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「一番上」

掲載日:2025/12/18


【四十一歳の私の回顧録】


四十一歳になって、初めて文字を書く気になった。

日記ではない。

これまでの人生を、まとめてしまおうと思った。


誰にも聞かれなかったから、

誰にも話さなかった。

だから、今さらだけど書く。


あの頃、私は十五歳だった。

妹と弟の面倒を見ていた。

母は忙しく、父は家にいなかった。


保護者の欄に自分の名前を書くことに、

疑問を持たなくなるのは早かった。


「お姉ちゃんなんだから」


それは、断れない呪文だった。


進学の話は出なかった。

弟の塾、妹の制服。

必要なものは、いつも私より先にあった。


泣きたかったけれど、

泣く時間がなかった。


働き始めて、仕送りをした。

当たり前だと思っていた。


妹の学費。

弟の生活費。

親の足りない分。


助け合っているのだと、

思い込んでいた。


妹が結婚した時、

結婚祝いを出した。

弟の時も、同じように。


式で二人は、両親に感謝した。

私は拍手をした。


あの封筒に書いた名前を、

誰も見なかった。


三十二歳の時、偶然知った。

仕送りをしていたのは、

私一人だった。


誰も、

私が支えていたことを知らなかった。


知らなかったのではなく、

考えたことがなかったのだと思う。


疲れていると言うと、

「長女なんだから」と返された。


親は老後の話をした。

妹と弟は、

「お姉ちゃんが見るべき」と言った。


私は、

消えたいと思った。


死にたいのではない。

最初からいなかったことに

してほしかった。


泣こうとしても、

涙は出なかった。


だから私は、

逃げることにした。


これを書き終えたら、

ここを出る。


私が私でいられる場所へ行く。


―――


(その後)


長女と連絡が取れなくなって、

家族は彼女のアパートを訪ねた。


部屋は静かだった。

家具は最低限。

生活を終わらせる準備だけが、整っていた。


机の上に、ノートがあった。


母は読み始め、途中で泣いた。

父は最後まで読まなかった。


妹は結婚祝いのくだりで顔を伏せ、

弟は「知らなかった」と言った。


しばらく、沈黙があった。


最初に口を開いたのは父だった。


「……で、これからどうする?」


母は、

ノートを抱えたまま言った。


「仕送り、止まるのよね」


その言葉で、

部屋の空気が変わった。


妹が言った。

「私、子どももいるし……」


弟が言った。

「俺だって余裕ないよ」


母は視線を上げずに言った。


「でも、誰かがやらなきゃ」


父はため息をつき、

弟を見た。


「お前、男だろ」


弟は黙った。

妹は小さく首を振った。


「お姉ちゃんがやってたから、

 できてただけでしょ」


誰も、

彼女がどう生きていたかは口にしなかった。


話題は、

金額と回数と、現実的な負担だけだった。


母は言った。


「老後のこと、考えなきゃ」


妹は言った。


「施設とか……」


弟は言った。


「それ、誰が払うの?」


ノートは、

いつの間にか机の端に追いやられていた。


泣いていたのは、

読んでいた時だけだった。


生活の話になった途端、

涙は止まった。


彼女がいなくなった理由より、

彼女がいなくなった後の不便さの方が、

この家族には重かった。


帰り際、

母はノートを持って帰ろうとした。


「大事なものだから」


そう言って、

バッグに入れた。


それが、

最後に彼女から受け取ったものだった。


彼女はもう、

仕送りも、

世話も、

期待にも応えない。


困るのは、

残された人間だけだった。

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