」


 前で手綱を握るサンが、リルに声をかけた。敬語なのに、名前に敬称をつけないのは、亜人特有の文化だった。彼らは、目上の人にも敬称をつけないのだという。


「だ、大丈夫です……たぶん……きっと」


 上擦った声を出すリルに、サンは、声を上げて笑った。


「もうすぐ、『海の裂け目』が見えますよ」


 サンの言葉通り、間もなくそれは姿を現した。『海の裂け目』、人間の罪の証……200年前、人間が亜人を迫害したことに怒った神は、海を裂いた。


 人間は中央大陸に集められ、海からも、空からも、亜人と接触することができなくなった。人間は自らの罪を認め、悔い改める。やがて人間を赦した亜人は、彼らを再び助けるようになった。


 しかしまだ、人間を憎む亜人は多い。


 中央大陸をぐるりと取り囲む溝は、絶えず海の水を吸い込んでいる。それがどこに行くのか? 底には何があるのか? 神以外、誰も知らないし、人間が知ってもどうにもできない。


「神様はすごいですよね、こんなものを作ってしまうなんて」


 サンの言葉に、リルも同意した。


「そうですね、絶対に怒らせたくはない存在ですね……」


 その時、強い風が吹いて、飛行鳥が少し揺れた。


「わっ」


 リルは思わず、サンの背中にしがみついた。


「す、すみません……」


「構いませんよ、全く。不安なようでしたら掴まっていてください」


「はい……ありがとうございます」


 広い背中だな、と思った。父やグラヴィスの方が近いだろうに、なぜかリルは兄の背中を思い出した。兄のように彼が1つ年上だからだろうか。


 昨日、終わり際に顔を出すことができた壮行会で、リルは、顔の赤い課長からサンのことを聞いた。


 彼――サン・オルキスは、これから向かうユア島の出身で、魔獣討伐士の両親をもち、その両親も範士だ。禁書探索などで人間に付き添って護衛する者のことを守護者と呼ぶが、その経験は過去に2度あった。いずれも同行の探索官からの評価が高く、次の探索の際もぜひ指名したい、とまで言われていた。


 また、昨年、中央大陸で行われた第三十五次魔獣掃討作戦にも参加していた。リルも補給部隊の一員として参加していたので、見覚えがあるのは、その時に見かけたからかもしれない、と思った。


 突如現れ、現場を混乱に陥れた第1級の魔獣がいた。それを倒したのは、サンと他2人の亜人だったという。礼を言っておけよ、と課長に言われた。


 ただ彼とは、それよりもっと前に会ったことがある、リルはそんな気がしていた。





「全員……辞めた?」


 驚いたように言ったサンの前に、初老の男性が立っていた。


「はい。そして私も只今をもって辞めさせていただきます」


「なっ、契約は1年間のはずでしょう!」


「しかし、他の者が辞めたとなると……私1人ではとても仕事をまわしきれません。では、失礼」


 そう言うと、その男性は足早に去っていった。


 200年前、人間が住んでいたこの屋敷は、ボロボロに老朽化していた。強い嵐でもきたら、吹き飛んでしまいそうだ。


 今日リルが来るまでに、亜人の修理工や掃除婦たちが、住めるように準備を整えてくれるとのことだった。しかし、住むのが人間だとわかった時、彼らは一斉に辞めてしまったのだという。


 歓迎されなくて当然だ、とリルは思った。自分たち人間がこの島に住むことを嫌がる亜人はたくさんいるだろう。サンやトアなど、人間のことを良く思ってくれる亜人は一部なのだ。


 空を見ると、日が傾きかけている。これから他の寝床を探すのも難しいだろう。飛行鳥は疲れ切ったのか、あちこちの枯れ草をかき集めて既に寝屋を作っている。彼らは、主人が餌をくれる限り忠実なので、勝手にどこかへ飛んでいくことはない。


「大丈夫です、サン。とりあえず、今日はここに泊まりましょう」


「す、すみません!私がただちに掃除を…」


「いえ、私もやります。ちょうど体がなまっていたので良い運動になりますし」


 アイラの方は大丈夫かな、と気になったが、彼女たちの拠点の方が街に近い。いざとなったら街の宿屋にでも泊まるだろう。


 扉を開け、中へ入ると、足元がぎぃっときしむ。暗闇からは何か飛び出してきそうで、気味が悪かった。


 しかし途中まで準備をしていたのか、壁灯には蝋燭がついていた。サンがそれに火を灯すと、一気に明るくなる。リルはほっとして、居間の方へ足を踏み入れる。


 すると、何かが足元を駆け抜けていき、リルは慌ててサンに呼びかけた。


「い、今何か!いました!!」


 サンはいつの間に見つけたのか、手提げ灯を持って居間へ入っていき、平然と答える。


「恐らく豆鼠か、黒虫でしょうな」


 どちらも初めて聞く名前だった。大陸にはいない生き物だ。


「な、何ですか、それ?」


「豆鼠は、豆を好んで食べるからそのように呼ばれています。黒虫は、黒光りをしているのでそう呼ばれているのですが、とにかく素早くて、リルには捕まえるのがちょっと難しいかと……」


「お、大きさは?」


 サンは手でそれを形作った。大人の手2つ分くらいの大きさだった。


「どっちも鼠と虫の大きさじゃない……!」


 リルは心が折れかけていた。そんなものが闊歩する中、ここに泊まらなくてはいけないなんて……。


 サンは居間の室内灯をつけ、


「奴らは明るい場所が苦手なので、もう出てこないと思います。今日はここで寝ましょうか。他の部屋に寝具がないか、見てきます」


 と言い、居間から出ていった。リルは1人きりになることが心細かったが、彼の言葉を信じて、とりあえず背負っていた自分の荷物を下ろした。


 部屋の中を見回すと、古びた家具が埃をかぶって沈黙している。急に主人を失って、ずっと手入れをされていなかったようだが、まだ使えそうだ。そして掃除用具らしきものが、隅に置いてある。リルは掃除をしようと、それに近づいた。


 そして小桶の中を覗きこんだとき、黒虫と思しきものがそこに隠れていた。黒い外骨格と2枚の大きな翅、そして長い足を持っている。あまりの大きさと不気味さに、リルは声にならない声を上げて腰を抜かした。



「すみません……本当に」


 リルは情けない気持ちでいっぱいだった。1階にある部屋くらいは今日中に掃除をしたいと思っていたのに、鼠と虫が怖くて満足に動きまわることもできないとは……。


「いえいえ、そもそも私の不手際がなければこんなことには……」


 サンは責任感が強いのか、何度かその言葉を繰り返していた。リルは、サンがそれ以上気にかけないよう、話をやめた。


 居間に寝床をつくり、2人は疲れた体をその中に滑り込ませた。寝具は幸いにも新しいものが運び込まれていたので、軽く埃を払うだけで済んだ。リルは毛布の中で両手の手袋を外した。


 黒虫と豆鼠は、サンが見つけた限りは全部袋の中に閉じ込め、外にいる飛行鳥に餌としてやった。素手で一瞬の内にそれらを捕まえるサンと、飲み干すように一口で食べていた飛行鳥に、リルはただ驚いていた。


 ここは亜人の島なのだと、ようやく実感した。



 体は疲労しているのに、なぜか目が冴えている。サンも同じようで、手を組んで上に伸ばしていた。リルは眠気がくるまで話すことにした。


「サンは、ずいぶんしっかりしていますよね。兄弟がいるんですか?」


「弟がおります。3人」


「3人も!?」


 中央大陸では土地が限られているので、人口統制政策がとられている。年ごとに生んで良い人数が決まっており、今は2人だけだ。


「はい、全て男で……年は15歳と、13歳、それに10歳です。母は一人くらい女の子が欲しかったといつもぼやいています」


 リルは、思わず笑ってしまった。


「確かに、お母様の気持ちはちょっとわかるかも」


 そこでサンは、はっと気づいたように言った。


「そうだ、もし良ければうちの弟たちにこの家の修繕を手伝わせても構わないでしょうか?」


「えっ、来てくれるのは嬉しいですが…学校とか大丈夫ですか?」


 亜人は6歳から就学し、16歳まで学校に通うという。人間と同じ教育制度を取り入れているらしく、学習内容も人間とほぼ同じだと聞いたことがある。


「ええ、明日と明後日は記念日で学校が休みですので」


「ではお言葉に甘えて、よろしくお願いします……ちゃんと、お給金も払いますからね。忘れず請求してください……」


 そこでリルは、欠伸が出た。眠気に誘われて目をつぶると、一気に闇の深くへ引きこまれそうだ。


「そうだ……サン、あの……」


 眠る前にこれだけは言っておかないと、とリルは思い、眠気に抗って目を開ける。


「なんですか?」


「サンがいてくれて……本当に良かったです。ありがとうございます」


 目を閉じる一瞬、驚いたような、はにかんだような彼の顔が見えた。

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