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私と逸脱した愛を語ろう。

作者: ねむねむ

 精神病院の施設の中で、私は呼吸をしていた。真っ白な壁に囲まれて窒息しそうな清潔さの中、薄い青緑色のブラインドが遮る光。朝日というには少し薄暗い中、ブラインドを上げて寒いくらいの室内の空気を吸う。


 「ああ…煙草吸いたい…。」

 あの鼻いっぱいに広がる煙が私を満たす瞬間が、至高の慰めの時間なのだ。白というには鮮烈なオレンジ色に見える蛍光灯の光。眼鏡をかけずに寝転んだままで、ぼやけてほぼ何も見えない視界。外からは鳥の鳴き声がする。

 ユーツベに入った音楽リストの歌を聴く。物悲しい歌だ。ただの一方通行の恋だったはずなのに、病的な愛へと変わるその移り変わりの時を綴るような歌詞の歌だ。

 …煙草の煙の匂い。それを吸う彼の太くて節張った指。その隣でしゃがみ込んで、苺の味のするガムを噛む子供の私は、未だに子供のままなのか18になったから大人なのか?そんなことを考えながら彼の隣で噛んだ煙臭い甘い苺味のガムはやたらと甘くて、彼の吸っている煙草の煙が目に沁みる。甘すぎるくらいに甘くて咽せたそれの味を、未だに鮮烈に香りで覚えている。

 お母さんが差し入れで持ってきたクラッカーのお菓子は、薄い塩味がするのみで全然美味しくない。サクサク感は心地いいけれど。お母さんからは、ヘビースモーカーの彼の隣で副流煙を吸いすぎている私には、これくらいが丁度良いのだそう。私は全然そうは思わないけど。

 「会いたいよ……。」

 彼に会いたい。目元にまでかかる薄い茶髪が太陽光でキラキラと黄色っぽい色に変わるのが私は好きだ。彼の背が高すぎて毎回見上げるのに苦労していた隣で、彼と話しをしたい。

 ベッドに寝転びながらサクサク食べるスコーンは、今日替えたばかりのベッドの新品のシーツに、幾つもポロポロこぼれている。このスコーンには苺ジャムが欲しい。いつだって苺の味は私を満たしてくれるから。

 ああ、会いたいなぁ…。今すぐ、この部屋の扉を開けて飛び込んできてくれないかな。その場でいっぱい抱きしめてもらって、いっぱいキスをしたい。ここを出られるまであと一月。…クリスマスには、間に合うか間に合わないかの瀬戸際だ。

「…ここを出たら直ぐに美容院に行かなきゃ…、。」

 ブリーチした金髪は傷んできているし、地毛の色がかなり出てきてプリンヘアになってしまっている。こんな姿で彼と年末年始を過ごしたくない。


 その日の夜、夢を見た。彼がこの部屋に出てくる夢。…こんな酷い髪色も彼は綺麗だと言ってくれて、いっぱい私を抱きしめてくれる夢。


***


「あんな男と結婚したのが、人生最大の過ちだわ。」

 お母さんの口癖がこれ。

「酒癖が悪くて女癖が悪くてギャンブル依存のくせして、あんなでっぷり肥えるまで食べているあんな男の何がよかったんだろうね。過去の私は。」

お父さんはすぐ隣の部屋で聞こえないふりをして、焼酎をあてにしてぶりを食べているだろう。こんな薄い障子の先だ。聞こえているに決まっている。

 黒猫のタマが障子をまた破いた。あいた穴からお父さんの後ろ姿が、肥えた背中が見える。

 「……ねぇ、あんた、佐藤くんとはどうなったの?」

 「ん…ぐっ…、。」

 思わぬ言葉に咽せた。

 「…あ〜…っと…、うん。告白…したよ…。…友達だって言われた。」

 「へ〜…。まっ、嫌われてないだけマシよマシ。」

 お母さんからの無理矢理な苦しい肯定が辛い。…お母さん、小皺増えたなぁ。パートの仕事の人間関係難しいって言っていたもんなぁ…。

 「…で、あんた、いつまで無職のつもり?」

 「……迂闊に前の職場を辞めたのは反省しております…。」

 「なら、頭下げてもう一回雇ってもらって…、。」

 「それは嫌っ!!」

 ばんっと無意識に机を叩き、私は身を乗り出してそう叫んだ。…あ、やってしまった…。

 「…そんなに嫌?」

 手の平がやたらと鈍くひりつく。きっと充血している。…私は、泣きそうな顔を自覚しながら頷いた。

 「佐藤くんの側にいる女…あいつのせいで、私は、あのバイト先にも居られなくなった…。でも嫌なの。もう、行きたくない。」

 自分の意思に反して、勝手に瞳が熱くなって涙がぼろぼろ溢れていく。

 「……じゃあ、はやく新しい仕事先見つけなきゃね。」

 「…うん…‥。」

 …ああ、ぶり美味しい。



 「こっ…こんにちは。林さんいますか?」

 「まっ!…あららあらっ!?…まいこ〜…!佐藤くん来たわよ〜!」

 ドタバタドタガタンっ!!階段を一段飛ばしで駆け降りながら、最後は躓きかけつつ、私は佐藤くんのいるであろう玄関まで急いだ。

 「…ほっ…本当に佐藤くんっ?!」

 急ぎすぎたせいで、なんだか少し頭がキンとするが、そんなことはどうでもいい。私は、急いで身だしなみを整えつつ扉を開けた。…すると、いた。……何これ、奇跡?

 「……えっ…えっと…ほ、本当に、佐藤くん?佐藤和大くん?」

 「あはは。俺が幻覚にでも見えるの?」

 「…どっちかといったら…そう…。」

 楽しそうに笑う佐藤くんは、いつも通りの佐藤くんで、なんだかほっとしたような拍子抜けしたような気がして。…私、告白したのになぁ…。

 「これ、お母さんが肉じゃが作り過ぎたから、お裾分けにって。」

 「…あ…そう。……す〜は〜…ごめん。寝起きだったから、変なこと言ったね。…うん。いつも通りのイケメンくんだ。」

 「あはは。いつも通りだね、林さん。」

そう言って笑う彼が好き。めちゃくちゃ好き。

 「……で、来る?」

 「うん…。」

 私は不思議そうなお母さんに、いつも通り、佐藤くんのお母さんに挨拶してくると嘘を吐き、彼と一緒に外に出た。


 田舎だからやたらと少ない蛍光灯の光が心許ない、月明かりの少ない星のない夜。

 「なぁ、さっきのあれ何?」

 「…ん…ああ…いや、……その…、私、君に告白したじゃない?だから、もう会いに来てくれないと思ってたから…、その…、…あはは…。」

 「俺がそういうやつに思えんの?…ちっ。」

 ズボンのポケットから取り出した有名な銘柄の煙草の箱とライター。彼はそのまま、先程の猫被りは嘘のように怠そうな不機嫌な顔つきのまま、煙草を咥え火をつけた。カチカチっと何回か鳴らすが、なかなかつかなかった後にようやくついたその火。ふうっと鼻で思い切り吸い込み、不味そうに…でも落ち着いたように煙草を吸うその姿は、やたらと様になっている。彼の太くて節張った指が、やたらと扇状的に感じるようになった私は重症だと思う。

 ふぅ〜っ…と彼から、顔に煙をかけられる。

「…うまい?」

「煙い…。」

「そりゃそうだろ、馬鹿。」

 くしゃっと笑う君の顔が、とても見惚れるくらいに美しい。…鼻、高いなぁ…。彼が、私の唇のつけ過ぎたリップクリームを親指で撫でて取るように触れた。

 「…欲しい?」

 「…うん。」

 唇が触れるか触れないかくらいの、鼻の頭どうしがぶつかりそうな、軽いウブなバードキス。でもそれだけで、私の心は満たされた。

 プルルルルルッ。電話の音が、見つめ合った私たちの邪魔をする。私は恥ずかしさで赤く熱くなった顔を隠すように、顔を背けた。彼が舌打ちしながら電話を取る。

 「……こういうの、青春って感じする。」

 「…あ?何?」

 「ん〜ん…。」

 私は黙って微笑んだ。

 「じゃあな。」

 「頭ぽんぽんとか王子様ぶってるねぇ、イケメンくん。」

 「…うるせぇ。」

 ああ、めちゃくちゃ好き。染めている薄い茶髪が好き。流行りのマッシュヘアーっぽくした髪型が好き。細めの目を無理に二重のりで大きくしているから少し不自然な二重なところが好き。ごつごつした身体つきを気にして、筋肉を落として流行りのイケメンになろうとしているところが好き。芸能人には及ばないけど端正な顔立ちが好き。長い睫毛が好き。優しいところが好き。なのに冷たいところも好き。私とはあくまで友達で、私を性的に利用する気もないのにキスはする変な君が好き。…君に釣り合う人になりたいな。


 ***


 夢から覚めた。それは過去の甘い記憶。…結局、彼は入院中の今は一度も面会に来ないし、メールだって返信がない。

 「会いたい…。」

 …ああ、辛いな。……ねぇ、私は君に利用されたい。付き合えなくても良いよ。…早く、私を利用して。中途半端な優しさなんていらない。…私を不埒な呼吸で満たしてよ。

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