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昼休みになった。隣席の眼鏡っ子が席を離れてから、俺も図書室へ向かった。呼び出されておきながら一緒に図書室へ行くというのも変な話だし。
うちの高校は規模の小さい公立校なので、図書室も随分と小ぶりだ。蔵書数も大したことはなく、誇れることと言えば、司書が新し物好きなのか新刊が発売日に入ってくることくらいである。利用頻度は半年に一回あるかないかだ。
同フロアにある図書室まで掛かる時間はたかが知れており、間もなく俺は図書室に着いたわけだが、どういうことか先に教室を出たはずの眼鏡っ子の姿が見られなかった。
まさか……騙された?
疑ったのも一瞬、背中を小突かれて振り向くと小柄な眼鏡っ子が立っていた。
どう話し掛けたらいいものだろう。相棒を拉致した張本人に、俺は怒りをぶつけるべきなのか? それとも敢えて下手に出てみる?
あっちゃこっちゃ考えが左右して定まらないでいると、先に眼鏡っ子が切り出した。
「入ろうよ」
「え? あぁ、うん。そうだな……」
俺ぁ優柔不断か。
その辺の適当な椅子に腰かけると、その正面に眼鏡っ子が腰かけた。こうして、拉致被害者の家族と拉致の張本人という構図が出来上がる。なんじゃこりゃ。
今度こそ俺の方から話し掛けよう。そして文句の一つでも叩きつけるんだ。
決心して話し掛けようとすると、「で」とまたしてもあちらが先手を打ってきた。くそぅ、くそぅ。これじゃ何も決められない駄目な彼氏みたいじゃないか。これでは彼女の一人だって作ることはできないはずだ。思わぬ場面で自分のモテなさの要因を思い知らされる。
「聞くまでもないかなってことを質問するけど」
じゃ聞くなや。
「あなた、小説家になりたいの?」
返事を返す前に、遅ればせながらこの眼鏡っ子の容姿について描写して「私の見てくれは今はどうでもいいじゃん?」「はい」心を読まれた。くそぅ。
「小説の冒頭で、他の登場人物と主人公の台詞の間に妙な間が開いたら、それはアンタの見てくれが事細かくたまにエロい目で描写されてるときだよってお母さんから聞いた」
「どんな母親だよ」
「こんな母親だよ」
「お前娘じゃねぇか。自分自産とかなんだよ」
「自給自足っぽくて素敵じゃん?」
「ただのB級ホラーだよ」
「それを言うなら弩級ホラーでよろしく」
「ほざけ!」
「まあまあ、私のことは適当に癖毛で小柄な眼鏡っ子って言っといてよ」
「雑だな」
でもそれで大体伝わってしまうんだから不思議だ。
突っ込んだあと再び間が開く。会話のテンポが悪いこと甚だしいが、それもそのはず、俺とこの眼鏡っ子がこうして言葉を交わすのは初めてなのだ。
今年からクラスが一緒になった上に、暦はまだ五月。クラス内で交流のない人がいても不思議じゃない。名前だって知らん。
「それで、あなたは小説家になりたいの? どうなの?」
それなのに遠慮なしにがつがつパーソナルゾーンを侵してくる。パーソナルゾーンの大きさは女性よりも男性の方が大きいと言われているけど、いやいや、これは誰しも踏み入って欲しくないゾーンだろう。
……これ以上の追及もうざったいし、いっそ潔く答えてしまおう。
「ああ。俺は小説家になりたい」
顔に熱が籠る。言ーっちゃった、言っちゃった。
実はそれなりに可愛い眼鏡っ子はその答えを受けて驚くでもなく、あるいは露骨に馬鹿にするでもなく、聞き流しているんじゃないかと心配になるくらいノーリアクションだった。
「ZZZ…」
聞き流すどころじゃなかったし。
「ばっちり目ぇ開いてんじゃねぇか」
「失礼、昨晩もプロット制作に追われてて」
「プロット制作? 何、お前も小説書いてんの?」
「ブーッ。リアクションが薄いのでやり直し」
てめぇが言うな。
そのまま黙りこくってみたが、眼鏡っ子が一切動かなくなってしまったので、我慢大会に負けるみたいでなかなか気が進まなかったがやむなくリアクションをやり直す。
「えええーっ!? お前も小説書いてんの、マジで!?」
「図書室でうっせぇ」
「大きなリアクションをお望みではなかったのですか?」
「その執事口調もうぜぇ」
「暴言が凄まじいな」
見た目が静かそうな割には、口の方は普通に口の悪い女子高生だった。だから女子港晴ってあんまり好きになれないんだけど、ラノベヒロインなら一人くらいリアルに口悪いキャラがいてもいいと思う。赤面しながら暴力言われても可愛いだけだよ。
眼鏡っ子はこほんと咳払いをしてから時計を見る素振りをする。俺もつられて時計を見る。昼休み開始から十分近く経っていた。時間過ぎんのって早い。
「私も小説書いとるんよ」
「それどこの方言? ははぁ、そうなのか」
無関心っぽい返事かもしれないけど、実は内心ドキドキしている。
ネットならまだしも、リアルで作家志望と交流したのは初めてだ。恥ずかしさよりも新鮮味が前に出てきて、色々喋りたくなってきた。
「プロット、読んじゃった」
と、唐突に、悪びれもせず平淡な口調で眼鏡っ子は告白した。告白されるまでもない既知の事実だったから、背景にババーンと大きく文字が描かれる演出はない。
プロットを読んだと言われたら、一つ聞かずにはいられないことがある。
「じゃあ感想くれよ。どうだった?」
「ラノベしてるなって印象。現状じゃつまらなかったよ」
「……そっか」
面と向かってつまらないと言われるのも初めてだった。くそぅ、掲示板で批評されたときとはダメージが段違いだ。胸が何十、何百の槍を刺されたかのように痛む。
「でも安心して、私は私より小説書くのが下手な人が大好きだから」
「奇遇だな、俺もだ。今度お前のも見せろよ」
「え、何? 『お前小説書くの下手だよな。まあ俺はそんなやつが好きだけど』みたいなこと言って私に告白する気でしょ?」
「はっ、誰が」
「私は結構好きなんだけどなあ、回りくどい告白」
「お、気が合うな。実は俺もだ」
直接的な『好きです』という台詞よりも、廿里が今言ったような回りくどい告白を登場人物にさせることが多い俺である。
「ぶっちゃけ少女漫画のストレートな気持ちの伝え方は好きじゃないんだよね」
「分かる! ったく、お前も面倒臭いやつだな」
この辺の好みは似てる。思わず笑みがこぼれた。
「それで? そろそろ用を教えてくれよ、まさか冷やかしだけってことはないだろ?」
たったこれだけために昼休みを大幅に削られているのだとしたら、購買奢りの刑を処す所存である。でも言い渡したところで勝手に執行猶予とかほざいてかわすんだろうな。
「大した用じゃないんだけど」
「おい」
「単に作家志望の同志がいたから交流してみようって気が向いたわけ」
「ん? 待てよ、そういえばお前、どこで俺が作家志望者だって知ったんだ?」
「知ったも何も、授業中にあれだけ必死にノート取ってる人はいないから不自然だなー、もしかしてーと思ってちら見してみたらやっぱり……って感じ」
「それはつまり?」
「挙動でバレバレ」
ぎゃふぅううう!
自覚なかったけど、俺ってそうなのか。必死に勉強してるように見えてんのか。思い返せば周りの目を気にせずにガリガリシャーペンを走らせていた気がする。んー、でも、先生が近付いてきたときや、他にもちょっと危ないなってときにはペンを置いていたんだが……。
「あとふとペンの動きを止めたり、わざとらしくノートを隠してたところからも」
「ぎゃふぅううう!」
ノートパソコンを閉じるように上体を机に預けた。安全のために取っていた行動が全部仇となっていたわけだ。今度からは気を付けよう。
「とほほ……」
「うっわ、リアルでそれ言ってるやつ痛ってぇ」
「少しは気遣えよ……せめてそっとしておいてやるとか」
「唐突ですがここで質問ターイム」
「他人を顧みないその生き方どうにかせーい」
腑抜けたコントモドキで少々戯れてから、眼鏡っ子は伸ばした手をマイクに見立てて俺の顔の前に置き、そしてマシンガンの引き金を引いた。
「応募歴は?」
「六回。その内一次審査通過は一回」
「主に書いているジャンルは?」
「きゃっきゃうふふなラブコメディ」
「自分が得意だと思っている部分は?」
「せ、戦闘描写?」
「ネットで公開している作品は?」
「ある。もれなく不人気」
「では最近貰ったコメントを一つ」
「ヒロインに萌えない」
「小説を書き始めたきっかけは?」
「特になし」
「家族構成」
「両親と妹と犬一匹」
「ロリ?」
「微妙。中三だもん」
「住所は?」
「東京都――って、ちゃっかり個人情報引き出そうとすんじゃねぇ」
「まあまあ念のために」
俺は自宅の住所を一言一句の間違いもなく述べた。何が念のためなんだろう?
「では最後に電話番号を」
「…………」
「念のためだってば」
「080(以下略)」
律儀に返事を返す俺ったらなんて素直な子なんでしょうね。素直さのあまり、電話番号と住所という重要な個人情報を流してしまったが。
「最後の最後に名前をどうぞ」
「小中高と書いて小中高」
「ありがとうございましたー」
こちら謝礼っ、と頭を下げつつマイクに見立てていた手を開く。そこにはチロルチョコが佇んでいた。拒む理由もないし受け取ってすぐに包装を外して口の中に放り込んだ。うわ、ちょっと溶けてる。旨いけど。
表面がデロっているチロルチョコを口内でさらに溶かしながら、
「じゃあ次は俺の番だな」
「えっ、私もやられんの? チロルチョコあげたじゃん」
「じゃあ返す」
グロ注意。眼鏡っ子はケータイのバイブよろしく首を小刻みに横に振った。
諦めがついたのか眼鏡っ子は頬杖をついて、およそインタビューを受けるには適さないだらしない態度で「どーぞ」と不貞腐れた調子で促すのだった。まあ返事をしてくれるなら態度はどうでもいいさ。数年前のオリンピックを思い出したけど。
「んじゃ早速。応募歴は?」
「四回。一次通過一回」
「主に書いているジャンルは?」
「ミステリーの混じった日常系。たまにどろっとした恋愛」
「自分が得意だと思っている部分は?」
「変身シーン」
「ネットで公開している作品は?」
「あるけど、ちょっと」
「では最近貰ったコメントを一つ」
「思いの外カオスでワロタ」
「小説を書き始めたきっかけは?」
「気に入らない展開を自分好みに修正する作業が発展して」
「家族構成」
「両親と弟」
「ショタ?」
「ショタ」
「住所は?」
「東京都(以下略)」
「ラスト、電話番号」
「090(以下略)」
「最後の最後に名前をどうぞ」
「野々村廿里。甘いの真ん中の線を抜いた漢字に里で廿里ね」
「はいお疲れ」
「んじゃ、そろそろ脱いでみよっか」
「はいっ……って、やるにしても立場逆だろこれ!」
インタビューを締めたあとに、思いがけないカウンターを食らった。あまりに自然な流れで問われたので簡単に返事をしてしまった挙句、制服を脱ぎ始めてしまった。俺を嵌めようとした廿里も廿里だが、それに乗ってしまう俺も大概にしとけと。
互いのことを知り合ったところで、まずは一つ突っ込まなきゃいけない箇所がある。
廿里と名乗った眼鏡っ子の目を見る。俺の目をいまいち生気の感じられない目で凝視していた。この様子だと、言いたいことは同じかな? 裏で示し合わせたわけではないのでどうなるか分からないが、アイコンタクトでタイミングを合わせて口を開く。せーのっ。
『お前それペンネームだろ』
本日何度か目の沈黙の時間が訪れる。思っていたことは一緒だったらしい。
だって廿里なんて名前……ねぇ?
耳にした瞬間に違和感を抱いた俺は今度こそと意気込んだが、しかしどう足掻いたところで先手を打つのは廿里だった。
「小中高? ちょちょ、大学はどうしたのよ」
「いいんだよ、その前にデビューしてやるから。にしてもお前、廿里だぁ? 適当にそれっぽい漢字取ってつけただけの適当ネームじゃねぇの?」
「はっ、そっちこそ如何にも厨っぽい名前つけちゃって、いたたた」
「廿里とかだっさ! スーパーだっさ! よくそんなペンネームで投稿しようと思ったなぁ?」
ぐぬぬぬ、と身を乗り出してメンチを切り合う。
額と額がぶつかるか――というくらいの接近距離で動きを止めた廿里は、脅しをかけるように睨みつけてきた。女子とは思えぬ迫力に怖気付いて、急いで距離を取るや背中を背もたれにぴっちりと押しつけた。男なのに情けない……。
「小中高(P.N)、きちんと本名言ってよ」
「野々村廿里(P.N)の方こそ、きちんと本名を明かせよ」
「嫌でーす」
「こっちこそ嫌だね」
ふんっ、とお互いに拗ねたように腕を組んでそっぽを向いた。何をやっているんだ、俺たちは。付き合いたてのカップルがやるお別れごっこかよ。
このまま黙っていても埒が明かないと踏んだのか、それとも最初からそのつもりだったのかは定かではないが、最初に仕掛けてきた廿里が「んじゃさ」と軽く提案してきた。
「小中君、勿論現在進行形で進めている原稿あるよね?」
「そりゃな。さっきのプロットだって、完成したときの出来栄えによっちゃ執筆に入るぜ」
「そ。それなら問題ないね。それじゃあ私と、六月締め切りのラノベの公募で勝負しよう」
「勝負? 六月締め切りっつったら……あぁ」
レーベル乱立のこの時代、ライトノベルの公募締め切りはほぼ毎月ある。その中でも六月締め切りと言ったら、名の知れた大手レーベルのがいの一番に頭に浮かぶ。
五月の半ば――厳密に言えば五月十三日から六月末までは五十日弱。長編一作を書き上げられなくもない日数だ。というか、俺もその辺りの六月末、七月末締め切りの公募を目指していたので問題ないが、勝負というのははて、何かを賭けるということだろうか?
「正直言って、私たちの未熟な実力で頂点を取ることはまず不可能よ」
自分を過大評価するタイプかと踏んでいたんだけど、意外にも実力と正面から向き合える冷静さを兼ね備えているらしい。これには俺も首肯した。俺だって頂点取るのは無理だと思っている。まだまだ、下積みの段階だ。
「だから、一次選考突破で勝敗を決めるっていうのはどう?」
「いいんじゃないか? お互いに一回ずつ通過した経験あるんだし」
割合で言えば私の方が上だけどね、と廿里が四分の一と六分の一を比べて勝ち誇っている姿は俺の瞳にゃ虚しく映った。……まあ俺たちは底辺の底辺だから、勝負の次元も低次元に収まるが。
「勝った暁には何かあるんだ? なんでも一つ言うことを聞くとか?」
「現実でそんなリスキーなことできますかってんだい。本名だよ、本名――一次通過した暁には、通過できなかった方に本名を教える。ペンネームで呼ばなきゃいけない敗北感と、本名で呼べる優越感――どう、楽しそうじゃない?」
ぶっちゃけ知っても知らなくてもどっちでもいい情報だけど、同世代の作家志望者と勝負をするという行為自体には興味が沸いた。賞品が実質優越感だけというのも面白い。
「よっしゃ、その勝負乗った」
「よしきたっ。……あ、両方とも一次通過したらそこは仲良く本名を教え合うってことで。二次審査なんてどっちも玉砕するんだから」
この野々村廿里という女、本当に現実派だ。俺なんかはその辺り、可能性あるんじゃね? と期待するんだけど。精神年齢の差というやつか。認めがたいが悔しいな。
モチベーションが高まってきているのを実感する。強く自己主張する新作候補たちが俺の頭の中で暴れ回っている。今すぐにでもキーボードを叩きたい。
「確認しておくけど、六月末で問題ないよね? 間に合わないなんてことがあったら……」
「スピードだけは絶対の自信があるから大丈夫だ。逸る気持ちを抑えて、まずはじっくりとプロット作りを進めるよ」
「ふっ、精々それが仇とならないようにね」
「なんとでも言え、俺の頭の中の新作候補の山たちがお前を粉砕してやるからな」
「今の内に言っておきな。それじゃ、また」
廿里が立ち去る。一人になった俺は脱力感から天井を仰いだ。
俺には新作候補が山ほどある。その全てを書いてみたいという気持ちが起こっているけれど、だがしかし、無視できない致命的な欠陥がある。それは。
「山は山でも、塵の山……」
宝の山であればいいけれど、俺は、分のアイデアが幾ら積もっても塵の山にしかなれないことを知っていた。だからこそ一次選考落選の常連なのだ。
塵も積もれば山となる。ただし、風が吹けば吹き飛んでしまう脆弱な山だ。
その跡に残ったもの――それが宝であり、今回俺が執筆すべきもの。
けど、まあ。
「何も残らなきゃ、一体俺は何を執筆すべきなのかねぇ」
今までとは違う。
漠然と千数百の原稿を相手取るよりも、勝負をしている感の強い今回は負けられない。練りに練った力作を捻り出さなければいけない。
プロット作りは難航を極める。
一章が終わりました。元々応募する予定の原稿だったので実はもう書き上がっているんですが、ちまちま投稿していこうと思います。