騎士の本懐
翌朝。サティアは見慣れた全身鎧で現れた。朗らかに挨拶を投げかけるガリアンとタップをいないもののように扱い、黙って通り過ぎるようにして進んでいく。
それは明らかな無言の抗議ではあったが、指定の集合場所に時間通りに来るあたり律儀な性格が隠せてはいない。むきになって声をかけ続けるガリアンと、呆れたように笑いながら着いていくタップ、そして先頭で無言を貫き通すサティアの三名は先行偵察の任に就いた。
「なあアンタ、サティアよぅ。いい加減何か返事しなよ」
「気安く名を呼ぶな」
「んなこと言っても、じゃあなんて呼べばいいんだよ」
結局サティアが根負けして言葉を話したのは、しつこく二十回ほど会話を試みたときのことだ。こうと決めたら頑迷なほどに意志が強いのがガリアンである。
「……《渇き》とでも呼べ」
「絶ッ対やだね。鎧ヤローって呼ばれてえか?」
「では騎士サティア・ザハールと」
「長えな。んじゃザハールって呼ぶわ」
「騎士サティア・ザハール」
「いちいち呼んでらんねえよ、サティアかザハールかどっちかにしてくれ」
「では『騎士』サティアだ」
「おう、じゃあサティアだな」
「…………時間の無駄だな」
「なんだよ?兄貴、俺なんか間違ったか?」
「いいや、お前のやり方で正解だよ」
親しくない人間が声をかける際のマナーである尊称付きの名前——それをあえて呼ばせるということはつまり『お前に親しげに名を呼ばれたくない』という婉曲的な言い回しなのだが、ガリアンにそんなお上品なことが伝わるわけもない。
鎧越しのくぐもった声でも伝わるほどにげんなりとした様子のサティアが力なく返事をしたのを、タップがくつくつと笑っている。
「まあ、なんでもいいや。それよりもサティアの戦い方とか教えてくれよ。連携とか考えなきゃな」
「……そうだな」
「俺は魔法とかそういうのはからっきしだからこの剣一本だ。兄貴は……説明が難しいな、いろいろだ。アンタは?」
ガリアンが腰に差したロングソードを抜く。珍しくもない、そこらの店の数打ち品だろう。丁寧に手入れこそされているが、目を見張るようなものはない。
「これだ」
言葉少なにサティアがその背に負うた長大な剣を抜き、見せる。
「『真榊の剣』という。ナリアが未だ森深きころから守られてきた神剣だ」
その緑玉を思わせる深い色は、うっすらと日の光を反射し、まるで自ずから発光しているかのように見える。まるで底に水草の漂う美しい滝壺を上から眺めるがごとく、素人にさえ一目見てこれはと感じさせる涼やかさ、清浄さがその剣にはあった。
「おお、おお……見事な拵えの鞘だとは思っていたが——こりゃあ凄い。どこの製法だ?見たことのない刃紋……いやまるで鋼が元からこうであるかのように美しい!さながら無骨な槌に肌を許さぬ気高い乙女のような剣!どこまで行っても命を殺めることが本懐であるはずの武器が美しさを纏ったその矛盾はある種の神聖さをもって————」
「き、気色悪い。急になんだこいつは」
タップが目を見開き、急に早口になって捲し立てる。いつもの冷静な姿はどこへやら、まるでロンクミュールの狂学徒どものように興奮した様子だ。サティアもこれまでのように言葉で突き放すのではなく、物理的に逃げて距離をとっている。
「鞘からどうやって出したんだ?見えなかったな。まるで消えるようにして鞘がなくなった。こんな大剣、背負うと抜き放つこともしづらいだろうとずっと気になっていたんだ。少し失礼するぞ——おお!触れるとビリビリと火傷する。『恩寵装備』か!初めて見たな……神が使い手を選ぶというが、これは拒否されているということか?どうやって判別しているのだろう……親兄弟などで誤認したりしないのだろうか?」
「おい、こいつを何とかしろ……」
「あー……兄貴は頭はいいし物腰も柔らかくていいヤツなんだけど——時々こうなるんだ。許してやってくれ」
存外に和やかな滑り出しではあったが——この任務が十回やれば九回は死ぬ無茶な挑戦であることは、全員が分かっていた。頑なであったサティアでさえも、時ここに至ってこの二人が頑として譲らず引き返すことはないと確信したのだろう。
ぽつぽつとガリアンやタップの出す話題に返事をするようになり、半日も経つころにはすっかりと普通に話をするようになっていた。幾度か獣が姿を現し戦闘となったこともあり、お互いの手の内も明かし合っている。
「『真榊の剣』にはナリアの聖泉から見出されたという逸話が残っていてな。故になのかは私には分からんがこの剣は霧を祓う。霧のあるなしで悪魔の強さがまるで違うのは知っているか」
「直接見たわけじゃないけど有名な話だよな」
「正確には霧に含まれる『瘴気』というものが、我々でいうところの空気にあたるのだそうだ。この剣はそれを祓う剣、悪魔に対する強力な対抗手段となる」
「ほう、対悪魔特化の武器というわけか……よく騎士団に接収されずに済んだな」
「『砂エルフの仕舞い込んでいた剣など、どんな呪いがかかっているか知れたものではない』と言われ、私個人が携行することを許された」
「そりゃまた何とも。呪いが功を奏したわけだ」
「腹の立つ話だ……!」
「いちいち貴様が怒るな、小僧」
「怒っていいことなんだよ!!これは!」
悪魔が襲った村は、それからほどなくして見つかった。血と臓物が撒き散らされたそこは、あまりにも強い死臭を放っていた。興奮した鳥獣がひっきりなしに声を上げるので見つけるのは容易いものだった。
「クソ……!!」
ガリアンがそう吐き捨てるようにして目を逸らす。正義感の強い彼にとっては正視に耐え難い光景である。無理もない、彼はまだ少年である。サティアも程度の差こそあれ同じ反応で、握り締められたガントレットが震えている。
タップは冷静に痕跡を眺めている。偵察の心得がある彼はおおよその敵の情報を掴み始めている。
「敵は空から来たみたいだ」
「なぜ分かる」
「ここは森を切り開いて作られた場所だ。周りには木々がある。なのに枝葉の一つも折れてない。しかも——」
指差すその先には一つの死体。中年の男はうつ伏せで倒れて事切れている。いかなる恐怖に晒されたのか、その顔は絶望に染まっている。骨が折れ、体は破裂して周りには血が放射状に飛び散っている。
「あの死体。うつ伏せの腹側から血が出てる上に、それが満遍なく円を描くように広がってる。上空から破裂するほどの威力で叩きつけられたと考えられる」
「上から踏んだ可能性は?」
「ない。それほどの威力で攻撃されたなら背中に痕跡が残る。しかし背には傷ひとつない。となれば悪魔が彼を持ち上げ、上から下に向かって投げ付けたと考えるのが自然だ」
タップは土を指で掬うとすり潰すようにして落とす。
「悪い話といい話、どっちから聞きたい?」
「兄貴、いい話からだ」
「俺たちはどうやら死なずに済みそうだ」
「なぜだ」
「血がまだ新しい。ここは数日前に報告のあった村とは別の村で、ついさっき奴らはここを殺戮した後に飛び立った。俺たちの進路とはズレる方向へ移動している。この先に悪魔はいないだろう」
「では、悪い話は」
「悪魔はすでに騎士団の野営地に向かっている」
***
夜の帷が降りた。あれから更に半日。息せき切って戻った野営地にはもはや生存者はいなかった。
「そんな……」
一際大きな天幕で会議をしていたのだろう、団長や副団長をはじめとした幹部連中全員がその近くで物言わぬ死体となっている。無様に逃げた背を討たれた者がいた。あるいは魔獣の類を何匹も道連れに壮絶な死を迎えた者がいた。気に入らない奴が死んでいた。優しくしてくれた人が死んでいた。よく知らない人間が死んでいた。見たこともない人間が死んでいた。
「団長、副団長……皆……」
泉の聖騎士団は壊滅した。
「どうする?」
タップがいっそ冷酷に尋ねる。
「『騎士』サティア、君に任務を言い渡した騎士団はもうない。王国西方は終わりだ。このことが中央に伝われば北方から援軍を呼ぶのだろうが、横腹食い破られたこの国がそこまで保つか——逃げるなら今だ」
「なにを……」
「これからのことだ。君を縛るものはない。好きにするといい。俺たちがやることは変わらない」
「変わらない?何を言ってる。今から出来ることなど……」
「兄貴の言うとおりだ。親玉の悪魔を倒さなきゃな」
「まったく。俺の言うとおり、じゃないぞ。お前がその顔してるときは絶対意見変えないから先にそう言っただけだ」
「嘘つけ、兄貴だって行く気だろ」
「どのみち……この国全部が霧に覆われたら行くところなんかないからな。やるだけやってみるさ」
サティアは呆然と二人のやり取りを眺める。数百にも及ぶ兵が目の前で死んでいるこの状況だ。目の前の転がっている平騎士ひとりの装備にも及ばないような軽装の少年ふたりが悪魔に挑むなど、自殺にも劣る愚行である。
だというのに、ガリアンとタップはまるで気負った様子もない。ガリアンの目には狂気にも似た怒りの色が宿ってはいるが、それも一周回って冷静になっているようで身体はむしろ自然体と言っても良かった。
頭が緩やかに回り始める。
背に金属鎧の冷たさを感じる。
気の利いたことなどサティアには言えない。
自然、発したのは偽らざる本音だった。
「やかましい」
騎士とは、護るもの。王を、国を、民を、誉れを、規律を、平和を——。我が身を挺してすべてを護り抜いてこその騎士。
「私が一人で征く、貴様らは帰って家族でも逃してやるのだな」
護るべきものに先を越され、あまつさえ救いの手を差し伸べられるなど言語道断。
「農民が田畑を耕すのは何のためか。皆が生きるための麦を育てるためだ」
「職人が釜に火を入れるのは何のためか。より良い品を作り豊かな生活をするためだ」
「商人が銭を稼ぐのは何のためか。その足で世界を繋ぎこれらを運び渡すためだ」
ヘルムの下には褐色の肌、顔には白い紋様。銀の双眸に激流が渦巻く。
「では、騎士は。騎士は何をもって禄を食む」
「畑のひとつも耕せぬ、炉のひとつも灯せぬ、靴のひとつも磨けぬ粗忽者の役目とは——死ぬことだ。然るべきときに闘い、その結果死すとも民を守ること。それこそが騎士たる我が身の本懐」
「ここからは死地、荷物を纏めて貴様らは戻れ」
銀の光がヘルムのスリットからきらりと輝く。ガリアンはその光と真っ向にかち合う己の視線を自覚する。瞳が熱を持ち、脳が沸騰するように血が沸く。
身を翻すように去っていくサティアを眺めながら、タップは問いかける。
「去っていく乙女を追いかけるのはマナーだぞ、ガリアン?」
「そうかい、兄貴。死にたがりを追いかけるときのマナーはあんのかい?」
「ふふふ……そうだな。精々派手にやろう」




