第二章 カミソリ奉行 3
大坂のはずれ、木津川の河口近く。津守と呼ばれる地区に、大坂の二大ヤクザの一つ、龍神組は一家を構えていた。
あぶれ者だった港湾人夫の一人が、腕っ節を武器に荒くれ者を束ねることから発展した経緯を持っている。そのため、所謂ヤクザとしての存在のほかに、表の顔として港での艀の割り振りや人夫の斡旋などに強い影響力を持つ。
「港で仕事をするのなら、龍神組の機嫌を損ねるな」
使われる立場の港の人夫はもとより、使う立場であるはずの船場の大店や蔵屋敷の人間ですら港では、龍神組の顔色を伺うほど。それ故、迂闊に手を出せない存在でもあり、奉行所としても頭の痛い問題でもあった。
「気に入らんのやったら、さっさと潰しゃええねん」
ともすれば事なかれ主義に走ろうとする奉行所に対して、迅三郎は事あるごとに苛立ちながら嘯いていた。
だが、漆喰に染みついたカビが簡単には取れないように、成り立ちからして港の仕来りに根付いた龍神組をそうそう簡単に駆逐できるものではない。故に奉行所も〝目の上のたんこぶ〟と疎みながらも、必要悪として半ば黙認している節もあった。
「見た目だけは、それっぽく取り繕ってるわな」
堂々とした龍神組の建屋を前にして、迅三郎が呟く。
屋敷の構えだけならば、一廉の商家に見えぬこともない。事実、表の商売は至って真っ当であり、廻船からの荷の積み降ろしや艀の手配など港の実務を請け負う商家に名を連ねている。
「けんど、裏に回れば」
表向き装う堅気の顔は、一瞬にして鍍金が剥がれ落ちる。表は所詮飾りであり、実のところは「仕切り」と称して、同業者からみかじめ料を無心し、斡旋した人夫から多額の手間賃を中抜きする力を拠り所にした無法者の集団。
「結局、ヤクザはヤクザってとやな」
使用人の出入りする勝手口を見れば、見るからに〝その筋〟の者と分かる舎弟が数人ほどたむろし、一種独特な殺気が漂う。
表の顔が清潔で華美なだけに、薄汚さがいっそう際立つが、迅三郎に臆する気配は、微塵もない。むしろ、目尻がやに下がり、修羅場になるのを楽しみにしているかのように見えた。
「同心風情が、ウチに何の用や?」
何か匂いを感じ取ったのだろう。「邪魔すんで」と裏口に回った途端、入口でたむろしていた手下が迅三郎相手に凄んでみせた。
成りはでかいが、頭のほうは体格相応には出来ていないようで、あまりにも分かりやすい構図に笑いを抑えるのに必死になる。
「用もないのに、こんなところにわざわざ来るアホがおるか?」
「それやったら、表に回んな。ここは客人の来るところとちゃうで」
さすがに最小限の躾は受けているのだろう。からかうような迅三郎の物言いに対して、頭の上から湯気を出しながらも、表口に行けと顎をしゃくってみせる。
尤も、そんな警告を素直に聞くような迅三郎ではない。
「俺が表から入ってたら、オマエら、適当にうっちゃらかすやろが」
フン。と鼻で笑い、左手を太刀の柄に添えると、ずいっとばかりに前に出る。
「そんな訳で、邪魔すんで」
言うや否や三下の脇をすり抜けて、草履を履いたまま、三和土に片足をどんと掛けた。
「おい、こら。勝手に上がるな!」
虚を衝かれた三下連中が慌てて迅三郎を制止しようとするが、勿論、聞く耳など持ち合わせていない。
「ああ、そうか。土足で上がるのは、礼儀知らずやったな」
制止の理由を勝手に曲解し、とぼけた顔で草履だけを脱ぐと、そ知らぬ顔でさっさと奥に入っていく。
「待たんかい!」
入口のやり取りが聞こえたのだろう。何事かとばかりに、奥の間の障子が開いて、控えていた子分連中が、わらわらと出てきた。
迅三郎を舐めているのか、それとも同心だからと気後れしたのか、出張った連中は全員が全員、木刀すら持たずの丸腰だった。それでも数を頼りに周りをぐるりと取り囲む。
「勝手に他人のところの敷居を跨ぐとは、どういう了見や?」
「ここが何処か、分かってんのか?」
お約束の恫喝。威嚇とばかりに大声で唸り、迅三郎を勢いで圧倒しようとする。
「おとなしく帰らんと、痛い目みるで」
しかも、誰彼構わぬ脅しとは。後先考えぬ小物ぶりに呆れるより先に失笑が漏れてしまう。
「命知らずというより、常識知らずやな」
ついつい正直な感想を口にしたが、連中にとって常識云々は禁句だったらしく、怒りでみるみる顔色がどす黒くなる。
「ずいぶんと嘗めたこと言うてくれるやないか」
こういうときの小物同士は連携が早い。あっという間に同意が形成されたみたいで、取り囲む輪がさらに一回り小さくなる。
「ええんか? そんなんしたら痛い目を見るのはそっちやで」
あまりにも見えすぎた展開に、迅三郎がやれやれと柄に手をかけた刹那、屋敷の奥から「止めんかい」と制止する声が飛び込んできた。
「お侍さん。ウチの若いモン相手に、えらい舐めた真似をしてくれますやんか」
取り囲んだヤクザ連中から年かさ一回りくらい上の男が一人、ぬっと一歩前に出ると、二人に向かって賛辞とも脅迫とも取れる言葉を投げかけた。
「おいおい、状況をよう見いや。食って掛かってるのはオマエ等のほうやで」
軽口を叩くように迅三郎が答えるが、男は引き下がろうとはしない。
「血の気の多いものに向かって常識知らずなんて言えば、喧嘩を売っているのと同じでっせ」
男が迅三郎のセリフを行き過ぎた暴言だと諭した。
「考えるより手を出すほうが早い輩です。言葉は選んでもらわんと」
やれやれと息を吐くが、気を抜いている訳ではない。
コイツは本物や。見た瞬間に分かった。
見たところ、若頭といったあたりだろうか。身成りからして、裏口の三下とは格が違う。虚勢を張ることもなく穏やかな口調で訊いてくるが、視線は周りにいる誰よりも鋭かった。
「単なる挨拶やないか。そないカリカリすんなや」
迅三郎は臆することなく、軽口を叩いて返す。
「挨拶でっか?」
「そや」
「それにしては、お腰のものに手を掛けるやなんて、少々物騒な仕草でんな」
怪訝な表情。迅三郎の左手が気になるのだろう、威嚇したまま視線を下に向ける。
「こんな物騒なところに、一人で入るんや。これくらいの備えは、あって然るべきやろ」
「ご冗談を」
腹の探り合いは、どっちもどっちといったところだろうか。
だが、ちょっと仕草を変えれば、一瞬にして牙を剥くのは明白だ。逆に言えば取り次ぐに不足ない相手だということ。取り敢えずの相手に出会えて、迅三郎は微かに表情を崩した。
「心配せんでも、今日は尋ねごとをしたいだけや。いけずせんと、親分に会わせてくれへんか?」
敵対する意思がないことを示すために、迅三郎は太刀の柄から左手を離すと、両手を目の前に翳す。
口ではなく、行為がものをいったのだろう。取り囲んでいた三下たちが一斉に後ろに下がった。
一人だけその場に残った件の男は暫し考えた後、首をゆっくりと横に振って、迅三郎の要求を拒否した。
「お役人さんの頼みとはいえ、それは聞き入れまへんな」
代わりに自分が聞くと男が付け加える。言外に「同心程度の小役人などに取り次ぎはしない」と言っているのだが、それで激昂するほど迅三郎も熱くなってない。
むしろ、この駆け引きが楽しくて、浮かれ出したいほどなのだが、それを表に出したのでは、相手の思う壺。
「下っ端にお遣いさせる気はないで」
明らかに幹部と分かる男に対して、下っ端と言い放つ。
「僭越ながら、若頭を務めさせて貰ってます。それでは、御不足で?」
若頭なら話をつけるには十分な相手なのだが、それを素直に認めるのは、なんだか負けたみたいで、言うのは少しばかり憚られる。
「ああ、御不足やな」
鼻を鳴らし、痩せ我慢いっぱいに言い放つ。
不満を言われるとは思ってなかったのだろう。男は揉み上げを掻きながら「いやはや」と苦笑した。
「これは、また手厳しい。けんど、こっちにも立場ってもんがありますさかい、今日のところは、この銀次郎に免じて、勘弁してくれませんか?」
立ったままとはいえ、龍神組の若頭が頭を下げてきたのだ。迅三郎としても譲歩する大義名分ができて不満など何もない。
だが、はったりをかましている手前、「しゃあないな」と、止む得なくという装いを崩さなかった。
狐と狸の化かし合い。初手は互いの顔を立てた相打ちといったところか。
「あがって。と言いたいとこですけど、とっくにあがってますなぁ」
「俺は、せっかちやからな」
素直すぎる返事に「みたいで」と銀次郎が苦笑する。
「それはそれとして。お役人さんを立ちっぱなしにさせる訳にはいきまへんな」
さっさと部屋の支度をしろと銀次郎が一喝し、子分たちがバタバタと駆けていく。
気が利かん輩ばかりで申し訳おまへんと銀次郎が一礼すると、待つほどもなく奥の板の間に通された。
「なんや。客間とちゃうんか?」
「あっしは、主ではおまへんので……そこんところは、堪忍してくれまへんか」
知ってて嫌味を言うと、銀次郎が恐縮しながら、手を合わせる。
頭とはいえ、所詮は子分、しかも同心を相手に客間など通せるはずがないのだ。
上座を迅三郎に譲ったのは精一杯の誠意の表れだが、それを素直に感謝したら、こっちの負け。二度目の化かし合いは迅三郎が口先で先手を取った。
「しゃあないな。ここはオマエの顔を立てたるわ」
おおきにと礼を言われたところで、ここからが本番の始まり。
「して、ご用件の尋ねごととは?」
両の手を膝に当てて姿勢を正すと、銀次郎は改めて、ここに来た用向きを訊いてきた。
「尋ねごとっちゅうか、言うたら、身元確認やな」
「人捜しか何かで?」
「まぁ、そんなもんやけど。オマエさん等は、この男に見覚えがないか?」
言いながら迅三郎は懐をまさぐり、四つに折り畳んだ似顔絵を取り出して、これだとばかりに銀次郎に突きつけた。
「こ、これでっか?」
受け取った銀次郎は、一目ちらっと見るなり、絶句する。
「俺の手下が言うことには、オマエのところの舎弟って、ことやねんけどな」
「けどな。って言われても……」
唸りながら銀次郎が答えるが、心なしか歯切れも悪い。渡された似顔絵を両の手で持ち、凝視したまま固まっている。
「知らん、てか?」
「そうは言いませんけど」
「けど、何や?」
ヤクザのくせに、しゃきっとしない。
はっきり言えやと促すと、「遠慮のう言わせてもらえれば」と銀次郎が口を開いた。
「この絵を見ただけで、どこの誰か答えろってのは、いくらなんでも酷だっせ」
苦笑いと言うよりは魂の悲鳴。迅三郎が描いた似顔絵は、児戯の落書きでなければミミズか毛虫の這った痕ではないかと思わせるような壮絶な代物だった。
いちおう目鼻の類は描いてあるが、‘へのへのもへじ’とどう違うのか理解に苦しむ。左腕の彫り物などは何かの暗号かと疑うほどで、これを画と呼ぶのなら、壁の落書きは芸術作品と呼ばなくてはなるまい。
後ろで控える子分連中も一斉に「うん、うん」と首を縦に頷く。十人が十人、誰が見ても似顔絵と呼ぶには難色を示すであろう、ある意味独創的な画だった。
とはいえ、描いた当人としては、こうもあからさまだと、甚だ面白くない。
「何でや。これだけ詳しく描いてんねんぞ」
「そうは言うても……」
首を捻るばかりの銀次郎に「今朝、東横堀川で沈どったヤツや」と注釈を付け加える。
「俺の手下が言うには、土左衛門はオマエさんのところの平吉と違うか、と言うとるんや」
さらりと言った土左衛門の言葉に銀次郎が「そらまた、物騒な」と小さく呟き、脇に控える子分に何かを小声で尋ねる。二度三度短いやり取りを交わすと改めて迅三郎のほうに向き直り、「さて」と短く一言添えて軽く首を捻ってみせた。
「存知まへんなぁ」
とってつけたようなそっけない返事。
「違うと?」
念を押すように迅三郎が声を押して尋ねるが、銀次郎は眉ひとつ動かさず「はい」と短く返事する。
「この龍神組に川で溺れて死ぬようなドン臭い輩なんぞ、ただの一人もおりませんわ」
本当か? 間違いないとばかりに、胸を張りながら自信満々に答える銀次郎の答えに対して、違和感を感じずにはいられない。
「百人は下らん子分衆を抱えてといて、一人もおらんなんて大口をたたけるんか?」
疑心暗鬼に小さく「おいおい」と前置きしながら突っ込みを入れるが、迅三郎の色眼鏡な問いにも銀次郎は「もちろん」と間髪を入れずに即答する。
調べもいれずの回答に、子分を信頼していると言えば聞こえが良いが、疑念の欠片が一筋もないのが逆に懐疑的だ。
腰を低く下手に出てはいるが、明らかに銀次郎は何かを隠している。狐と狸の化かし合い、ここは腹の探り合いなのだ。先手とばかりに二手目を迅三郎が盤上に打って出た。
「そういや最近。黒獅子一家とは、あんじょうやってるのか?」
しかし、打った手に対して、銀次郎が失笑を浮かべる。
「何を言うかと思ったら」
言ってしまった失言に、しまったと臍を噛むが、もう遅い。
「あっしらが、なんぼヤクザやいうたかて、四六時中ずーっと斬ったはったをしてる訳やおまへんで。お役人様が何を考えてられるんか知りまへんけど、出入りもなんも、ありゃしまへん」
首を揺らして全否定、子分衆もそれに倣う。
「さよか」
大手を詰められ苦し紛れに、切り返しをする。もう一手も打つことができない。化かし合いの軍配は、銀次郎の勝利であがったのだ。
「どうやら用件は、済んだみたいでんな」
銀次郎がしてやったりと、余裕の笑みを口元に漂わす。「ささ、お帰りください」の言葉が迅三郎には高らかな勝利宣言にしか見えない。鬱陶しいこと、この上ない。
「もし、心当たりがあったら、声掛けてくれや」
最後の言葉が、我ながら負け犬の遠吠えか捨て台詞にしか思えず、迅三郎の自尊心をいたく傷つけたのは、いうまでもなかった。