第二章 カミソリ奉行 5
川面に色とりどりの幟が鮮やかに映り、鐘太鼓が陽気な節を奏でる。
道行く人が立ち止まり、呼び込みの口上に聞き耳を立て、一人また一人と木戸銭を差し出して小屋の奥へと入っていく。道頓堀に面した劇場の一つで、寄席の始まる合図が鳴り響いていた。
市右衛門こと安井道頓の開削した道頓堀川の周辺は、当時から大坂きっての劇場街で、さながら東洋のブロードウエイといった位置づけだろうか。
功を成し、一廉の財を築いた商人やその子弟たち、或いは日々の労働で小金を稼いだ職人などが、刺激と娯楽を求めて、芝居小屋や見世物小屋へと足を向ける。
もっとも、楽しみがあれば、より深い刺激を求め続けるのが人の業で、表が華やかであればあるほど裏の世界もまた盛況なのである。
龍神組が港湾で裏の根を広げたように、黒獅子一家は道頓堀界隈を中心に、興行の世界を一手に牛耳っていた。
「さあ、早せんと、もうじき始まるで。期間限定、今日が最後の千秋楽や。この舞台を今日ここで観いへんかったら、一生ずーっと後悔すんで」
台の上から、呼び込みの男が急き立てるように最後の口上を捲し立てると、些か強引な呼び込みの煽りが効いたのか、通行人の何人かが誘われるように小屋の中に入っていく。大坂人は今も昔も期間限定や特別という言葉には弱いようだ。
客の最後の一人に混じるように従いていった十郎太は、小屋には入らずに台の下で立ち止まると「よお」とばかりに、呼び込みをしている大政に声を掛けた。
「って、十文字の旦那。いきなり、そんなところから声を掛けられたら肝を潰すやおまへんか」
足元からの呼び掛けに驚いたのか、台から足を踏み外しそうになりながら大政が返事をする。
十郎太は「悪い」と大きな声で謝るが、悪びれる様子は全くない。逆に台を両手で揺らしながら「それはそうと」と、話を違う方向に逸らしていく。
「なかなか、盛況やないか」
小屋のほうに顎を突き出して、十郎太がわざとらしく褒め称える。
「まぁ、おかげさんで」
足元を揺らされているので、大政の礼は声が震えがち。小心なのか怖がりなのか、たかだか三尺あるかないかの台なのに、今にも落ちるのではと思うくらいにたたらを踏みつつ首筋から冷や汗を滴らしているのは、褒めているより脅していると言うべきか。
「お客を飽きさせんように、仕込みは色々やってますよっにて」
おぼつかない足元にヒヤヒヤしながらも、胸を張って大政が答える。
毎日ずっと同じ演目を続けていたら、客足が鈍るからと内情をバラすあたりが馬鹿正直なところだ。
それでも、ヤクザながら意外に真摯な接客姿勢に、十郎太は「へぇ」と感嘆の声を上げる。
「精進することは、ええこっちゃ。ふつうにする分にはな」
大政に向かって賛辞の言葉を掛けてやる。特に“ふつうに”の部分を声高に、必要以上に強調する。
聞きようでは激励ともとれるが、なにぶん十郎太の口から出る言葉である。そうでないことなど一目瞭然、言葉の端々にウソ臭ささがプンプン漂う。
「お言葉は有難いんですけど、十文字の旦那。物言いが、ちっとばかっかし引っかかりまっせ」
あまりの嫌味っぷりに、大政が顔を顰める。
だが、言った十郎太のほうは、どこ吹く風の涼しい顔。悪びれた様子などおくびにも出さず、「気のせいやろ」と、あっさり受け流した。
「お上が許しとる出し物を、常識の範囲の木戸銭で見せる分には、おおいに結構。どんどんやったらええねんで」
気持ち悪いくらいニコニコしながら一層の精進を勧める。
が、「ただし」と断りを入れると、表情が一転、さっきまでの上機嫌が嘘のように声色も低く変えた。
「内職に精ぇ出すのは、あんまり感心せえへんぞ」
「内職って。旦那が何を言いたいのか、よう分かりまへんねんけど」
「これでもか?」
とぼける大政を無視して十郎太は肩を斜めにすると、呼び込み台の後ろをすり抜ける。
慌てた大政が制止しようと声を上げるが、高所恐怖症の身の上、台の上では、どうすることもできない。
その間に十郎太が芝居小屋に入り込むと、観覧場には目もくれず、演者の控えに土足で踏み込んでいく。
「はい、はい。ご免やっしゃ」
何事かと呆気にとられる演者を横目に、角の箪笥に足を掛けてよじ登った。天板を剥ぎ取り、屋根裏を開けてみせる。
屋根裏、というより小部屋と呼んだほうが適切だろうか。圧迫感があり蚕棚が似合いそうな狭い部屋の中央には筵が敷かれ、その上に安物の壺と賽子が置いてある。言わずと知れた丁半博打の賭場である。
「あちゃーっ」
隠し事がバレてしまい、大政がしまったと額に手を当てる。
「これが内職やのうて、何が内職なんかなぁ?」
決定的な証拠を見せつけて、十郎太がニタリと笑う。
「これは、その。何と言うんか」
「よう考えたな。芝居しとったら、賽子の音は聞こえ難うて外には漏れん。その上、人の出入りが頻繁なんも、芝居小屋やから、むしろ当然。羽振りのいい上客に、もうちょっと銭ぃ落として貰おうって魂胆かぁ?」
「いや、それは……組には内緒でやってますさかい」
上から睨みつけられ、大政が必死になって言い訳をする。
もとよりご法度な賭場が見つかった上に、組に内緒で運営していたのである。白洲で裁かれる罰もさることながら、上に知られれば、指の一本や二本で済む話ではない。
「明日の朝には、首がどっかの欄干に晒されてるかな?」
十郎太の脅しに大政が竦みあがる。
「いやいや。それより先に簀巻きにされて、今夜辺り道頓堀に浮かんでるか?」
「ひっ!」
脅しが効きすぎたのか、大政の顔からは血の気が失せ、今にも泡を吹いて倒れそうな勢い。
本当に倒れられてしまうと困るので、十郎太は「まぁまぁ」と背中を軽く叩くと、大政のために、逃げ道を作ってやった。
「最近、ちょいと疲れてるんかな。俺は時々、目が霞むねん」
「はぁ?」
唐突に話を振ったとはいえ、大政は意味が分からず、阿呆な表情をする。
そんな大政に苛立ちを覚えつつ、十郎太は「だから、な」と語尾を強めると、もう少し具体的に噛み砕いてやった。
「目が霞んどるところに持ってきて、今日は朝っぱらから上役に駆り出されて、少しばかり寝不足気味なんや。意識も朦朧としとるから、ひょっとしたら幻を見てまうことやってあるわな」
「おおっ!」
そこまで言って、やっと合点が行ったようだ。大政が「なるほど」と手を叩いて大きく頷く。
「そうでんねん、そうでんねん。これは十文字の旦那が見た幻、気のせいですわ。ここは芝居小屋、そんな変なもんなんか、ありゃしまへん」
見逃しのお墨付きを貰ったと思ったのか、ひと際ぐんと大仰に首を振り、先の言葉に追随する。
「そうだろう、そうだろう」
十郎太は「掛かった」と内心にんまりしつつ、釣り糸を手繰り寄せると、「ただな……」と、すかさず話を逸らす。
「もう、お天道さんも真上に来とるやろう? いつまでも眠たいなんて、言うてられへんわな」
急に職業意識に気付いたかのように、わざとらしく咳払いをすると、眉間に皺を寄せつつ、困った顔を作る。
「それは、つまり」
「ここまで言えば、分かるやろ?」
微妙な真顔のまま、十郎太は大政の耳元に顔を近づける。
「つまり、アレでっか?」
「そう、そう」
「魚心あれば……」
「水心、って。お前さん、よーく分かってるやないか」
感心、感心と首を縦に振る。
だが、言われた大政の表情は冴えない。懐から財布を取り出すと、一枚二枚と情けない声で数え、中の金子を確認する。
「せや言うても、この博打。ほとんど内職みたいなものでっせに、袖の下なんか、ナンボもおませんで」
からっ欠だと言いたいばかりに涙声になる大政に「ど阿呆!」と一喝する。
「袖の下が欲しいやなんて、誰がそんなもんをを要求した」
「へっ?」
魚心水心と言われ、てっきりそうだと思い込んでいたのだろう。大政が目をぱちくりしながら、頓狂な声を上げる。
「オマエみたいな、ちんけなヤクザから鐚銭の賄賂を貰って、お天道様の下で暮らしていけると思うか?」
「また、またぁ」
言葉が過ぎるとでも言いたいのだろう。言わせておいても構わないのだが、有体に指摘されるのも、些か業腹もの。
「もうええから、耳を貸せ」
適当に話を切ると、大政の耳を引っ張り「穴かっぽじって、よう聞けよ」と本題を切りこんだ。
「今朝、東横堀川にヤクザ者の土左衛門が浮いとったんは、知ってるよな?」
知らないとは言わせない、有無を言わぬ迫力で十郎太が尋ねる。脅えるように大政が頷くと「よし、よし」と満足して首を振り、質問を続ける。
「単刀直入に訊くわ。あれ、オマエところのもんか?」
言葉通り、一切の華燭なしに尋ねると、間髪を入れずに大政の口から「ちゃいます」と否定の言葉が出た。
「あっしら黒獅子の一門に、そんな間抜けな奴がいますかいな。あれは龍神の下っ端に決まってますがな」
決めて懸かる大政に「それは何でや?」と改めて尋ねると、溜息交じりに「高い口止め料でんな」と、ぼやかれた。
「これ、とっときのネタなんでっせ」
勿体ぶるように大政が胸を張るが、十郎太は一向だにしない。
「だからこそ、拝聴しようと言うてるんや」
むしろ積極的に訊こうとする態勢。そもそも大政の地獄耳を当てにしての乗り込みである、こうでなければ、来た値打ちがない。
「さあ、ひと思いに言ってしまおう」
「えらいもんに引っかかってもうた」
弱みを握られた以上、どうしようもないのか、諦めるように大政が重い口を開く。
「浮かんどった仏。ありゃ龍神の下っ端、平吉に間違いおまへんわ」
「その理由は?」
「左腕の彫り物ですわ」
「なるほど」
徹生の見立てとピタリ一致する。仏の素性の裏が取れた。十郎太は、それ以上は詮索せぬことにして、続きを促した。
「で、どうやって殺めたんや?」
カマを掛けるべく、前振りも何も一切せず唐突に尋ねてみる。
すると、いきなりのことに驚いたのか、大政が大きなぎょろ目を白黒させつつ「またまたぁ~っ、ご冗談を」と、溜息をつくように苦笑いした。
「殺るやなんて、そんなこと、しますかいな」
言われること自体が不本意なのか、「アホらし」と先に言い放ち、あらぬ疑いを掛けるなとばかりに、「そんなんして、どないしまんのや?」と右手を左右に大きく振って否定をする。
「殴り込みにでも乗り込んで来よたんやったらともかく、あんな三下風情を理由もなく殺したところで、こっちに得るもんなんか何もおまへんやんか」
「そりゃ、そやな」
損得勘定を前面に押し出した、極めて真っ当な答。言っていることが理に適っているだけに、十郎太も納得せざる得ないのだが……
ふと、何かが頭をよぎり、いや、待てよと額を突きながら思い留まる。
流されて聞いていたが、大政の返事には、思いっきり矛盾があるではないか。
「大政よ」
「へい?」
「一つ、訊きたいんやけどな」
相変わらず人を食ったようなとぼけた表情のままだが、目つきだけは鋭さの宿った完全な真顔。それとは思わせない、のほほんとした口調を装いながら、十郎太は大政に尋問を再開した。
「平吉を三下風情と斬って捨てたっちゅうのに、仏の素性から何から、えらい詳しゅう知っていたな?」
口調こそ温厚で柔らかだが、退路を断った理詰めの尋問。
返事を言った途端、重大な失言をしでかしたことに気付き、大政の顔に緊張の色が走り、表情が強ばった。
「そ、それは……」
表情だけでなく、動きまでもが固まる。
隠し賭場を見られた時には「拙いところを見られてしまった」という思いだけだったのか、軽く額を叩く程度の驚きだったが、今の一言はそれの比ではないようだ。
四六の蝦蟇でもないのに、顔中から冷汗が吹き出し、焦りと困惑が入り混じった真っ青の表情のまま、生唾だけを何度も飲み込む。
これでは隠し事をしていますと言っているようなものだ。
「いったい、どういうことなんやろうかな?」
「そら、十文字の旦那の気のせいでっしゃろ」
改めてする質問から、大政は必死にとぼけようとする。
ところが、焦りからか、声が完全に裏返っている。これほどの動揺を見逃がすほど、十郎太は甘くない。
「ま、俺は、気のせいで流しといてもいいんやけどな」
猛進的に攻め立てることはせず、知らぬ振りをしながら、一言「せやけども」と付け加える。
「隠し賭場は見てしもうたしなぁ。何かの弾みで、ひょいっと言うてしもうたら、人の噂に、戸板は立てられへんわなぁ」
後頭部で腕を組み、能天気に言い放つ。
のんびりとした世間話を装っているが、実質は脅しそのもの。
「そうなったら、どうなるんやろうなぁ?」
他人事のような口調で言いながら、左手の小指を折り隠して左右に振ってみたり、人差し指を刀の匕首に見立てて軽く当ててみたりと、大政の恐怖心を煽り立てるだけ煽りまくる。
直接でなく、間接的に嬲る辺りが、十郎太の面目躍如といったところだろうか。
実際、生方などの与力に上申したり、伝手を使って密告して組の上役に知れ渡れば、さすがに斬首はないしろ、何らかの責めは必至である。
それだけに、あながち嘘とは言い切れない。これにビビって、こちらの言うことに黙って従うように促せればよいのだが、組に黙って内職するほどセコい割りには、規模も小さく隠れてこそこそとやるような小心者の大政のこと。十郎太の見せた未来予想図に、すっかり脅えきってしまった。
「どないしよう。良くて指詰め、下手すりゃ、斬首やんか……」
勝手にその先を想像し、譫言のように呟きながら、その場にうずくまってしまった。
あちゃーっ。
ちょっと、脅しが過ぎたかな。狼狽しきりの大政の反応に、十郎太が「難儀な奴め」と舌打ちする。
「おいおい、しっかりせえよ」
さっきまでの脅しとは一転、努めて明るい声を出すと、項垂れた大政の背中を景気づけに、ばしっと叩く。
「俺は、ただの一言もチクるなんて言ってないやろ。この先どないなるかは、オマエさんの心がけ一つや、と言うとるだけや」
「ホンマでっか?」
なおも疑念に満ちた視線をよこす大政に、十郎太は「おうよ」と白い歯を見せると、およそ似合わないような爽やかな笑みを向ける。
「言っとくけど、俺の口は、お城の石垣並みに堅いことで有名やねんで。神様仏様、なんやったら川向うにある饂飩屋の看板娘のお倖ちゃんにも誓って、口になんかせえへんで」
「何か一言、余計なもんが混じってますけど」
「男が細かいことを気にすんな」
口を尖らして反論する大政を言い伏せると、「まあ、そんな訳でや」と脱線しかかった話を元に戻す。
「知ってるねんやろ? 仏の正体を白状してまえや。正直に言うてくれたら、ホンマ、悪いようにはせえへんで」
十郎太は大政の両肩に手を載せると、これでもかというくらいの真顔で見つめた。最後のダメ押しとばかりに、切り崩しに懸かる。
悪鬼のような誘いにどう対応するべきか、悩みながら大政が呻く。
だが、どう転んでも退路が完全に塞がれたことに気付いたのだろう。がっくりと肩を落としたまま目を伏せると、仕方がないとばかりに、ゆっくりと重い口を開いた。
「言うたことに嘘偽りなく、仏になった平吉は三下ですわ」
と、予防線代わりに、まず前置きをする。
「ただ、木津川の川下にいるような田舎ヤクザ風情が断りもなしに町中をうろつくんだす、いろいろ印象には残りますわな」
大政が言うには、平吉は数日に一度かなり頻繁な回数で道頓堀を横切っているという。
「そもそも、用もないのに、そないにちょくちょく町中をうろつくのか、あっしには理解できまヘんわ」
蔑み吐き捨てるような口調。黒獅子一家が龍神組をなじるときに出てくる共通の言い草だ。お互いに対立している二つのヤクザ連中は、機会あるごとに「川下の田舎者」や「太鼓持ちの猿使い」などと罵りあっている。
十郎太にとっては、この手の罵詈雑言などどうでもいいことで、「さよか」程度の相槌を打って軽く聞き流す。
それよりも気になったのは、堅気の格好に変装までして道頓堀や、それより北側に繰り出していたことだ。
「お前らのシマの凌ぎを、邪魔しにでもしに来とったんか?」
率直に浮かんだ疑問を投げかけると、大政は「ふん」と鼻で笑い返す。
「あないな三下風情に、そんな力、おますかいな」
そんなしょうもないことを訊くなと言わんばかり。
「仮にそうやとしても、生きては返したりやしまへん」
きっぱりと言い切ったところで、慌てて両手を突き出して「待っとくれやっさ」と注釈を付け加える。
「重ねて言っときますけど、あっし等は殺っったりなんかしてまへんで。するんねやったら、川の中に放っておくやのうて、見せしめのために連中の前に放り出すくらいのことはしますし」
一見、言い逃れのための繕いごとにとれるが、実利を旨とする黒獅子一家なら、さもありなんだ。
となると、何ゆえにきゃつが頻々と往来していたのか?
「あんなんの、けつを尾けて歩くような暇なんか、欠片もおません」
大政は、知らぬと一蹴する。
結局のところは分からず仕舞い、謎だけがそっくり残った格好になってしまった。