2
『やぁやぁ、調子はどうかね?』
貴族のジジイのような調子で書かれたメモが、くしゃくしゃに丸められた形で俺の前に転がってきたのは現代文の授業時のこと。
犯人は右隣の女子。俺と同じ作家志望者である野々村廿里だった。
前回はこいつの容姿を説明できなかったので、今日こそホクロの数まで『ワナビさんそこまでですよ』『はい』速攻飛来してきたメモに返信して投げ返した。読心術でも心得ているのだろうか、ちくしょう。いつか絶対描写してやるからな。
『適当に後ろ髪のウェーブがわかめみたいって書いとけ』
『意外と協力的だな』
一章につき一つずつ容姿の特徴が公開される仕組みなのか? だとしたら、とても全貌を紹介し切れそうにない。
『もう一声』
『乳はない』
『そんなこと堂々と宣言できる女子初めて見たぜ』
チャットのようなメモのやり取りをしている内に気付く。
「この距離ならひそひそ話でいいじゃん」
「それもそうだね」
廿里はさらっと了解すると、だらだらと言葉が書き連ねられているメモをポケットの中に突っ込んだ。
廿里はさも必死に勉強をしているようにペンを動かしながら、
「それで? 調子はどう?」
「いまいちだ。まだ執筆に入ってない」
「ふふふ、スタートダッシュは私の勝ちってとこだね」
余分に勝ち誇った顔を決める。
「え、お前もう書き始めてんの?」
「小中君と違って執筆速度がないから。時に小中師匠、一時間当たりの平均文字数は?」
「大体三五〇〇くらい」
「はやっ」
「そうか? いやでもこれは乗りに乗ってるときの数字だから」
「ちっ。んだよ」
「態度悪ぃな! 廿里さんの方は如何ほどで?」
「聞いて驚け、一五〇〇」
「おそっ……くもないか、並くらいだろ」
「こちとら乗って一五〇〇だからね。平均だと千ちょい?」
「でも極端に遅筆なわけじゃないんだな。どうせなら五百とか三百とか言ってくれよ」
「小説書き始めて三日目とかの中学生じゃあるまいし」
「それだと逆に執筆ペース早いんじゃねぇの? 余計なこと考えないから」
言いながら、自分が小説を書き始めた頃のことを思い出す。キーボードを叩く指が乗りに乗っていたことを克明に記憶している。思いつくがままに叩いていた気が。
「勢いには乗れるけどタイピング速度がそれに追いつけないでしょ」
「あ」
言われてみれば、勢いに乗っていただけで生産はそうでもなかったっけ? 最近の中学生は知らないけれど、当時の俺のタイピング速度はパソコンに不慣れだったこともあり遅かった気がする。なるほど、確かに廿里の言う通りだ。
授業そっちのけで会話していると、突然パンパンと大きな手を叩く音がした。注意されたのかと焦って取り乱してしまったが、単に注目を集めるためのものだった。
隣の廿里がぷすすと嘲笑していたが、いやいやお前も同じように焦ってただろうが。
「この前貼っておいたプリントの件についてだが」
おじいちゃん先生はそう言うと、黒板に張り付けられたそれを手に取って掲げた。
「締め切りは明後日だから、参加したいやつは早く俺まで提出してくれぇ。因みに今のところ、学年全体で十九名分作文を受け付けているぞぉ」
十九名というと、学年総数に対する割合で言えば小さいが、数字だけ注目すれば多いなという印象を受けた。締め切りの二日前でこれだけ集まっているのなら、最終的には三十程度行くんじゃないか?
「木士君はやっぱり応募したんだよね?」
と、静かな教室で空気の読めない大きな女声が響く。嫌っている文芸部所属の人間の名前が呼ばれたので、俺は過剰に反応してしまった。
「ああ、そりゃあね」
癇に障る、気取ったような話し方をするこの男こそ木士支。
自分が文章を書けることを――作家志望者であることを周りに振り撒いては優越感に浸る、自己顕著欲に塗れた人間だ。
気に食わないやつではあるが、嫌いではない。あくまで嫌いなのは文芸部で、個人単位では異なる。大体嫌いになるほど関わっていないし、何よりも彼が図に乗ったところで俺に何か実害があるわけではないからだ。
「んまあ? 僕の目標はあくまで作家だから? 学校内の作文コンテストなんて簡単に一位を取らなきゃいけないよね。優勝候補はきちんと優勝候補を取らなくちゃあ、期待を裏切ることになるから」
ごめんやっぱちょっと嫌いかも。
高文連とか大きな催しならまだしも、これっぽっちの小さな規模のコンテストでは期待される以前に全然注目されないと思うんだが。参加者の自己満足の大会だろう。
前にも言ったが、俺に参加する意思は皆無だ。俺は彼とは根本的に違う。作家を目指していることをひた隠しにしている。本当の夢は誰にも言わない方が良いって偉い誰かも言ってたし。
そういや俺はともかくとして、廿里の方はどうなんだろう? 基本的に冷めた性格をしているあいつのことだから、俺と同じように興味ないんだろうな。
ちらりと横を見てみる。
「ぎりぎりぎり……」
前言撤回。こいつ参加しそう。
敵意丸出しの怖い顔をしながら、激しく歯軋りしている廿里の姿がそこにはあった。敵意の矛先は大方予想がつくが、念には念を押して確認しようか。
「なんでそんな顔してん」
「小中君作文コンテスト参加しようか」
「は?」
唐突に言われて呆気に取られる。
もう一回言って、と人差し指を立ててみせた。
「あのいけ好かない野郎を叩きのめしたいから、小中君も作文を書こう」
不自然な満面の笑みからは不穏な空気がこれでもかというくらいに滲み出ている。漫画的に表現したら、顔の上半分が暗澹としている感じ。
廿里は木士のことが嫌いらしい。これはもう相当根の深いところから嫌っているに違いない。諭しても効果はなさそうだ。
「で、なんで俺まで書かなきゃならんの」
「人海戦術」
「二人ぽっちじゃねぇか」
「でも一人よりはマシ。それに曲がりなりにも文章を書き慣れているでしょうが」
「ん……まあ、それはそうだけど」
俺の実力云々は関係ない。聞きたいのは、何故俺が参加しなければならないのかという一点のみだ。つーかここまで感情的になった廿里は初めて見たな。
「いいからお願い付き合って」
「えー、でもなー」
「これは命令なんだからねっ」
ラノベのヒロインっぽく言われた。ついでに星が弾けるようなウインクも。廿里もその気になればおちゃらけられるんだね。でもいまいち声に抑揚が足りないかな?
時間が幾らあっても足りないくらいプロットが滞っていることを考えたら断りたい。けれど、作文の量によっては考えてやってもいい。五枚以内なら許容範囲だ。
「廿里、お前作文用紙の規定枚数分かるか?」
「三枚よ」
「マジで?」
「マジで」
四百字詰め三枚なら楽勝だ。一二〇〇文字だから、単純計算で二、三十分あれば書き切れる。
うん、意外と気分転換になるかもしれないな。何か掴めたら万々歳だ。
「分かった、協力するよ」
「その心は?」
「俺も参加するよ」
「よしきたっ」
小さく拳を突き上げた。それにしてもこの女子高生、闘志メラメラである。
というわけで俺たち二人は「打倒木士支」のスローガンの下、一度キーボードを打つ手を緩めて(俺は取り掛かってないけど)、作文に熱意を注ぐことになったのだった。