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第一章 迅三郎と十郎太 2

「で、ホンマのところ、どないやねん。コイツの見当、ついてるんやろ?」

 生方が消えたところで、口調を変えると、迅三郎は十郎太に尋ねる。生方が土左衛門を腕を掴んだときに一瞬ちらっと見せた十郎太の表情を、迅三郎はしっかりと覚えていたのである。

「お陀仏の原因が溺死なんは、間違いないんとちゃうか」

「おんや、意外。十文字は生方様の見立てを信じるんや」

 心底「意外」といった口ぶり。声色を変えて、目頭を擦する仕草までもがわざとらしい。

 迅三郎が訝るのも無理もない。事務方の仕事ならばともかく、現場での生方の能力が推して知るべしなのは、当の本人以外は衆目の知るところ。見立てを信じるとは、つまり、そういうことなのである。

 しかし、「信じるも何も、他に原因あるか?」とまで言われ、

「あれを見れば、三歳の幼児でも、溺死やって言いよるわな。それとも何か? 迅は、こいつの死因は溺死ではのうて、撲殺とでも言いたいんか?」

 上目遣いに穏やかな口調で食って懸かられると、迅三郎に反論の余地はなかった。

「それは……」

 言葉にできず、言い澱む。

 十郎太の言を素直に認めるのは癪ではあるが、川泥の件といい、刀傷の件にしても、ことこの件に関して、生方の見立ては合理的な説明ができているのだ。どつぼに足を踏み入れてしまったことに、迅三郎は顔を顰めて歯切りした。

「まぁ、確かに。溺死と認めるのも、吝かやない」

 最後の悪足掻きとばかりに、唇を尖らせながら、迅三郎は捨て台詞を吐のだが、

「あらら。素直やないなー」

 案の定、心理状態は完全に見透かされていた。肩を竦めた十郎太に、鼻で笑われてしまう。

 尤も、言われて素直に頷くほど、迅三郎は人間ができてない。

「やかましい。コイツの死因なんか、どうでもええねん!」

 むすっとしたまま文句を垂れ、目を逸らして、顔を明後日の方向に向ける。

「ホンマ、迅は天の邪鬼やな」

 拗ねかたが幼過ぎたのか、鼻どころか目まで細めて、十郎太がニヤついた。

 それがまた、ムカつく。

「うるさい!」

 からかわれているのは分かっているが、小馬鹿にしたような十郎太の物言いに、迅三郎は食ってかかった。

 問題が何か分かっているのに、大事なことをはぐらかすのは、十郎太の悪い癖だ。大人気ないにも程がある。

 実際問題、死者がヤクザ者であるならば、死因などどうでもよい。むしろ、何所の組に属しているかのほうが大事なのだ。

 だというのに、肝心な話を一向にしようとせず、言葉尻を捉えて揚げ足ばかり衝いてくる。さすがに迅三郎も腹に据えかねて、「ええか、俺が言いたいのは」と、言いたいことを言おうとしたら、

「大事なんは生方様の言やないけど、コイツがどこの誰かちゅうこと、やろ?」

 十郎太にあっさりと返されてしまった。しかも「迅は、すぐに考えが顔に出る」とまで言われてである。

 これには、業腹する。

「分かってるんやったら、早よ言え」

 目いっぱい悪意を込めて言い返すが、「そこまでは生方様が言うとったやろうが」と、逆に言われて、ぐうの音も出なくなった。

「なら。十文字は、どう見立てるんだ?」

 不本意ながら、十郎太に手玉に取られたまま。歯切りしながら本題を言い返すのがやっとというありさま。胸くそ悪いといったら、ありゃしない。

 そんな迅三郎の苛立ちを知ってか知らずか、十郎太は骸を見据えたまま「こいつの身上やけど」と落ち着き払った仕草で口を開いた。

「ああいうセコイ彫り物隠しをするヤツ言うたら、龍神組か黒獅子一家の小者やろうな」

「ああ、やっぱり」

 答が予想の範疇内だったのか、さして驚く風でもなく、迅三郎は言葉を返す。

 龍神組と黒獅子一家は、共に大坂で根を張るヤクザの大組織である。主に人足や賭場を仕切る龍神組と、興行や色事に裏の金貸しを牛耳る黒獅子一家。

 どちらも大坂の裏社会に確固たる力を持ち、常に覇権を争っている。両派の影響力は絶大で、後ろ盾を持たない流れ者でもない限り、大坂の地で渡世に身を投じた者ならば、何らかの形でどちらかの組に関わってるといっても過言ではない。十郎太の見立ては、ある意味、当然の帰結であった。

「で、問題なんはな」

 ここで声を潜めて、十郎太は迅三郎を手招きする。

「何やねん?」

 生方は既に奉行所に帰ってしまい、往来に聞き耳を立てる者どころか、人気も何もありゃしない。にも拘らず、迅三郎も釣られて首を竦め、小声で訊いた。

「こんな三下相手に、身元を調べる張り合いなんか、出ぇへんねや」

 骸に向かって何度も指差しながら、やる気なさ気に十郎太が言う。

「そやねんけど、生方様からコイツの身元を洗っとけと仰せつかったやろ」

 土座衛門の調査をしなかったとなれば、生方の不興を買うことは必至。ねちっこい性格だけに、後々まで嫌味を言われるに決っている。

「さあ、そこや!」

「って、どこや?」

「まだ、言うてない」

 調子に乗った迅三郎の頭を叩くと、十郎太は「よう聞けよ」と改めて口を開いた。

「コイツが親分や若頭……そこまで言わんでも、それなりの顔役やったら、死んだだけで大事やで。死因がどうこうに関係なく、一歩でも間違えば町中で出入り沙汰なんてことも、十分にありえるやろ?」

「まあな」

 合いの手を入れるように迅三郎が頷く。親分衆の真意はともかく、どちらもヤクザ者の集団だけに、血の気の多い連中はごまんと揃っている。切っ掛けさえあれば、どんな些細な理由でも、抗争に発展する可能性はあるのだ。

「けど、コイツは、正真正銘の三下。つか、誰か、分からへんやん。しかも、外傷はないし、どう考えても、誤って川に落ちた事故死としか思えへん。そんなんが切っ掛けで、戦が始まると思うか?」

 問われて、迅三郎が唸る。

 殺しならば、何らかの口実に効果もあるだろう。だが、誰だか分からないような三下の事故死では小競り合いの切っ掛けにもなりやしないだろうと、十郎太がぼやく。

「下士の悲哀ってのは、こういう状況を言うのかね」

「言ってることが情けないぞ」

 大仰に両手を広げた十郎太に、迅三郎が突っ込みを入れる。

「せやかて、調べる相手が相手やもん」

 圧倒的に後ろ向き。どちらも大組織だけに、二つの組の末端にまで行けば、舎弟の数は優に三桁に達するのだ。いちいち当たっていたのでは、身元を手繰り寄せるまでに、どれだけ掛かるか分かったものではない。

「言ってることは、分からいではないけどな」

 たとえ三下でも、相手が龍神組か黒獅子一家の配下の者となれば、一応は調べておく必要があるのではないだろうか。まぁ、確かに大変だが、そこはそれ、蛇の道は蛇。その手合いの専門家に任せれば良いだけだ。

「けじめだから、やることはやろうぜ、十文字ちゃんよ」

 からかうように言うと表情を改め、迅三郎は「そんな訳で」と胸元で両の手を拍手するように二度ほど叩いた。

 程なく路地裏から、濃い藍色の着衣を纏った迅三郎の手下、鉤鼻の徹生がぬっと現れた。左腕を袖に隠し、射抜くような目つきの鋭さから、一目でその筋の者と分かる。

 だが、肩をがっくりと落とし、だらだらと歩を進める姿は、凄む目つきに反して、情けないことこの上なかった。

「河津の旦那。あっしは池の鯉じゃないんやから、その呼び付けかたは、止めてくれまへんか?」

 手を叩いて呼ばれたのが腹に据えかねているのか、来た早々、不満たらたらに迅三郎に抗議する。

 尤も、呼んだ迅三郎のほうは手下風情に気にするつもりなど微塵もない。

「何か合図がなきゃ、呼ばれたかどうか分からんやろ。そしたら徹生が困るだけや」と全く意に介さない。

「それよか、仕事や」

 迅三郎は筵を捲ると、徹生に土左衛門の顔を拝ませた。

「コイツの身元やねんけど。徹生。オマエさん、何か知ってるか?」

 前置きは一切なし。単刀直入に迅三郎は身元の既知を尋ねた。だが、徹生は筵に横たわる骸を一目ちらっと見るなり、考える暇もなく首を真横に振る。

「言っときますけど、あっしは娘っ子が専門でっせ。野郎の知り合いなんか、おますかいな」

 黄ばんだ歯を見せて即答する。

 ともすれば、小馬鹿に既知を否定する徹生の言い草に、訊いた迅三郎がムッとする。

「オマエまでも、十文字と同じことを言うか」

「あっしの趣味は、至って正常。野郎に興味なんか、おませんから」

 しれっと徹生は答える。

「興味のあるなしやのうて、俺はコイツの顔を知ってるか? って、訊いてるんや」

 手下をからかうのは良いが、からかわれるのは不愉快極まりない。なまじ徹生が年上だけに、その感は殊更だ。迅三郎は声を凄ませて徹生を諭す。

 しかし、かつては命を張った修羅場で鍛えられた徹生のこと、少々凄まれたくらいでは屁とも感じない。とぼけた表情のまま「さあね」と首を傾げた。口笛でも吹きそうな按配で、頭の後ろで両腕を組む。

 舐めきった手先の態度に迅三郎の苛立ちは募る。

 だが、すぐ傍に十郎太がいる手前、声を荒げることもままならない。結局、同心としての威厳をかなぐり捨てて「頼む」と頭を下げる羽目に陥った。

「手下相手に、情けねぇな」

 横から十郎太が呆れ顔で呟いたが、そんなことに構っていられない。迅三郎は十郎太を睨み付けると、無視を決め込む。

 そんなことよりも、

「頼むわ。ここはオマエさんの顔の広さが頼りなんやから」

 元は〝その筋〟にいた鉤鼻の徹生のこと。ヤクザ社会の実情については、迅三郎が抱える手先の中では随一の顔の広さを誇る。

 しかし、出てきたのは「とは言っても」との曖昧な答え。両の腕を組んで「う~ん」と唸りながら、視線は中空を彷徨っている。

 考えているのではない、値踏みをしているのだ。それが証拠に彷徨う視線は、時折り様子を伺うように迅三郎の方を向いている。面の皮厚く計算し、売り時を考えているのだ。手下風情の嫌になるくらいの露骨な振る舞いに、この野朗という怒りがふつふつと湧き上がるが、ここで暴発させては元も子もない。

「この寒空の中では、口も動かしにくいわな」

 苛立ちを押さえこむと「どこぞに入って、暖かいもんでも口にしよか」と、ご機嫌取りをするように徹生の肩を掴む。十郎太がやれやれと首を振るが、この程度のご機嫌伺いは手下を扱う基本術だけに、しょうがないなと思っているだけ。駆け引きの末奢りを獲得した徹生は、してやったりという表情を隠しながら「ご相伴に預からせていただきます」と神妙な顔を作る。

 狐と狸の化かし合いは、迅三郎の豪快なくしゃみで一旦幕引きとなった。

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