月之編
祖志継家を追う者達には、大事件に隠された物語があった。
冬休み明けの宮城県船槻高校、2年2組では濃灰色の制服に身を包んだ生徒達が転校生に注目していた。
「大崎更進から来ました、桑針美菜です。えーっと……よ、よろしくお願いします」
この辺りでは見かけない茶色のセーラーブレザーがどこの制服か、しか分からない自己紹介だったが、学年中に衝撃を与えるには十分だった。
「大崎更進って、あの!? あの話マジなら、なんか知ってっかな!?」
休み時間、チームメイトから話を聞いた月紘が浮き立った。
大崎更進高校といえば3ケ月前、祖志継家への復讐が引き金となった事件が発生した所だ。インターネット上でも一悶着あったというが、校則でSNSを固く禁じられている船槻高校生はその詳細を知らない。
昼休み、月紘と彼の友人である涼尚、美咲は美菜を探し始めた。
「桑針ちゃんの話次第じゃ、俺達が月の若人になっかもな!」
ここで、月紘のいう〝月の若人〟について触れておこう。
それは旧制中学時代からの船槻高校の伝統で、卒業後も活躍が期待される生徒をそう呼び一目置く事である。かつては生徒会長と応援団長を指していたが、現在は役職不問で校内のスターに与えられる称号となっている。
現状、いつも騒がしい2年生に候補者が複数人おり、野球部のエースである月紘もその1人なのだ。
「噂通りだねぇ。ここも、2年生が賑やかだ」
来客らしき老紳士が月紘達に声を掛けてきた。
「そうっすね〜……あ」
月紘は老紳士の顔を見て彼の正体を思い出した。よく備品や本を寄贈しに来るこの卒業生こそ、祖志継家の当主である一助だ。
「また来たんすね。行くぞ」
月紘達はそそくさと一助から離れた。
彼ら在校生やOB・OGにとって祖志継家——特に一助、二助、壱良は「船槻の恥」である。その一方で月の若人として名前が残っており、長年母校を慮る彼らを邪険にする事も難しかった。
そして今は美菜の捜索が先だ。
間もなく月紘は美菜を見つけた。
「おっ、居た居た。桑針ちゃ〜ん……って、あれまぁ」
美菜は四日市場とゆき、その友人達に囲い込まれていた。
「悪いな松ヶ越、桑針さんは俺達の仲間だ。お前も、桑針さんから更進であった事聞くつもりだった」
「あのさ!」
美菜が四日市場の話を遮った。
「うち、更進の話したくないんだわ。じゃ!」
美菜は四日市場達から離れると、心配して来たのであろう2組の女子達に駆け寄った。その内の1人が美菜を抱き締めて頭を撫でる。
「お〜よしよし、怖かったねぇ。2組のゴリラ達がごめんよぉ」
「四日市場ぁ、デリカシーない奴は嫌われるぞ〜!?」
2組の女子に野次を飛ばされた四日市場は気恥ずかしそうだ。
「……正直、みさも桑針ちゃんそっとした方いいと思う」
「おっしゃる通りです」
月紘と涼尚、四日市場も口を揃えた。3人共美咲には頭が上がらない。
首を垂れている月紘達の横を誰かが猛スピードで通り過ぎた。
「待ってー!!」
梅沢だった。彼女は美菜達2組の女子を追い掛けていた。
「梅沢!」
ゆきが梅沢を呼び止めた。
「だって、あの子が聡君の事」
「はい出た、彼女面〜」
4組の強気な女子達が割って入る。
彼女達によると梅沢は、美菜が聡君こと上川名を誘っていると思い込んでいるそうだ。
「てか付き合ってもないのにね〜」
4組の女子達が梅沢を嘲笑う。
「待って、上川名来たんだけど」
4組の女子達の1人がこちらに駆け寄る上川名を指差した。
「桑針さん! 祖志継家の事、僕にも教えて欲しいんだ!」
「空気読めー!!」
4組の女子と四日市場らの友達数人が上川名に突っ込んだ。
「祖志継家の事!? ……や、でもなんで」
月紘に疑問が生じた。なぜ月の若人候補ではない——目立つとしても梅沢がご執心であるだけで、祖志継家の被害者だった噂もない上川名が彼らの情報を得たいのか。
月紘の疑心を察したのか、上川名が薄ら笑う。
「僕、祖志継家なんだ」
上川名が声を発した瞬間、美咲とゆき、2組の女子達が美菜を上川名から遠ざけた。
「桑針ちゃん、行こ!」
「上川名、次桑針に近寄ったらシメる」
その場に残った月紘と涼尚、四日市場達は上川名を睨んだ。梅沢は蚊帳の外だ。
「……言葉が足りなかったね」
上川名が弁解した。
趣味である先祖研究の結果、天涯孤独だったはずの曽祖父が祖志継家の出であると発覚したそうだ。正月に集まった親族からはさらなる情報を得られず、ちょうどいい所に転入してきた美菜に話を伺うつもりだったらしい。
「——桑針さんの地元にも、祖志継家から離れたがってる分家の人が居たみたいだから」
「分家? っていうか分かんないけどぉ……うち、祀陵の友達から」
「嘘はだめだよ〜?」
4組の女子達が梅沢を黙らせた。夏休み明け、梅沢が祀陵高校で発生した〝仙台息女事件〟について「祀陵の友達から聞いた」話として虚言を吐き散らしていた事は月紘もよく覚えている。
「嘘じゃないもん!」
「じゃ、その友達って? うちも祀陵に同中居るから聞いてあげるけどぉ?」
梅沢と4組の女子達が言い争う。
「一旦その話ストップ〜」
月紘は思わず姿勢を正した。小学校からの同級生では美咲よりも抗しがたい、船槻高校初の女子生徒会長かつ月の若人最有力候補、みほのお出ましだ。
「梅沢ちゃんの話、ほんとなんだな」
「は!?」
みほの一言で4組の女子達が目を見開いた。
彼女の説明によると、以前梅沢が喋り回った話——祀陵高校におけるスクールカーストや教師達が逆らえない問題児の存在は真実であり、既に世間で知られているそうだ。また、祀陵高校には仙台息女事件以前から祖志継家と関わっている生徒がおり、その一部は情報源として名前を出される事を嫌っているらしい。
「だから、梅沢ちゃんが嘘つきって話訂正しといてくれる? 嘘つきだって騒いでたでしょ?」
4組の女子達はみほに反論できないようだ。
月紘の記憶では、あの時も真偽を確かめる前に4組の女子達が「梅沢の虚言癖」「構ってちゃん」と声を上げていた。
「私もそんなドラマみたいな事ある? って思ったけど、本当にあったんだよ。梅沢ちゃんが注目されてムカついたんだと思うけど……信じられないなら、同中に聞いてみなよ」
4組の女子達はみほに言葉を返す代わりに、梅沢に「ゆうまなだけに言えっつうの」と悪態をついて去っていった。
「ゆう君達も、上川名君も、モテるって大変だね〜……そうだ」
みほが四日市場に目を向けた。
「ついでに。四日市場君ってさ、松ヶ越君とはなんのライバルなの? 月の若人以外にもなんかあるでしょ?」
みほの質問に対し、四日市場は顔を赤く染めただけであった。月紘には心当たりがあったが、予鈴とテストのせいにして何も言わずに教室へ戻った。
放課後、月紘と涼尚は立ち話をする美菜、美咲、ゆきを見掛けた。
「上川名の事、美咲さん達にも話さないとな」
「そこは四日市場に言わせてやろ〜て、なんだありゃ」
月紘は校門の外側に立っている女の姿を捉えた。手ぶらで、路肩に車を停めてもいないので、予備校のチラシ配りや保護者ではなさそうだ。
女は美菜と美咲が校門をくぐると、2人に近寄った。
「怪しいな、行くぞ」
月紘と涼尚は走り出した。四日市場が並走し、ゆきも美菜達の元へ引き返す。
「なんの用です!?」
ゆきが美菜達と女の間に割って入った。彼女によると女は、地元で事件を起こした先輩のお母さん——来代の母、忠代である。
「こ、更進の子が来たって聞いて」
「だから?」
美菜が忠代に噛み付いた。
「うち、お父さんの仕事の都合でこっち来ただけなんですけど。更進だって好きで入った訳じゃ」
「なんの騒ぎだー!?」
野球部、ラグビー部の顧問が駆けてくる。
「お、お義父さん長居してないかと……お邪魔しましたわ」
忠代はタクシーを手配しながら立ち去った。
「……桑針、一応1人で帰らないで。あたし達が」
「1人でいいよ。ゆきちゃん達、祖志継家に関わんじゃん」
美菜がゆき、月紘達を拒絶した。
その後のゆきの強い説得で、美菜は2組の男子3人と下校した。美菜の近所に住む1人が自宅まで送り届けた、と翌日、四日市場が美咲を介して報告してくれた。
また、四日市場によると、美菜は彼らと必要最低限しか交流しない女子のグループに入り、部活動もその子達に合わせて決める事にしたらしい。
みほがあの騒動を収めてくれた事に加え、祖志継家や月の若人よりも関心を集めた話題があり、月紘と涼尚の周りは静かになった。
1ケ月経ち、バレンタインデーの朝。月紘の机にチョコレート菓子と手紙が置かれていた。
「っしゃ!! 4つ目〜」
「家族からの入れてだろ、ずるいぞ……俺にもあった」
涼尚の机にも月紘と同じ物があった。
「よかったな〜……桑針ちゃんから?」
月紘は手紙を読んだ。
『昼休み学食来てね ついでに義理チョコです(笑) 美菜』
昼休みの学生食堂には月紘と涼尚の他に四日市場、上川名、ゆうまな——ゆう君こと遊茉、彼の相棒である学仁が集まっていた。
「お前らも? どういうこっちゃ〜、乙女心分かりませんわ」
「お姉さん2人居て、俺よりチョコ貰えてるのにか?」
「うっせ!」
月紘と涼尚がじゃれ合っていると、みほが美菜、美咲、ゆき、梅沢を従えて現れた。
「美菜ちゃんに頼んで正解! チョコで釣るとは思わなかったけど」
「ちょうどバレンタインだったしさ〜」
みほの発言からして、月紘達を招集したのは彼女だろう。月の若人候補とそれに近い2年生が一同に会したからか、居合わせた生徒達がざわめいている。
月紘達は同じテーブルを囲んだ。
「それじゃ、さっそく話そっか……みんなの月の若人と祖志継家への気持ち、私と美菜ちゃんに聞かせてよ」
みほが口火を切った。
「こっ、ここでっすか?」
月紘は声を震わせた。
「そ……って、男子みんな硬いよ? ここで月の若人決まる訳じゃないから、かしこまらないで〜」
みほはそう言ってくれるが、月紘にとってはここで一生が決まってしまうような感覚だった。2年前に受けた推薦入学試験の面接の記憶が蘇り、手汗が吹き出る。
「つっぴー言わないなら、俺達から言うね!」
遊茉が音頭を取った。彼と学仁は地元の先輩が月の若人であった事、祀陵高校に進んだ友人が祖志継家の賛同者と闘っている現状を語った。
「お前らが言ってる賛同者って、下 愛留っていう子か?」
四日市場が遊茉に尋ねた。
「よっち正解! 知ってんの!?」
「あぁ。中1まで地元に居たんだ……松ヶ越か上川名、先話せるか?」
四日市場は愛留の話題に反応したものの、心の準備は整っていないようだ。
月紘は涼尚と目を合わせ、みほと美菜に視線を戻した。
「俺は、涼尚と一緒に〝ヒーロー〟になりたいんだ」
月紘は野球部のエースだけではなく、祖志継家を倒したヒーローとして月の若人に選ばれる事を望んでいた。
彼の理想のヒーローとは父である。父は警察官として様々な事件にも携わり、テレビの中で犯罪撲滅を訴える事もあった。その姿が月紘にとっては世界で1番かっこいい、憧れなのだ。
また、祖志継家の悪事について——1年生の時のクラスメイトからは〝宮城県中学生2人殺害事件〟で後輩を亡くした事と同級生達のその後、美咲からは従妹の彼氏が仙台息女事件の当事者である事を教わっていた。
「——白石の奴らも、葛岡とやらも、仲間と一緒に戦ってんじゃん? 俺にとっては、それが涼尚って訳。野球と一緒で、涼尚とじゃなきゃ勝てねぇって思ってる」
「ってかこいつ、昔から俺居ないと駄目なんだわ」
「それは2人共でしょ〜?」
美咲が月紘と涼尚を茶化した。
「次いいかな?」
上川名が声を上げた。
「ここに呼ばれたって事は、僕も月の若人の候補に入ったと思っていいのかな? そうだったら嬉しい」
幼い頃から周囲とのズレを感じていた上川名は、中学校まで差別に近い待遇を受けてきたらしい。その為月の若人にノミネートされただけでも認められた気がするという。
彼は自身の過去に続き、曽祖父について改めて語った。
「そうだったんだ……四日市場、そろそろ話せる?」
ゆきが四日市場の様子を伺った。
「……逆に厳しい」
「四日市場君〜?」
「よっち〜?」
みほと美菜、遊茉が四日市場にプレッシャーを掛ける。
「……好きな子が居るんだ」
四日市場が想いを打ち明けた。
「その子がある月の若人になれそうな奴と仲が良いから、そいつを抜かしたかった」
(知ってる)
月紘は四日市場の想い——美咲への恋に気付いていた。
(後で家近いだけだから気にすんなって言ってやろ)
それが1つ目、と四日市場の話は続く。
彼の友人達もまた、祖志継家の被害者であった。特にゆきは宮城県中学生2人殺害事件でクラスメイトを失い、小学校以来の親友が転校した。
「——だから俺も祖志継家は倒さなければいけないと思ってる。祖志継家だけではなく、便乗して変な騒ぎを起こす奴も一緒だ」
(さっき言ってた子とかね)
月紘はうんうんと頷いた。
「……うちも?」
美菜が青ざめた顔で懺悔する。
彼女と「友達だった」女子4人——台町、果穂子、実貝、あおいは大崎更進高校での事件当時、犯人を探していた伸葉探偵団をからかったり、事件を利用してグループの中で立場が弱かった台町を仲間外れにしたりしていたそうだ。それに対して美菜達を嫌っていたらしい真犯人の冬美は、彼女達に濡れ衣を着せる為にSNSで名前を晒した。そこから美菜のアカウントが炎上し、父が経営する会社にも被害が及んだ。
「——お父さんの仕事の都合ってのはこういう事。伯母さん家の近くにSNS禁止のとこあるからって」
「澄那ちゃんのお爺ちゃん達が卒業生だったの知らないで来たんだ」
引き続き、美菜が月の若人候補者に歩み寄った経緯を話す。
彼女を転校させた父も、船槻高校と祖志継家の関係については感知していなかったそうだ。しかし、先日電話した際に「せっかくだから祖志継家の1人や2人捕まえて社会貢献してみなさい」と勧められたという。
美菜は父の提案を無茶だと思っていたが、来校した一助を何度か目撃したり、家庭科部で出来た友達から宮城県中学生2人殺害事件について聞かされたりして、祖志継家が存在する限り関わる「運命」だと考え直したらしい。
「——でも、ここで倒されるしか」
「桑針さんは違うよ?」
「鈴茶から全部聞いてんだよね」
四日市場とゆきが美菜に優しく声を返した。
編入試験を受けに来た彼女に出くわしたゆきは、小学校以来の親友——鈴茶と、美菜に関する情報をやり取りしていたようだ。
「更進だって好きで入った訳じゃない、っていうのも実貝って子に合わせたんだろ?」
四日市場が問い掛けると、美菜がぬかづいた。
彼には過去の美菜と似た状況に陥っている妹が居るらしく、彼女を責める気は最初からなかったそうだ。
「だから桑針さんは大丈夫……俺の話はここまでだ」
「祖志継家に対しては、みんな同じ気持ちってとこだね」
みほが微笑んだ。
「私も、祖志継家倒して今の代で終わらせたいんだ」
みほの一族——柴田町内有数の旧家と祖志継家には歴史的な因縁があるらしい。
「月の若人もね、お爺ちゃん、パパと叔父ちゃん、お兄ちゃんもなったから、私もならなきゃって思ってる……だから誰か1人じゃなくて、みんなでなっちゃわない?」
みほの提案に観衆がどよめいた。
生徒の中には月の若人について「いっそ投票とかで決めちゃえば」「祖志継家を倒した奴こそ月の若人だ」と主張する者がおり、生徒会への意見としてみほの耳にも入っていた。
彼女は大きな仕事のない今の時期を利用して、これまでどのように月の若人が選ばれたのかを調べていた。そこで一時期コンテストが行なわれた事、面白半分で選出された一助が校内外での悪事を正当化する原因になった事を暴いたという。
「その反対で、祖志継家を倒したい人が月の若人を名乗ればいいと思うの。あれ自体今と昔で意味違うしね」
「船槻のヒーローチームにするって事っすね!」
月紘は目を輝かせた。
「それいい!! めっちゃかっけーじゃん!!」
遊茉を筆頭に、他の月の若人候補達もみほの話に乗った。
バレンタインデーの昼休みの船槻高校学生食堂での出来事——後の〝2.14船槻改革〟は月の若人の定義を正式に変えたも同然であった。
これまでは限られた者にしか認められない肩書き、称号であったが、祖志継家と戦う意思があれば船槻高校生の誰もがなれる事から2年生の大半と、宮城県中学生2人殺害事件のあった中学校出身の1年生が名乗りを上げた。
2月末、一助と忠代、一助の妻である順江が船槻高校を訪れた。今回はやけに荷物が多い。
「来ましたね」
月紘と涼尚は一助らと対峙した。
「君達は……野球部の主力と言われていたかな」
「それだけじゃないんだな〜」
美菜が躍り出た。
「先輩、一言言わせて下さい」
月紘、涼尚と美菜は息を吸った。
「祖志継家は月の若人が倒します!!」
一助は目を細めた。
「君達の活躍が楽しみだなぁ……新3年生、頑張りなさい。それからねぇ——」
——一助の言葉は月の若人、彼ら同様に祖志継家を追う高校生達を震撼させた。さらにこの数日後、祖志継家は再び全国に衝撃をもたらすのであった。