第一章 迅三郎と十郎太 3
「奢ってもらっといて言うのも何ですけど……大の男相手に、これはおまへんでっしゃろ」
期待が高かっただけに落胆もひとしおなのか、がっくりと肩を落としながら徹生が不平を口にする。
「何や、不満か?」
手下の愚痴を耳にして、迅三郎のこめかみに小さく皺が走る。
「嫌やったら、別に食わんかったってええんやで」
素っ気無く言い放つと、椀を口につけ、白い湯気が立つ熱いぜんざいを豪快に啜りこむ。
震える寒さを和らげるには熱い汁粉が一番と迅三郎が言い張り、近くの甘味処に三人は飛び込んだのであった。「昨日の残りモンでっせ」と主に言われて出されたぜんざいは、汁が煮詰まり過ぎてべたべたした甘さがくどいが、川水で冷えた身体には美味よりも小豆の熱さがかえって嬉しい。
たちまち平らげるとお代わりを要求し、またもや一気に流し込む。
文字通り駆けつけ三杯を平らげた後に、徹生から先の不満を聞かされたのである。
しかも、だ。
「キュッと熱いもんやて言うもんやから、あっしはてっきり酒やと思ってたのに」
煮詰まってグズグズに潰れた小豆を器用に摘みあげながら、なおも未練たらしく愚痴を言い続けるのだ。これで気を悪くしないほうがどうかしている。
「アホ抜かせ。朝っぱらから酒浸りになる同心がどこの世にいる」
「せやからって、ぜんざいってのもなぁ」
自身もちゃっかり食べておきながら、十郎太が徹生の肩を持つように横から茶々を入れてきた。
「暖を取りたいって言う迅の気持ちは分かるし、朝っぱらから酒は具合悪いという道理も納得や。けんど、朝っぱらからぜんざいってのは無いわな。うどんとか言うんやったらともかく」
とか言いつつ、しっかりお代わりまでも食しているのだから、説得力の無いことおびただしい。
「椀を持ちながら、どの口がそんなこと言うねん?」
返すように迅三郎が言い寄ると、十郎太は「この口や」と煙に巻き「それよりも」と、何食わぬ顔で強引に話題をすり替えた。
「外で訊こうとしたことの続きや。オマエは、あの土左衛門に憶えはあらへんのか?」
回りくどい言葉は一切無し。潔いくらい単調直入に、十郎太が質問をする。それが逆に徹生を追い込んだのだろう。「う~ん」とひと言唸ると、いつもはのらりくらりと喋らない重い口が、茹でた貝のようにぱっくりと開いた。
「知りまへん。……と、言いたいところですけど。ありゃ、平吉っていうヤクザものですわ」
「平吉? 誰や? いったい」
聞き慣れぬ名前に、迅三郎が正体を急かす。
「知らんで、当然。龍神組の三下も三下、使い走りに毛の生えたようなヤツですわ」
言った徹生が、知っていることを恥だと言わんばかりに斬って捨てる。
「元はどっかの、水飲み百姓。ヤクザやのに飲む・打つ・遊ぶを一切やらん、真面目なだけが取り柄みたいな男ですわ」
「そのクソ真面目な男が、どこをどう間違って渡世なんかに足を突っ込んだんや?」
平吉の出自に興味を持ったのだろう。汁粉の椀を右手に持ったまま、身を乗り出すようにして十郎太が間に割って尋ねてくる。
「それはもう、ひと言ですわ」
恥だ何だと言ったところで、知らない秘密を訊かれるのが嬉しいのだろう。訊かれるや否や、まってましたとばかりに、徹生は嬉々として答えを告げる。
「真面目に野良仕事しとったんですけど。ある年、平吉のおった村に飢饉があって、年貢を納めたら手元に何も残らんかった。と」
後は想像してくれとばかりに、徹生はお縄についた格好をしてみせた。
「後はもう、お定まりですわ。理由は何にせよ、前科ものが村に居れるわけが無い。真面目なだけが取り柄で口も不器用、堕ちるとこまで堕ちて渡世に身をやつして今日に至る。ありがちな身の上ですわな」
「ホンマ。笑えんくらい、ありがちな話しやな」
同意というより、徹生の説得力に至極納得して、迅三郎までもが頷くように首を縦に振る。
「ま、そんな男ですさかい、要領はからきしで、渡世の世界でも……いや、むしろ渡世やからこそ、出世なんぞとは縁遠い。いきおいあてがわれる仕事も、使い走りみたいなモンばっかりだす」
要領の悪さを論い、いくぶん小ばかにするような含みで、徹生が平吉の出自の続きを口にした。
「ふ~ん」
雁首そろえて二人が同時に頷く。
「そうなると……」
「やっぱ、腑に落ちんなぁ」
少し考えた後、迅三郎が天を仰いで腕を組み、十郎太が唸りながら首を傾げた。
「酒も飲まん、遊びもやらんようなヤツが、何をして川で溺れるねん? あんな堀川、素面で落ちるほうが難しいで」
理由が分からず、何でです? と問う徹生に向かって、「当たり前やろ」と言いながら十郎太が答えた。
「でも、刃傷もおまへんでしたやろ?」
「そこやねん」
それが腑に落ちないのだと、迅三郎が頷く。刃傷はおろか、暴れた形跡すらないのだ。酒を飲んで酔っていたのなら話も早いが、素面では溺れる理由が思い至らない。痣のひとつでもあれば何かに躓いた可能性も考えられるが、骸を見る限りそれもありえない。
「考えれば考えるほど訳が分からん」
「難儀でんなぁ」
あからさまに同情するかの如く、徹生が首を縦に振る。言外に自分は関係ないと吹いているのだが、そうは問屋がおろさない。
「まぁ、分からんモンはとりあえず放置ってのが、世の中の倣いやさかい」
嘯くように明後日の方向を向きながら迅三郎は答えると、「それよか、な」と言いながら強引に話題をすり替える。
「龍神組の輩が、何故こんなところで死んでるのかの方が気にならへんか?」
「そら、溺れたからやろ」
十郎太のとぼけた答えに「違ーうっ!」と豪快に突っ込みつつ迅三郎が肩を怒らせる。
「そんなもんは三つの幼子でも分かるわい。俺が違うって言うのは、やな」
「縄張りから離れたところで、平吉が溺れていた理由。でんな?」
代わって説明した徹生の言に、そうだとばかりに、こくこくと頷いて肯定する。
「ヤクザやいうたかて、用も無いのにこんなところまで出張るほど暇やないやろ」
「それを調べるのが俺らの仕事やろ」
意気込んでいった言葉を、十郎太がにべもなく肯定する。その通りなのだが、こうもあっさり答えられると、力んだ自分がバカみたいだ。
「ま、まぁ、そういうことや」
かろうじて格好を取り繕うと、これ以上居続ける意味はないとばかりに店主を呼び勘定を言いつける。
「全部でぜんざい十杯で、二百文戴きます」
椀を数えて店主が勘定を告げると、けたたましく椅子を鳴らしながら迅三郎が立ち上がった。
「おいおい、煮しまって小豆の潰れたぜんざいが一杯二十文たぁ、どんな暴利だ? この前食ったときは、一杯十六文だったろうが!」
卓を激しく叩き、食って掛かるような勢い。十郎太が背中を押さえつけなければ、本当にねじりこんでいたかも知れない。店主は恐怖に蒼くなりながら「いや、それは」と値上げの理由を口にした。
「砂糖が品薄で、高こうおまんのです。正直この値段でも苦しおますけど、昨日の残りもんやしようけ食べてもらったから、特別に安してますのや」
最後に駄目押しとばかりに、本当ならばぜんざい一杯に二十二文は貰わないと採算が合わないとまで付け加える。
「汁粉一杯が二十二文だと?」
町の甘味処が出す汁粉の相場を越えている。百文も出せば酒一升買えるというのに。半ば法外ともいえる値段に三人は目を白黒させた。
「そんなに砂糖が高いんか?」
「そりゃ、もう」
十郎太の問いに店主が即答する。聞けば年が開けた途端に砂糖の値段が高騰し、去年よりも三割近くも値上がりしたというのだ。
「聞くところによると、不作という訳やないらしいんですけど、物自体が全然こっちに入って来まへんねや」
どうしようもないとの諦めの表情が見て取れる。さすがにここまで切々と言われたとあっては、振り上げた拳を下ろさざる得ない。
「まぁ、そういうことやったら、しゃあないな」
渋々ながらも懐から財布を取り出すと、迅三郎は請求通りに代金を支払った。
貰うものさえ貰えば、昨日の残り物を始末してくれた客に不満などないのだろう。現金な店主はにこやかに「毎度あり」と言うと、早々に奥に引っ込でいった。
「砂糖が入ってこない、か」
空になった椀を見つめながら、迅三郎が唸るように呟いた。店主の手前、仕方がないとは言ったものの、どうにも事態が腑に落ちないのだ。
他の町ならばいざ知らず、ここは天下の台所たる商都大坂である。日本国中津々浦々の産物がやって来るというのに、砂糖が品薄などとは考えられないだろう。
「南蛮船の季節には、まだ早いっすよね?」
「夏を過ぎんとな」
「この時期に出回っているものやったら、奄美の大島糖とちゃうか」
「となると、薩摩か」
なるほどねぇ。十郎太が口にした奄美産に、皆まで言わずとも得心する。
相手が薩摩ならば、この程度の芸当はあって然るべき。隙あらば幕府の裏をかいて、抜け荷はおろか統制までも平気でやるようなお国柄である。儲かるとあらば、砂糖の値段を吊り上げることくらい朝飯前であろう。
「やな世の中になったねぇ」
世知がない話はうんざりと、肩を窄めながら十郎太が両手を広げる。そのまま椅子を後ろにずらし、腰を上げようとした刹那、電光石火の如く迅三郎が右腕を突き出した。
「勘定は割り勘やぞ」
うやむやの内に汁粉の代金を踏み倒そうとした十郎太に向かって、そうはさせじと釘を刺す。目算外れた十郎太がチッと舌を鳴らすが、
迅三郎は構わずに勘定の半分を取り立てた。