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「どうして、私なんですか」
憮然とした顔で任命状を受け取ったのは、一等探索官を務める21歳の女性、リル・ゼノキアである。
人間を魔獣化させる書物――禁書の場所がわかった、と連絡を受けたのは昨日の朝だった。そして、探索の任命を受けたのが今。
なぜ自分が派遣されることになったのか、リルには皆目見当がつかなかった。
「言わせるなよ…お前が優秀だからに決まっているじゃないか」
目の前の特命課課長は、ふっと微笑んで言った。今年40歳を迎え、最近娘に汚いとか臭いとかを言われているようで、それを打破する為か洗練された紳士のように振舞っている。
リルはそれが癇に障り、顔をしかめたまま言い放つ。
「そういうのいいですから。本当のことを教えてください」
「いやだから本当…」
リルは任命状を半分破った。
「ああ!お前、何をするんだ!神様からの直々のお達しなんだぞ!」
「早く本当のことを教えないと全部破きます」
課長は大げさにため息をついて、ちらっとリルを見る。リルは任命状を全部引き裂きたくなる衝動を必死に堪えた。
「わかったよ…仕方ねぇな。今回、選定の条件として3つ挙がった。1つ目は女であること。2つ目は、亜人との関わりがあること。3つ目は、亜人が怪我などをした際、救助の経験があること」
亜人とは、人間を魔獣から救うため、神によって生み出された存在である。人間は魔獣に対する有効な攻撃手段を持たないが、亜人はその身体能力の高さで魔獣を圧倒する。
2年前のアドナ遺跡探索の際、同行してくれた亜人が、足を滑らせて挫いてしまった。魔獣が巣食うその遺跡では、怪我人をつれて出入口まで戻ることは至難の業だった。しかしリルはその亜人を見捨てず、魔獣を避けるため、来た道の3倍以上の時間をかけて脱出した。
「今回も亜人の力を借りることになるだろうが、いざという時、彼らを見捨てるような輩では困るからな」
200年前まで、人間は自分たちを亜人より上位の存在と見なしていた。亜人を家畜のように扱い、苦しめてきた。それに神が怒り、人間をこの中央大陸に集め、亜人と引き離した。
人間の中には、いまだに亜人を軽んじる者もいる。
「もし…亜人を見捨てるようなことがあればどうなるんですか」
「神がめっちゃ怒る」
リルは、亜人に対して悪い感情を抱いていない。ただ、亜人の魔獣殺傷能力は驚異的だ。その力に恐ろしさを感じることはある。
とはいえ、リルが出会った亜人たちは、穏やかで明るく、親しみやすい者が多い。普通の人間と変わらない。だから、彼らが危険なときは助けるだろうし、決して見捨てることはしないと誓える。
「女であることが条件っていうのは、敵意はない、と知らせるためですか?」
リルがたずねると、課長はうなずいた。
「ああ。略奪や侵攻をする気はない、とな。亜人は、男の刺客を送られると戦いが始まるのだと認識してしまうそうだ」
「で、私1人だけが行く、と」
見知らぬ亜人の土地で1人滞在するのは、さすがに心細かった。そこで課長は、勿体ぶったように、にやっと笑って言った。
「安心しろ、もう1人いる」
リルの暗くなっていた気持ちが光に照らされ、温かくなった。開いた扉から入ってきたのは、規律違反と何度も警告されている純白の制服を着た二等探索官だった。
「あなたに手柄を渡すわけにはいかないわ、リル!今回私が見事禁書を見つけ出して、あなたの地位を追い抜いてやるんだから!」
その姿を見た瞬間、リルは思わず、ええ……と落胆の声を発した。光が一気に消え去っていく。
「課長、やっぱり1人でいいです」
「ん、そうか。経費が少なくなるのは助かる」
「ちょっと待ちなさいよあなたたち!!」
アイラ・オズノは2人の間に入って言った。彼女はリルと同期で、事あるごとに対抗意識を燃やしていた。
「私が行ってあげるのよ!? この時点で既に!禁書は見つかったも同然よ!」
「また根拠の無い自信を…」
「まぁ、いないよりはマシだろ」
「いない方がマシですよ」
そう言ったリルの肩を、アイラは激しく揺さぶった。
「その言葉、絶対後悔させてやるわ!!」
「ところでお前たち、探索場所は聞かなくていいのか」
課長の方へ振り向いたアイラは、課長のようにわざとらしくため息をついた。この2人、うざいところが似ているな、とリルは思った。
「知ってるわよ…亜人の島でしょ? どこであろうと私が見つけるんだから、問題ないわ!」
「そうか、フルドの洞窟だぞ」
「はっ!?」
珍しく2人の声が合った。暫しの沈黙のあと、アイラが課長に詰め寄る。
「そこって魔獣がわんさかいるところじゃない!騙したわね、課長!」
アイラに胸ぐらを掴まれた課長は、苦しそうに声を出した。
「さ、最後まで聞け…!その為に今回、魔獣討伐士を用意してもらった…亜人の連合政府にな」
課長は逃げるようにアイラから離れると、隣の部屋へ繋がる扉を開け、そこで待機していた者たちに呼びかけた。
「こちらに来ていただけますか」
すると亜人と思われる、3人の男性と、1人の女性が部屋へ入ってきた。女性の方は、2年前、アドナ遺跡に同行してくれたトアだった。
「トア、久しぶり!」
リルが声をかけると、トアはにっこりと微笑んで手を振った。
「リル!それにアイラ、久しぶりですね。またあなたたちに会えて嬉しいです」
課長が、4人の横に立って言った。
「彼らが、お前たちを護衛してくれる魔獣討伐士だ。皆、高い討伐数を誇り、魔獣に関して深い知識を持つ。何かあったら勝手に判断せず、必ず彼らに相談するんだぞ。さて、割り振りはどうしようか…」
「はい」
アイラが手を挙げた。
「あたし3人、リル1人。いいわね?」
「はああ!?」
いつもはどちらかというと冷静なリルも、さすがにこの時は大声を出した。
「いいわね、じゃない!何なのその不条理!」
「だってあたし、リルより階級1つ下だし」
「こういう時だけ都合よく自分を下にするんじゃない!」
「禁書発見数もリルより少ないし」
「それはあんたが雑な探索してるからでしょおぉ!? ねえ、課長!こんな不公平、許されませんよね!?」
課長は腕組みをし、眉間に皺を寄せた。まるで自分に陶酔しているかのような悩み方だったが、リルは課長が声を発するまで苛々としながらも待った。
「うーん……」
課長は顔を上げると、パッと顔を輝かせて言った。
「よし、それでいこう!」
リルは、声が出なかった。口を開けたまま、空気の一部となったように放心していた。
「あの…」
魔獣討伐士の中で、左端にいる男性が声を発した。
「その1人の方、私にやらせてもらえませんか?」
そこでようやく、リルは意識をはっきりさせることができた。とても見目麗しい青年だった。亜人は、神様の作り方が良かったのか、美男美女が多い。ここに集う4人皆、端正な顔立ちだったが、その青年はひときわ輝いて見えた。
少し癖がかかった漆黒の髪に、日の出のような金色の瞳。リルと目が合うと、彼は微笑んだ。とても柔和な笑顔だった。リルは、その笑顔に見覚えがあるような気がした。
課長は、その青年に向かって礼を言う。
「おお、サン殿。ありがとうございます」
そして次にリルの方へ向き直る。
「良かったな、リル。この方は魔獣討伐士の中でも最高位の範士を持つんだ」
へえ、とつぶやきながら、リルは魔獣討伐士たちが身につけている手袋を見る。サンと呼ばれた男性だけが黒い手袋をし、他の3人は青の手袋だった。
以前、トアに聞いた話では、魔獣討伐士の階級は3つあって、練士が一番下で、その上に教士、そして範士がいる。範士は数えるほどしかいないらしいが、優しげで虫も殺さなそうなこの男性がトア以上に強いとは、何だか背中が寒くなるようだ。
「じゃあ皆さん、食事の用意がそろそろ出来たと思うんで、壮行会の会場へ行きましょう」
課長が4人の亜人を促し、リルとアイラもそれについていこうとすると、ピシャリと言った。
「あ、お前たちは部屋の片付けをしてからな。明日出立なんだから、急げよ」
「あたしたち主役よ!?」
「私は上層部から重要な任務を命じられた。魔獣討伐士の皆さんをもてなすことだ……お前たちのことは知らん!!」
リルとアイラは白い目で課長を見送った。
「あたし、戻ってきたら異動届出すわ……」
「私も……」