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悪魔の契約



「うん、そうだな。その質問に答えるためにはまず、俺の貰った加護について詳しく話す必要がある」


 タップはいつものように照れくさそうに頬を掻くと、話し始める。


「俺の加護は正確に言えば『仲間の背を追う限り、記憶を持って時を遡る』ことができる——つまりガリアン、俺がお前のことを初めてすごいと思った六つか七つのガキの頃まで、今の俺の記憶と思考を持って戻ることになる」


「兄貴が、俺を?」


「そりゃあ今でこそお前を俺を兄貴と呼ぶが、最初はタップと呼び捨てだったんだぜ。俺は何にも出来ない泣き虫で弱虫のガキだった。でもお前は違う。ずっとずっと昔から、何回やり直してもお前はお前だ」


「兄貴は……いや、なんでもない。続けてくれ」


「最初の頃はお前を生かすためにはどうしたらいいのかばかりを考えてたよ。何しろお前ときたら考えなしのお人よし、いつも誰かのために鉄火場に飛び込んで、篝火に集る虫のように焼かれるなんてのは悪いが見慣れたよ」


 手のひらを振りながらやれやれと笑うタップは僅かに疲れのようなものを滲ませながら、朗らかに語る。


「若様らしい話だ」


「ガリアン……もう少し物を考えた方がいいぞ」


「うるせえや」


「勉強を教えてみたり、職人仕事を覚えさせたり、吟遊詩人や踊りなんかもやったな。時には男娼になったこともあったが——結局どの仕事でもお前は誰か困っている奴を見過ごせないで《宮殿(ここ)》を目指す」


「なら、初めッからここに来たほうが早いと踏んだわけですか」


「人のことを言えた義理ではないが——随分と付き合いがいいな?」


「ふふ、こいつを放っておけねえのはみんな同じだろ?ま、そんなわけで何周かして俺も知恵がついたり慣れたりして《宮殿》に辿り着くにも苦労しなくなった。筋力なんかはリセットされるが、知識は蓄えられるからな……だがここで問題に気付いた」


 ふと、笑っていたタップの顔に陰が差す。暗い、悦びにも似た卑屈な笑いだった。


「マヌケで簡単な問題さ。悪魔の王はいない。倒せばハッピーエンドの都合のいい敵がいない以上、霧をどうにかするにはこれ自体を消していくしかない」

「だけど俺が死んで時を遡るってんなら、一度で世界中の霧を吸い切らなきゃいけない。だが——そんなことは出来ない。単純に霧の総量が人の容量を超えてるんだ。この世の霧をすべて消すなんて、到底出来ない」


 考えればすぐ分かるだろ、とタップは自嘲した。沈黙の帷がしばし一行を包む。口火を切ったのはファティヒだった。顎髭を揉むようにして弄りながら、眉を上げて尋ねる。


「それでタップ殿は絶望して悪魔になったので?」


「兄貴がそんなことするわけねえよ」


「……ガリアン。お前の信頼は嬉しいよ。でも、俺はそんな大それた人間じゃない。俺はほんのちっぽけな、ただの凡人だ。ただ——できることをやっているだけの」


 その目に光るは決意。


 ここに集うは誰もがガリアンの光に惹かれて集まってきた連中である。その光には見覚えがあった。そして、それには敬意が払われるべきだと彼らは知っている。


 いつの間にか与太話と笑う者はおらず、誰もが話の続きを待っていた。



「それを気付かせてくれたのも、お前(ガリアン)だったよ」



***



 《宮殿》。悪魔の王が棲まう最果ての地。


 何度訪れたかも分からないような、見慣れた土地。十回?二十回?それとももっと——?


「ハハハ、馬鹿にも程がある……そりゃそうさ……ヒト一人が吸い切れる程度なら世界は滅びかけてない……」


 タップは一回ごとに何十年もかけてここまで到達し、少しずつ霧の取り込み方を学んできた。


 ゆっくりと、ゆっくりと霧を取り込めば肉体の変容は抑えられる。むしろどんどんと増す魔力が身体を強くしてくれる。だが、しかしそれにも程度がある。


 「姿が見えない悪魔の王を捜索する」と称して本当の理由を隠して陰で霧を吸収していたタップにガリアンは声をかけた。


「なあ、兄貴。ソレ何してんだ?」


「——なんでもないよ、ガリアン」


「霧を吸い込んでるのか?瘴気を含んでんだぞ、正気か?」


「ふ、くくく。正気なんかクソくらえだ。じゃあ一体何のために何百年もこんなことをやってるんだ?馬鹿が……」


「兄貴————?」


「ははははは!!!馬鹿がッ!思い上がりやがって!!!!!」


 涙が溢れる。数百年の時間をかけてここまで来た。何度繰り返しても死に向かい続ける友を救えると思っていた。そのついでに世界を救うという難行に、心を揺さぶられた。


 その末がこれだ。


「英雄気取りが!!死ね!!死んじまえ、この無能!!!!」


 誰もが持ち得ない加護がある?何度死んでも時を遡る?そんなものが一体何になる。


 ガリアンを見れば分かることだ。この男が英雄であることはその能力とは関係がない。例えその身が刃に貫かれようと、ガリアンは誰かを救うことを諦めない。そんなものに心を動かされない。


 卑しい。


「はははは!!ハハ、あはははハハハハハ!!!!」


 人知れず世界を救い、ガリアンを助けたのだと悦に浸るつもりだったのだ。影の英雄を気取って、挙句に失敗した。


「結局恥知らずじゃないか!!俺は、俺は……何も変わってない……!!」


 慟哭が《宮殿》に響き渡る。


 ガリアンは何も言わずにじっとタップを見ていた。


「……」


 涙が地面を濡らして水溜りが出来たころ、側に立っているガリアンが肩をぐいと組む。


「兄貴、あんまり舐めるなよ」


 ガリアンの指先へ霧が集まっていく。しゅう、と音を立てて吸い込まれていくそれをタップは数秒眺めたのち、その手を跳ね除ける。


「おい!何をしてる!!」


「そりゃあこっちの台詞だ。霧を吸い込んだり泣いたり、何かあったんだろ」


「あるに決まってんだろう!!悪魔の王はいねえ!霧は止まらねえ!!人類は終わりだ!!」


 本当は死ぬのは怖かった。ガリアンはもうずっとずっと年下になってしまったけれど、タップにとっては大切な友だ。その友の願いを、神聖なる思いを汲んでやりたかった。それを成し遂げたときに隣にいるのは自分でありたかった。


 その祈りは叶わない。


 もう敵はいない。


 ただゆっくりと、この世界は霧に沈む。


 魔術で戦ってどうにかなったりは、しない。



「俺が止めてやる」


「無理なんだよ!」


「やってみなきゃ分からねえ」


「何度もやった!!」


「今度こそ上手くいくかも——」


「ンなわけねえだろ!!現実を見ろよ!!」


 ああ、溢れてしまった。そう思った。


『そうだな、ガリアン!』

『ああ、諦めるには早い』

『必ず成し遂げよう!!』


 本当はそう言いたかった。


「出来るわけねえだろ!!そんなこと!!」



「いいや、出来る!!俺と兄貴(・・・)なら!!」


 既に許容量の限界は超えている。ガリアンの側頭部には羊のような角が生え、皮膚を突き破って出血している。


 それでも、まるで一切の痛痒もないかのようにガリアンは霧を吸い続けている。たかが兄貴分の様子が変だというそれだけのことで意地になって自殺行為に走っている。


 タップの頭の奥で、何かが痛む。狂った精神が、いつもであれば絶対にしない選択肢を取る。気付けば指先に集まる霧は、これまでの倍近い勢いになっていた。


「出来るわけがねえんだよ!!たかだかヒトが二人死ぬ気になったって、何も変わらない!!!」


「馬鹿言え、俺と兄貴が揃って出来ねえことなんかねえよ」


「俺の目標が世界中の霧を吸い尽くすことでもか!?」


「たりめえだろ、俺は元々ここに悪魔の王を倒しにきてんだ!!霧くらいでどうにかなるかよ!!!」


 迷いのない返答。目からは血が流れ、背から蝙蝠に似た翼が生えた。血と霧の結晶を溢しながら広がるその翼は、禍々しく地に影を落とす。


 この世ならざる姿への変貌は、何度も繰り返してもいるタップをしてもぞっとする現象だ。


 それを、意にも介せずガリアンはこちらを見据えている。それ以上に大切なことなどないかのように、一心不乱にタップに叫ぶ。



 ああ、ああ。ガリアン。何でお前はそんなに——。


 何で俺はこんなに————。



 タップは己を呪っている。残酷な真実を、弱さを、友に目が眩んだ己を。


「クソ……」


「兄貴、俺がアンタに説教されて意見を変えたことがあったかよ?」


「…………そうだな、お前以上の頑固者は見たことがない。俺の負けだ」



 静かに、霧を吸うのをやめる。手遅れであることを知りながら。



「なあ、ガリアン——俺が時を遡ってると言ったら……信じてくれるか?」



「兄貴が泣いてまでウソなんざつくかよ」



 神話に残る悪魔のごとき姿と化した二人が血の涙を流しながら笑う。身体はとっくに限界で、やっぱり霧を全部吸い込むことは出来なかった。


 しかし、タップの心は爽やかだった。


 一人では無理なのだ。二人でも無理だった。なら、三人なら?四人なら?人数を増やして挑戦すればいつか出来るかもしれない。世界中を旅すればどこかに霧を消せる加護を持つ人間がいるかもしれない。


 狭まっていた視界が急にクリアになった気がした。


 今回はきっともう死んでしまうだろう。ガリアンもこのことは覚えていない。また数十年に渡るやり直しだ。


 前までは諦観があった。誰にも共有できない辛さがあった。だが、今は違う。


 ガリアンは信じてくれる。タップにとってそれは何ものにも勝る大きな救いだった。


「ありがとう、ガリアン。いつか……いつかお前を、誰もが知る英雄にしてやるからな」


「ハン、自分でなるから余計なお世話だっての」



 そうしてその周は久々に苦しみを感じることもなく、安らかな気持ちでタップは命を終えた。




——そして、こどもに戻ったタップの目の前には悪魔と化したガリアンの姿があった。


 まだ誰もこの旅を知らない、その始まりの地に。

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