第2話「ギンの倉庫」
あらすじ
故郷の町に帰ってきたクロは故郷が変わってしまった事に衝撃を受けていた。変わってしまった景色の中に記憶を思い起こしながら、残された風景を探して歩く。そんな中、話し好きの白茶と出会い、ギンと会う事を勧められるのだが――。
日も暮れて腹も減ってきた頃に、まだ付き纏う白茶の勧めに従って、例のギンとやらを一目見ようと見知らぬ硬い地面を歩いていた。
人間の匂いばかりがこびり付いてしまったこの町が、何処までも続いている事を旅を経て知っている。
時折美味そうな匂いがするのが空腹を刺激して不快だった。
「腹ぁ減ったなぁ」
そういう白茶は野良にしてはそれほど痩せていない。
「けどギンさんとこ行けば、腹いっぺぇ食えるからよ」
そういうとトタトタと足を早めて前を歩くようになって、それに従って後を追った。
そこは大きな人間の建物で、人の気配はなく、集会をするには打ってつけの場所だった。
入口は小さく割れた壁で身を低くしなくては入れないような大きさで、中に入ると直ぐにそれこそ身を縮めないと入れないような太った猫が一匹一匹を見下ろし確認しているようだ。
そして、その視線は俺に向いて固定された。
「よぅ」
白茶が目を細めて言うが、太った猫の視線を俺に向いて離れない。
「そいつは?」
「この町の新参者で、ギンさんに会わせてやろうと思ってよ」
「そうか」
口数の少ない太った猫と白茶の短い会話が終わると、その視線は離されて先を進む白茶の揺れる尻尾の後を追った。
「おうお前か」
建物の奥へと進むと、先ほどの太った猫よりも一回り大きな肥満猫がその重い体を床に投
げ出して座っている。
「こいつがギンか?」
耳元に囁いて訊くと「いいや、この人はその片腕さ」と白茶が答える。
その後は肥満猫と白茶が適当な世間話などを始めていた。
肥満猫の周辺にも既に5、6匹が集まっていて、それが順調に増えては寝そべるなり、世間話などを好き勝手に始めているのだった。
「おいでなすった」
少し時間があって、白茶が嬉しそうに短く言うのと同時に、他の者達のざわめきも止んで、一匹の足音に集中した。
「よう。みんないるか?」
そう響く声で言ったのは、名にも勝る程見事な銀色の毛をした男だった。
スラリと伸びた足と尻尾が薄暗い中でも光っているような見事な毛並みは、歩くたびに夏の草原のように揺れて全ての者を引きつけていた。
「あいつがギン?」
そう白茶に訊いたつもりだったが、悠々と注目を浴びて道の真ん中を歩いていたギンの視線がその言葉で向けられた。
「新顔だな」
お互いの視線は絡み合う。お互いが相手の全体を見てジッと動かなくなった。
「こいつぁこの町に来たばかりの新参もので――」
茶白が慌てて場を濁そうと取りつくろうが、ギンの視線は向けられたまま、恐ろしい程に澄んだ蒼い目がスゥっと縦に細まって体の内側を見ようとしているのがわかった。
「名前はなんていうんだ?」
その言葉で場の緊張が強まる。それは多くの猫に対して侮辱に使われる言葉だった。
猫などに名を付けるのは人間だけで、名が付いているという事は、人に懐き、媚びて生きていると主張するのと同義であるからだ。
「クロだ」
だが、クロはあっさりとそう名乗る。その言葉は降伏を意味するのかと思われたが、クロの目は一瞬たりともギンの目から離れる事はなかった。
「あぁそうか、クロか。俺はギンっていうんだ」
そう言うとギンは魅惑的な瞳をゆっくりと閉じてから、再び悠々と中央の方へと歩き出す。
全員がその様子をジッと注目をし続け、ピタリと中央に止まり、
「よし、飯にしようか。新入りも歓迎しなくちゃな」
そう、ギンが宣言した。
すると、いつの間にか敷き詰めるように多く集まっていた者達がわっと一点を目指して駆けだした。
その数は二、三〇ほどであって壮観とも言える。
「急がねぇと喰いそびれますぜ」
白茶がそう言うと、群れの後に続いて駆けだす。
遅れて後を追ってみると、
何か夢でも見ているのではないかと思えるような光景が目の前に広がっていた。
倉庫の裏には肉や魚、それに人間が作る缶詰までが広げられ、集まっていた者達が押し寄せてまるで母から乳を貰うように食事向かって飛び込んでいた。
それは、人間の祭りや宴のようだった。
「しかし、さっきのはヒヤっとしたぜ」
さっさと食事を終えたらしい白茶が、隅っこで余り物を漁っている所にやって来る。
「すごいな」
率直な感想を口にする。
「ギンさんがやって来る前は酷いもんだったが、やってきてからはその生活が逆転したよう
なもんさ」
目の前の缶詰を一口舐める。新鮮で確かな食べ物だった。
「これだけのものをどこから集めてくる?」
これだけの量を集める方法は見当もつかない。
「さぁな、ギンさんが一部の若い奴らを使って集めてるって話だ」
単純に考えられるのは略奪か、それとも人間がここに大量に食事を置いて行くのか、どれも現実味に欠けている。
「ここにいる連中は、この町の者なのか?」
宴となった位置から少し離れて、夜の木陰の下に移動する。
「いんや、結構遠くから来てる奴もいるぜ。ここにいる連中ってのは所謂『同志』って奴らだからよ」
「同志?」
それは初めて耳にする言葉だった。
「言っただろう、この辺りは面倒な事になってるってよ」
白茶の話は先刻の話半分に聞いていた話に繋がっていた。
つまりは、この新しく作られた町の縄張り争いなのだった。
この町にいた連中は町の開発と同時に行き場を失い、生き残りを賭けた争いが絶えなくなっていた。
繰り返される衝突は今まで安定した食事を得られていた者でも、食う事に困るようになり、争いに敗れて路頭を迷い歩き餓死する者も少なくなかった。
その中で生き残るために地元で発生しつつあった小勢力を力でねじ伏せようとしたのが、昼間の『良い場所』に現れたボス率いる一派であった。
彼らは他の者達の居場所を奪い、従わぬ者達を追いやる事で勢力の拡大に成功していた。
「あいつらは人間を毛嫌いしてよぉ、人間から食い物を貰っている所を見つかりでもしたらひでぇ目にあう」
若く力のある者なら自力で食事を得る事は出来るが、狩り場を得られなかった者や、幼く弱い者達はそれでは生きられない。
「そんな中、弱い奴らを救うギンさんが現れたってぇわけだ」
ギンという猫は突然この町に現れ、そのカリスマによってあっという間に『同志』とやらを集める事に成功し、その勢力はボス猫の一派と引けも劣らないものとなっていった。
いつしかそれらの勢力は必然的に町を二分するものとなり、彼らにはそれぞれ旗に掲げる言葉が生まれた。
「我らは、人間共存派」
対するボス猫一派は野生回帰派。
「あいつらは無茶苦茶だ。人間達から離れて野生に戻れだなんて言う。しかし、そんな事ぁ誰もできねぇって分かってる。何処に行ったって野生なんてのはないんだからよぉ」
これら考え方の対立は、何か根本から崩れてしまうような危険性が感じられた。
しかし我々にとっては解決しなくてはいけない問題である事は明白であった。
今や生きる事を保障されている猫は全て、人間の管理下にあるのは誰であってもわかりきっている事だった。
後は、それをただ受け入れるのか、それとも抗い続けるのか。その違いだった。
「最近は飼い猫は人間の家から出てこねぇ、まだ子供だったり弱ぇ奴らはこうして夜中に集まって飯を食いつないでるってぇわけだ」
現状、この勢力同士の争いは、水面下でのけん制のし合いが続けられ、表面上、特に人間などという能天気な生き物達には気付かない程に安定しているかに見えた。
「このままでも生きてはいけるが、ゆっくり昼寝もできやしねぇ」
しかし、このまま両勢力の規模が拡大し続けたまま睨み合いが続くのであれば、何かちょっとしたキッカケで、薄氷の張った池に石を落すように見せかけの安定は崩れてしまうだろう。
猫の大群が向かい合って睨み合う姿などは長い旅の中にあっても見た事はない。
想像してみて身の毛が弥立つ思いがした。
「だが、それももうすぐ終わるさ」
いつの間にか、ギンがすぐ傍に座っていた。
「いや、始まるとでもいうのかな……」
ギンは心底楽しむ風に、それでいてその声は密やかに、氷のように冷たく言う。
「何が――」
ガシャン!
突然何かが倒れるような大きな音と悲鳴が一帯に響いた。
反射的にその場を注目すると、その光景に息をのんだ。
建物の壁に立てかけられていた長い棒の束が倒れて大きな砂埃を立てている。
「あ、あぁ……」
倒れた場所はまさに宴の中心だった。
巻き込まれなかった者達は一目散にその場を離れ、全ての者達が辺りを警戒していた。
スンッと、息を吸うと血の匂いがした。
「ニャアァ……」
倒れた棒の下から弱々しく短い声が聞こえた。
しかし、幾ら待っても次の声は聞こえなかった。
寸前まで騒がしく、賑やかだったその場がシンと静まりかえる。
まるで、空気も、生き物も、時間までも、全てが凍ってしまったようだった。
作中解説(間違いがあったら教えて下さい。お願いします。
・夜の集会の話です。猫は夜に集まって同じ狩り場を共有する者達との意思疎通を図るといわれています。
・作中で「居場所を失った」というのは開発によって減ってしまった、寝床や狩り場の事です。
・実際猫はそんな好戦的じゃないです。人懐っこく、極力喧嘩も相手を傷つけないようにします。捕食に関しては別ですが。




