第四章 隠し蔵に裏荷物 2
大川と平行して流れる土佐堀の袂、肥後橋を幾分か越えた辺りに、薩摩藩の蔵屋敷はある。
大坂詰めの武士の他には出入りの商人と人足以外に足を踏み入れぬ処に場違いな農夫婦が。言わずと知れた徹生と月世の偽装夫婦である。
「ねえ、此処?」
周りをきょろきょろと見渡しながら不安げに月世が尋ねる。夫の袖を掴み、上目遣いに見つめる格好は、素性を知っていてもころりと騙されそうになるくらいに、愛らしい仕草だった。
「ちょっと待てや」
制しながら夫役の徹生が懐から懐紙を取り出すと、門に掲げられた表札と懐紙に書かれた文字を見比べる。二度三度と首を行き来して見比べ、書かれた文字が一致したのだろう「うん、此処で間違いない」と鷹揚に頷いて見せた。
「ちょっとでも、ここでお砂糖を別けてもらえるんやろか?」
「タダで頼むんとちゃう。お金を出すんやから、いけるやろう」
月世の問いに徹生が男らしく堂々と答える。ところが、言葉尻が心なしか震えている。自信のなさが声の震えに伝わるのが絶妙なのだが。
「あれが芝居やったら、凄いんやけど」
一歩離れた処から見ている迅三郎の評価は手厳しい。十郎太の問いかけに「いやいや」と小さく手を振ると、「ちゃうから」と即座に演技を否定する。
「徹生は、大根やからな。ありゃ、芝居やのうて、台詞棒読みで単に震えてるだけやろ」
「違いない」
この件に関しては全面的に同意とばかりに十郎太も即座に頷く。大事なのは、ここから後なのだし。
「そろそろ、事を起こすぞ」
くいと顎を伸ばした先で、夫に抱かれた格好の月世が、意を決したように、蔵屋敷から出てきた二人組の蔵詰め武士に向かって「あのっ」と声を掛けた。
「何だ?」
風体からしてそれほど高い身分ではないようだが、相手は夫婦らしき百姓二人。呼ばれた武士は、存分に上から目線で返事をよこした。
「お侍様にお願いがあります。少し……ほんの少しで良いので、大島糖を分けていただけないでしょうか?」
突然の申し出に面食らったのだろう。頼まれた武士二人が声を揃えて「はぁ?」と訊きなおす。
「わたしたち二人は今朝、河内の村を出て金毘羅様にお参りに行くのですが、道中で甘いものを食べようと甘味処に寄ったら、餡子が高くてよう買わんで、お店の人に「何で?」って訊いたら「大島糖が高いから値上げせないかん」て聞いて、それやったら直接、分けてもろたらちょっとは安う食べられへんかなと思うて、船着場に行くのにちょっと寄り道して、お勤めしているお侍様に、こうしてお願いしたんです」
月世の頼みごとを継ぐように徹生がぺこぺこと頭を下げる。話の折々に「すんません」と謝りの言葉が入るのは、無茶振りしている自覚があるのだろう。
当然の如くというか、さもありなん。頼みごとを最後まで言い切る前に、苛立った蔵詰め武士の一人から「やっかましい!」と止めが入ってしまった。
「此処を、どこだと思っとる? 薩摩藩の蔵屋敷であるぞ。そげな物は、市中の店で買い求めろ!」
ドアホと一喝して怒鳴るが、言っていることは至極真っ当な答。
普通なら怒鳴られた時点ですごすごと引き下がるのだが、無知は無敵と言うべきか、あるいは世間知らずの所詮なのか「けんど」と月世が首を横に振りながら、口を開いた。
「お侍さんの仰ることは尤もやけど、わたしら百姓は、そないにぎょうさんのお金なんか持ってまへん。お店で買うたら、金毘羅さんにお参り行けんようになっちゃいます」
どこで入れ知恵されたのか、小売店より前の段階で買えば安く手に入るからと、薩摩の蔵屋敷に来たのだと説明する。
理屈は合っているが、通常、卸商は一見の客などは相手にしない。しかも蔵屋敷は商家ですらない。
付き合わされた蔵詰め武士たちは、無礼な行為に怒るよりも、思いもよらぬ発想と行動力に圧倒されていた。
だが、「売るほどあるんやから、ちょっとくらい」と、延々と食い下がる月世と徹生のしつこさに閉口し、顔色に苛立ちが滲み出してきた。
「くどい! 此処は店ではないと、何度も申しているだろうが!」
蟀谷に縦皺を刻みながら、侍の一人が声を荒げる。月世の器量が良いので、怒りながらも最初の頃は呆れ混じりの口調だったが、今の罵声には、苛立ちから誘う緊迫感が漂っていた。
「でも……」
諦め悪く、月世が粘ると、堪忍袋の緒が切れたのか「まだ申すか」と、もう一人が凄んでみせた。
そろそろ潮時か。
物陰で聞き耳を立てていた迅三郎と十郎太は、互いに目配せをすると、「よし」と頷き合って外に飛び出した。
「待った、待った、待った!」
無礼討ち寸前。血の気の早いほうが刀の柄に手をかけようとしたその時、慌てて駆けてきた風を装いながら、迅三郎と十郎太は右手を大きく振って止めに割って入った。
いきなりの乱入で無礼討ちの気が削がれた隙に、十郎太が月世たちの間に割って入り、迅三郎がすかさず手を合わせると、蔵詰め武士に対して「スマン」と謝罪の仕草をとってみせた。
「この百姓夫婦に冗談半分に唆したんは、俺等なんや」
「まさか、真に受けるとは思わなんだんやけど、誠にもって申し訳ない」
同心の体面として土下座こそしていないが、腰を深々と折り、三拝九拝で詫びの言葉を口にする。
「何、つまらん入れ知恵をしたんや?」
「もうちょっとで、この馬鹿正直な百姓を斬ってまうとこやったぞ」
「いやはや、ホンマに冗談のつもりやったんですわ」
本来ならば同心が他藩の侍に対して頭を下げることなど、まずない。だが、事が事だけに、迅三郎もしても平謝りをするしかない。
十郎太と併せて両手の指で足りないくらい詫びの言葉を口にしたからだろうか、同心を米搗きバッタにしたバツの悪さからか「もう、よろしいわ」と赦す声が聞こえた。
「天下の往来で、これ以上、同心役のアンタ等を非難していたら、こっちが悪者みたいになってしまうがな」
「これに懲りて、学のない百姓にヘンな駄法螺を吹き込むのは、自重してくださいや」
半ば自棄な言い草は、捨て台詞というよりも、振り上げた拳を抑え込むための愚痴のようなもの。連中にとっての落としどころだったのだろう。
「いや、ホント、スマン」
蔵詰め武士に向かって両手を合わせ、最後にもう一度だけ詫びると、迅三郎は月世と徹生の百姓夫婦に向かって軽く手を翳して「オマエ等さんらにも迷惑を掛けたな」と労わりながら、二人を放免してやった。
さて、ここから先が本題だ。今までの茶番を布石に、もう一芝居を打べく、二人は蔵詰め武士に向き直る。
「失礼ついでに、ちょこっとだけ訊くんやけど……」
相手の自尊心を擽りながら尋ねてみると「何だす?」と上手い具合に乗ってきた。
「さっきの百姓の話を蒸し返すんやけどな」
例によって、口火は十郎太が切り出した。
「建前はともかく、俺たちが金を出せば、大島糖を売ってくれるんかな?」
声を潜めて武士の一人に耳打ちする。見た目が大柄で朴訥なだけに嫌味に聞こえないのだが、言っていることは無茶苦茶である。
「言うに事欠いて、何たる事を」
当然のことながら耳打ちされた武士は不快感を顕にし、唆した十郎太を睨みつける。
言った当人の十郎太は「冗談や」と肩を竦めるが、冗談で済むのなら先の百姓にも無礼討ちをしようなどと思わなかったはずで、そもそも質問自体が無茶なのである。
「アホ」と迅三郎がおでこを小突くと改めて非礼を詫びる。と、
「と、言うのが実は建前で」
ぞんざいな口調が一変、今度は蔵詰めの武士のほうが耳打ちするような口調に変わる。
「小袋程度のほんの少しでよいのなら、売ってやらなくもないのだが……」
声を潜めて耳打ちするように話しかける。
「実は……って言う程のことはありゃせんけど。ここん処、蔵に入ってくる大島糖が、めっきり少のうなっての」
「おい等、下士の裁量で動かせる分が、ありゃせんのや」
両手を大きく広げて素っ空漢の仕草を見せると、二人はいともあっさりと横流しの絡繰を披露してくれた。
奄美で収穫された砂糖は薩摩を経由して、此処、大坂の蔵屋敷に運び込んだ後、馴染みの商家に卸して全国に売り捌くのだが、途中損失も少なからずあるという。
公式には運搬中の事故等による損失ということになっているが、実際には流通や運搬の裏工作に、藩には半ば内密に横流ししているのであった。
「要するに、賄賂か?」
「気持ちよく荷を通してもらうための心遣いと言えや」
「つまり、袖の下やな」
彼等下士は賄賂の贈り主から、気持ちよく事を処理するために、これまた賄賂として大島糖を受け取っているという。つまり、賄賂の賄賂を横流しして、彼等は小金稼ぎの内職をしているのであった。
「また、ややこしい絡繰やな」
捻じ曲がった裏取引に十郎太が呆れる。
そもそも賄賂の贈り主に賄賂を贈ること自体不合理だし、受け取る金品が贈った大島糖というところからして、摩訶不思議である。
「素直に金子にしたほうが、よっぽど、すっきりするやろ?」
稚児でも思いつくだろう不合理さを問うと、二人は「それが素人の浅はかさ」と口を揃える。曰く、「そんなことをすれば、直ぐにバレてしまう」と言うのだ。
「考えてもみいや。金子で受け取ったら、バレたときに申し開き出来んやろ」
バレたらこれやと手刀で腹を切る仕草をして見せると、もう一人が「せやけど」と続きを口にする。
「砂糖の現物だったら、小口で持っている限り、何とでも言い訳ができるからな」
なるほど道理だが、いかにもな発想に否定する気はないが、賛同する気にもなれず、適当に相槌をするに留まった。
「手口の件は、まぁ聞き流すとして」
そこに興味があるわけではないので、軽くいなす。
「それよりも」と、迅三郎は世間話の話題を切り替えるかのように、さりげなく聞きたい内容に質問を移した。
「内職もできんほど入荷が少ないって、どんだけ不作なんや?」
迅三郎も十郎太も農政には疎いほうだが、飢饉の話なら噂程度には耳に入ってくる。ここ一年余の記憶を紐解いても、薩摩から不作や飢饉といった情報は入ってこなかったのだが。
「おい等よりも先に、上のほうが内職しとるんや」
探りを入れるよりも早く、蔵詰め下士のほうから諦めの境地で内幕を暴露してきた。
「他言無用やぞ」
守秘義務は当然だとばかりに先に釘は刺されたが、一度でも開いた口は、もはや茹でた蛤よりも緩く、頼みもしないのに、これでもかというくらい詳細に内部事情を語ってくれた。
愚痴が多分に混じっているために、折々に話が大幅に脱線しながらだったが、要約していくと、最近大坂詰めになった留守居役の上士が、私服を肥やそうと積み荷の一部を抜いているという。
「船が着いたら、蔵に降ろす前に水主を使って、別のところに持って行くんや。こっちの手なんか、出る余地もありゃせん」
横流しの現金収入を絶たれたのがよほど応えるのか、最後は愚痴を通り越して泣き言になっている。
「なるほどねぇ。甘い汁は、上の方々に先に吸われてもうた訳や」
同情するような口調で迅三郎が相槌を打つ。上士に美味しいところを軒並み持っていかれたのでは、密告で憂さ晴らしをしても構わないだろう、という心境にもなるってとこなのか。
「それはそれとして」
迅三郎の誘導で良い具合に口が解れてきた頃合いを見計らい、十郎太がさりげなく話題をすり替える。
「横流しする大島糖を別のところに持って行くって。わざわざ別口で抜いてどこに隔すんや?」
飾り言葉もなしに核心を問うと、二人は躊躇う様子もなく「龍神組の蔵に入れていると聞いた」と二つ返事で返してきた。
迅三郎と十郎太の遠慮ないツッコミに二人が顔を渋らすが、核心を突いているだけに反論はしてこなかった。
「聞いたか?」
「両の耳に、しっかと入った」
迅三郎と十郎太が互いに目配せしながら頷きあう。薩摩藩の抜け荷に龍神組が何らかの加担をしていて、その見返りに鉄砲の裏取引があるのではないかと空で青図を描いていたのが、こうも見事に図星だったとは。
「察するに上士の方々は、市中に出回る大島糖の量を抑えることで、値が吊り上がるのを待ってから捌いて、利ざやを着服しようとする魂胆のようやな」
状況を掻い摘んで迅三郎が口にする。
流れを見れば、いちいち説明するようなものではない。だが、低い声で尤もらしく喋ったせいか妙な説得力が付き、蔵詰め武士たちを「おおっ」と唸らせた。
「やっぱり……か」
二人同時に向き合って、深々と頭を垂れて頷き合う。
予想していたのか、証拠の断片を握っていたのかは分からないが、二人には思い当たるところがあるのだろう。憤怒の表情にならないのは、もはや諦めの境地からか。
「最後は金と身分がものを言うんか……」
とはいえ、所詮は同じ穴の狢。横流しの云々には憤りは感じないが、得られる儲けに力の差を見せ付けられて、二人はがっくりと肩を落とす。
同じ下士として同情相憐れむこともないが、これ以上ぐずぐず愚痴の言い合いをしていても、得られるものは皆無だろう。形ばかりの世辞と礼をして、迅三郎と十郎太は薩摩藩蔵屋敷を後にした。




