閑話:晩餐会
無数のクリスタルが連なるシャンデリア。光が波紋のように広がり、貴族たちの宝石やワイングラスを虹色に照らす。その下で美しく着飾り踊る男女。
金糸を織り込んだ緋色の絨毯の上で楽団がゆったりとした曲を奏で、会場では人々が笑い合い語らう声で賑わっている。金の縁取りを施したトレイを携えた従者がその隙間を一見緩やかに、しかし素早くゲストの喉を渇かさぬよう立ち回っている。
会場中央ではガリアンが囲まれていた。
純白の軍装を思わせる礼服に、胸元の飾緒。その微笑み一つを得るために、あらゆる派閥が動く。彼を取り囲む貴婦人たちの香水は花の香よりもずっと濃い。
「英雄様、お飲み物はいかがですか?」
「わたくし、ずっとガリアン様のお話を聞きたくって……」
「まあ!素敵なお召し物ですわね!瞳に映る魔力の色とも合っていて綺麗なこと」
魔窟。魔物ひしめくそれとは異なり、パーティというやつは一見穏やかで楽しげに見える。しかしそこは政治的な思惑や欲望に満ちた謀略のるつぼ。
色とりどりに着飾った社交界の毒蝶に群がられ困った少年が、哀れっぽくこちらに助けを求めているのを蜥蜴人は黙殺した。
(おおかた褥でも共にして誼を結ぶか、あるいは弱みでも握りたいのだろうが——まあ、あの初心な坊やにもこういうことも必要だろう。許容範囲だ。)
(おいたが過ぎるようならそれを指示した者の寝室にでもお邪魔させていただこう)
タップがガリアンのそばを離れているのがいい証拠だ。あの男が致命的な場で彼を一人にするなど、考えにくい。
いつものフードを被った彼の姿はここにはない。漆黒の燕尾服。襟には薄く翡翠色の刺繍が施され、鱗と溶け合うようにして輝く。白い手袋に包まれた指がグラスを軽やかに回すたび、ルビー色のワインが波紋を描いた。宮廷晩餐会という戦場に立つための武装——完璧な紳士の仮面をつけ、薄く微笑んでいる。
ラージルは大人しく壁の花でも愛でるつもりだった。だが、そんな彼に話しかけるものがいる。どこぞの貴族であるらしい、どこにでもいる尊大で羞恥心のない腑抜けだ。
「いやあ、こう見えても私はそれなりに腕が立つのでね!騎士学校でもいいところまで行ったのだよ!」
「なるほド、素晴らしい。そのお力を是非お貸しいただきたいところデすな」
「ああ!次の遠征には私の剣捌きをご覧に入れよう!」
「楽しみにしておきマす」
「それはそうとラージル、君のマナーは実に見事だ。故郷は王都から遠く離れていると聞いたが、どこで学んだものなんだ?」
「ん?あぁ……お恥ズかしいことに独学デすよ。これでも指先が震えないようにするので必死でしてネ」
口先だけの謙遜。臙脂色のベルベットのネクタイが華やかに飾る喉元をくっ、と上げて微笑んでみせる。多くを語らぬこのラージルという男、その不断の努力の結晶。
「蜥蜴面が上流を気取るのは不遜ですかナ?」
「まさか!フォークの使い方などに割く時間もないだろうに、英雄の一行というのはかくも天賦を持ち合わせるものかと感心していたくらいさ!」
(よく言う。口角泡を飛ばして純人間主義を叫んでいるのが誰か、我が知らないとでも?)
「ハハハ、ご冗談ヲ。ワタシが得た天賦など、運くらいのものデすよ」
上滑りする会話。無作法の一つでもあれば、「国王主催の晩餐会に相応しくない振る舞い」とでも蔑み、国賓扱いの現状に異を唱えるつもりだろう。
「いやいや!《厄介払い》の席に座れるというなら、その運とやらだけでもお釣りが来るとも!」
この目の前の男が《厄介払い》からラージルを追い出したがっているのは前々からのことだ。どうやらガリアンの熱心な信徒らしいこの男は、『自分より劣った生物』であるところのラージルが出て行けば次は自分がその席に座れると考えているらしい。
(全く、我らが英雄殿は人気者だな)
小人というのはえてして己の器で他人を測りたがる。目の前の伯爵だか侯爵だかの孫——この肩書きすらも他人頼りのひよっこは、あのわがままな英雄の旅に同行できる自信があるのだろう。
貴族の学生大会でいいところ止まりの腕で、悪魔と戦おうというのだろうか?
(——お前ごときが?)
ほんの僅かな苛立ち。
己が生涯を賭して支えると決めている男の、その覚悟を軽く見られた。死ぬことすらも許されない永劫にも等しい責苦を耐え抜いて万民を救うと決めた、あの尊い覚悟が。死線を垣間見たこともないようなこんなスーツの似合う貴族の男に。
ほんの僅かな、殺意の滲む苛立ち。
それは貴族の男の次の一言でより大きくなる。
「私も名を上げたいのだよ!ガリアン殿の英名を明らかにしたウォーガーデンの戦いやストゥルブグ洞窟の冒険譚のような、血湧き肉躍る栄達の道を歩みたいのだ!」
——どんな地獄を踏み越えたと思っている。何人の仲間が死に、それにガリアンがいかに苦しんだと思っている。
魔力とは、世界に歪みを与える力。
魔力の強さは、思うがままに世界を作り変える我の強さである。
即ち、このラージルの苛立ちは『空気に重みを持たせた』。
「あガっ!!??」
「おヤ?どうされました?」
ラージルの魔力は粘性を帯びて貴族の男にのしかかった。全身にへばりつき男に膝をつかせると、さらには鼻と口に入り込んで呼吸を封じた。
なんの魔術でもない。ただ魔力を少し出して男に乗せただけ。ラージルからすれば『している』と意識することが難しいレベルの児戯。
そんなもので男は死にかけていた。
(おっと、流石に王の御前で人死には不味いな)
ガリアンの仲間の前で武勇を語りながら、まさかそんな程度で死にかけるとは。あまりの惰弱さに呆れながら、騒ぎにならぬように介抱するふりを演じる。
当然、ラージルの魔力コントロールは正確無比。他の参加者に気取られないように隠匿をしてある。
ほんの一部の上澄み——サティアやガリアンなどは魔力を感知しただろうが、知覚は獣並みでも肝心の魔術の知識に欠ける。何かが起こっていることには気付いても、何をしているのかは分からない。加えてその二人は根が純粋なので、ラージルが悪意をもって他者を害しているとは思っていないようだった。
ルルノアはその聴力で気付いているだろうにこちらに目もくれず豪華な食事に齧り付いているし、ファティヒとタップは訳知り顔でニヤついている。その誰もがラージルを信頼し、この場を預けてくれているようだ。
(我には過ぎた仲間だ)
「げぇっ、べっ、おェッ!!こっ、この!この蜥蜴めが!!私に何をした!!??」
(だが我が身がいかに日陰に潜む蜥蜴だとて——この陽だまりをわざわざ譲ってやるほど卑屈ではない)
「何も?」
「何もだと!?あのような真似、魔術師の貴様以外の——」
「こんなもノは悪魔が挨拶がわりに放つ威圧にも劣る、たダの子供騙しだ」
「無礼な!この私に向かって劣等種風情が!!」
「おやおや、これは失礼」
(言質は取った)
縦に裂けた瞳孔が残忍に煌めく。
ラージルの背後から男の眼球を目掛けて神速で飛び放たれたフォークを掴む。ルルノアが投げたものだ。持ち手が土でも捏ねたようにぐにゃりと歪んでいる。
苛ついて思わず投げたのだろうが、周囲の貴族が目で追えず異常を認識できないような速度のフォークでは殺してしまう。
ラージルはそこまでするつもりはない。権勢を振るわれると今後やり辛いだろうから、彼には失脚してもらう程度でいい。
「覚えておけ!貴様のような————のトカゲが英雄の側で甘い蜜を啜ろうなど——我が——侯爵家の——」
何やら声高にがなり立てる男の声を聞き流しながら、ルルノアに向かって小さく首を振る。
ぶすくれたような表情の彼女を見ながらラージルは愉快になり、少し笑った。
(我は、これで十分報われている)
瀟洒な服に身を包んだその蜥蜴人は柳のように男の癇癪を聞き流し、優雅に一礼を行うと国王主催の晩餐会を己の出自にて騒がせたことを謝罪したのちその場を辞した。
晩餐会はほんの僅かな騒ぎがあったものの、概ね平穏に終了した。
酒を飲んだ貴族の小競り合いなどしょっちゅうのことで、こんな霧の煙る世界においては貴族にも強さが求められる。誰かの理不尽を跳ね除けられないものに、どうして霧が退けられようか。
英雄の一党にありながら難癖をつけられて何も反駁しないラージルは、貴族の間でほんの少し評価が落ちた。しかし、そのときどんなやり取りがあってそんな顛末となったのかは、誰も思い出せなかった
やはりあの一党はガリアンという英雄により支えられているのだと、無意識的に皆がそう判断した。
そして、その次の会議からあの貴族の男がラージルに話しかけてくることはなくなった。
***
「我はな、別にどっちデもいいんだ。歩く道が花道だろうと裏通りだろうと」
「我らがお尋ね者になればガリアンが残念がるだろうカら、世俗権力に阿ってイる。ただそれだけダ」
「国を愛しているカ?自領を誇らしク思うか?」
「ならバ、二度とその薄汚い口を開かず貝のように静まり返ることダ」
「そうすれば、幸福でいらレる」
「こんな夜更けに嫌いな蜥蜴面を拝むこともなイ、だろう?」




