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五月十七日、作文コンテストの締め切り日を迎えた。結果から言えば、締め切りには間に合って、無事原稿用紙三枚を書き上げることができた。
十六日の夕方から作業し始め、校了したのが日付を跨いだ十七日の深夜未明。
廿里に執筆速度には自信があると言い張っておきながらこんなに時間を使ってしまったのは、途中とある葛藤との戦いを演じたからである。その葛藤がなんであるのかという説明は、ここまで割愛させてもらう。まあ色々大変だったんだよ。
「それで? 小中君は何を書いたの?」
朝、HRと最初の授業の間にある十分休み。隣の廿里は興味本位といった風に尋ねる。
「んや、うあー、おえー」
「おいおいどうした」
泥酔して呂律の回らない親父のようにあやふやな言葉未満の声を出す。もちろん本当にお酒を飲んだわけではない。誤魔化したかっただけだ。
原稿引っ提げて登校してきたものの、ぶっちゃけ応募を迷っている。
当初の方針だと俺は文学っぽい作品を書く予定だった。出来ればそこへラノベ的な要素を組み込んで、数十の原稿の中でも異彩を放てるようにしたいと目論んでいた。
鞄の中にしまってある原稿の内容は、間違いなく提出された原稿の中でも一、二を争う異色さだし、ラノベ要素だってある。
こうやって文字で表してみると目論みと寸分の狂いのない出来に見えるから不思議。
実際、目論み通りと言えば目論み通りなんだろう――ちょっと通り越しちゃった感が際立つだけで。
ま、そのちょっとが何を基準にしているのかは、自分でも分からなくなってるけど。
もしかしたら大した基準なんて何もなくて、確実に大怪我を負っているのに大丈夫と強がるようなものかもしれない。というかその線が一番有力だ。
「原稿読み合いっこしようよ」
「いや待てそれはいい」
速攻提案を棄却。読ませたくないから誤魔化したんだし。
ただ、今の発言に怪しまれないようにしなければという意識が欠けていたのは否めなく、そんな俺を廿里は当然不審がった。
「問題作でも書いたの? カテエラ?」
カテエラという言葉について補足しておくと、正式名称はカテゴリーエラーと言って、ライトノベルの新人賞では募集要項と異なるニッチな内容の作品などを指す言葉である。ポジティブに言えば挑戦的、ネガティブに言えばお門違いだ。
「そうそう、ちょっと個性強過ぎっていうか」
「つまり学校主催のコンテストには?」
「そぐわない内容」
自分がカテエラを起こしたことは認めがたいが、流石にこれは認めざるを得ない。
「何それ超気になるんだけど。猶更読みたくなっちゃった、読ませろ」
そう言って廿里が鞄に手を伸ばしてきたので、俺は即座にめっ、と手を叩いて原稿を死守した。読ませろなんて言わせたらいつもなら嬉々として原稿を渡すけど、内容が内容だからなぁ。
「んんー、その様子だと相当ヤバいもん書いたのかね?」
叩かれた手をプラプラと振りながら探りを入れる。このまま頑なに拒み続けてたら、おれがトイレとかで席を立った隙に抜き取られるかもしれないな……前例があるだけに、その可能性は高いと見る。
なら、ここは観念して原稿を渡すか? ……いやいや、それもそれで……。
「分かった、ならこうしよう」
苦し紛れの提案に打って出ることにした。
「今は読ませない。でも俺が賞を取った暁には、潔くお前に原稿を読ませてやるよ」
「それって自信があっての発言? それとも受賞の可能性が限りなく希薄だから?」
「ま、まあ自称問題作に受賞はそんなに期待できないよな、うん。でも何かの間違いで受賞ってこともあるから……」
言葉を濁しつつ曖昧に返す。でもこれは本音。間違って受賞とかありそう。
「ふーん、じゃあその言葉信じよっかね」
「そうしとけ。ああそうそう、お前の方は何を書いたんだ?」
「私の方は普通の小説だよ。別に読ませてもいいけど、そっちが読ませないんならこっちも受賞しなきゃ読ませないってことで」
「まあそうなるよな、不公平だし。んじゃあ受賞した暁には自分の作品を読んでもらえるってことで」
「あー、でもどうしよう。読んでもらう、か……。逆に受賞したら相手の小説を読めるってのはどう? だって小中君は私に原稿読んでほしくないんでしょ? んじゃあそっちの方が良いんじゃない、受賞できたら原稿はお蔵入りにできるわけだし」
確かに。
でも考えろ、あっちは普通の小説を提出してくるんだから、俺にとっちゃいささか分が悪い勝負なんじゃないか?
とは言ってもやっぱり本心じゃ読んでほしくないし……。
「……オッケー、その提案乗った」
熟考に熟考を重ねた末、俺は万が一の受賞に賭けることを選んだ。曲がりなりにもあれだけ苦労して書き上げたんだ。文芸部を始めとした他の生徒の力を見くびるわけじゃないが、技量だけなら引けを取っているとは思わない。人を選ぶ作品というハンデを負って尚対等に渡り合えるという自信がある。
それから何分か経過して、一時限目の現文の時間に入った。
早く提出してしまいたいという思いを抱きながらの授業はいつも以上に耳に入らなかった。そして五十分の授業が終わって、先生が教室を出て行ったのを見届けてからすぐに廿里と追い掛ける。クラスの皆の前で渡すのは、ちと恥ずかしい。
廊下に出てその背中に呼び掛けて振り向いた先生は、俺たち二人の姿を見て少し虚を突かれたような顔をしたものの、すぐ嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ほほぉ、さらに二人参加か。嬉しいねぇ」
柔和な笑みを浮かべながらふた束の原稿を受け取る。
「それじゃ、どうか一つお願いしますよ。ところで今のところの応募総数って分かりますか?」
「君らのをいれて……確か二十と三つだったか」
昨日時点の十九作品から四つ増えたということは、俺たちの他にさらに二人が応募したということか。結構いるもんだな、作家志望者って言うか小説に手ぇ出してるやつ。
「すみません、あと結果発表っていつですか?」
「数にもよるが、私ともう二人選考に携わるから……一週間と数日くらいかねぇ」
「そうですか、ありがとうございます。ではでは」
俺と廿里は最後にもう一度「お願いしますよ」と懇願してから教室に引き返す。
「受賞……できるといいね」
「まあなー、つか受賞できなきゃ駄目だろ」
ラノベの公募で慣れている俺からしたら、選考期間一週間ちょっとというのは短過ぎるくらいに感じる期間だった。それだけの短期間で結果が知れるのはありがたい。それまでは原稿を書き進めていよう。
……あれ、そういえば俺ってどうして参加決めたんだっけ? ど忘れしてしまった、あれなんだっけ……確か廿里がきっかけだったような……。
そう思い、俺は廿里をちら見した。
俯き気味になっていた廿里は誰に言うでもなく、ボソッと口を小さく動かした。
「木士潰す」
廿里の私怨だった。